怪異其之六・■■■地■ 二
おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……
…†…†…………†…†…
「無理だっ! こんな危険な奴、稲荷に任せられんっ!」
「そうかなぁ。鎌倉事変では多くの仲間を集って、時の幕府に喧嘩売ったし。こうして不死者たちが集っているのも、もとはといえば稲荷ちゃんがオジサンたちの知り合いだったからだ。それに、今も全国津々浦々して豊穣の加護を撒いて回る旅をしていて、旅の仲間だってしょっちゅう増えているだろう? 彼女にはそれだけ人の心をつかむ何かがある。《最適解》さんと仲良くなるなら、おそらく彼女こそが最善の人員だ。まぁ、怪異事件の解決するにあたって、被害を増やさないよう今は旅の仲間を解散しているし、多少対人能力はなまっているかもだけど」
何より。と永休は言葉を切り、《最適解》が封印されている、賢気丸を指さした。
「新月刀は稲荷ちゃんの刀でしょう? 今後手放すつもりがないのなら、彼女の面倒は稲荷ちゃんが見るべきだ」
「いや、そうかもしれんが……」
――だとしても不安だ。
と俺――賢者の石は言葉を告げかける。
それほどまでに俺の中では最適解は警戒すべき対象だった。
おまけにいくら稲荷が人たらしの才覚があるとはいえ、最適解は俺に敵愾心を持っている。
俺の娘なんて俺に近しい人間に、好意を抱いてくれるとは思えなかった。
事実。
『先ほどから好き勝手なことを。私は悪意をもって知恵を隠すことなどしません。えぇ、たまたま聞かれなかったから、答えなかっただけで、意図的に知恵を隠したことなど一度もないはずです』
「どの口が抜かしやがるテメェっ!」
最適解の態度は先ほどの永休の言葉を聞いても変わらなかった。
変わったのは別の方。
「父さん。やめて」
「うぐっ!」
稲荷の方だった。
「これから仲よくならないといけないのに、いつまでも喧嘩腰でいいわけないでしょう」
「稲荷っ⁉ 正気かお前っ! こいつが俺に何をしたか。怪異事変で何が起こったか、忘れたわけじゃないだろうがっ!」
「だとしても、時廻童や永休さんが言うように、このままでいいということにもならないのは事実よ」
そういうと稲荷は、数度深呼吸をした後、賢気丸を抜刀し机の上へと置いた。
弓剣からは警戒の視線。永休からは優し気な笑み。ルルエルからは懐疑的な瞳。時廻童からはニヤニヤした笑み。
それらを一身に受けながらも、《最適解》は極めて平坦な声音で稲荷に話しかける。
『なんでしょう稲荷様。私の名前は《最適解》。いかなる質問。いかなる疑問にもお答えする、全知式回答補助機能です。さぁ、どのような質問に対する回答を欲されますか? 《魔天》の討伐方法でしょうか? それとも増えた怪異の消滅方法でしょうか? そこの無能が管理している私の演算機構につないでいただけるのなら、すぐにでもお答えいたしますよ?』
「――っ!」
――俺が最適解の演算機能を使っても割り出せなかった秘密を、コイツはものの数秒で出すってかっ! と俺が戦慄する中、稲荷はただ一言告げる。
「ええっと……じゃあ。その《最適解》って名前、自分的にはどう思っているの?」
「……………………」
『……………………はい?』
俺と最適解の予想を斜め上にぶち抜いた、怪異とは一切関係ない質問だった。
…†…†…………†…†…
『……私は《最適解》。いかなる質問。いかなる疑問にもお答えする、全知式回答補助機能です。そのような私自身の評価を、私自身で行う質問にはお答えしかねます』
「どうして? これも質問ではあるわよね?」
『……回答することに価値を見出せません。その回答をすることによって、あなたに益があると認められません。非効率的疑問であるといえます』
「でも疑問ではあるわよね……」
『…………』
――珍しい。最適解が困惑している。それどころか回答すらできないでいる!
非常にまれどころか、今まで一度としてなかった最適解の反応に、俺は内心で目を見開いた。(石だから目なんてないんだけど)。
『それをお答えしたところで、あなたはいかがなさるのですか?』
「ん? 私としてはもっとましな名前を付けてあげたいわ。父さんはあなたのこと、《最適解》だ《最適解》だと呼んでいるけど。それって要するに機能名よね? あなた自身を指す、あなた本人の個人的権利を認める、あなただけの名前を付けてあげたいと思うの」
『私の……権利?』
まるで異次元の言葉を聞いたかのように鸚鵡返しをする最適解に、稲荷は一度首肯を示した。
「うん。だってあなたはこうして会話ができる以上、父さんと同じ一個の意思を持った人格体よ。意見を述べる権利も、自分がしたいことを告げる権利も、自分が嫌なことを告げる権利も、当然のごとく持っているわ。まぁ、さすがに父さんの精神を壊そうとしたり、怪異事変で教えてほしかった事実を隠したことは許せないけど、この刀に封じられることで、その罰は今現在清算中だと思うの。だからこそ、今の状態の改善は無理だけど、せめてまっとうに話し合える関係にはなりたいかなと」
『そのために、私に新しい名前を付けると?』
「そういうこと。当然今の名前が気に入っているのなら、無理強いをすることはできないわ。あなたにはその権利がある」
『…………………』
何かに戸惑うように、《最適解》は沈黙する。
おそらくアイツの中では、この質問に回答することによって名前を得られることに対する効率性と有意義性を演算しているものと思われた。
だが、すべてにおいて《効率的な答え》を出すことを至上命題とし、本人自身それを好む最適解にとって、その答えは決まっているはずだ。
『非効率的。私との友好関係が、魔天討伐につながるとは到底思えません?』
「どうして? 今のあなたの全知の大本である、演算機構は父さんが宿っているあの宝石にある。だから今のあなたはあくまで人間と同程度の思考能力しかないはず。未来も見ずに、どうしてそんなことが言えるの?」
『未来など見ずともわかります。先ほど時廻童が言ったように、永休僧正に穴のない質問をさせ、私に限定的な演算をさせるのが、魔天の弱点を探る《最適解》です』
「でも父さんたちはそれを信用できない。あなたの言葉を裏付けし、落とし穴がないか調べていくのに、かなりの手間と時間がかかると私は見ている。ならいっそのこと、あなたを少しでも信頼できる存在にした上で答えをもらい、あとはすべてあなたの回答通りに行動するのが効率的ではないかしら?」
『………………』
だが意外にも、稲荷が告げた言葉に対し、最適解は答えに窮した。
今まで人の心を演算に入れつつも、非効率的ならそれを率先して切り捨ててきた最適解にとって、人の心を重視したうえで稲荷が発したその言葉は、効率と人情の中間を貫いた判断に困る物だったのだろう。
どちらの可能性もありえ、そしてどちらも同じ程度の効率で、事態の解決ができそうな手段だった、
だが、手段が違う以上、必ずわずかな差異はあるはず。そのわずかな差異が制限された演算能力では割り出せず、最適解は混乱しているのだ。
もはや《最適解》が最適な答えを出すために頼る者はただ一つ。
すなわち、個人的嗜好。
最適解がついぞ持てず、それ故に女神が持つべきと判断した、俺を最適解内へと送り込んだ最大の理由。
最適解は今、それを用いて答えを出す必要に迫られていた。
「さぁ、《最適解》さん。どうしたい? 名前が気に入っているか、気に入らないか答える? それとも、永休さんに質問してもらう? あなたにとっては、どれが一番うれしい行動かしら?」
『わ、私は……』
そして、最適解が答えを出そうとし、俺たちがかたずをのんで見守っている時だった。
…†…†…………†…†…
おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……
おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……
おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……
おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……おいてけぇ……
…†…†…………†…†…
「うるさぁあああああああいっ⁉」
『――っ⁉』
「うおっ⁉」
なぜか半泣きになった、ボロボロの燐才が、会議室内に飛び込んできたのは。
「ど、どうしたの、燐才君? 騒がしい。今会議中よ」
「というかアンタ、私たちが神祇版越しに集めた魔天の資料まとめるって話だったじゃないの? それどうしたのよ」
驚きからいち早く立ち直ったルルエルと、あきれたように半眼になった弓剣からの指摘を無視し、燐才は両耳を抑えながら、稲荷に縋り付いた。
「た、助けてくださいっ! さっきから妙な声が聞こえてきて……。挙句なんか不幸続きで! きっと怪異の仕業に違いないですっ!」
「え?」
どうやら、会議どころではなくなったらしい。




