怪異其之五・飛縁魔 後
事件から数日後。
何とか体調が元に戻った伝介は、お縁と出会ったあの村へとやってきていた。
『いい、伝介。辛いのはわかるけど、あの子のことは忘れなさい。それがあんたに唯一できる、あの子の弔いよ』
あの後すぐに幕府からの召集を受け、幕府に向かった弓剣にはそう言われたが、あいにくと伝介は不死者ほど人生に達観できていなかった。
体調が元に戻った伝介は、いなくなったお縁の影を求め、お縁との思い出の地をゆっくり、一人で回っていた。
そして最後にたどり着いたのが、お縁がいたこの村だった。
だが、
「誰も……いないか」
伝介がたどり着いた時には、村はすでに無人になっていた。
代わりに村の入り口に見慣れない立て看板が立ててある。
『この村、村八分を行い一世帯の家族を死に追いやった村であり、新たなる怪異を生み出した重罪の村である。そのため、幕府は《村八分の禁》法度を破りしこの村の解体を決定。住人すべてを連座刑に処し、後日都にしてさらし首とす』
「…………」
苛烈と、事情が知らぬものが見れば取るだろう。
だが、この村に大した思いれはなく、むしろ人だったころのお縁を餓死させた村だと思うと、伝介のハラワタは煮えくり返る。
――殺すだけでは飽き足らない。この世の地獄を見せてやりたい!
そう思った。
だが、あいにくと村人はこの村にはもういない。すべて幕府がとらえて都へと連れて行ったのだろう。
伝介がここでできることは、もうなかった。
いや、一つだけある。
「そうだ……。あの家。お縁が住んでいたあの家なら」
村人たちが言うには、あの家にはお縁以外は住んでいなかった。
母と父もお縁が埋めたという。
では……死んだはずのお縁はどこに?
「お縁……お縁ッ!」
嫌な予感がした。
恐ろしい予感がした。
伝介は走り出し、誰もいない村を抜け、そのはずれにあったあばら家へと駆け寄っていく。
そして、伝介はその家の扉を勢いよく開き、
「あ、あぁ……」
見つけた。
見つけてしまった。
お縁が怪異になった時点で誰にも見えなくなっていた、本当のお縁の姿が。
お縁が一度消えて、怪異のお縁のくびきから解き放たれたのだろうか?
庵がある広い居間の片隅に、それは転がっていた。
骨と皮だけになり、微動だにしなくなった……赤ん坊の木乃伊だった。
「お縁! お縁! お前……こんな。こんな!」
――寂しかっただろう。辛かっただろう。それなのにお前は、恨み言ひとつ言わず、俺の……俺なんかのために!
「あぁ、あぁああ! あぁああああああっ!」
伝介は泣いた。その物言わぬ赤ん坊の躯を抱えながら。
ただひたすらに泣きくれて、自らの目の前で消え去ったあの心優しい女を悼んだ。
…†…†…………†…†…
庭の裏手にあった二つの墓。
その間に小さな墓を作り、伝介はその赤ん坊を弔った。
念真や弔いの言葉など、坊主が使いそうな気の利いた言葉は何一つとして言えなかったが、ただせめてこの哀れな赤ん坊が、来世では幸せになれるようにと祈り続けた。
その時だった。
「ん?」
伝介の神祇版が震える。誰かからの通信だ。
いったい誰だと思い、伝介が懐から神祇版を取り出すと、勝手に神祇版の霊力画面が開き伝介へと話しかけてくる。
丸で囲まれた鳥居を横一線で貫いた紋とともに。
『よぉ、伝介ぇ。たどり着いちまったかぁ……。哀れな哀れな、お縁の墓に』
「あ、あんたはっ!」
お縁を怪異にした存在。
《魔王》山本と同じ存在。
《魔天》神野悪五郎
弓剣に気をつけろと言われたその存在が、伝介に向かって話しかけてきた。
『おいおいおいおい、そう邪険にしなさんなよ。俺は怪異を作る怪異だぜ。怪異を作るのが仕事なんだ。お縁を助けようとしたらああするしかなかった。俺は悪くない。俺をそういう風に作った妖怪どもが悪いんだ!』
「黙れ。お前のせいで! お前のせいでお縁はッ」
『はぁ? 何言ってんだよ、お前? あいつが自分の正体に気づくまで、アイツが不幸せそうにしていたことあるか? ん? むしろ感謝していたくらいだろう! 幸せな結婚をして、幸せな旅をして、お前と一緒に生きることに、喜びすら感じていたはずだ? 違うか?』
「そ、それはっ!」
そう言われて伝介は思い出す。
幸せそうに笑っていたお縁の笑顔を。広い世界を見せてくれてありがとうと、感謝の言葉を告げてくれたお縁の姿を。
『確かにあいつは怪異だ。それも人を殺しちまう、とってもおっかねえ怪異だ。だがそれはあんただって承知の上だっただろう? 徐々に体調が悪くなっていく中、一度だって疑わなかったわけじゃないだろう? 自分の不調はお縁のせいじゃないかと?』
「だ、黙れっ!」
『だがあんたはお縁とともに生きていくことを選んだ。それはあんたが、お縁の為なら死んでもいいと思っていたからだ。お縁はあんたを殺し怪異としてのありようを全うでき、あんたは好いた女に殺され満足して死ねる。互いに損はないはずだった。俺はそれを見守っていただけさ。むしろそんなアンタを邪魔した弓剣の方こそが、あんたにとって恨みの対象であるべきはずだっ!』
「――――」
喉が干上がる。声が出なくなる。
神野悪五郎から放たれる、邪悪な気配が原因ではない。
自分の心の奥底で、その言葉に納得してしまえる自分がいる事実に伝介は心の底から震え上がっていた。
『よく思い出せ伝介。お縁の笑顔を奪ったのは、お縁の願いを奪ったのは……本当に俺か? 触られたくない真実に触れて、お縁を死の追いやったのは……本当に俺か?』
「――――」
『日ノ本最強なんか知ったこっちゃないよなぁ。お前はあの女にお前の妻を殺されたんだ。伝介ぇ……復讐したくないか? お前からお縁を奪ったあの女に、目に物を見せてやりたくないか?』
「―----------------」
震えが止まらない。神を分かつ紋が赤く輝く。
声が……声が出ない。
伝介はただ、その紋の言葉を聞くことしかできない。
『なぁ、俺と契約しろよ、伝介。お前に力を与えてやるよ。あの最強を殺す力を。あの忌々しい女に罰を与える力を。それによぉ伝介。この契約を結べばお前を……お縁とともに生きる怪異にしてやってもいい』
「――っ!」
『お縁は消えたはずだって? 違うねぇ。あいつは恒常発現型の怪異だ。人の世に溶け込み、人とともに生きていく怪異だ。この前消えたばっかりだったとしても、必ず日ノ本のどこかでお縁として形を成し、また獲物となる男を探している。まぁ、さすがに記憶の引継ぎは『何も知らない』という怪異としての特性上無理だが、それ以外はお前が知っているかつてのお縁のままだ』
「――お縁に……また会えるのか?」
『お前が怪異化してくれるなら、お前を必ずお縁のそばに出現する怪異にしてやる。お縁の夫として、その生を全うできる怪異にしてやる。だからさぁ、伝介ぇ。俺と契約しろよ。今出ている紋に、ほんのちょっと触れるだけでいいんだ。それでお前は、失ったはずの最愛を取り戻せる』
震える指先がゆっくりと、神祇版に近づいていった。
それが神野悪五郎に操られたためか……自分の意思で近づけていっているのか、もう伝介にはわからない。
彼の頭にあるのは、生涯ただ一人の最愛の女の笑顔……!
『私に、旦那様を殺させて……私を、不幸にしないで』
「あ……」
『はい。旦那様。お縁も……あなたとの旅の日々は幸せでした』
指の震えが止まった。
紋に触れかけた指が離れていく。
「できない……。できないよ神野悪五郎」
『なんだと?』
「お縁は俺に幸せだったといってくれた。そして、俺を殺すのは何よりも不幸だといってくれた。だから、俺がお縁の後を追って怪異なんかになれば、きっとあの娘は後悔する」
すべてを忘れていたとしても、すべてを知ればきっとあの子は思い出す。
自分がまきこんだ、自分の被害者たちが怪異になったという現実に耐えられない。
だから!
「お前の言葉には乗らない! お前との契約はしない! 弓剣さんは悪くない! 悪かったのは全部お前だっ! お縁を、人を不幸にする怪異をした、お前がすべて悪いっ!」
『……チッ。こりゃ本格的に素体にする女を間違えたな』
その言葉とともに、赤く輝いた神を分かつ紋は、ゆっくりと伝介の神祇版から消えていった。
『いいだろう。今回は引いてやろう伝介。だがお前に耐えられるかな? 日ノ本のどこかで別の男とともにいるあの女を見て、お前にまた今の言葉が言えるか……楽しみに見ておいてやるよ』
「っ!」
最後の最後まで、人を惑わせる猛毒の言葉を残し、神野悪五郎は伝介の目の前から消えた。
それを見届けた後伝介は、怒りのままに神祇版を地面に叩き付け、さらに踏みつけることで完膚なきまでに神祇版をたたき割る。
「俺は……負けないっ! お前なんかに、絶対にっ!」
半年後、日ノ本で初の《不死者ではない怪師》が幕府に登録される。
死を前提とした怪異事件解決を、不死ではない人間が請け負うというその事実に、日ノ本の人々は大いに驚いた。
だが、怪師となった男の言葉は日ノ本全土へと伝わり、多くの人々の胸を打ったという。
『怪異問題はもう他人事ではない。日ノ本に生きる者すべてが、全力を挙げて対処すべき問題だ。私の妻だった人と同じように、一つの怪異が生み出されるたびに、一つの悲劇が生まれるのだから』
その後男の口によって告げられた《飛縁魔》という怪異の悲劇が、日ノ本中を駆け巡る。
その悲劇は人々の口によって膾炙されていき、やがて大きなうねりとなって、《魔天》討伐への足掛かりを作り出していく。
「さぁ反撃だ、神野悪五郎。人をなめたお前に、人の底力を見せつけてやる」
そのすべては、たった一人の男が……最愛の女性の願いをかなえるため踏み出した、第一歩が作り出したものだ。
《怪異名称》
飛縁魔
《怪異等級》
初級
《怪異解説》
日ノ本各地に発生する、美女型の怪異。
恒常発現型であり、常に日ノ本のどこかにいる。
付き合う、あるいは結婚した男から精気を吸い取る怪異であり、1年近い時間をかけてゆっくりと男の精気を吸い取り、徐々に衰弱させていく。
本人には自身が怪異である自覚はなく、飛縁魔という名を告げられることによってのみ、自らが怪異であることを思い出す。
《発生条件》
恒常発現型。ただし個体数があり、同時存在はできない。
飛縁魔が具現化している間は、ほかの飛縁魔は現れない。
《討伐・予防方法》
飛縁魔の被害を受けている人物が、飛縁魔だと指摘することで討伐は可能。
比較的討伐が容易な怪異だといえる。
問題なのは彼女と恋に落ちてしまった男の方。
あまりに理想的すぎる飛縁魔との付き合いに、男のほうが溺れてしまい、その指摘をできぬまま死んでいくケースが後を絶たない。




