怪異其之四・神速夜行の山姥 二
走る。走る愚僧。
精魂尽き果てるまで走り続ける。
三枚あった札はもうすでに一枚になってしまった。
一枚目は便所に残して身代わりに。
二枚目は追いかけてきた山姥に放った大火事に変化した。
残った札は愚僧の切り札。
だが、
「このまま放置するわけには!」
燃え上がる炎が山の斜面をなめ上げる。
同時に、引火した草木が炎に身を包みだした。
このままでは大きな山火事になってしまう!
「はぁはぁ! はぁ、はぁっ!」
いまだ未熟な愚僧にできることはただ一つ。最後の札に願い、出した炎を消してもらうこと。
だが、そんなことをすれば!
「まてぇ! 待てぇえええええええええっ!」
自らに襲い掛かる炎などものともせず、愚僧を追いかける山姥に対抗手段を失ってしまうことを意味する!
「はぁ、はぁっ!」
このまま炎を無視して、ここぞというときに札を使うべきだ。
そうだ。こちらは命がかかっている! 山が燃え上がったところで、せいぜい数十年にわたって山の幸がとりにくくなる程度の被害でしかない。
ここで愚僧が命を落とすよりかは、よほどましな被害のはずだ!
そのはずだっ!
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」
そう思い、愚僧が札を握りしめた瞬間だった。
『小坊主さんは最近にしては珍しくまじめな人だねぇ』
『山姥殿に食われずに済みそうだ』
『小坊主さんはいい人だ。きっと、いいお坊さんになってくれるよ』
「――――――――っ!」
脳裏に浮かんでしまった。
この山の界隈に住む、檀家の方々の温かい言葉を。
住職とともに愚僧の成長を見守ってくれた、人々の笑顔を!
「あぁあああああああああああああああ!」
あの人たちは山の幸を得て生活の糧にしている。この山は、あの人たちにとって必要な山のはずだ!
なら、
「愚僧の勝手で、燃やしてしまっていいわけがないだろうがぁああああああっ!」
札の使い道など、ためらってはいけない!
「最後の札よ! お願いだ! 愚僧の愚かな行いを……この炎を消してくれぇえええ!」
愚僧の願いを聞き届けた札が、黄金の輝きとともに手の中から消える。
同時に、愚僧の背後の地面から滝のような鉄砲水が噴き出し、濁流となって火元となる二枚目の札の発動場所を直撃した!
その水は瞬く間に森中にあふれかえり、広がり始めていた山火事を鎮める。
同時に、山姥と愚僧の体を別々の流れに飲み干し、押し流す!
「うわぁあああああ⁉」
「おのれ小坊主ぅううううううう!」
濁流にのまれる愚僧を置いて、山姥の体はどこか遠くへ流されていく。
そして、愚僧が気付いたころには、
「小坊主っ!」
愚僧の体は、いつの間にか寺のもとへと流れついていた。
「この大戯けっ!」
「じゅ、住職様……」
愚僧のボロボロになった格好を見て、涙を流してくださる住職殿に、愚僧の目からは安堵の涙が流れ出た。
そして、
「よく頑張ったね」
そんな愚僧たちを優し気な笑みで見つめながら、タバコくさい生臭坊主が、愚僧たちをかばうように寺の入り口に立つ。
「あとは、拙僧に任せなさい」
その言葉を聞いて、愚僧は意識を手放した。
あぁ、これが……日ノ本に名だたる、永休僧正か。
…†…†…………†…†…
山姥は、びしょ濡れになった体を引きずり、寺の山門までやってきていた。
固く閉ざされたそれは、本来山姥が通っていい場所ではない神聖なものだ。
だが、今の山姥にそんなことは関係ない。
獲物を追いかけ、そして食う。それこそが、怪異――神速夜行の山姥の存在意義だったから。
かつては守っていた禁を。友となった僧侶と誓った約定を、山姥は平然と破り捨てる。
だが、山姥が山門を殴り砕こうとした時だった。
山門が、ひとりでに空いたのだ。
「?」
驚く山姥に対し、開いた山門の先にいたのは境内で焚火などを行う不届きな坊主。
「おや、珍しいお客人だ。どうだい、山姥殿も一献?」
キセルを吹かして酒を飲み、あげく焚火で川魚を焼いて食っている、生臭坊主がそこにいた。
…†…†…………†…†…
「殺生と、酒は禁じられているはず。五戒とはいったい……」
「戒めは破るためにあるのよと、お師匠は言っていたわ」
「死ぬほど身勝手な方便ですね!」
迎撃準備を行う。
永休の指示を聞き、焚火の用意をした二人――ルルエルと燐才は、現在は寺のお堂へと隠れ、住職と小坊主の護衛についている。
「ですが永休殿は一体どうやってあの化け物を止めるつもりなのか?」
「さぁ? でも師匠があれだけ堂々と姿をさらしたってことは、きっと勝算があるのよ」
「勝算?」
それは一体? と、燐才が首をかしげるのを見て、ルルエルは寺に来た時、住職から預かった、寺の運営日誌を拓く。
「ここには、山姥がこの山を縄張りにし始めたころのことも書かれているわ。それいわく、山姥がこの山にきてそう日にちがたたないころ、一度この寺の小坊主を本気で襲い、食おうとした事件があったらしいの。でも、当時のこの寺の住職は、師匠みたいにそれはまぁ口がたつ生臭坊主だったみたいでね」
「……口がたつ坊主は大体生臭なんですか?」
「当たり前でしょ。口がたつってことは言い訳が得意だってことよ。あほみたいな戒律なんて適当に言いくるめて破っている奴が大半よ」
それでいいのか真教……。と、燐才が坊主に対する印象がマイナスにする中、ルルエルはさらに話を続ける。
「その時の住職は、見事山姥を言い負かして、小坊主をあきらめさせたそうよ」
「なんとまぁ!」
「つまり、間違いなくその住職より口がたつ師匠にとっちゃ……」
山姥程度、敵にならないわよ。
ルルエルがそういった瞬間だった。
「小坊主はどこだっ! わしの晩飯をどこへやった坊主!」
怒りにらんらんと目を輝かせた山姥が、舌戦の火ぶたを切った。
…†…†…………†…†…
『あの小坊主を出せ! あれはワシの晩飯だ!』
『なるほど。虎に肉を食うなとはいいがたい。真教僧侶としては、黙って小坊主の身を差し出すのが正解なのだろう。だが、何分アヤツはまだ修行中の身でしてな。前途ある若者を守るのは、僧の義務以前に人の義務でございましょう。そこでどうだろう山姥殿。拙僧と術比べをしていただけませぬか?』
『術比べだと?』
『さよう。聞くところによると、山姥殿はずいぶんと妖術の扱いに長けておられるとか。その妖術を拙僧が破ったあかつきには、あの小坊主のことを諦めてほしいのです』
『……もしも貴様が術を破れなかったら?』
『その時は小坊主とともに、この老体を差し出しましょう。なに、汚れを受けてしまった沢の魚を、拙僧の胃で浄化してやろうなどと考える生臭の身ですが……それゆえに普通の坊主よりかは良い肉付きのはずですぞ』
『はっ! よかろう! その身の程をわきまえぬ立ち居振る舞いに免じて、貴様の口車に乗ってやるっ!』
山姥、巨大化し、永休を上から見下ろす。
『どうだ、生臭坊主! 恐ろしいだろう! 負けを認めねば、そのまま食ってしまうぞ!』
『はぁ? 大きくなるだけでございますか?』
『な、なに?』
『生き物という者、力を得れば体は自然と大きくなるというもの。わざわざ妖術で巨大化するなど、無駄の極みにございますな。その程度のこと、放っておいても、妖術を使わずとも自然の摂理で起こること。さして驚くほどのことではありますまい』
『な、ななななな、なんだとぅ⁉』
『真実、術に長けた者であるならば、むしろその逆。小さく……小さくなることこそが、偉大なる術者の第一歩でありましょうや』
『なめるなっ! その程度造作もないわっ!』
山姥、小型化し胸を張る。
身の丈150センチほどとなる。
『どうだっ!』
『あれ? 若返ってロリになって……。い、いやまぁ、今それはいいでしょう。でもまだ大きいではございませんか。子供のサイズ程度、多少腕に覚えがある術者なら』
『なにおっう! ならばこれはどうだっ!』
山姥。さらに小型化。火に向かって飛んでくる、蛾程度のサイズになる。
『どうだっ!』
『おおぅ、これは少し驚きましたな。卓越した術者であることは疑いようもありますまい』
『そうであろう!』
『いやぁ、でもなぁ』
『なにぃ⁉ まだ何か言いたいのか!』
『いや、ぶっちゃけ、その程度のサイズでしたら前見たことありますし。いや、まぁ、人界で見れば五指に入るほどの実力だとはお見受けいたしましたが、最近は情報の拡散も激しく、いざ生で見てみると……そうですなぁ。さほど驚きを得るものでは』
『き、きっさまぁああ! この山姥に対し、何たる侮辱ぅっ! ならばこれでどうだ!』
山姥。限界まで小型化。コメ粒ほどのサイズになり、永休の掌に乗る。
『どうだっ! これで参ったかっ!』
『おぉ! これは脱帽でございます山姥殿! この永休、感服いたしましたぞ!』
『そうであろうそうであろう!』
『あ、小坊主』
『なにっ! わしの晩飯! あ』
永休、山姥が永休から目を離した隙に、コメ粒ほどとなった山姥をぱくりと一口。
『うむ。酒の肴としては少々物足りんかの』
『『ひでぇ⁉』』
《映像資料・神速夜行の山姥討伐譚より抜粋》
…†…†…………†…†…
翌朝、山姥のいた山を登りながら、オジサンたち――永休一行は山姥の庵を目指していた。
昨日の山火事の跡はきれいさっぱりなくなっている。あの出鱈目な札の効力はやはり幻術の類のようだった
――山姥殿の置き土産か。やはり積極的に里などに被害を出すつもりはなかったと見える。
「あ、あの……ほんとにお腹大丈夫ですか?」
「ん~。まぁねぇ。怪異はしょせん実態無き者だし。食ったところで討伐した後は勝手に消えるのみ。それこそ、腹の中に入って暴れまわるという怪異でもない限り、食ったものの体内に実害を与えることなどできないよ」
昨晩から燐才君に向けられる不安げな視線を鬱陶しく思いながら、オジサンがその質問に答えていると、
「師匠、つきました」
「お、やっとか」
ルルエルから声がかかり、オジサンたちは進行方向へと目を向ける。
そこには、風雨にさらされ今にも崩れそうな、おんぼろ庵が寂し気にたたずんでいた。
…†…†…………†…†…
オジサンたちが庵の中を調べてみると、やはりというべきかなんというべきか、神祇版が山姥さんの机の中から出てきた。
申し訳なく思いつつも、怪師権限で端末の防壁を白鷺大社に遠隔で外してもらい、中身を確認する。
「やっぱり、怪異に関する検索が多いですね。山姥殿もいろいろと迷っていたみたいです」
「でも、調べている内容の比重は怪異にならずに済む方法に比重が寄っている……」
のぞいた検索履歴を見る限り、どうも山姥殿は怪異になりたくなかったようだった。
「どうして? 妖怪は皆、怪異になりたがるものなのでは?」
「それは、君がしている勘違いの一つだ。怪異っていうのは本来、今の人間との関係性に納得がいっていない妖怪が成るものだ。ここの山姥殿のように、人間といい関係を築いていた存在が目指す物じゃないんだよ」
――なのに、あの山姥殿は怪異になった。なってしまった。それこそが、今回の怪異事件の最大の問題なんだよね……。
オジサンが内心でそうつぶやきながら、嫌な汗を額に浮かべた瞬間だった。
「師匠、見つかりました」
「出たか……」
「なにがです?」
ルルエルが操る樹木の精霊が、木造の庵の中に隠された隠し倉庫を発見する。
床下に作られた倉庫には、小さな寄せ木細工の箱があった。
箱には無数の封印が施されており、二度と日の目を見せないという山姥殿の鋼の意思と――恐怖が感じ取れた。
「中をのぞきますが?」
「…………いや。必要ない。むしろ何を仕込んでいるかわからない。近くの神社に持って行って、さっさと祓いをしてもらおう。どこまで効くかは正直未知数だけどね」
そういいつつ、オジサンは箱の傍らに落ちていた、封印しそびれたと思われる一枚の札を拾い上げる。
「なんでしょうかこれは? 家紋のように見えますが」
燐才君が言う通り、それは何かの家紋に見えた。
円に閉じ込められた鳥居を、円の中心にひかれた一本が貫く記号。
でも、これは違う。家紋などではない。
「違いますよ、渦河さん。これは家紋なんかじゃありません。花押です」
「花押? いったい何の?」
「鳥居はすなわち神を現す。横に伸びる一線は平野を……つまりこの花押は、神の平野を意味する花押」
「そこまでにしておきなさい、ルルエル。名前を言えば出てくるかもしれない。さすがのおじさんも、何の情報もないままあれの相手はしたくない」
関与がわかっただけでも十分だ。
そう言って煙々羅に札を燃やしてもらいながら、ため息をつく。
「山本に引き続き、あれも動き出すか……。まったく、面倒なご時世になってきたね」
――これはしばらく、日ノ本は荒れるよ?
オジサンのつぶやきをどこかで聞いていたのだろうか?
ヒヒヒヒッ! という不気味な声が、聞こえた気がした。
怪異名称:神速夜行の山姥
《怪異等級》
上級
《怪異解説》
日ノ本各地の山に出現する山姥型の怪異。
夜中に山に登っていると何らかの手段で登山者をさらい、自身の家に閉じ込める。
その姿は身の丈三明取近い巨躯を持つ老婆。
真っ白になった髪はまるで針のように鋭くとがり、耳まで避けた大きな口からは、オオカミなど目ではない鋭い乱杭歯がのぞく。
《発生条件》
お札を販売する寺や、自販機がある山を、真夜中に上ると発生する。
《討伐・予防方法》
この怪異が発生する際は、登山口や麓に三枚の札を販売する寺、もしくは自販機が出現する。これを見かけた際はその山の登山をやめればよい。
何らかの事情でその山を登らないといけない場合は、必ず三枚の札を購入すること。
三枚の札を用いれば、どのような用い方をしても必ず麓までは逃げられる。
だが、札は必ず三回用いなければならない。
全ての札を使うことができれば麓に見知らぬ寺が出現している。
そこにいる住職にかくまってもらえば、山姥からは完全に逃げられる。
三枚の札を使いきれなかった場合は寺が出現しない。
山姥からは永遠に付きまとわれ、狙われることになるため注意が必要。