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外交を行う松平元康

 武田方の侵攻を受け、薩埵峠に陣を敷いた今川方は粘り強く戦った。この峠は富士から駿府に向かう唯一の道であり、ここを防いでいる限り幾ら大軍が居ても駿府には入れない。すでに小田原から北条の援軍が出発しており、時間を稼げば武田軍を挟撃できる、はずだった。


 戦いが長引くにつれ、今川の武将の間に武田方に内通した武将がいるという噂が流れた。まことしやかに尾ひれはひれまでついている。それだけならばまだ動揺するだけで済んだのだが、今度は氏真がそれを信じて一部の部隊を駿府の守備のために引き抜いてしまった。


 敵と直接面しているときに後方の部隊を引き抜かれるほど前線の将兵を動揺させることはないのだが、氏真は「戦っておらんのだろ? ならば戻せ戻せ」と自らの防衛を優先したのだ。


 結果、本当に内通者が生まれ、薩埵峠の防衛線は崩壊。駿府に武田軍がなだれ込んでくることになった。今川歴代が丹精を込めて育てた駿府の街並みや文化、財宝は武田に奪われ、氏真は遠州の朝比奈の元に逃げ込むことになった。


   ◆ ◆ ◆


「一向宗と和睦ですか?異論はございませぬが」

「一向宗ではござらん。浄土真宗にござる」


 松平の陣中。居並ぶ三河武者を睥睨しつつ、余裕たっぷりに武田からの使者が訂正した。ヒゲで隠してはいるがねじ曲がった口元と鋭い目つきでいかにも一筋縄ではいきそうにない武者である。きっと国元ではクマの毛皮でも羽織にして被っているに違いない。と、元康が謎の偏見で見つめている男は武藤喜兵衛と名乗った。

 

「御屋形様は一刻も早く遠州に参陣せよ、との仰せです」

「しかし鳴海と上ノ郷がですな」

「詰めの兵を置きなされ。まずはお目見えが肝心」

「承知」


 謀反自体は順調に進み、岡崎の奪還も成功。尾張と西三河のほとんどが武田方に寝返ったものの、問題なのが尾張国鳴海城の岡部丹波守元信と東三河上ノ郷城の鵜殿長門守長照である。どちらも今川の譜代、縁戚として忠誠心厚く、また松平元康への対抗心もあってまったく降伏を受け付けれくれないのだ。

 

 とはいえ、一刻も早く武田の御屋形にお目見えして、本領安堵をしてもらうのが大事ではある。もちろん重臣たちは連れて行かざるを得ないのだが、そうすると誰に城攻めを任せるか……


「殿、木下藤吉郎、長島の一向宗と和睦し、ただいま戻りましてござる」

「おお、使いやすいところに!」

「へ?」


 日焼けで真っ赤に禿げあがった頭をなで、何を言われたのかわからぬ藤吉郎がサルと呼ばれるその大きな目でキョロキョロとあたりを見渡していた。


   ◆ ◆ ◆


「松平蔵人佐元康、大義であった。岡崎城と清洲城その他の所領を安堵する」

「ははっ」


 諏訪法性の兜をかぶり、長い白熊の毛を垂らして、武田信玄が告げた。武田徳栄軒信玄この時48歳、戦の強さと悪名良名ともに天下有数の武将である。


 あたりは見渡す限りの武田菱。遠州掛川城に逃げ込んだ今川氏真の元には、今川の重臣、朝比奈備中守泰朝があり、いまだ北条と連絡して反撃の機会を狙っている。


 武田は信濃から侵入した秋山伯耆守の軍勢が中心となって遠江を征伐しているが、武田の本隊が遠江まで来たのは国衆に本領安堵を行い、改めて家中に組み込まんがためである。


 まだまだ今川攻めは続いているのだが、松平家は清洲と岡崎の知行に加え、尾張と西三河の国衆の旗頭の地位を頂けるようだ。事実上の二か国にまたがる太守ではないか。うむ、武田に乗り換えて正解であったな! 

 と元康がホクホク顔をして喜んでいると、信玄が言う。


「のう、元康殿。不幸な行き掛かりがあったとはいえ、ワシもこのまま治部殿(=今川氏真)を攻め滅ぼすようなことはしたくない」

「はぁ」

「そこでおことに相談なのだが、うまくおことのほうで談じて朝比奈備中に開城させられぬものかな?このまま我が兵が攻め立てていては、治部殿に万が一のことがあるとも限らんし」


 待て、待ってくれ。百歩譲ってそれが信玄公の本心としよう。それがしが開城交渉するの!? 真っ先に裏切った松平の顔なんて見たらその場で切り殺されかねないのだが!? まことに申し訳ないがその役目は他の者に……え、許さぬ? それならば本領安堵もなし? いやいやいや?


   ◆ ◆ ◆



「使者が斬られましたな」

「………」


 家臣の言葉に言葉もなく元康が黙り込む。

 ううむ、条件が悪かったか。時を得なかったか、やはり担当する大名の選び方が間違ってる気がしないでもないのだが。


 やはり真っ先に謀反した松平に今川の恨みが集中しているようで、同じ家中であったこともあり、敵味方顔見知りも多く、交渉のツテはたくさんあるものの、松平の使者と分かった瞬間にこれである。


 松平主従が次の交渉の手を求めてうんうん唸っているころ、滞陣が長引いたこともあり、武田の本隊は一度甲斐駿河に引き上げてしまった。すでに北条の軍が駿東に達し、なんども武田と合戦に及んでいるが、一進一退でなかなかケリがついていないようである。


 せめて北条を綺麗に駿東からたたき出してもらえれば、交渉の糸口になろうものを……元康は親指の爪を噛みながら次の交渉案を練っていた。



   ◆ ◆ ◆


 掛川城包囲の陣中。松平の陣に武田から使者があった。鋭い目つきの武藤喜兵衛である。交渉の進捗を確認し、叱咤しにきたのである。


「いや、しかしですな、城中の今川兵は北条の援軍があると期待してなかなか折れぬ、なんとか北条に大きく勝っていただくわけにはいかぬのか」

 交渉の不首尾を謝罪したうえで、元康が疲れ切った顔で訴えた。


「御屋形様はですな、北条を倒すためには遠征では倒し切れぬとお考えで」


 武藤喜兵衛が言う。北条というのは関東の雄である。関東管領の上杉家を打倒すると関東をしっかりと統治し、その後も越後の長尾……今は上杉家だが、が10万の大軍で小田原を攻めたがびくともしなかった。


「そのような国を力で攻めるものではなく、軍略を用いまする。まずはともに攻める仲間を増やす」

「ふむ」


 現に、越後上杉と和睦し、和睦した上杉の後方では揚北の本庄越前守繁長を唆し、上杉に反乱させ、上杉を動けなくしている。さらに北条に対しては佐竹、宇都宮、那須、里見、太田などの反北条諸侯に手を回し、包囲網を結成しているのである。

 ……なるほど手が広い……しかし上杉は味方ではないのか?


「北条は関東が大事。駿河は手伝い戦にござる。佐竹、里見が蠢動すれば耐えきれず兵を退くはず。粘り強く交渉されよ」


 やはり北条が鍵、北条さえなんとかなれば、北条……うん? 北条には知り合いがいたぞ? 確か……




   ◆ ◆ ◆


 永禄12年(1569年)、伊豆韮山城代北条美濃守氏規の仲介により掛川城は開城。今川主従は小田原に落ち延びていくことになった。北条氏規は元康と同じ時分に駿府で人質として預けられ、元服まで元康と一緒に遊んでいた仲である。


「いやぁ、しかし本当に今回は美濃守殿にお助けいただき……」


 伊豆水軍を率い、海路で今川主従を出迎えにきた北条美濃守に対して元康が礼を言う。本当に今回は出口が見えない交渉の中でやり切れないところであったのだ。


「いやいや、元康兄上のためですからお気になさらず、それよりも」

 北条氏規が元康に向き合う。人質時代、氏規は2歳年上の元康を兄と慕っていたのだ。あえてその人質時代の呼び名で呼びかける氏規。


「武田は強欲ですぞ、辛くなればいつでも当家をお頼りくだされ」

「……そのような仕儀になることは決してござらん!」


 言下に否定する元康。どこで武田に聞かれているかもわからないのだ。

「では、お困りになったらいつでも」


 北条美濃守はにやりと笑うと、伊豆水軍の船に飛び乗り、氏真一行を連れて出航した。


 元康は冷や汗をぬぐいながら、一度裏切ったら二度裏切るとみられるのがこの世か。と少し寂しい思いで北条の船を見送るのであった。



   ◆ ◆ ◆


 掛川城の開城の噂を聞き、今川方の諸城も次々と開城。武田・松平の元で尾張、三河、遠江の統一がなった。駿河はいまだ東半分に北条の大軍が居座っている。


 

 





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現行連載作  迷宮伯嫡子はカネがない

大借金で領地取りつぶしの危機である。頼れる親や重臣たちは外出中、財布は空で留守番役。 状況を切り抜ける特別なご加護や卓越した武勇や超魔力なんかもない。 そんな状況だけどボクは前向きに取り組んでいく。 まずは軍資金ゼロで軍隊を動員?できなきゃ領地は大変だ?
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