世界講和
昭和16年(1941年)
アメリカ艦隊がニューファンドランド沖にてイギリス艦隊と決戦し、双方で戦艦が11隻沈没する激戦の末アメリカが勝利。大西洋の制海権を獲得した。
これによりアメリカから北極海航路でのソヴィエトへの通商路が開設され、物資支援と引き換えにソヴィエト同盟が米側に立ってロシア帝国との休戦条約を破棄。ロシア領シベリアへの攻撃が開始された。
同時にカリフォルニア戦線にてアメリカ軍の総攻撃が始まり、ロサンジェルスが包囲された。
フランス軍はドイツにおいて共産党勢力との間の緩衝国家として民主ドイツ国を設立し、ソヴィエト同盟との直接対決は避けていた。アフリカにおいてイギリス軍と砂漠戦を繰り広げていたためである。しかし、イギリス艦隊が米との戦闘で打撃を受けたため、地中海に限定した海軍優位を確保でき、リビアでの戦いはフランス優位に進捗していた。
これに加えて大東亜連合からの強い要請があり、ついにフランス、スペイン、イタリアの三国同盟軍は東ドイツに攻め込むことになった。
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昭和17年(1942年)
アメリカ艦隊がパナマ運河を突破、米陸軍に包囲されたロサンジェルスに艦砲射撃が加えられた。41cm砲戦艦8隻と正規空母2隻を基幹とする大艦隊である。
大東亜連合艦隊がハワイの真珠湾から迎撃にでたが、超弩級戦艦の建造をする国力がなかったため金剛型巡洋戦艦の30㎝砲が最大の砲戦力であり、事実上の戦力は瑞鳳型商船改装軽空母12隻であった。
このロサンジェルス沖海戦により大東亜連合は貴重な金剛型巡洋戦艦2隻と瑞鳳型4隻を失うのと引き換えに、米艦隊の戦艦空母を一挙に全滅に追い込む活躍を見せた。
しかし、これにより米国に空母の必要性を思い知らせる結果にもなり、米東海岸に一斉に空母の発注がされたのである。
そのころ、フランス機甲部隊は東ドイツを蹂躙し、ポーランドを征服していた。ソヴィエト同盟は必至で防戦を行っているものの、機甲戦の経験に乏しく、インフラの整った東ドイツ、ポーランドで次々と包囲殲滅の憂き目にあっていたのである。
そしてその勢いのままベラルーシに踏み込んだのだが、急にレベルの落ちたインフラに機甲部隊の補給は先細りとなり、急激に勢いが衰えていった。
そこに横やりを入れてきたのが英軍である。英軍はリビアにて反抗作戦を実施。インドからの補給を受けてリビアで優位に立った。フランスはソヴィエト同盟だけに兵を割くことができなくなり、アフリカに兵を送ることとなって、東部戦線は膠着状態に陥った。
また、英領インド軍はインドシナで陸上からも攻勢を開始。カンボジアで仏明連合軍と交戦を開始した。英軍は戦車の開発国であり、英領インド軍にも多数の戦車が配備されており、仏インドシナ軍は兵力では上回っているものの劣勢に立たされている。
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昭和17年(1943年)
ロサンジェルスがついに陥落した。アメリカ軍はアラスカに攻勢の主軸を移したが、雪原を疾走するアラスカ・コサック軍によるモッティ戦術により大軍と装備を活かすことができず、進撃が食い止められてしまっている。
英軍と仏西軍はチュニジアで一進一退、仏伊軍とソヴィエト同盟軍はベラルーシ・ロシア国境で一進一退の攻防を繰り広げている。ロシア帝国軍は明朝鮮の援軍を得て、ソヴィエト同盟のウラル要塞に攻め込んでいたが、地形を生かした要塞線を攻めあぐねていた。
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昭和18年(1944年)
戦艦と空母の建造が一通り完了したアメリカ艦隊が大西洋と太平洋の制海権を同時に掌握した。大東亜連合や英国も急いで空母を建造しているが大東亜で2隻、英国で4隻の空母を作る間に正規空母8隻と護衛空母52隻が竣工してしまうのである。
ソヴィエト同盟はアメリカからの物資支援を受けて、重火砲をそろえた機甲部隊を整備。ベラルーシ・ウクライナにて反撃に転じた。
世界大戦はこのまま米ソ連合の勝利に終わるかと思われた。
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昭和18年(1944年)6月
インド仏教革命発生。
マハトマ・ガンジーとオオタニ・ガンジーの率いるインド国民会議は英国の搾取に対してインド国民ストライキを呼びかけた。イギリスの支配に対して非暴力非服従を貫いたこの運動はヒンズー教徒および仏教に転向した不可触民、イスラム教徒に広く浸透し、インド植民地部隊を部隊ごと転向させるなど瞬く間に勢力を広げていった。
そして戦争のための物資生産や搬出をストライキで妨害。
その結果、インドの富に依存していたイギリス軍は全世界で補給切れとなり戦争の継続が不可能となった。
その結果、イギリスが対米、対仏降伏。イギリスは本国以外のすべての植民地を差し出して降伏し、インドは独立した。
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イギリスに回していた戦力を使えるようになったフランスは東部戦線の立て直しに着手。同時にこれまたカンボジアでの戦闘を中止した明軍主力400万がシベリア鉄道を使ってウラル要塞の攻略に着手した。
ソヴィエト同盟がフランス軍に優位に立っていたのは物資もそうだが、その無限に近い人的資源である。そのソヴィエト同盟の3倍の人的資源を持つ軍隊が鉄道インフラを使って攻め込んできたのだ。
1944年の冬にはソヴィエト同盟軍の前線は各地で崩壊の兆しを見せていた。
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昭和18年(1945年)4月
モスクワ陥落
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昭和18年(1945年)8月
講和成立。
ソヴィエト同盟の崩壊とアラスカでの戦闘の不毛さにようやく目が覚めたアメリカ国民がアメリカ大統領を解任。カリフォルニアの割譲による講和が成立した。
アメリカ大陸と旧大陸(フランス・大東亜連合)が睨み合う2大陸冷戦の時代である。