第六十九話「怯えと憤怒と解き放たれた獣」
リゼルは食事を載せたトレーを脇に抱え、固く閉ざされた木の扉を二回ノックする。
「朝ごはん、持ってきた。入るよ?」
返事はない。
リゼルは部屋の中で寝ているであろうコウを意思をあえて無視し、扉を開ける。
予想通り、コウは毛布をかぶり眠っている。
顔まで覆っている為表情は伺えないが、リゼルは意に介さず、
「ここに置いとくから、ちゃんと食べて」
扉近くのテーブルにトレーと朝食を置くと、
コウの眠るベッドの近くまで歩み寄り、
「……今連絡があって、シド達が智龍の谷で戦ってるって。
現地のレジスタンスの協力もあって戦局はシド達が優勢らしいわ」
コウは毛布から顔を出し、
「…なら、俺が出向く必要もないだろ」
「確かにその通りだけど、万が一と言う事も…」
「万が一の時は、また俺に人殺しをさせるのか?」
そう言われた途端リゼルは目を伏せる。
「戦わない奴は存在価値を認められないのがこの国のやり方なんだろ?
平和だ自由だなんてのはただの方弁で、結局はみんな俺に人殺しをさせたいだけなんだろ?」
「そんな事一言も…!」
コウは飛び起きながら、
「言ってる様なモンだろ!!戦うって事はそれイコール人を殺すって事なんだから!!
もう人を殺すのも殺されそうになるのも嫌なんだよ!!!!」
「…コウ、一体どうしちゃったのよ………?ルスナから戻ってきた途端人が変わったように部屋にこもり出したりして…
須磨豊太郎の事なら気にする必要ないわよ。あいつが話し合いに応じるなんてまず無いでしょうし」
「だから殺しても良かったって言うのかよ!!」
「そうじゃない!私はただ…」
「だいたいおかしかったのはむしろ今までの方だよ!ついこの前までただの引きこもりだったのが
いきなり違う世界に来て!お前は勇者の生まれ変わりだと顔も知らない奴にいきなり言われ!
生きていくためとか言って世界中あちこち駆けまわって!!
けどそれは今までずっとゲームみたいな物だと思い込んでたからなんだよ!!!
でも‥‥‥あいつの、豊太郎の命が失われていくのを直に感じ取った時、これがゲームじゃなくて現実だと解った…。
解ってしまった……!!」
コウは震える自分の両手を見つめながら呟く。
「もう誰とも戦いたくない……。誰も殺したくない………!
殺せる奴が偉いのなら偉くなくていい…。もう戦いとは無縁でいたいんだ‥‥‥‥‥」
それは、コウがこの異世界アーサレナに来てから一度も人に見せた事の無い弱み、怯えであった。
「戦いとは無縁の生き方…。優しい発想ではあるけれど、今のコウが言っても、それはただの逃げよ」
「やっぱりお前も俺に人殺しをさせたいんじゃないかよ!!そんなに人を殺したいならお前が行けよ!!!
やりたくない奴に強要してんじゃないよ!!!!」
コウの身勝手な言葉に腹が立ってか、リゼルはバネ仕掛けの様に勢い良く立ち上がり、
「…あぁそう!じゃあ勝手にすれば!?アンタに少しでも期待した私が馬鹿だった!!
コウの事なんかもう知らない!!もうどうとでもすれば良いわ!!!」
大股で部屋から出ていくリゼル。
乱暴に閉じられる扉を見やると、コウは顔に手を当て、
「………何言ってんだ俺は…。最ッ低だ……!!」
感情任せに発した自分の言葉を激しく後悔した。
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智龍の谷は東西南北、四人の「長」と呼ばれるリザードマンによって統治されており、
デストラの支配下にあるのは北側と西側、抵抗勢力が拠点を変えているのが南側と東側である。
正確には、最初は全ての地区がデストラの支配下に堕ちたのだが、
担当者が変わると同時に南側と東側が奪回され勢力図がハッキリと二分され、
失態を帳消しにしたいデストラと、今の勢いのまま残る地区も取り戻したい抵抗勢力。
この二つが睨み合い、小競り合い、膠着状態を続けているのがこの智龍の谷の現状であった。
抵抗勢力のアジトは南の長の家をそのまま流用している為非常に広く、
会議室代わりに使っている応接室は大人数を一か所に集めての作戦会議も容易に行える。
「…具体的な事は概ね解りました。つまりは状況を打破する力が求められるわけですね」
ジン・ハゥロンから智龍の谷の現状を説明されたシドが言う。
「その通りだ。現状を引き延ばした所で無駄に体力を損耗し続けるだけ。
早期の解決こそが最善の策だ」
「にしても解らないのは、デストラが何を運ばせて何をさせようとしているかね。」
ツバキが円卓に広げられた智龍の谷の全体図を眺めながら疑問を投げかけてみた。
「運ばせているのは、宝物庫に保管してあった金塊だ。
すぐ近くの鉱山で採掘したのを少しずつ他国に売って資金としていたのだが、
連中はその金塊を…何て言ったっけな、デストラの今の大統領…」
「アルバス。アルバス・ロア」
「そう。そのアルバスに献上しようと言う腹らしい」
「谷の者が必至に集め蓄えた金をそんな事に使うとは……許せないわね」
「シャッテもそう思います」
「私だって!!」
すると応接室の扉が勢いよく開け放たれ、慌てた様子のリザードマンが1人入ってきた。
「申し上げます!デストラ軍が子供達を人質に!!
この智龍の谷から退去せねば人質の命は無いと言っております!!」
ここに来ての人質作戦。
本来ならその卑劣さに怒りを露わにするところだが、ジン・ハゥロンはあくまで冷静だった。
「…妙だな。人質をとって退去を要求するなら、何故もっと早くにやらないんだ?」
「指揮官が筋金入りのバカだったからとか?」
ツバキは適当に答えてみる。
その見解が決して的外れでない物なのは今更言うまでもないが。
「それ込みにしても、こちらがこの地を捨てる事は決して無い事は向こうも承知している筈だ。
散々抵抗されているからな。にも関わらずこの様な策を講じると言う事は…」
「罠、ですか?」
シドが問うとジン・ハゥロンは無言で頷いた。
「罠だとしても、子供達を見殺しにして良い道理にはならないわね」
「その通りだ。だからこそ、奴らの上を行ってブチのめす」
ジン・ハゥロンは立ち上がり、扉に手をかける。
シドはその背に、
「待って下さい!!」
シドに呼び止められ、振り返るジン・ハゥロン。
「…奴等の上を行くと言ってましたが、何か策はあるのですか?」
「君達の協力はいるな」
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智龍の谷の北側にある広場の中央に、ジュリアとジン・ハゥロンは対峙する様に立っていた。
ジュリアの連れているデストラ兵の握る鎖にはリザードマンの子供3人が繋がれ、瞳から涙を溢れさせている。
「ここを去る意思を固めたようだな!!」
ジュリアが自信たっぷりにジン・ハゥロンに問う。
よほど自分の望む通りに事が運ぶと思ったのだろうが、ジン・ハゥロンは、
「貴様達にとってここはただの領土かもしれないが、我々にとっては2つとない生まれ故郷だ!!
それをみすみす手放すつもりはない!もちろん子供達の命を捨てる気もない!!
我々は!故郷と未来、その2つを捨てる様な真似はけっしてしない!!」
「傲慢な奴!!」
「人の土地に土足で上がり込んで乗っ取った奴らの言う事か!!!!」
「交渉決裂だな…。トカゲの子供を殺せ!!」
横ばいにされる子供たちと、振り上げられる青龍刀。
「ひぃッ!!」
「ママァッッ!!!」
思わず各々悲鳴を上げる子供達。
しかしデストラ兵は躊躇う素振り1つ見せず、無慈悲に青龍刀を振り下ろす。
哀れ幼きリザードマンの生首3つが辺りに転げまわると思われた、その時だった。
金属同士がぶつかり合う様な鈍い音を立てながら青龍刀が弾き飛ばされ、放物線を描きながら宙を舞い、
そして乾いた音と共に地面に落下した。
「なっ!?」
突然の出来事にジュリアも、青龍刀を振るったデストラ兵も思わず目を丸くした。
リザードマンの子供らがいるべき場所に子供らがいない。
いや、良く見ると先程まで子供らがいた場所が砂の山に覆われている。
砂の山が崩れると中から子供達が呆気にとられたような顔をしながら現れた。
「ベストタイミング…と言った所ですかね」
ジュリアが声のした方を見やると、見張り用の高台の頂上に立つシドの姿。
「今のはお前の仕業か…!!」
ジュリアはシドに対し嫌悪感を露わにしたが、
シドは臆する事無く、
「ピンチの時に颯爽と現れる…お約束ってヤツですよ」
「ふっざっけるなァ!!」
ジュリアは眉間にしわを寄せ、歯茎を露わにして激昂する。
先程まで横暴ながら毅然とした態度で応じていた女と同一人物とは思えない、鬼婆の様な凶悪な面構えだ。
「何がお約束だ!貴様が余計な事をしてくれたおかげで私の地位が完全に無くなるかもしれないんだぞ!!
そうなれば私は永久にアルバス様のお役に立つ事が出来なくなる!!
デストラとアルバス様の為にも、私はここで失敗する訳にはいかないんだ!!!」
「それは一度でも人の役に立った事がある者の台詞よ」
ジン・ハゥロンの隣まで歩み寄りながらツバキが言う。
「聞いてれば貴方さっきから自分の都合ばかり。
人の役に立ちたいんじゃなくて人の役に立ってる気になって愉悦に浸りたいだけ。
相手の気持ちも考えない誠意なんて、ただ迷惑なだけ。いっそ何もしない方がまだマシよ」
「えぇいうるさい!!私を怒らせてそんなに死にたいか!なら望み通りにしてくれる!!
アレを出せ!!!」
ジュリアが後ろを振り返りながらゲキを飛ばすと、
デストラ兵達は少し戸惑いながら人一人は入りそうな大きさの棺を四人がかりで運んできた。
棺には幾重にも鎖が巻かれ、幾つもの南京錠で厳重に封じられ、蓋には何かの言語が刻まれている。
ジン・ハゥロンには何が書かれているのか理解できないようだったが、シドは違った。
シドは大きく眼を見開くと、
「…!?よせ!!その中に入ってるのは……何かヤバい!!!!それを開けてはいけない!!!」
いつもの敬語を忘れ叫ぶシド。
棺から発せられる強く、禍々しい殺気を感じ取っての対応だが、ジュリアは聞く耳すら持たず、
棺を縛りつける鎖を強引に切り落としていく。
鎖が斬られる度にドンッと棺の内側から強い衝撃が走り棺を揺らす。
衝撃は鎖の数が減るにつれて強くなり、最後の一本が斬れると同時に棺が乱暴に開け放たれ、中で眠っていた者が勢いよく飛び出した。
『それ』は銀色の頭髪を持ち、目も耳も鼻も口も人間のそれに近い物を持っていた。
しかし『それ』の放つ眼光は人と結びつけるにはあまりに凶暴で、冷酷で、人が本来持ち合わせているであろう慈愛を感じさせなかった。
殺意と敵意のみを孕んだ眼。ツバキは『それ』に見覚えがあった。
いや、忘れようがない。あの人とは思えない程強い殺気だけは。
「クドー………!!」
ツバキは『それ』の名を呟く。
『それ』は、クドーは何も答えずに四つん這いになり、ただ獣の様に唸り声を上げるだけだった。




