第一夜ノ準備 白兎
陽気な太陽が空一面を明るく照らし、街の人々に活気を与えるはずの春。
街の頭上には暗雲と呼ぶにふさわしいほどの黒い雲が、あたり一面に広がっており誰もそれに手を加えることのできないまま、人々は毎日を過ごしていた。
「…空、晴れぬか」
街には長い長い通りが何本も通っており、一番太く、そして一番長い通りを街の人々は別にそこまで意味はないけど「メインストリート」と呼んでいた。本当に意味はない。ただ、その通りを利用する人が恐ろしいほど多く「人々のメインに使われる通り」ということで「メインストリート」になったというのが、一番少ない説。
先ほど独り言を発した生物は、そんな「メインストリート」の横に店を構える白い兎。いや、大きな耳を垂らした兎のフードをかぶった目が蛍光色の黄色で肌が黒い生物だ。着ているものはRPGでよくある魔術師だか魔道師だか魔導師だか知らないが、それっぽかった。全体的に緑色で、所々紫の入る怪しいと一言で表せる服装。
「さて、今日も開店の時刻が近づいているな」
兎は独りつぶやく。悲しみかあるいは怒りか、様々な感情の感じられるその一言が部屋を一気に照らし始めた。
彼の言葉が合図になったかのように、部屋の明かりがつき室内の雰囲気ががらりと変わる。ソファが動き始め、椅子がダンスを踊り、テーブルは宙を舞うし、食器棚と食器はミュージカルでもしているかのようにくるくる回る。
「準備完了」
兎の静かなこの声が終了の合図なのだろう。声と共に動いていた家具達は、また声と共に動きを止めた。何事もなかったかのように止まった。
兎は右手をゆっくりと、それこそ虫取りでもしているかのようにゆっくりと前に突き出す。よく見ると、親指と中指がくっいている。そして、次の瞬間。
「開店!!」
兎の顔が凶悪な顔に一変し、そのまままるで恐喝でもしているかのように、大声を張り叫ぶ。その声と同時に右手の親指と中指でパチッと鳴らした。右手が向いていたのは外。
外の『閉店中』という看板がくるりと一回転し、『開店中』という筆ですすりがきでもしたかのように書かれた文字が書かれている看板が姿を現した。
「客は…来る気配なしと見た」
兎は静かにその部屋を後にした。階段を上る足音だけが部屋に響いていた。
「すみませぇ〜ん」
部屋に響くは清らかな高き声。静けさが残る部屋を響かせるに十分な声であるのと、二階にいる兎を呼ぶには十分な大きさの声だった。
兎はふてくされた顔で階段を下りてくる。くねくねと体を捻じ曲げながら白いフードの目つきが一心不乱に何かを見つめる。ふてくされた顔は凶悪な顔であるようなないような、言ってしまえば素の顔があの目つきなのかな――少女はそう思った。
「何か用かな?」
「あの、ここって依頼受けてくれるんですよね?」
「おや、お客さんでしたか。少々お待ちを」
兎は右手をひょいっと上げて、親指と中指でパチッと音を立てる。その瞬間、兎の右手に大量の書類が現れた。少女は急なマジックにぽかーんとしていたが、大量の書類が現れたことと共にここに来るべき理由を思い出した。
「この前の猫騒動なんですけど」
「少々お待ちを。猫猫猫…あぁ、あの屋敷の猫」
「その猫を捕まえてほしいなぁ…って思って」
「…ふむ。其の猫のことなら契約金として1000G又は1000円、それか1000ルピー等かかりますが」
兎は大量の書類の中から「猫騒動」と呼ばれる事件について書かれた書類を捜した。
この街はかなりの事件が起きており恐ろしいほどの量の事件書類が管理されていた。黄色く光る、蛍光色の黄色い瞳はかなりの速度で探しているのか、黒い皮膚の上を上下に行ったりきたりしている。まぁ、その様子は周りから見たら恐ろしいもので。少女がびびっていたのは言うまでもない。
少女の持っていた袋の中から500Gと500円が見つかった。兎はじぃーっとそのお金を見つめていると、右手でそれをぎゅーっと握り締めた。少女の口から「あっ」という悲鳴に近い声が聞こえたが、兎はその後、右手をぱっと開いて見せた。右手には何も入っていなかった。
「依頼中に邪魔になるものはこの部屋のどこかに異空間転送しますんで。大丈夫」
「この屋敷ですか」
「うん」
ボロボロに壊れかけた屋敷は果てしないときの中でその存在を忘れられたように、あちこちの壁面にひびが入っていた。
植物の蔓が屋敷の壁面を恐ろしいほどの数が埋め尽くしている。締め付けるように、また、成長の過程で支えにするわけでもなく、うねうねとした蔓は壁面を埋め尽くす。
依頼してきた少女の名はアリス。何でも騒動の猫を飼いにいきたいと親に頼んだら、これでさっさと猫飼ってきなと言われたそうで、一人でこの街へやってきたのだという。そこで、昔から聞いていた『依頼の頼める便利な店』に行くことにしたそうで。
まぁ、要するにわがままな小娘ということで。
「…では、猫探しといきますか」
「うん」
純粋なだけか、それともただ捻くれた性格なのか、何を考えてみても初対面の相手の前では無力だ。とりあえず歩きながらいろいろ聞き出すか。それとも、あっちから語りだすのを待つか。そのどちらかも兎は面倒だった。
屋敷の扉をゆっくりと開ける。まるで巨大な何かが歯軋りでもしているかのような、キリキリとした音が扉を開ければ開けるほどする。少女は、耳に手を当ててなんとか音を防ごうとしている。防ごうとしても防ぎきれないその音が少女の耳から鼓膜へ伝わるには時間がかかるはずもない。別に数100m先にいるわけでもないのだから。
少女の目が兎に移る。ゆっくりとしかし、確かに前へ進む兎の耳は、耳は、器用にたたまれていた。くるくると巻いたのか器用にも器用すぎて気持ち悪いと少女は一瞬思った。その耳が吹けばくるくる回ってピューとでも鳴りそうなぐらいくるくるしていたからだ。少し頭がおかしくなったのかもしれない。
ようやく音が止まる。
「…このロビー。日の光がまったく入りませんね」
「…この屋敷の構造は、私知らないわよ」
「誰もあなたに聞いていませんよ。依頼主さんは私の依頼の邪魔をするつもりですか?」
「そんなわけじゃ」
「ならば、静かに」
「…」
しかし、困った。少女が唯一のこの屋敷内を知るかもしれない存在だったのに。別にそんなつもりの確証もないのに自分から言い張るとは…。悲しきだが、これは我侭娘と考えよう。
その結果だが…なぜだか恐怖しか出てこない。