私侯爵令嬢、召喚勇者と入れ替わりました。
ありきたりな婚約破棄とはちょっと違う、勇者の話も入った物語。
……の皮をかぶった、ただの逃走話。
趣味全開フルスロットルでお送りいたします。
グルト歴五七九年。
由緒正しき王国、フリーダムアの貴族街のある屋敷の一角でわなわなと震える少女が一人。
「何故……何故なの……?」
彼女に手に握りしめられたある一通の便箋。その中に書かれた内容を彼女は信じられずにいた。
何故なら、彼女があまりにも完璧だったからだ。誰に言われるまでもなく、彼女ほど完璧な淑女はいない。その筈だった。
「何故私が婚約破棄など受けなければいけませんの──!」
彼女、ダッフルフレア家の次女にして高貴な淑女、カーニャ・ダッフルフレアにとっては天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
『前略──カーニャ・ダッフルフレア公女。
貴女の数多くの名声は勿論私の耳にもしかと届いている。
確かに貴女は優秀かもしれない。しかしながら、私は貴女よりももっと素晴らしい相手を見つけてしまった。彼女の身分は低く、私とは確かに釣り合わない。だが!それでも私は彼女を愛している!
……故に、身勝手ながら私は国王陛下への謁見を重ね、ようやく貴女との婚約を破棄する算段を得た。
よって、書類上で大変申し訳ないと思うが、この便箋とともに同封した書類をもって私は貴女との婚約を破棄することを宣言する。
フリーダムア王国王太子 アルフォンス・オド・フリーダムア』
便箋とともに、ご丁寧に国王直々のサインも入った正式な書類も同封されていた。
カーニャのそんな様子を何も言えずにただ見守っていたダッフルフレア侯爵はさて、あの馬鹿な王太子によって傷物(──とはいえ、彼女この国の性行為の基準である二十歳には至っていないためまだ処女である。故にこれは比喩表現だ)となってしまった愛しい娘の貰い手となる相手は誰がいいかと、すでに次の婚約について思考を巡らせていた。
つまり、ただの思考放棄である。
だがカーニャはそうはいかない。国王のサインがあるとはいえ、納得なんてできるはずもなかった。そもそもこの婚約は王家から言い渡されていた契約。そう、元は王太子であるアルフォンスがカーニャに一目惚れしたことでできた婚約関係だったのだ。
それを身勝手にも契約をしてきた向こうからの破棄ときた。これにはいづれ王妃となるべく厳しい教育にも男性との関わりも断ってきた彼女にとっては非道の行いだった。
だからこそ、彼女は行動を起こす。
「お父様!私、至急王城へと赴きますわ!こんな書類だけでは私、信じられません!」
「ああ、行っておい……いや、待ちなさい。待ちなさいカーニャ!」
しかし、哀れにもダッフルフレア侯爵の言葉は猪突猛進な今のカーニャには届かない。目指すは王城、愛しいアルフォンスがいるはずのその場所へカーニャは馬車を走らせる。
残された侯爵は盛大な溜息をつきながら、けれど誰に言うでもなくぽつりと呟いた。
「……今日は、大事な召喚の儀式の日だというのに、まったくあの子は──」
ダッフルフレア侯爵家は、現在このフリーダムア王国の中でも随一の有能な侯爵家であった。そしてその次女、カーニャ・ダッフルフレアもその名に恥じぬ有能な実力者だ。
政治は勿論のこと、他国の内政にも詳しい才女であり、さらには完璧な美貌を持った彼女に勝つ者はいない。力あるものに必要な「スキル」については意味のないものを一つだけ持っている以外からっきしだったが、そもそも侯爵令嬢であるカーニャには必要のないものだった。
そう、つまり彼女は完璧だったのだ。ただし、今日にいたるまで。
彼女は、恋愛というもの対しても完璧でいたはずだった。しかし結果はこの通り。彼女は恋愛に人生初の敗北を味わうことになる。けれどもそれをあっさり受け入れる彼女ではない。
人生で一度も敗北しなかった彼女だからこそ、この敗北をいまだ信じることができずにいたのだ。
故に彼女は連絡もままならぬままに登城した。普段の彼女なら絶対にしない行為だが無理もないのだろう。そして彼女を止めべきだった門番も馬車の窓越しに見た彼女気迫ある顔に耐え切れず城へと通してしまった。
ひとまず従者を待たせ、城内へ入ったカーニャは真っ先に違和感があることに気づく。普段なら数人かのメイドを見かけるはずなのに、今日は姿はおろか気配すら感じられない。
それどころか城内はしんと静まり返っており、どこか不気味な印象を覚えた。
だがそれで臆するカーニャではない。彼女は城の空気に押しつぶされることなく、城の階段を上る。何度も赴いたアルフォンスの部屋。ただその場所だけを目指してカーニャは進む。
王城の三階、その曲がり角。ここを曲がれば彼の部屋は目前────
「ミラ。私は大丈夫だから」
「いいえ、ミラも行きます!だって私はアルフォンス様の……」
……この時、思わず隠れてしまった私が悪いのでしょうか。
部屋の前には確かにアルフォンスと、そして見知らぬ娘がいた。娘の服装は粗末で、どこぞの令嬢、とは見えない。ああ、なるほど、つまり彼女こそが身分の違うアルフォンスの愛する人。
確かに顔は愛らしいとはいえるけど、でもそれだけ。容姿からは特筆するようなものは何も出てきそうにない。こんな娘に、私は負けたの?
おもわず苛立ちが募り、二人の前に飛び出そうとした時。
「それより、聞きました。カーニャ様との婚約を破棄してしまったと。何故ですか。あんなに素晴らしいお人なのに」
ミラの発言に踏み出しかけた足が止まった。
そう、それだ。私はそれが聞きたかった。アルフォンス様は一体何故私を捨てられたのですが?何故、婚約破棄なんてしてしまったのですか?
「私は側室でもよかったんです!なのに婚約破棄までするなんて……」
「……私は、確かに彼女を好いていた。いや、今でも好いている」
なら何故、
「だが、同時に彼女の存在は私にとって重圧だった。
カーニャの隣に並ぼうと必死に、ひたすら必死に追いつこうとした。変な話だな。私は王族、彼女は侯爵令嬢、身分は確かに私のほうが上だったはずなのに……いや、それほど彼女が優秀すぎたんだ。
結局、私はカーニャのようにはなれない。今でも実力は彼女が上さ。だからこそ私はこれではいけないと危惧した。私はいつか、カーニャ・ダッフルフレアのお飾りになると」
──私の敗因。
それは、私があまりにも完璧すぎること。私がアルフォンス様を支えるためにと努力してきた全てが、アルフォンス様を苦しめていた。
「だから、カーニャには申し訳ないと思っているが……彼女には、君を愛しているからと理由をつけた。彼女の才能のせいだなどと、口が裂けても言えるわけがない」
「アルフォンス様……」
私はそっとその場を後にした。誰にも見られないまま、一人ある場所へ向かう。
それは城内の裏庭にある古い庭園。既に使用されておらず、もう何十年も放置されているそこは、幼い頃は私とアルフォンス様の秘密の待ち合わせ場所だった。
小さい頃は王妃教育は嫌で嫌で仕方がなかった私は、そんな時にはこっそり部屋を抜け出してアルフォンス様とここでしばらく時間を過ごすことがあった。
なにをするでもなく、二人でなんとなく過ごしていたあの時間。時々聞いていたアルフォンス様の弱音。
あの時から、私はあの方のために努力しようと心に決めた。
なのに──
「私、あの時から空回っていましたのね……」
今までこらえていた悲しみが決壊する。その場にへたり込むとお気に入りだったドレスを黒く濡らしながら落ちる雫を止められる術もなく、カーニャはせめてものという思いで嗚咽だけは我慢した。
一体、どのくらいそこにいたのだろうか。
裏庭にかかる日の光が減り、肌寒くなってきたところで立ち上がったカーニャの目の前に突然人が降って湧いた。文字通り、上から落ちてきたのだ。
しかしそこに衝突音はない。すとんと舞い降りるかのように落ちてきたその人物は満足そうに呟いた。
「いやあ、スキルっていうのも使いようだね!三崎選手!無事地上に降り立つことができ──」
そこで言葉は途切れる。否、切るしかなかった。
何故なら、そこにはまるで生き写しといえる顔が二つ存在していたのだから。
「────きっ」
カーニャの喉からしぼり出そうになったその声は目の前の人物によって制止される。彼女も青い顔をしてはいたが、向こうのほうが少しは冷静でいたようだ。
(静かに、)と音もせずに伝えられた言葉にカーニャは頷くしかなく、そのままずるずると先ほど離れたばかりの地面にまた座る羽目となる。
しばらく何も言えずに無言を貫き通していた二人だったが、やがて口火を切ったのはカーニャと瓜二つの顔を持った少女のほうだ。いや、この場合、どちらがどっちに似ているかなど判断はつかないのだろう。
「あのー……このお城の人?」
「……いいえ、私はカーニャ・ダッフルフレア。ダッフルフレア家の娘で、この王城に住まう王太子アルフォンス様の……元、婚約者ですわ」
「元?」
「先ほど、婚約破棄させられましたの」
その答えに一瞬言葉に詰まった少女だったが、すぐに気を取り戻すと次は彼女自身の自己紹介へと移る。
「私は三崎かんな。かんなでいいよ。さっきこのお城の王様に召喚させられたぴっちぴちの16歳!」
「かんな様、でございますの……不思議だわ、年齢まで同じだなんて」
「えっまじで」
二人は他のことも気になり、それぞれ自分の身体のことについても聞いてみるとあら不思議。なんと能力以外は誕生日に体重身長、そしてBWHまで同じだったのだ。
この事実に二人して茫然としながらも思わずお互いに笑みが零れた。まるで自分が二人いる感覚に驚きよりも可笑しさのほうが勝ったのだ。
そうしてしばらく話していると、何故かんながこんなところにいるのかという質問に至った。するとまるで何か嫌なことでも思い出したように彼女は苦い顔を見せる。
「実はさ、私のスキルに「サトリ」ってのがあって……」
「さとり……?」
「ああやっぱり知らないか、あのね、サトリっていうのは私の世界で人の心が読める妖怪の……まあ、空想上の存在なんだけど、そう言われてるやつでね。それで私も人の心が読めるんだ」
「それって!……もしかして、今までの私の心も?」
恐る恐る尋ねるカーニャにかんなは大丈夫と笑い飛ばす。
「このスキル有難いことに切り替えができるんだ。だから今はスキルを切ってある状態。勿論、カーニャの心は全く読めないよ」
「それなら良いの……それで、そのサトリがどうかしましたの?」
「いや、問題はサトリじゃなくてサトリを使った相手なの。そいつら、あたしと一緒に召喚された……まあ同じクラス──いや、これじゃわからないか。同じ事を一緒に学んでたやつらなんだけどね。試しにサトリを使ってみたらそいつらの気色悪い心がダダ漏れで……」
「……その方々は、なんと?」
なんとなく嫌な予感は感じたが、それでもカーニャは聞く決意をした。しかしその決意はすぐに後悔に代わる。
「「この力があればかんなちゃんを俺のものに」だとか、「俺のスキル強えー!かんなも奴隷にできるんじゃね!?」とか「ハーレム作れる!?やったー!まずはかんなだろ、それから王女様にそこのかわいいメイドも……ぐふふ」……うえ、自分で言ってて気持ち悪くなってきた」
それはカーニャも同じだった。そんな下種な考えを今まで耳にしてこなかったカーニャにとってたったこれだけの言葉でも精神的ダメージは結構くる。お互いに口元に手を当てながら、それでも話を続ける。
「だから、私この城から逃げ出そうと思ってさ」
「……それは、難しいと思いますわ」
「え……なんで?」
眉をひそめるカーニャにかんなは驚く。
そんな彼女に、カーニャはこの国の現状と他国との関係、そして各地で大量に出現した魔物について話した。まず、この国は自由と平和を謳ってはいるがその為に他国への関門を特に厳しく管理しており、第一に身分証がなければ国境を超えることも不可能なのだ。そもそも、その厳しい取り締まりのおかげでこの国は他国とはあまり関わりがない。そのせいか他国へ通じる道は関門を越えるとどこも整備されていない場所がほとんど。そこを通るには護衛か傭兵をつけるのは鉄則であり、それをつけないのはまず自殺志願者だけである。
そこに各地で起こっている魔物の出現だ。近年になって大量に出現し始めた魔物は次第に多くなり、フリーダムア王国を一人で、いや護衛すらつけずに出歩くのはまず無理だと断言していい。
「で、でも私にはスキルがあるし、それにスキル持ちは誰でも強いって王様が言ってたよ」
「それこそ大きな勘違いですのよ?確かにスキル持ちのお方はどの方も強い……けれどそれは今までの努力の積み重ねがあったから。どんなスキル持ちの方であっても、最初は皆弱いものですわ」
「そうなんだ……」
「そうですの。ですから、今からここを抜け出しても王国内にいればいつかは見つかってしまいますし、王国内を出ても死ぬ可能性が高まるだけでしてよ」
カーニャの言葉は正論だったが、しかしかんなを追い詰める言葉でもあった。うなだれ、「じゃあどうすればいいの」と力なく呟くその姿にカーニャはしばし思考を煮詰め、ふと自分に唯一存在するスキルの存在を思い出した。何故今なのか、それはカーニャ自身には分からなかったが、もしかして自分の意味のなかったスキルはこの為にあったのではと考える。
「かんな様、ひとつだけ。たったひとつだけ貴女があの場所から逃げおおせることのできる方法がありますわ」
完璧な私ならそれができると、カーニャは確信に似た言葉を持ってかんなにそう告げた。
三崎かんなが城内に戻ったのはそれからわずか十分も経たぬうちだった。
裏庭でカーニャと別れたかんなは、帰ってくると城内を探し回っていた騎士やメイドもこれでようやく肩の荷が下りたと言わんばかりに玉座で待つ王とかんなの「仲間」の元へと連れて行かれた。
「おお、カー……いやいや、そなたはかんなであったな。かんな!何処へ行ったか皆心配しておったのだぞ!」
ぱあっと綻ぶような国王の笑顔を向けられたかんなはさっきと全く変わらない笑顔で受け答えた。
「ごめんなさい!このお城の中がどうなってるのか凄く気になっちゃって……」
「ったく、かんなっていつもそうだよな」
「まあまあ、そういうところがかんなちゃんらしいって事でしょ」
「かんな、次は気を付けてね」
この仲間たち、顔は程よいイケメンであるというのに中身が下種だということはすでにかんなも、そしてここにいる「かんな」も借り受けたスキルによって既に看破していた。しかしそんなこと顔に出すはずもなく、ただ申し訳なさそうに次からは気を付けるねと続ける。
やがて国王からの有難いお言葉を受け取った四人は、城内の各自に与えられた部屋へ向かった。メイドに案内されたかんなは部屋から出て行ったメイドを横目で見送ると、すかさず扉に耳を寄せる。遠ざかっていた足音がやがて聞こえなくなったところでかんなは盛大な溜息をついた。
「他人のふり、というのも案外疲れますわね……」
──すでにお気づきの方もいるかもしれないが、ここにいるのは「三崎かんな」ではない。
彼女こそ、先ほどかんなと別れたばかりの「カーニャ・ダッフルフレア」である。一体どういうことか、そもそも生粋の侯爵令嬢であるはずの彼女に何故あんな砕けた言葉使いができたのか?
それは、あの別れる直前にまで遡る。
「「精神共有」?なにそれ」
「言葉通りですわ。互いの精神を共有しあうことで記憶から口調、能力に至るまでそっくりそのままお互いに共有するスキルですのよ」
「なんでそんなスキルを、カーニャが持ってるの?」
「それが、分かりませんの。いつごろからか、気づいたら持っていまして……ですがこのスキル、大変残念なことに波長の合う方としか使えませんの。例えば双子とか、とにかく自分と似た存在にしか使用ができませんわ。私には双子なんておりませんし、本当に変なスキルでしょう?」
「へー」
「ちょっと、ちゃんと聞いてくださいまし……ともかく、私ととてもよく似ている……いえ、もしかしたら違う世界の私かもしれない貴女となら、このスキルは使用できると思いますの」
うんうん、と頷きながらも、どうやらいまいちスキルを使う理由が理解できていないかんなにカーニャはなるべく手早く説明をする。
「このスキルを使って、貴女と私は今から入れ替わるの」
「ふんふん……えっ!いやいや、そんなの無理だよ!だって私がカーニャに成りきるなんて絶対無理!」
「だからこそ、その為の精神共有ですわ。ほら、手を繋いでくださいまし!」
「いやー!」
嫌がるかんなの手を無理やりつかんだカーニャはすかさずスキルを発動する。同時に強い衝撃が頭を襲ったがそれは一瞬のこと。すぐに痛みが引いたのでかんなの様子を見てみる。どうやらかんなも大体同じらしく、きょとんとした表情でカーニャを見つめ返した。
「一瞬、頭殴られた感じで終わった」
「私もですわ。それより、ちゃんとできているか確認しあいましょう。お互いにお互いの口調を真似してみませんこと?」
「あー……うん、なんか今ならできそう」
二人は互いに向き合うと、再びお互いの自己紹介をした。
「私はカーニャ・ダッフルフレア。ダッフルフレア家の次女であり、人は皆私のことを完璧と称賛しますわ」
「私は三崎かんな!永久不滅の女子高生!よろしくね!」
それはどちらもまさしく本物であり、しかしどっちも本人ではない。
そう、互いが互いに相手の自己紹介をしたのだ。しかし、彼女たちの口から出た言葉は紛れもなく自分を表すかのような口ぶりだった。
「すごい……私、今普通にカーニャに成りきってた」
「私のほうも無事かんなさんになれましたわ。さあ次は服の交換をしましょう。入れ替わるのに服装がそのままでは可笑しい話ですもの」
「ほ、本当に入れ替わるの?大丈夫?」
「大丈夫ですわ。今の私と貴女はスキルすら共有した共有者。どちらかが口にしない限り誰かに気づかれる恐れもありませんのよ」
そう言いながら自分の着ていたドレスを、かんなは来ていた学生服を互いに慣れた様子で着替える。
「それでは先に私から城内へ戻りますわ。貴女はしばらくしたら馬車までお戻りになって」
「おっけー。でも本当に大丈夫?」
「平気、ですわ」
かんなの記憶から覚えたばかりの言葉を口にすると、そっか、とかんなは少し心配げに。それでも安心したように笑うとカーニャを見送った。残されたかんなはしばらく手を振っていたが、やがて視線を下に落とす。
「絶対、平気じゃないでしょ。だってあの気味悪い奴らに加えてカーニャの元婚約者もいる場所に住むんだよ?絶対、絶対に息苦しいはずなのになあ……」
かんなは誰に言うまでもないと、その先の言葉を飲み込む。
彼女の記憶から、カーニャが確かに完璧だということは知っている。そして同時に彼女が誰よりも心優しいということも。
「(いつか泣きついてきたら、「ほら駄目だったじゃん」って笑い飛ばしてやるんだからね!)」
そんな、唯一共有されない感情を胸にかんなは改めてカーニャとしてカーニャの屋敷へと帰るために、ずいぶんと待たせてしまった馬車へと戻った。
──と、こんなことがあった訳だ。
今頃屋敷へと戻ったかんなにカーニャの今後を託しつつ、カーニャはこれからのことを考える。
まず目先の目標は、あの変態どもからいかに逃げ果せるかだ。彼らのスキルはいまだ把握できておらず、どんな目に合うかもわからない。身の安全を確保することを第一に、彼らからスキルについてそこはかとなく聞き出すことが重要だろう。
入れ替わりについては精神共有で何とかなる。自分から口にしなければ絶対に誰にもばれない。
絶対に────
「……アルフォンス、さま」
きっと、カーニャが告げなければアルフォンスにも気づかれないだろう。
もともとそう割り切っていたはずなのに、今になって涙がこみ上げてくる。それをかんならしく掌でぐしゃぐしゃに、無理矢理に拭い取るとカーニャはベッドの横に設置されていた鏡を睨み付ける。
「かんな、あんたはカーニャ・ダッフルフレアじゃない。三崎かんな。異世界に召喚された、勇者の一人。……しっかりしなさいよ、かんな」
かんなに成りきって鏡に言葉をぶつけると、少しだけ気が晴れた。
私はこれから三崎かんなとして生きていく。入れ替わった人生、これからはカーニャではなく、かんなの人生を生きる。
「……よし、頑張ろ」
カーニャは、いや、かんなは新たな決意を胸に、しかし睡魔には勝てず備え付けとして置いてあった寝着に着替えるとそのままベッドに潜り込んだ。
これから彼女が生きる道が、修羅場であったり変態だったり泥沼だったりしても、いつか自分らしく笑えるその日まで、きっと彼女は進み続ける。
何故なら彼女は、入れ替わった侯爵令嬢──もとい「勇者」なのだから。
もしかした連載の可能性を秘めた作品なのです。
続きは!皆様の手に!(続くとは言ってない)