はーとのはいったちょこれーと 【cacao100%】@crow
バレンタインデー。過去はキリスト教の聖人、ウァレンティヌスに、純粋な祈りを捧げる日、だった。最近では恋人同士、あるいは男女が色々な種類の愛を示すために贈り物をしあう日。海外では、男性が女性に花を送ったり、あるいはその逆だったり。
日本では、製菓企業の策略的かつ卑劣な宣伝により、女性が男性へ恋愛感情を示すために、あるいは女性同士で友愛の情を示すために、相手へチョコレートを渡す日となっている。最近では男性が女性にチョコを渡す逆チョコだったり、お返し目当てでとりあえず渡しておこうという、義理チョコだったり。色々な種類のチョコレートがある。
私はどれだけ貧相な顔と体付きであろうと、年齢だけ見ればピッチピチに若い女の子で。当然色恋沙汰に興味があり、好きな人だって居る。そして明日がいよいよバレンタインデー、勝負の日ともなれば、その人に大量生産の既成品ではなく自分で作った心のこもった一品を渡したいという気持ちがある。
ただ、私は料理がお世辞にもうまいとは言えないし、義理以外でチョコレートを渡したいと思う人が居るのも今年が初めて。言い方を変えるならば、本命チョコ処女であるからして。やはり初めては誰かの手垢のついたレシピではなく、完全オリジナルの、特別な一品をプレゼントしたい。
そんな気持ちもあって、アーモンドやフルーツみたいな誰かが思いつく材料は使わない。そんなものでは心は伝わらない。だからもっと、心のこもる物で、オリジナリティある食材はないかと考えて、冷蔵庫をあさった。そしてソレがあった。
お父さんが酒のツマミにと買ってきた、鳥の心臓。心臓。つまりはハート。訳すれば心。早速『鳥ハツ、チョコレート』で検索したが、一件も出てこなかった。私はこれだ、これしか無いと思い、早速創りだした。まずは板チョコレートを細かく砕いてボールに放り込み湯煎を開始する。その隣で、醤油と千切り生姜、日本酒、味醂を合わせた調味料で、鳥ハツを煮る。さすがにお肉は溶けたチョコレートの温度位じゃ火は通らないだろうし、食感だけじゃなく味にも変化を加えたかったから。慣れない同時作業に苦心しながら、料理を進める。
そしていよいよチョコレートが溶けた。少し大きめの型にチョコを流し込んで、その上から味付けした鳥の心臓を置く。その上からさらにチョコレートをかけて、冷蔵庫へ。これで、あとは固まるのを待つだけ。
しばらく待つと、臭いにつられてお父さんが起きてきたから余った鳥ハツを上げた。美味しいと言いながらお酒のツマミに食べてくれたし、鳥ハツに関してはひとまず成功だ。安心安心。チョコレートも美味しいものだし、美味しいものに美味しいものが加わればきっと美味しいに決まってる。そう信じて、お風呂に入って、朝早くに目覚ましをかけて寝た。明日が楽しみで仕方がない。
翌日。起床した時間は午前六時。目覚ましでは午前六時三十分に設定していたが、三十分も早起きすることができた。心配していたように、目覚ましで起きられないなんてドジな真似をすることはなかった。
パジャマから着替えもせず、顔も洗わずに、真っ先に冷蔵庫を開け、チョコレートの様子を見る。一晩しっかりと冷やされたそれはいい感じに固まっていて、もう袋に詰めても大丈夫そうだ。
このチョコレートを渡した時の彼の反応を想像して楽しみながら、ビニール製の小さな袋に何個か詰めて、口を金色のビニ帯で止める。これで、私の初めてのチョコレート作りは終了。あとはコレを学校へ忘れずに持っていって、彼に愛の言葉と一緒に渡せばミッションコンプリート。
それから学校の支度を終わらせた余った時間で、昨日作った鳥ハツ煮込みと白ご飯、あとは目玉焼きを作って、弁当箱に詰め。朝ごはんのパンを焼いて、カフェオレと一緒に流し込んで。やっと登校開始。いつもなら重たい鞄も、今日は気にならない。いつもなら面倒でしか無い学校も、今日は楽しみで仕方がない。長い学校への道のりも、彼へ伝える愛の言葉を考えていれば苦にならない。
そしていよいよ学校に到着。教室に彼以外の姿はなく、しかし彼はいつもの席に座って、スマートフォンを触っている。唾を飲み込み、心臓を抑え、まずは「おはよう」と軽く挨拶。彼もスマートフォンから目を離して、こっちを向いて「おはよう」と返してくれた。その優しさに感動しながらも、それを覆い隠して自分も席につく。彼の席と私の席は、教室の対角線上。私が前で、彼が後ろ。教室には私と彼の二人だけ。動けば見える。
鞄を机の上に置いて、ファスナーを開き、きちんと忘れずに持ってきたチョコを取り出して彼の席へ。一歩歩くごとに、顔に血がのぼる。もう、頭が熱くて仕方がない。
「あ、あの……これ、どうぞ」
学校に来ながら考えた愛の言葉なんて一文字も頭から出てこずに、結局ありきたりなセリフでしか渡せなかった。
「今日、バレンタインだったっけ。そういえば。ありがとう」
彼の恥ずかしそうな、でも嬉しそうな。それを隠そうとして、でも隠せずに口元がにやけているその姿を見て、胸が締め付けられるような気分になる。
もらってくれて、ありがとう。そう言おうとしても、あまりの恥ずかしさにもう言葉が出せない。無愛想だと思われたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、そんな思いが胸の中で渦を巻く。
「一個、食べてみていいかな」
「う、うん! 是非!」
ビニ帯を捻って外し、小さな袋にその白い指を入れ、中から形のあまり良くないチョコレートをつまみ出す。でも、頑張ったほうだと思う。
「いただきます」
そう言って、口の中に入れた途端に、一瞬だけ表情が固まる。
「……」
「……」
沈黙。何度か咀嚼して、喉が動く。
「……材料は、何を」
「えっと、普通のチョコレートと、鳥の心臓! 美味しくなかった?」
もし不味いって言われたらどうしよう、そう思って、恐る恐る尋ねてみる。
「何考えて鳥の心臓なんて入れた」
「えと。アーモンドや、フルーツだと、他の人がもう考えついてると思ったから、オリジナリティを出したくて。心も一緒に込めたかったから、心=ハートでしょ? ハート=心臓でしょ? だから……あ、味と食感も変化を出したかったから、醤油と生姜で味をつけて! 塩スイーツとかあるから、合うかなって!」
「ごめん不味い」
氷を、金槌で殴って割ったような音がした。熱を帯びていた頭に、氷水をかけられて急激に冷やされた。顔に上っていた血が、一気に足の先へと下がりきって、今すぐここから逃げ出したくなった。でも、足がすくんで動かない。耳を塞ぎたいのに、腕が動いてくれない。
「味見、してないだろ」
「……」
ただ黙って頷く。
「してたらこんなもの渡さないよな。まあ。一個、自分で食べてみろ」
「……」
味見をしていれば、変にオリジナリティを出さなければ、もう少し組み合わせを考えれば。そうすれば、これほど傷つくこともなかったと思う。でももう遅い。自分のしでかした愚かな行為が、自分自身の心臓を刺し貫いた。
「……」
机の上に残されたチョコレートの袋を取って、自分で一個食べてみる。外のチョコは冷やされて固くなり、歯を立てれば簡単に割れた。そして、その中にある鳥のハツ。固めのグミのようで、歯を立てれば簡単に噛み切れる絶妙な歯ごたえ。舌の上でチョコが溶け、口の中にカカオの香りと甘い味が広がっているところへ、唐突に訪れる生姜と醤油の風味。二三度噛めばそれが交じり合い、吐き出したくなるような不協和音を奏でる。
それを我慢して飲み込み、
「ごめんなさい」
謝罪の言葉を述べる。こんなにも不味いものを好きな人に食べさせるなんて、私はなんて酷いことをしたのだろうと。千回謝罪の言葉を並べても足りず、かといってそれ以外に詫びる方法など思いつかず。
涙を流して、どうしたら許してもらえるかと、助けを乞う。
「どうしたら、許してもらえますか……私、何でもします」
「今度、チョコと中身、別々に分けて持ってきてくれたら許すよ」
「その位で、いいんですか? 首を吊ってお詫びしたり、しなくていいんですか?」
「チョコ位……て言ったら、ここまで気持ちを込めてくれたのに失礼だけど。そこまでされても困るから」
「あの、じゃあ、チョコはないですけど中身は別にお弁当として持ってきてるんですけど……もし良かったら、それでどうでしょうか?」
この程度で許してもらえるのか、と素直に信じることはできないけれど、聞いてみる。
「いいよ。それでも。多分というか、確実に組み合わせの問題だから……別々に食べれば、きっと美味しいと思う。昼にもらっていいかな」
「は、はい」
「そうなると、君の分が無くなるから。俺が持ってきた分と交換で」
「!!」
海面から深海へ沈められて。またすぐに海面へ引き上げられたような。激しい感情の浮き沈みに、心が水揚げされた深海魚のように破裂しそうになる。
「キツイこと言って、ごめん。でも、真剣さは伝わったから、こっちも真剣に返さないとと思って」
「それじゃあ!」
「お互いのこともよく知らないし、いきなりはちょっと。だからまずはお友達から。で、いいかな」
膨らんだ心の風船が、限界を越えて、はじけた。
「喜んで!」
cacaoは「食えたもんじゃない」という意味で。
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