初めてづくしのバレンタイン【cacao 20%】@浅葱
「う~むむむ……」
真琴は台所のまな板の上に置いた物を見つめて唸っていた。
それは市販されているごく一般的な板チョコである。
だが真琴はそれを穴が空くのではないかと思うほどじっと見つめていた。
ことの起こりはそう、三学期に入ってから真琴に彼氏ができたことによる。
彼はクラスでも人気三番手ぐらいに入っている男子だった。身長が160センチある真琴より顔半分ほど背が高く、細い。それでいてもやしに見えないのはほどよく筋肉がついているからだろうと真琴は思う。顔はどちらかというとファニーフェイスで甘い印象だ。凛々しいと言われる真琴の顔とは対照的である。柔らかそうな黒髪は襟足で切りそろえられており、清潔そうに見える。太くて剛毛と言われる黒髪を無理矢理ポニーテールにしている真琴とはえらい違いである。
三学期に入ったある朝、真琴は電車の中で痴漢に触られている女の子を助けた。急所を容赦なく握りつぶしたので二度とやらないだろう。その女の子の兄というのが真琴のクラスメイトの彼だった。
凛々しい若武者のような女性に助けてもらったの! と女の子は熱く兄に語ったのだという。彼は真琴に改めて礼を言うとともに、
「以前から君が気になっていた。どうか僕と付き合ってほしい」
と交際を申し込んだのである。それもどういうわけか昼休みの教室で、である。真琴の友人たちは好奇心いっぱいの眼差しだし、他の女子の目は怖いしで真琴はどうしたらいいのか内心パニックを起こした。
「え、ええと……近所のスーパーでいいか?」
「君って、面白いこと言うね」
そう彼はふわりと笑んで、何故かクラス公認で付き合うことになったのである。
付き合い始めて、すぐにイベントは近づいてきた。
そう、みなさんご存知の2月14日、バレンタインである。
今年のバレンタインは火曜日。土日ではないのでモテる男とモテない男が明らかにされる日でもある。
昨年までの真琴はもらう側だったので今までその日を意識したことはなかった。
けれど。
友人たちに、彼にチョコあげないの? 簡単な手作りとかしないの? と聞かれ愕然とした。
実をいうと真琴は料理らしきことをしたことがない。実家は剣道の道場で、祖父母とも同居している。家事は基本祖母と母が担い、真琴も食事時には配膳などの手伝いはすることがあるが調理自体に携わったことはなかった。
「でも真琴が手作りチョコとかもそうだけど、チョコ買う為にレジに並ぶ姿が想像できなーい」
友人たちが勝手なことを言うので、真琴は軽く拳骨をくれた。
「簡単なのにすればいいんじゃない? カップにチョコを溶かして入れて、それにカラースプレーをトッピングしたら? それなら家族にあげてもいいしねー」
そう言われてみると真琴にもできそうな気がした。面白がった友人が板チョコとカラースプレー(トッピング用チョコレート)を用意してくれ(もちろんお金は払った)作り方を書いてくれた。
そして冒頭の唸りにつながるのである。
ひとつチョコを溶かすと言ってもただ鍋に入れて火にかければいいというものではない。
「よし!」
友人から預かったメモを親の敵のように見つめ熟読すると真琴は意を決したように声を上げた。
鍋やボウルを用意し、チョコレートを刻んで湯せんする。台所に甘い匂いが広がった。
それを扉の影から母と祖母が微笑ましそうに見つめ、父と祖父はハンカチを噛みしめ「どこの男だ!」と悔しがっていたのは余談である。
そうしてどうにか箱に入れてリボンを結び、バレンタイン当日の帰りに渡すことにした。
タイミングとしては駅に着く手前にある公園だろうと、2人で帰り道を歩きながら真琴の顔は強張っていた。
「真琴、今日はそこで少し話さない?」
先に誘われてしまい真琴は彼に引きつった笑顔で頷いた。
(きた! 渡さなければ!)
公園の手前にある自販機でスマートに飲み物を買って渡される。真琴の好きなロイヤルミルクティーだった。彼はストレートの紅茶だった。コーヒーは苦手らしい。
一つだけおあつらえ向きに空いていたベンチに腰かける。
ガチガチに固まっている真琴に、
「今日バレンタインだよね? これ、妹から渡してくれって頼まれたんだ」
「あ、ありがとう……」
彼から渡された包みはチョコレートで。しかも不器用に包まれたそれは明らかに手作りで。
「一応僕も味見させられたからまずくないのは保証するよ」
「あ、うん……綾ちゃんにありがとうって言っておいて……」
「簡単なチョコブラウニー? なんだけどできれば感想が欲しいって」
真琴は青くなった。とても自分のを渡すことはできないと思う。カバンから出そうとしていたがそのまま中に落とした。
「そ、そうか……。じゃあ明日にでも」
これはもうバレンタインなんか無視だと真琴は思った。しかしベンチから立ち上がろうとしたところで彼に止められる。
「今何か隠したよね? 見せて」
魅力的な笑みで言われ、さっとカバンを取られてしまった。真琴があわあわしている間に中を探られ包みを見つけられてしまう。
「これ、僕のだよね?」
「ああ、うん……そうなんだけど……」
真琴は目を泳がせてしどろもどろに答えた。あまりにも稚拙すぎて申し訳なく思っていると、彼は本当に嬉しそうに笑んでこう言った。
「真琴にチョコをもらえるなんて思ってなかったよ。ありがとう、すごく嬉しい。……好きだよ」
途端真琴の顔がぼんっと火を噴いたように真っ赤になった。バッと立ち上がり、「また明日!」と叫ぶように言い残し真琴はダッシュでその場から逃げ出した。
そんな真琴の様子に彼はほくそ笑む。
「凛々しくて可愛いなんて反則だろ」
そう呟いて彼は駅までの道を歩きだした。
その後彼の予想通り駅で真琴は捕まり、散々甘い科白を囁かれて魂を飛ばすこととなった。
Fin.
久しぶりに現代物を書かせていただきました。ベタな話ですが楽しんでいただけたなら幸いです。
楠木様、楽しい企画ありがとうございました!
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