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お約束【cacao35%】@ジョシュア

「甘いものは好き?」


 そう問われれば、男としておかしなプライドを持っているやつは首を横に振るだろう。

 いまではスイーツ男子なる言葉があったり、男でさえ女子力が話題になったりするから、さほど抵抗はないが、それでも自分としては首を横に振りたい。


 しかし、時機というものがある。


 同じ言葉であってもまったく違うニュアンスを持つことがある。

 例えば、別れ際の「またご飯にでも行きましょう」は「会えたらいいですね」程度であるだろうし、冬の初めの「クリスマスは暇なんだよね」は「誘ってくれたら行くのになあ」だったりする。あるいはラブホ前で「疲れた」なんて言われたりだなんだり。

 おおよそ、そんな〈お約束〉とは無縁であったが、こういうことを知らねば痛い目にあう。

 主に自分のように、大学生という身分であればだ。


 いまは一月最終週。

 そして冒頭の問いだった。

 すなわちバレンタインのお話であることは推測できた。

 受け答えをするのに、違和感がない程度の間に考えなければならない。

 よほどな相手であれば緊張でもしてまともな答え方はできないだろうが、いま目の前にいる者に緊張することはなかった。


 そう、問題は何にせよ相手である。

 たいていのイベントごとは、まあいいかなみたいな相手と過ごせればハッピーであるし、好きな相手と一緒なら奇跡だと言ってむせび泣く。

 しかし、だがしかしだ。


 目の前で目を潤ませている少女を見た。

 髪は黒く長くて、清純派。目も綺麗な黒で大きい。二重のまぶたは瞳の輝きを増させている。

 そこまではいい。

 問題はそこから先、彼女のプロフィールにある。

 年齢は十歳、身長は一四○あるかないか。

 一瞬で脳裏に描かれたのは、テーブルを挟んで刑事と話す自分の姿だった。


 もっと年頃の少女であれば、もっと遠回しに質問していたかもしれない。

 バレンタインという話題で何かしようとするくらいには()()()いるが、駆け引きのできなさは年齢相応か、なんてことも思った。

 だが、この少女に限ってそれはない。大人顔負けの口を持っているのだから。こう言えば、自ずと答えは決まっているとわかって言っている。

 というか、もしかすると、女という者はこれより幼い頃から狡猾なのかもしれない。


「ねえ、答えなさいよ」


 どうやらタイムリミットのようだ。あまり考える暇はない。「あー」だとか「うー」だとか言って時間稼ぎをするも、潤む瞳に見つめられ(絶対にわざとだ。この程度で泣くやつじゃない)、ついに根負けしてしまった。


「ああ、好きだよ。甘いもの、食べたいなあ」


 尤も、それはいまが試験期間で、試験勉強中で、にもかかわらず目の前にいる少女の相手をして、疲れているからだったが。

 うんうん、そうよね、と少女は満足そうに頷いた。

 そして胸を張って言う。


「感謝なさいね、トウリさん」



    *    *    *



 さて、自分と彼女について少し話すとしよう。

 トウリとは自分の名前だ。大学二年生で、私立大学の文學部に通っている。推薦でとんとん、と上がってしまった。目の前にあるものに取り組むのは得意だけど、面倒なことはしたくない。そういうタイプの、真面目系クズとか言われるやつだ。


 問題の少女、名前はマナカ。小学五年生。お嬢様ゆえか大人顔負けの理性と知性を持つ少女で、おまけに周りに合わせたりだとか、そういうのも得意だ。もちろん、それには容姿の良さも大きな役割があるのだろうと思う。歳のわりに、顔は大人びている。あと身長があれば、中学生どころか高校生にも見えるかもしれない。


 どういう接点があったかというと、深くは突っ込まないでほしい。昔あこがれた幼馴染のお姉さんがいて、その人が気づけば子どもを産んでいて、お兄さんと仲良くしなさいね、と言って紹介していった。前半のありきたりな話から急転直下である。なにもそのときの憧れを大切に持っているほど馬鹿真面目でもないし、この歳になれば多少なりとも擦れてくるものだ。


 ともあれそれ以来、彼女は一人暮らしの我が家に入り浸りなのである。

 なにが楽しいのかわからないが、マナカはベッドで寝転び漫画を読み漁ったり、飽きたら実家から持ってきたり買い足したりしたゲームを片っ端から手をつけていったり、手当り次第に買ってしまって放り投げてる入門書なんかを黙々と読んだり。

 男の孤城にやってくるものの、図々しく居座ってるわけではない。むしろ家主の迷惑にならぬようにする姿は、育ちの良さすら感じられる。入り浸りではあるが。


 うちは学童保育じゃないぞ、とマナカ母に一度でも言おうと思ったが、電話を前にすると萎縮してしまう。


 そんな日々の、ほんの一幕にすぎない。

 バレンタインの約束なんて、世の中にはありふれているだろう。大学生はもちろん、高校生なら夢見るだろうし、中学生はおろかいまどき小学生だってする。マナカが現にして見せた。

 そしてそこで少しでも心を踊らせるようなら、女性関連で痛い目にあったことがないやつなのかもしれない。それかよほどの能天気か。


 そう、例えば試験中にこんな述懐をしているやつがいるな。




    *    *    *




 思ったより簡単だったな。

 そう言ったのはとなりで試験を受けていた友人だ。馬鹿言え、ぎりぎりの戦いだったんだぞこっちは。そう言いたいのはやまやまだったが、苦笑いを浮かべて「まあ、単位さえもらえれば」と言った。


「しかし、これで試験も終わり。一年の最後だな」

「大学生で一番楽な期間が始まる」

「へえ、言うね」


 友人の言葉に、頬が引きつった。目下、課題は山積みである。資格なんかも考えないといけないし、そのための学力も足りない。バイトも増やそうか、と検討している。検討するだけだが。

 尤も、自分に問題意識があるだけまだいいか、などと考えるあたり、クズだなあと感じる次第だ。


「トウリくん」


 呼びかけられて、振り向いた。

 女の子がいた。授業で毎週、なんだかんだと話した相手だ。名前はワカナ。

 と言っても一言二言、多くても休み時間の間だけ。外で会って、よっと挨拶して、ちょっと談笑するくらいの仲。

 友人、と言うのだろうか。わからない。けど、嫌な相手ではない。

 見目も、可愛いんだと思う。世間が考える大学生ほど垢抜けてなくて、でもその分の愛嬌がある。高校生から少しだけ抜け出した、フツーの子だ。


「どうしたの、ワカナちゃん。あ、試験お疲れさま」

「うん、お疲れさま。へへ、昨日の夜、がんばったんだあ」


 話のペースが独特。おっとりしてるけど、勉強とかはしっかりしてる。でもちょっと抜けてる。

 ワカナに少しずつ足されていった情報だった。

 ふと目をやれば、友人が立ち上がってどこかへ行ってしまった。そういえばサークルへ顔を出しに行くって言ってたかな、とぼんやり彼の予定を思い出す。


「ところでさ、あの」


 ワカナが口ごもる。うん、いつものこと。何か話だそうとする合図だ。

 少しだけ待つ。


「十四日って、空いてる?」


 例えばいま自分が持っているものがペンケースではなくコーヒーであれば、落ちていたのは消しゴムではなく真っ黒なシミだったろう。

 それくらいの衝撃が襲ってきていた。


 ようやくイベントが!

 内心でガッツポーズをとる。

 しかし慌ててはいけない。こういうときこそ、平常心を意識しなければいけない。

 じゃなきゃバレてしまう。童貞が。


「空いてりゅよ」


 噛んだ。

 盛大に、誤魔化せないレベルで。


「そ、そっか。うん、それでね、もしよかったら会えないかなって」


 これは事実上、告白と捉えていいのでは?

 そう天使が囁いた気がする。もちろん、自分の中の天使であるが。


 いいや、これは罠だね。呼び出されて行ってみたら、お前をあざ笑うやつがいるのさ。

 悪魔の声が聞こえた。おい、誰だそんなに惨めな思いをさせたいやつとやら。


 でもせっかくのお誘いなのです。このチャンスを逃したら、次は十年先かもしれません。

 天使め、その実は堕天使だったか。


 脳内で広がった会議が終了する。

 この子のことだから、悪意なんてあるわけがないんだ。ここは快く受けよう。


「————————」


 けれども。

 頷くことはできなかった。


 ふと思い浮かんだのは、マナカの顔だった。

 いつも気丈で誰にも迷惑をかけない女の子が泣く姿を、ありもしないのに思い浮かべてしまった。

 まさかあの子に限って。そう思うが、逆に言えばそう思うほどに、自分は彼女個人に対してなんらかの思い入れがあるのだった。


 だから、答えはひとつだ。




    *    *    *



 あれからみっともない三文芝居を見せたあげく、予定があるからと言ってワカナの誘いは断ってしまった。

 また予定が合ったら誘ってね、と言うと、彼女は頷いた。代わりに連絡先を交換して、春休み中にまた声をかけますと言って。

 女の子と連絡先を交換するイベントだけで、今回は良しとしよう。自分で自分に言い聞かせた。そうしないと、どうも納得できそうにない。


「トウリさん、それはクズです」


 直球の回答が、マナカから飛んでくる。

 十四日、やはりやってきた彼女に上手いこと誘導尋問を受け、ついつい大学であったことを吐き出してしまう。


「な、なんで」

「バレンタインは予定あるけど、君も捨てられないな、って言ってるようなものです。ちなみにイケメンでも許されません。罪は深いです」

「うぐっ」


 言われてみれば、その通りだった。

 振り返ってみれば、なんとも不誠実なやつなのだろうと。


「いやでも、マナカとの約束があったし」

「約束なんてしてないけど」


 そういえばそうだった。

 もはや立つ瀬はない。


 だが、どうすればよかったのだろう。

 小学生、それも知人の娘を裏切って、少しでもいいなと思った相手を選ぶべきだったのだろうか。

 ともすれば、それは自分の正義とも云うべきものに反しているように思ってしまう。

 より身近な誰かを思うというのは、悪いことではないはずだ。


 マナカが足を組み直す。小学生のくせに、どうしてそんな色っぽい仕草を知っているんだ。母親譲りか。色気の欠片もないが。


「ですが、私を優先したことで許します」

「お、おう」


 にんまりと笑うマナカ。こういう笑みを浮かべているときは、企んでいるときだった。

 手には五千円札が握られている。


「これで外へ食べに行きましょう」

「……へ?」

「母からの伝言です。『いつも面倒を見てくれてありがとう。今日はこれで美味しいものを食べて。マナカは好き嫌いのない子だから、どこに行っても美味しく食べるわ』……愛されてますね、お互いに」


 不摂生な生活を送っているのを伝えたのは、マナカに違いないのだ。この聖域を平然と侵しながら、その実情を訴えたのは目の前にいるお嬢様だ。

 一見、給金のように見せられたこのお金も、さらなる子守りの前払いか、もしくは動機付けであるのだ。

 親子揃って、やり手である。


 でもまあ、行くしかないんだ。

 何せ、そういう〈お約束〉なんだから。

 自分の人生にはついぞ縁のない〈お約束〉ごとは、ちょっとでもきっかけがあるなら、乗っておいた方がいい。


 出かける準備を整えて、マナカに右手を差し出した。「逆の手です、見てわからないの」と彼女は生意気に言うものだから、仕方なく左手でマナカの手を握った。

 ああ、忘れてた。


 マナカの左手には、小さな紙袋があったんだ。

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