ホワイト・バレンタイン 【cacao40%】 @crow
コートを羽織、ブーツを履いて、手袋をはめ。玄関にある姿見の前に立つ。鏡に映る自分の姿を、頭のてっぺんからつま先までじっくりと眺め、ふぅと白い息を吐く。
大丈夫、変なところはどこにもない。立派な美……がつくかどうかはともかく、一般的な男子だ。髪は跳ねていないし、コートにカビも生えてない。ブーツに汚れはついてない。そりゃそうだ、コートもブーツもこの日のためにと揃えたばかりのものなのだし。
もう一度よく見て、今度はこの格好が自分にあっているか、色のバランスはどうかという目線から考える。
髪型、たぶん大丈夫。黒に近い灰色のダッフルコートに紺のジーンズ、黒のブーツ。暗いの色で統一しているせいで少し地味に思えてしまう。でもたぶん、これが自分にあった服装なんだと思う。
あっている、と言い切れないのは自分のセンスに全く自信がないから。こんなことならファッション誌でも読んでおけばよかったと後悔するけど、今更遅いとため息を一つ。二つ。
「しょうがないよなぁ」
自信があってもなくても、この格好で行かないと仕方がないんだし。昨夜一晩かけて悩み抜いた格好で、今から選び直す時間はもうない。そんなことをしていたら待ち合わせに遅れてしまう。もしも一分でも遅れたら、彼女のことだ。言い訳なんて聞いてもらえずにそのまま帰ってしまうだろう。観念して鏡の中の自分を振り切り、壁にかけた、プレゼントの入ったカバンと中折れ帽を持って玄関の扉を開く。
寒風とともに舞い込んできたのは純白。大粒の雪が降り積もり世界を白銀に輝かせる、美しくも目に優しくない光景。身震いしながら一歩を踏み出すと、予想していたよりもずっと深く足が沈む。
「おっ……と、あぶない」
転びそうになった体を引き止め、重く足にまとわりつく雪をかき分け、踏んで固め、先へ先へと。これだけ積もっていれば、いつもよりもずっと時間がかかるだろうから急がないと。
しばらく、大いに急ぎながら進んで、待ち合わせの場所、駅前の広場へたどりついた。普段あまり動かないくせに、急いで雪の中をかき分けて来たものだから、息は切れるし体力も切れるし、心臓は痛むし。外は寒いのに体の内側は汗ばむほど火照っている。コートの前を開いて、呼吸もゆっくり、大きくして、体を外から中から冷やし。ようやく心臓は普段通りのテンポを取り戻した。
息を整えて、腕時計を見る。時刻は待ち合わせの五分前。目印の、広場中央の塔につけられた大時計が示す時刻とは一致している。ちゃんと間に合ってよかった。
塔の麓へ視線を下げて、彼女の姿を探す……が、ない。早く着きすぎただろうか。
「遅かったじゃない」
サァ、と体の芯が冷えていく。温度を感じさせない、氷のように透き通った声に、体が強張る。油が切れた機械のようにゆっくりと振り返れば、そこには。
「いつから待ってた?」
ついさっき探していた女性がいた。今日待ち合わせをしていた相手。寒さに耐え続けていたのか不機嫌そうな顔も麗しい彼女。いつも待ち合わせの時間より早くやってきて、時間に間に合っていても遅い遅いと文句を言う、可愛らしい人。それだけ僕と会うのを楽しみにしてくれているのだから、男冥利に尽きる。
「十分くらい前から」
それでも十五分前集合なんていつの時代の話だよ、と言いたくなるけど言えない。僕のためなんだから、言えるはずがない。
「お待たせしました」
だからここは頭を下げておく。
「別にいいよ。時間には間に合ってるから」
それはよかった。許してもらえたようなので、安心して頭をあげると、彼女は微笑みながら白い手が差し出されて、少しドキッとして。頬に触れた。ぴと、擬音で表すならこうだろう。
「うひゃぁ!?」
いきなり冷たいものが触れて、心臓が跳ねる。声も跳ねる。体も跳ねる。ああ、周りの視線が痛いほど集まり、とてもいたたまれなくなる。
「待たせてくれた罰ね。手袋を外して」
「……イエスマム」
命令に逆らうことはできない。こう、上下関係を完全に叩き込まれているせいで。
「よろしい」
さっき頬に触れたばかりの手が、僕の手を包む。
「うん、温かい」
そのまましばらく、じっと耐える。彼女はこの寒い中で、僕のことを待っていたからこれほど冷たい手になってしまったのだから。自分が待たせなければこうはならなかったのだから。つまりは自業自得。甘んじて受ける。
「よし、十分あったまった。はいじゃあこれ、あげる。ハッピーバレンタイン!」
そう言って渡されたものは、リボンが巻かれた四角い箱。かじかむ手で、落とさないように、しっかりと受け止めて。
「ありがとう。さっそくだけど、開けてみても?」
「もちろん」
リボンを解いて、包みを破らないように丁寧に開いていくと、中からは。
「これ……たしか、かなり高かったと思うんだけど」
一粒三百メートルならぬ、一粒三百円。たしかそれくらいはするような、もっとしたような気がする、某高級ブランドのチョコレートの箱。
「プレゼントの額を気にするなんて野暮よ。そこはありがとう、ってお礼を言うだけでいいの!」
それでも気になるものは仕方ない。ああ、なんだか用意したプレゼントとはとても釣り合わなくて、申し訳なく思えてきた……いいや、こういうのはお金じゃない、気持ちだ気持ち。
そうと自分に言い聞かせる。
「じゃあ、僕からも」
カバンの中身を少しだけ引っ掻き回して、目当ての物を探し出す。引っ張り出したのは、彼女がくれたものより、少しだけリボンの結び方が荒い箱。不器用は辛いよ。
「……あら、もしかしなくても、プレゼント? 嬉しいなぁ、中身は!? ねえ中身は何!?」
プレゼントを抱いて飛び跳ねる彼女が可愛くて、少し笑った。
「最近流行りの逆チョコ。中身はガトーショコラ。そんなに強く抱いたら崩れるよ」
ガトーと言っても「ソロモンよ、私は帰ってきたぁ!」のガトーではなくて。お菓子のガトーだ。
「僕もそんなに喜んでもらえると、作った甲斐があるよ」
「しかも手作り!? あぁ、負けた気がする……」
その驚く顔が見たくて、わざわざ作ったのだから。目論見は無事、成功したようだ。
「くそう。この屈辱は、カラオケで晴らさせてもらうから」
「ああ、それは楽しみ。じゃあ、行こうか」
冷たい手を今度は自分から握って。駅の中へ、彼女を引き込む。雪の中で佇む彼女もきれいだけど、これ以上外に居たら雪だるまになってしまう。その前に。
切符を買って、電車が来るまでは待合室で。暖房が効いてて、外よりずっと暖かくて、ほっとする。待ってる間に、箱を開封。匠の手がけた芸術品にも見えるチョコレートが並ぶ。
「食べるのがもったいないな、こりゃ」
「食べないなら私が食べる。高かったんだから」
「そう? じゃあ、はいどうぞ」
チョコを一つつまんで、彼女の目の前に持っていく。当然、恥ずかしがらせようと意識してやってる。
「え、ちょっと、え? えぇ~!?」
一瞬呆けたように口を開けて、状況がわかったら顔を真赤にしてうろたえる。その顔が面白くて、また笑う。
「早く食べないと溶けるよ」
彼女の手に冷やされたおかげですぐには溶けないけど。
「う……じゃあ、いただきます」
おそるおそる、といった感じで、僕の指が彼女の唇に挟まれて、チョコが奪われる。手で取らないあたり、こう、萌えるポイントをわかってくれている。
「おいしい?」
「恥ずかしくてそれどころじゃない」
「それはもったいない」
ふぐみたいにほっぺたを膨らませる彼女は本当に可愛らしくて。つい笑ってしまう。これ以上恥ずかしがらせるのもかわいそうだから、指をハンカチで拭いてから一つつまんで、口に入れる。噛むまでもなく口の中で溶け出し、甘みと香りが広がる。
「おいしい」
いつも食べているのとどう違うかというと……説明は難しい。とりあえずおいしい。うん、おいしい。彼女がくれたものだから、なおさらそう感じるんだろう。
「もう……」
なにやら不満げにブツブツつぶやいているけど、たぶん照れ隠し。照れ隠しに、僕のあげたプレゼントのリボンを解いていく。それから、包装紙をビリビリと……これもきっと照れ隠し……だと思いたいな。
中の箱を開いたら、閉じ込められていた甘い香りが待合室に立ちのぼる。
「……」
中身の一切れを手にとって眺めたら、一口で半分が口の中へ消えた。
「くやしい。でもおいしい」
飲み込んだらそうつぶやいて、もう半分も口の中へ。指についたかけらを舐めとったら、ハンカチで指と口元を拭う。満足してもらえたみたいで、何よりだ。
「ありがとう」
おいしいと言ってくれたことに、こうしてこの日に付き合ってくれることに、お礼を。そんなところにちょうど電車がやってきたので、待合室を出て乗り込む。
今日も必ず楽しい日になるだろう。だって、彼女が一緒に居てくれるんだから。
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