モリナガ・ショコラテ【cacao14%】@空伏空人
森永と江崎が明治を頼りにしてチョコレートをつくる話です
「チョコレートって溶かして固めるだけでできると聞いたんだけど、別にそんなことなかった」
「はあ」
二月。
寒い寒い冬の月。
冬の終わりの月であるはずなのに、まだまだ外気は肌寒く、布団は手放せない時期だ。
そんな土曜日の昼。
急に呼びだされたと思ったらキッチンへと呼ばれてこんなことを言われた。
はあ。としか言いようがない。
これ以外に感想があるだろうか。
はあ? でもいいかもしれない。
そんな愚痴を心中でこぼしつつ、江崎栗古は目の前にいる汚れひとつついていないエプロンを着ている森永西花を睨んだ。
「そんなことを言われるためだけに、僕はわざわざ惰眠貪る休日を潰してまでこいつの家にやってきたのか」
「惰眠貪るよりは快適な生活だとは思うけど」
「それが良いものかどうかは人それぞれだ。ちなみにお前の家で時間を潰すのは時間がもったいない気がしてしょうがない」
「じゃあ帰っていいよ」
「分かった。また明後日、学校でな」
「ちょっと待ってごめん、手伝って。私だけじゃあ無理なの」
帰ろうとしている江崎の手を(正確にいえば手首あたりだ)慌てた様子で掴んで離さない森永と目が合ってしまった。
おねがい。待って止まって。チョコつくるの手伝って。
目で訴えてくる。
森永がこういう目をしているときは大体本当にピンチであることは、江崎は知っている。
夏休みの宿題。試験の前日。新しい服を買うとき等々。
どうして森崎の新しい服を買うときにまで一緒についていかないといけないのか。甚だ疑問であったけれども、彼女はこうして困ったときは江崎に連絡をとるのである。
──別に僕は、なんでも屋っていうわけでも、なんでもできる。というわけでもないんだけどなあ。
不思議な話である。他にも頼りになる人はいるだろうに。
しかし、江崎はその森永の顔に弱かった。
仕方ない。仕方あるまい。
手伝ってあげることにしよう。
「それで、今日はどんなことに困ってるんだ?」
「あのね!」
ぱっと手首から手を離した江崎が、当然のように話を進めた。
さっきまでの悲痛そうな雰囲気はどこへやら。どうやら演技であったらしい。
江崎がその顔に弱いことを熟知しているようだった。
もう二度と、手伝ってやろうとか、そんなことを考えるものか。
江崎は心中で悪態をつきながら、森永が次の句を言うのを待つ。
「私、チョコをつくろうと思ってるんだけど」
「カカオから?」
「業務用チョコレートから」
森永はキッチンにある机の上にどかん、とチョコレートの塊を置いた。
板チョコならば何百枚分だろうか。すべて食べようとしたら胸やけがしてしまいそうだ。
「ちなみにミルクチョコレートだよ」
「さらに胸焼けしそうだな……これ、何キロあるんだ?」
「六キロぐらい?」
「なんでそんなに買った?」
「安かったから」
「バカじゃあないのか?」
「送料無料にしたかったから」
「バカだろう」
「私、送料とか手数料とかを払うの嫌い」
「それは分かる」
あんなものに金を払うぐらいなら、追加でチョコを買ってしまうかもしれない。
いや、それでも買いすぎではあるけれども。
みるからに業務用だし、これでも安いのだろうか。
「それでなんだっけ。チョコレートをつくろうとしているんだっけか?」
「そう。チョコレート。ガトーショコラつくりたい」
「作り方は?」
「知らない。まあ、食べたことはあるからどうにかなるかなって!」
満面の笑みで言う森永に、江崎は顔をおさえることしかできなかった。
顔をおさえたまま、江崎に言う。
「お前が数時間前に言っていたセリフが分かった」
「言ってみて」
「『これぐらいなら、私でもつくれる』」
***
そんなわけで。
実践編。
もちろんのことながら、江崎もガトーショコラなんてものの作り方は知らないし、なんならガトーショコラを食べた覚えもない。
こいつが簡単につくれると思ってた。というぐらいなのだから、見た目は簡単そうなものなのだろう。
「ちなみに、お前はまずどんな風につくっていたんだ?」
江崎はキッチンの前に立っている森永に尋ねた。
キッチンの上には一通りの調理道具は並んでいるものの、どれもこれも、彼女が着ているエプロンと同じく、使われた様子が見当たらないぐらい綺麗なものだ。
いや、包丁だけは側面にチョコレートがひっついている。
しかし、不思議なことにチョコレートは刃の面ではなく、先端にだけついている。
「えっとね、まずはこの塊から必要な分のチョコレートを削って」
森永はこなれた様子で包丁を手に取った。
学校で調理実習があるし、さすがに包丁の使い方は知っているようだった。そういえば、森永は料理をしたことがあるのだろうか。江崎自身も料理はほとんどしたことがないが――それこそ本当に、調理実習のときぐらいだ――それでも、器用な方ではあるし、料理に対してもそこまで不安感はない。
対して森永は不器用である。
ハサミを持つことにさえ不安を覚えるぐらいの子である。
高校生になったのに、まだそんななのか。と江崎はひとり彼女の行く末を憂いている。
人の成長は人それぞれだとはいうけれど、さすがにこれは憂いてもしかたないと思うのだ。
森永は包丁を構える。
チョコレートの塊の下には底が深い金属製のボウルが置かれている。
さすがにボロボロ落とすようなことはしないらしい。
ちょっとだけ安心した江崎であったが、森永はそれを裏切るように包丁を逆手に構えた。
クナイを構えるニンジャのようだった。
ちょっとポーズまで取っている。やめろ、こっちを見るな。カッコつけてポーズを決めてこっちを見るな。きちんと包丁を見ろ、恐いから。
カッコつけた森永は、そのまま逆手に持っている包丁をチョコレートの塊に振り下ろした。
まるで氷を削るアイスピックのように、包丁の切っ先でチョコレートの塊を削っていく。
もちろん、包丁はアイスピックではない。使い方は間違っている。
止めようかと江崎は考えたものの、失敗したときの再現をしているのだから止めることはしない方がいいだろう。
「ん。なに?」
「いや、続けて」
間違えてるけど。
思いっきり間違えてるけど。
包丁を逆手に構えて楽しそうに包丁を振り下ろしている森永を見ていると、『料理は楽しむもの』という言説には一部例外があり、間違いであることは明らかだった。
料理は基本を守り、周りをハラハラさせないで、かつ楽しむものである。
「ふう」
満足そうに汗をぬぐう仕草をした森永は、包丁を机の上にぽい、と投げるように置いて(危ない)削ったチョコレートがこんもりと山盛りにされているボウルを手にとる。
コンロの方へと向かい、ひねりを掴む。
カチ。
火はつかない。
「あれ……?」
カチ。カチ。カチ。カチ。
それでも火はつきません。
「おかしいな。さっきは火がついたのに。あれえ?」
カチ、カチ。と森永はひねり続けるものの、コンロに火がつく様子はない。
しばらくしているうちに、ようやく火はついた。ようやくか。
その上に森永は金属製のボウルを置いた。
スゴい勢いで溶けていく。数秒もしないうちに固形が見当たらなくなり、ぶすぶすと焦げる臭いすらしてきた。
「どう、はやいでしょう?」
「そうだな。はやいな。焦げてるぞ」
「またまたあ。これは元々こういう色なの」
笑いながらひらひらと手を振った森永は、火を消してボウルを素手で触る。熱かったらしく、すぐに手をひっこめて、ふきんを持ってきてそれで掴んだ。
それでもやっぱり熱かったらしく、机の上に置くときには大きな音がした。落としたような音だ。
「それで、あとは?」
「型に入れて、冷やす」
森永は溶けたチョコレートを容器――食パンをつくる時の型のような可愛げのないやつ――に流し入れて、そのまま冷蔵庫に入れた。
「そうして冷やしたものがこれです」
入れた隣に置いてあった容器を取りだして、森永は自信満々に言う。
冷やして固まったチョコレートの表面にはツヤも光沢もなく、ブルームと呼ばれる白い模様が浮き上がっていた。
森永は固まったチョコレートの塊を机の上に置く。見た目は濃い茶色の金塊みたいだ。
もちろん厚さもあり、そう簡単に割れない。森永は包丁で──やはり逆手に持って──チョコレートの塊の側面を薄く削って。
「はい」
と、手渡してきた。
江崎はそれを受け取って、口の中に放り込む。
チョコレートの甘味が口の中で溶けて、ノドから鼻へと、ミルクの匂いが空気とともに流れる。甘ったるい。ともいえなくはない甘味が舌の上で消える。
それを確認してから江崎は眉をしかめながら、森永に尋ねた。
「お前がしたことに意味がないことにいつ気づいた?」
「チョコレートの塊が完成したときには」
***
チョコレートの作り方を知らない江崎は、ひとまずガトーショコラというものはどういうものなのか調べるところからはじめた。
チョコケーキだった。白い粉がまぶされている。白い粉がなんなのかは分からない。
少なくとも、チョコの塊ではないし、簡単なものではないような気がする。
江崎はため息をついてパソコンを閉じると、できたチョコレートの塊を割っては口の中に放りこんでいる森永の方を向いた。
森永は目をキラキラさせながら江崎を見返したが、その表情が曇っていることに気づくと途端に顔をしかめた。なにを言われるか理解したかのような表情だった。
「お前にチョコづくりはムリだ」
「できたじゃん!」
「これをできたと言える根性は認めよう」
チョコの塊を突きだしてくる森永に、江崎は彼女の頭をぺちん。とはたいた。ほぎゃっ。と森永は声を漏らす。
「お前、なにをつくろうとしていたんだっけ?」
「ガトーショコラ」
「食べたことは?」
「あるっ!」
「どんなのだった」
「柔らかくて」
「固いな。これ。固形物だな」
「美味しくて」
「普通のチョコだなこれ」
「ケーキだった」
「ケーキかこれは」
チョコの塊をつん。と押すと、森永はふぎぃ。と怒った猫みたいな声をあげる。
「諦めろ。お前は料理が苦手なんだ」
「うぎぃ!」
森永はなにやらよく分からないことを言いながら、地団太を踏んだ。
江崎は呆れたように。
「そもそも、どうしてチョコをつくろうなんて考えたんだよ」
「みんなが作ってるからだよ!」
「流行ってるのか?」
「日本にチョコレート会社ができてからずっと流行ってるよ!」
すごい剣幕で言い返してきた。顔を近づけて、吠えてくる。なんだか小屋の中にいる子犬に吠えられているような気分だ。つまりそんなに怖くない。
「ぎゃうぎゃう」
本当に吠えだした。
犬にはガトーショコラはつくれないと思う。
困り果てたブリーダーこと江崎は頭を抱えながら吠える森永をちらりと見た。むうぅ。と口元を尖らせている。自分が不器用だという認識は持ったようだが、それでも諦める気は更々ないらしい。
仕方ない。と江崎はため息をつく。
「分かったよ」
「ばうわう?」
「犬語やめろ」
首を傾げる森永に、江崎は隠し続けていた真実を吐露する真犯人のような気分で、吐きだすように言った。
「手伝ってやる。チョコづくりを」
「おお、おお。おおおおお!」
興奮しながら森永は大声をあげて、江崎の手を両手で掴むとぶんぶんと上下に振った。
「ありがとう。ありがとう!」
「ただし、今度はしっかりレシピを調べてからつくること」
「分かった!」
「それと今回はガトーショコラをつくることは諦めろ。お前じゃあ無理だ」
「ぬぐぐ……はぁい」
「レシピは僕が調べる。簡単な初心者向けのレシピが探せばあるだろう」
「簡単な初心者用はやだ。レベル二ぐらいのやつを探して。見た目難しそうなの」
「ちょっと見栄を張ろうとするな」
***
素晴らしきかなネット社会。
調べてみるとすぐにチョコレートのレシピが見つかった。
初心者向けの中から比較的難しそうにみえるもの。溶かして固めるだけではないもの。森永でもつくれそうなもの。で厳選してみると、『トリュフ』のレシピがあった。
チョコレート会社のホームページに載っているもので、これなら簡単だろう。と江崎はさっそく印刷してから森永のもとへと向かった。
「トリュフ? あの高級食材の?」
「豚でやる鵜飼の」
違う。
地面にチョコレートは埋まっていない。
「この写真の丸いチョコがトリュフらしい」
「あ、これ見たことある。結構美味しいんだよね」
「じゃあこれにするか。材料買ってくる」
「え、あそこにあるじゃん」
森永は未だにたくさん残っているチョコの塊を指さした。そうだ。これを消費しないと。
「じゃあ、森永。それからチョコ百五十グラムと百グラムとってくれ。別々にな」
「なんで?」
「本体用とデコレーション用」
「デコレーション! おお、手間暇かけてるっぽい!!」
「絶対そういう理由ではないと思うぞー」
「ようし、まずは塊を削りはじめないとねえ」
森永は包丁をクナイみたく逆手に構えた。
まずそこから訂正を始めないと。
江崎は生まれてはじめて『猫の手』について説明をした。
まさかまさか、こんなことになるとは思わなかった。
「うむ、うぬ、うぬお、ぬのお? やりづらい。やりづらいよこれ。切れない!」
「斜めにしたら切りやすいと書いてあるぞ」
「ん? そうなの?」
江崎がチョコの塊をスライスしたものを、森永はまな板の上で必死に切り刻んでいる。が、板状になっているチョコに難航しているようだった。
それでもどうにか細かく砕いたチョコをボウルの中に入れる。
「次に溶かすわけだけど……」
「火にかけてくるね!」
「ちょっと待て。チョコレートを溶かすのは、湯せんする方がいいらしい」
「付箋? なに、チョコに貼るの?」
「湯せん。お湯でチョコレートを溶かすんだとさ」
「へええ」
頷きながら。
森永は保温ポットからお湯をだして、刻んだチョコを入れたボウルの中に流しこんだ。
「ねえ、これじゃあお湯に溶けるだけじゃあない?」
「話を最後まで聞けよな……」
もう一度、作り直しだ。
再びチョコの塊をスライスしてつくった板チョコを刻んでからボウルに入れて、次はお湯を別の、一回り大きなボウルに注いでいく。
「これの上に刻んだチョコが入ったボウルをいれて溶かすのが湯せんらしい。レシピによると50~55℃ぐらいがちょうどいいらしい」
「55℃ってどれぐらい?」
「沸騰したのが100℃だから、ちょっと熱いぐらいじゃあないか?」
適当である。
料理ができない者同士の料理風景である。
ポットの中に入っているお湯は95℃のお湯だったので、江崎と森永はそれが少し冷めるのを待つ。
お湯の中に指をつっこむ。森永は険しい顔をする。
「多分55℃!」
「じゃあ、その上に刻んだチョコが入ったボウルを浮かべて」
適当である。
適当でいいのはレシピの中にある塩の扱いぐらいで充分だ。
あれは適量か。
森永はボウルを浮かべると、ゴムベラを使って刻んだチョコを大きくかき混ぜる。
はじめは溶ける様子もなく、森永は訝しむ表情でしきりにお湯からボウルを離してみたり、お湯を温めなおそうとしたりしたけれど、少しずつ溶けはじめてくると森永は目を輝かせる。
「おおおお、溶けてる溶けてる。本当に溶けてる!」
「お湯の温度で溶けるもんなんだなあ」
ゴムベラを離すと、とろぉり。と流れるチョコの線に森永と江崎は感嘆の声をあげる。
湯せんはしすぎるといけないと書いてある。二人はすべてが溶けたのを確認すると、湯せん用のボウルを外した。
「とりあえずこれでコーティング用のは準備ができたかな」
「え、コーティング?」
森永は首を傾げる。
「コーティング用なら後につくったほうがよかったんじゃあない?」
「……」
「あれ、もしかして気づいてなかった?」
「……冷やす時間が必要だから、先に、つくったん、だ」
「もしもーし。顔をそらさないで言ってみてー」
次はチョコ本体をつくる番だ。
ちなみに冷やしてはいけない。
生クリームを鍋に入れて、沸騰直前まで温める。
温まったところで、刻んでおいたチョコレートをその中にいれて、泡だて器でかき混ぜる。
「チョコが完全に溶けるまで混ぜるんだとさ」
「ふむふむふむぅ」
ガチャガチャガチャ、と泡だて器とボウルをぶつけあいながらかき混ぜる森永をみながら、江崎は少しばかり休むことにした。
まあ、五分もない休憩だろうけれど。そう思っていたのだが、五分を過ぎても森永はかき混ぜるのをやめない。
不思議に思った江崎は、声をかけずに背後からそおっと、ボウルを覗きこんだ。
すでにチョコレートは溶けて、まろやかなクリーム状になっていた。
「おい、森崎。もういいんじゃあないか?」
「ダメだよ。完全に溶けてない。こことかこことかこことか!!」
「溶けてるよ」
こつん。と頭を小突いた。
「ええぇ、そうかなあ」
「そうだよ。ほら、それを涼しい場所に置けって」
「置くだけでいいの?」
「たまにかき混ぜる。そうした方がいいらしい」
「ふうん」
森崎はあいまいに頷きながら、ボウルを涼しい場所に置いた。
…………。
ちらり。
すっと手を伸ばす。
かき混ぜる。
…………。
ちらり。
…………。
すっと手を伸ばす。
かき混ぜる。
…………。
ちらり。
すっと手を伸ばす。
江崎はその手をはたいた。
気持ちは分かるけれど、時折でいい。
混ぜるときにもったりとするぐらいまで冷えて固まってきたら、それをスプーンですくって、敷いたオーブンシートの上に置いていく。
「おお、なんかすごい料理してる感じがする。オーブンシート使ってるからかな」
「判断基準」
あとはそれを冷蔵庫で三十分ほど冷やすだけである。
「そしてできあがったのが、こちらです」
「ねえよ、いちいち用意してねえよ」
「ダメだなあ、江崎は。用意しておくのが普通なのに」
「俺の知らない普通をあげるな」
「これだから、内容がないのに無駄に長い短編になったんだよ」
「それは多分、お前が動くたびに話すからだと思う」
「それに反応する江崎も江崎だけどね」
「…………」
「反応しないを選ばないで」
そんなこんなで、三十分。
冷蔵庫で冷やしたチョコレートはさっき作ったチョコの塊と違って、まろやかそうな見た目をしている。これは美味しそうだ。
「もうこれで完成でいいんじゃあない?」
「手間暇かけてる感が欲しいと言ったのはお前だろうが、手間暇かけるぞ。今から」
「めんどくさー」
「手を動かせ暇をかけろ」
「むぎぃ」
「このチョコが溶けてはいけないから、冷水に手をつけて、体温をさげるといいらしいぞ」
「今何月か分かってて話をしてる?」
「そして冷やすために用意した冷水がこちらです」
「なんでそれは用意してるの」
「レシピを見てるときに必要だと判断して、一番最初から用意していた」
「江崎、性格悪い」
「さあやれ、はやくやれ、即刻やれ、今すぐやれ」
「江崎が今までで一番いい笑顔浮かべてる!」
「てーまひまっ、てーまひまっ」
「ひぎぎぃ!」
冷水の中に手を突っ込んで奇声をあげている森永を見れただけでも、もう今日来たかいはあったかもしれない。
江崎はそんなことを考えながら、森永の手を冷や水の中に突っ込み続けた。
「うぅぅ、手の感覚がもはや残ってないよ」
「口を動かしてる暇があったら、手を動かせ」
コロコロと冷えたチョコレートを転がして形を整える。
そうして出来たチョコレートに、コーティング用のチョコレートをつける。
湯せんで溶けたチョコレートならば、手にひっついたりするように粘着性が強いから、それを利用してココアの粉をまぶしたりできるのだけれども、湯せんしてから暫く時間が経過していたコーティング用のチョコレートは冷えきっていて、粘着性というものがなくなっていた。
「……」
「やめろ、見るな。こっちを見るな。侮辱の目で僕を見るな」
「……」
「羨望の目でも見るな。そういう意味じゃあない」
結局手のひらの体温で溶けたのを見計らってコーティングするという面倒なひと手間をかけることになった。
手間暇。
こうしてトリュフは完成した。
「ふうん、へえ、これが豚が嗅ぎつける珍品か。チョコレートも自然にできたりするんだね」
「ごめん、そのネタを本当だと思っているとは思ってなかった」
「へえっ!?」
トリュフを指で挟むようにしてつまみながら、驚いたように振り返る森崎に、江崎は頭を抱えた。
いや、だって、冗談だとばかり。
「なんだ。珍品が食べれるのかと楽しみにしてたのに」
「これは謝る必要があるのかちょっと考えたけど、ないな」
「まあいいや。チョコだったらなんでも」
「さっそく食べてみるか?」
「そだねえ」
切り替えの早さはさすがだ。
バカは切り替えが早い。
森永が口の中にトリュフを放り込み、江崎もそれに続いて放り込んだ。
口の中にいれた途端チョコは溶けはじめ、口一杯にチョコの甘さが広がる。
とても今更な情報。
正直言うと江崎はチョコの甘さが苦手だった。
うげえ、という表情になる。
けれども、森永がつくろうと言いだしてつくりだしたチョコレートである。自分も一緒につくったとはいえ、製造者の前で「僕、あんまり好きじゃあないんだよな。チョコレート」というのも、どうも気が引ける。
だからせめて、うげえ、という表情をしないように気をつけながら、ついでに美味しそうな表情を取り繕う。
森永の方を見てみる。
彼女はココアの粉まみれになっている舌をだらんと垂らして、メチャクチャ嫌そうな表情をしている。
「なにこれ、粉っぽい! マズい! 食べずらい!!」
「てめえ、我慢して食べているやつの横でそんな素直に言うか普通」
「だって、ココアの粉がのどにっ! のどにっ!」
けほけほ、と森永はせき込みながら文句をつらつらと続けた。
チョコレートづくりは失敗に終わった。
江崎はあきれ顔で、彼女に水を渡す。ぐいっと一気に飲んだ彼女は「チョコの味がなくなった!」と業務用チョコレートの方をかじった。まだまだ量はあるし、どうするのかなとは思っていたが、すぐになくなりそうだ。
――僕は胃もたれしそうだから、絶対に食べないけどな。
想像しただけで、もう胃がむかむかしてきそうだ。
チョコをもっしゃもっしゃと食べている森永を見ながら表情をゆがめて、ついでに江崎は気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、どうしてチョコをつくろうと思ったんだ?」
「ん?」
チョコの塊を丸かじりしながら(なかなか野性的だ)、森永は首を傾げて、手元の歯形がついたチョコの塊と江崎の口を交互に見て「んー」と唸ってから。
「もう、目的は達成した感じかなあ」
と答えた。
なんだそりゃ。と江崎が言うと、森永はにこりと笑った。
「次はマシュマロとかクッキーとかつくろうよ。来月ぐらいにさ」
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