第35話 魔法学院編〜講師〜
街は約二十日もの間、動くものの気配が無いまま風のそよぐ風の音だけが聞こえる死の街と化していた。
とは言え街全体には死の匂いはしない。
人の動く気配の無い教会都市ハルテージは眠り続けた街の人々が散在している眠りの街として二十日近い時間をすごしていたにも関わらず、その光景は二十日前と何ら変わらない状態を維持していた。
病気が蔓延している様子も、雨曝しにされて朽ちた様子も、賊が街に侵入して荒らされた様子も認められない。
ただただひたすらに眠り続ける人々がそこかしこで倒れているだけだった。
普通ならばこの様な異変が街に起きれば盗賊の輩の格好の獲物になり、国は都市の異変を調査の為に派兵もしなくてはならない。
雨や強風などの天候による傷病者が出ていてもおかしくはない。
にも関わらず二十日もの間何事もなく以前と変わらない状態維持しているという事には外的要因が働いている事を意味している。
「マースの状態保存の魔法は滞りなく発動しているみたいだな」
ハルテージの街の様子をあらかた見て回ったラドル達一行はレナが寝食を過ごしていたリューディア神教会で今後の展開を模索していた。
「それにしてもマース君、対変温対物の魔法を掛けたとしか言ってなかったけどそれだけでこうも何事も無い様に出来るものかなぁ?」
ついにマースにまで君付けにしてしまったエティアはふとした疑問についてラドルに尋ねる。
「街全体を包み込むように結界が張られているな。それも多重結界だ」
「多重?」
「先程エティアさんが言っていた対変温対物だけでなく認識阻害に薄くではありますが対天候用の物理結界が張られているみたいです」
「都市全体が何事もなく長時間無事だったのはそのおかげというわけか」
常識はずれな結界の効力を口にすればする程その力の凄まじさを理解する。
教会都市全体を包み込む対変温対物に認識阻害の効果を付与した結界など普通の魔道士が100人規模で執り行う大儀式的魔術である。
それを個人単体で魔法儀式も行わずに同様の効果を発動する結界を張るなどまさに桁外れな力の行使である。
それを加味して出した結論にラドルは少し頭を悩ました。
「……まずいな、コレは俺でも手に余る結界だ」
「ええ⁉︎ラドル君だって神使でしょ?こぅバァーッと一発で解除できないの?」
「あいつは生粋の魔導師だからな。神から与えられる魔力の練度は俺以上だ。剣も魔法も使う俺は悪く言えば器用貧乏なんだよ」
「で、では……マース様を見つけて解呪魔法を施していただくしかないのでしょうか?」
レナが落胆の色を隠せないまま、ラドルを見つめる。
「……手が無いわけじゃないが……」
(リーグヴェインはどうなんですか?)
黙って聞いていた魔獣がラドルに念話で問いかけてくる。
(リーグヴェインが霧散化できるのは対象があってこそだ。完全に発動した魔法陣は大地に染み込んでマースの魔力が供給される限り無効化する事は出来ないし)
(出来ないし?)
(神剣は無闇に使う力じゃない。こいつらになるだけ見られる事は出来るだけ避けたい)
頑なに神剣の発現を固辞するラドル。
ではさてどうするか、と思索に耽ると。
目の前に魔法陣が展開された。
それを確認するよりも前にエティアとアスが身構える。
「これは?」
「情報思念伝達の設置型遅延魔法……マースか」
ラドルが魔法陣の構成からその効力を読み解くと陣内から見知った男が陽炎のように現われる。
『よぉーラドル。この魔法陣が発動したって事はお前がここに戻ってきたって事だよな?わざわざ俺の魔法の解除の為にごくろーさん!』
ガタッと剣を抜きたくなった。
誰のせいでここまでまた出戻ったのか、マースがこの場にいたら殴り続けてやる所だ。
『で、多分お前は今頭を抱えて困ってる事だと思う。
結界の強度が予想以上に強い事でよ。だがお前が発端なんだよ、これは。なんてったってお前のあの一言、俺のプライドにピーンと障ったんだよな』
あの一言?
何を言ったか記憶にない。
はて?と頭を傾げるもやはりマースを中傷するような事を言った覚えがない。
『言った覚えはないとか思ってるとしたらお前は酷い奴だよ。言ったはずだろ?万一の時はお前が魔法を解除するってよ。軽ぅく、事もなげによ』
それは言った。
確かに言った覚えがある。だがそれ位で臍を曲げたのならマースこそ器の小さい、器量の狭い男だと声を大にして言いたい。
『で、だ。これは俺の魔道士としての沽券に関わる問題だと思ってな。とびきり強力に、何層にも重ねがけした結界をさらに俺の魔力で強度を上げたから。解除できるならやってみやがれ!わははは!』
野郎……!っと剣を抜いて魔方陣ごと叩き斬ってやろうとするもエティアとレナに押し止められる。
ひとしきり笑い声が教会内に響き渡るとマースの映像が一息ついて言葉を続ける。
『……とまぁ、ここまで挑発されてもまだこの伝達魔法が続いているなら少しだけ手を差し伸べるのも吝かじゃない。一つだけ条件を飲んでくれさえすればこの魔方陣の消失とともに街の誘眠魔法も解除できる様になっている』
「条件?」
エティアとレナがラドルを見る。
アスはローグと共に無関心を決め込んで事の推移を見守っている。
そんな光景が流れているのも知らずにマースの映像はしたり顔で更に言葉を続ける。
『その条件とはーー』
ーーーーーーーーーー
眠りの街は覚醒した。
ラドル達はマースの遅延魔法による条件を飲むことを承諾した瞬間、解眠の魔法が教会都市全体に広がっていく。
パァッと光が都市を余さず包み込むと結界の消失とともに街の人々が1人、また1人ゆっくりと鈍った身体を起こす。
マース曰く寝心地最悪な場所で眠り続けていたせいか、何人かは身体のあちこちが痛んだ悲鳴は聞こえてきたもののほぼ無傷のまま無事街は覚醒した。
ただ一人、教会の前で死んだ大司祭を除いて。
だがイドラス神教はともかく、死んだバートルは信徒にも街人にも高圧的な態度で接していた為、その死に同情的な扱いはされなかった。
そして。
マースが出した提案とはーー。
ーーーーーーーーーー
「何故こうなった……」
ラドルは困惑しながらもついこぼしてしまった。
横に長い黒板の前にトントン拍子に話が進み思考がついて行けずに教壇の上に立つラドルはいつもの旅装ではなくどこかで見た講師套を羽織り片手には使い馴染んだ長剣ではなく魔法教本を手にしていた。
そして目の前には。
レンツェル魔法学院の高等科の生徒たちが学徒套を羽織り、階段状に設えられた長机に3人ずつ計20人がきっちりと着席していた。
見慣れない講師の登場に生徒たちはラドルの正体を見極めんとひそひそと花を咲かせたりじっと凝視する視線の集中砲火を投げかけてきた。
(……全く、勘弁してくれ……)
つい心の中で何度目かのぼやきをこぼす。
事の発端は先日に遡る。
リューディア神教会で突きつけられたマースの条件。
それは自分が居なくなった後のレンツェル魔法学院の講師の代役をして欲しい、との事だった。
それを聞いた一行は。
「私、まだ教えるようなレベルじゃないし私が習いたいくらいだよ」
「私はこの都市では司祭の地位にある為、講師などの国家員に就く事は出来ないのです」
「俺に聞くな」
と。
エティアもレナも、アスに至っては最初から除外されて当然とばかりに話に加わろうともしない。
そんな面子がジッと見つめる相手は一人しかいない。
「……俺はやらんぞ?」
「そんな!じゃあラドル君はこのままこの街が眠ったままでいいの?」
「だからと言って何故俺なんだ」
「ラドル様なら魔法に精通していますし……。幅広い知識をお持ちでいらっしゃいますから」
「まぁこの面子ならお前が一番妥当だろうな」
これを四面楚歌というのか。
八方塞がり孤立無縁。
この状況から逃れえる術は。
無かった事にする敵前逃亡だった。
背中を見せて立ち去ろうとしたその時。ラドルに対して鋼糸が飛んできた。
魔獣の身体から飛んできた鋼の糸はラドルの足元で突き刺さりその歩みを止める。
「ラドル、ここはひとつ一肌脱がないと先に進めないのでは?」
詮方ない言葉とは裏腹にその貌には醜悪極まりない出歯亀根性丸出しの笑みをニヤァ、と浮かべる魔獣がそこにいた。
「……あのな、俺は神滅者であり大罪人であり逃亡者なんだぞ?それが何が悲しくてここで足がつくような真似をしなくちゃならないんだ」
「ラドル君の足なんてとっくについてるじゃない。私に見つかる位だしザールベルクでも沢山の人に見られていて、最初から隠すつもりもないんでしょ?」
確かにこそこそと逃げ回るつもりはないし、先日のギルスとの契約が失効されていないならしばらくはバルカードからの追跡は緩まると見ている。
しかしそれでも自分の居場所が特定されるのは好ましくない。
旅をすると見せるからこそ追補が難しい利点がここに留まればそれらが全部ご破算になってしまう。
「もし、ラドル様ご自身のお立場が問題であるならば私が保証人として学院に名乗り出ます。ですので何とかご快諾頂けませんか?」
「名前が問題なら私の名前使ってもいいよ?ヴィルトム家の長男としていいんじゃない?」
「そうですね、お願いしてもよろしいですか?」
「あとは何があるかな?」
などといつの間にか本人を無視してどんどん物事が進んでいく。
蚊帳の外になったラドルが呆然としていると、煮え切らない態度に苛ついたのかローグが返答保留待ちで停止している魔法陣を勝手に再起動させてしまう。
「おい!何を……!」
「その契約、締結する。広域誘眠魔法の解除を求める」
『了解。助かったぜ、ラドル。まさか受けてくれるとは思わなかったよ』
いけしゃあしゃあとほざくマースの姿に怒りを覚えながら自分の意思じゃなくても起動しやがるのか、と思い至る。
恐らく自分が受けない事に駄々をこねてレナ辺りに説得されるのを織り込み済みでマースがローグに先んじて動くようにと通じていたに違いない。
とそこまで推測したのと同時に展開されていた伝達魔法から契約の証である呪紋がラドルの手に刻まれる。
するとたちまちマースの伝達魔法から新しい魔方陣がみるみる展開されていき、その規模は瞬く間に教会都市全体を包み込んでしまうと淡い光を放ちながら魔法陣が完成する。
「……ち」
苦虫を噛み潰したような表情で右手の甲に刻まれた呪紋を睨む。
その背後には軽く焦げた匂いを放つ魔獣が転がっている。
だがどんな過程であれ一度結ばれた魔術による契約は必ず履行されなければならない。それは神滅者であるラドルであってもハイリスクだからである。
そしてひらひらと2枚のスクロールがラドルの前に落ちてくるとそれを取って中身を確認する。
一つは魔法学院長に対する推薦状。
もう一つはこの契約に対しての内容だった。
一つ。呪紋を刻み込まれた被契約者は契約者マース・マルフェスの後任としてレンツェル魔法学院に講師として赴任する事。
一つ。この契約は締結されて30日間を効力としての期間とする。
一つ。この契約に対してマース・マルフェスのその立場全ての情報は秘匿とする。
一つ。契約期間途中の破棄は呪紋を刻まれた契約者の魂魄、精神、肉体に対して相応のリスクが発動する旨を前もって通達する。
一つ。以上をもって契約者と被契約者が交わされた本契約は為されたと見做す。
「本当に最低限の契約内容だな。だが……」
単純に要約すると30日間、つまり約ひと月の間マースの身の上を口外せずにレンツェル魔法学院で講師の真似事をしろ、という事か。
やれやれともはやこんな呪紋までつけられては観念するしかない、と肩を落とすとレナが優しく手を取って一言礼を口にする。
「申し訳ありません……貴方様にこのような印を刻ませてしまい……また大きな恩が出来てしまいました」
「気にしなくていい。俺が恩を売ったつもりがないんだ。お前もいつまでもそんな事に縛られるな」
「……はい」
「それに。今度奴に会ったらこの事を死ぬ程後悔させてやるだけだ」
それはほどほどに、一言告げるとレナの花貌に笑顔が戻る。
そんな二人のやり取りを見てエティアがアスにボソッと囁く。
「……ねぇ、やっぱりレナってさ」
「……さてな。だがあいつが無事で笑っていられるなら……俺はそれでいい」
「ふぅーん……」
そう言ってエティアはラドルとレナの姿を少し複雑な胸中に秘めたままじっと2人を見ている自分に何の疑問も感じないまま時だけが過ぎていった。
そのあと。
目覚めた街を見て回って大した異変も認められない事を確認し、教会都市が落ち着くまで約5日ほど掛かった後。改めて事情を魔法学院長であるフィリップ・ダンタージアスにレナから説明してもらうとこれも大した問題もなくラドルを講師としてあっさりと迎え入れ、マースの後任として高等科の中階クラスを受け持つ流れになった。
そして。
教壇に立つラドルは生徒たちをじっと見渡した後、魔法教本をパラパラと捲る。
一通り目を通したあと、パタンと小気味良い音を立てて教本を閉じる。
相変わらずラドルを品定めする好奇の視線は止むことはない。
(……いい加減腹を括るか)
そう心の中で決意すると改めて目の前で魔法を習得しようとする若者たちと向き合うように、講師机に手をかけて言い放つ。
「……今日からマース講師の後任として1ヶ月間、君達に魔法学を教示する事になったーーラドル・アレスフィアだ」
35話アップです!
さて今回から始まった新編「魔法学院編」がスタートです!ちょいと構成を考えていたら間が空いちゃいました(反省
第2章は1章とは少しテイストが変わりますが頑張りますので変わらない応援お願いします!
感想評価よろしくお願いしますね!
ではまた次回〜。