第34話 幕間〜疑念〜
「……そうか。ラドルの介入でクステルム平原の戦いは終結したか」
フェルアーザ城の執務室でローグからの報告を受けていたリカードは流麗な筆跡でサインをこなしていく。
ふぅ、と一息ついて秘書のアレサに渡すと次の書類を目の前に出される。
速読して目を通すとアレサに疑問を投げかける。
「アレサ、この書類にある区画整理の件なんだが……」
「何か?」
「整理規模に対して予算額が些か不十分だ。もう少し便宜を図ってやれ」
「畏まりました」
つき返された書類を不満なく受け取ると次の書類を提出する。がこれは半分も読まずに返された。
「何か不備が?」
「字が汚い。書き直させろ」
「御意」
そうやって次から次へと決裁書類をこなしていくリカードが全てを片付けるのに然程時間はかからなかった。
「お疲れ様でした」
リカードを労うと直ぐにお茶の用意に入るアレサ。
紅茶を待っている間にローグに質問しようと振り返る。
「ところでローグ、お前のその分身今どれ位どの範囲に広がっている?」
「今ですか?大体100体でこのベラシアス大陸全土に広がっています。ですが主意識はラドルに付かせている魔獣に集中していますから普段の諜報活動に支障がない程度くらいしか活動できていませんが」
「構わんよ、そのまま続けてくれ。だが何かあったら逐一報告してくれ」
「はい」
「お待たせ致しました」
カチャ、っと淹れたての温かい紅茶をリカードの前に供されたカップを手にすると。
ドガァァァァン‼︎
階下で突如爆発音が鳴り響く。
爆発の振動でもリカードは紅茶を零さない。しかし天井からの埃が紅茶に入ってしまうと、カップをソーサーに返す。
バタバタと扉の向こうが急に慌ただしくなる。
「摂政閣下!ご無事でありますか⁉︎」
「騒がしいぞ、何事だ」
前触れもなく荒々しく扉を開いて一人の兵士が報告に来る。
「はっ!じ、実は十星序列2位紅星のダルタニア様が場内の一角を爆破して飛び去って行かれました!」
「……なんだと?どういう事だ?」
その報告を耳にした瞬間、リカードの絶眸から普段の彼からは信じられない程の圧を、感じる。
その圧に気圧されたのか、兵士はまるで水の中にいるように体が重く、肺に空気を取り込めない程に緊張してしまっていた。
「はっ……じ、じつは、われ、われも……」
「リカード様、少々気勢が激しいかと。失礼致します」
パチン、とアレサが指を鳴らすとそれまで場を支配していた空気が一気に和らいだ。
ぷはぁっ、とようやく空気を吸えた兵士が改めて姿勢を正す。
「さぁもう楽になれたでしょう?報告の続きを」
「は。ですが我々もはっきりとした事は把握しきれていないのが現状でして。その場にいた者の話では調練中に急に険しい顔をしたかと思うと火球弾の魔法で調練場を破壊して飛んで行かれてしまった、と」
「……ふむ。ローグ」
「はい」
「ラドルは今どうしている?」
「は。ラドルは今また教会都市ハルテージに向かっています。眠りに落ちたかの都市を起こす為に」
ローグの報告にリカードは引っかかりを覚える。
「何故今更ラドルがハルテージに向かう必要がある?確かラドルはハルテージからクステルム平原に向かったのだろう?それをまたとんぼ返りとはアイツはなにをしている?」
「実はソルヴァレンスで連れ合いが増え、その者たちからの依頼がありまして」
「……何者だ?」
「フェニア教の武僧に傭兵の剣士、慈愛神の司祭の3名ですね」
あのラドルが同行を認めた人間が3人?
リカードは何か得体の知れない勘らしきモノを感じた。
基本的にリカードは自分の勘や直感といった根拠に乏しい不確定要素を頼みにする人間ではなかった。
だが今回はその彼の勘が彼の心をざわつかせた。
かつてない程に。
しかも恐らくダルタニアの出奔もそれに関わっているのだろう、十星将直属の上司であるリカードに何も言わずに飛び出す事はあり得ない。普段ならば。
「ローグ」
「はい」
「その3人を調べ上げろ。出自から経歴、家族など相関するもの全てをだ」
「全て……ですか。少々時間をいただきますが」
「構わん。だが見落としなく慎重にあたれ」
「御意」
そう言うと小鳥姿のローグは窓から空へ羽根を広げて飛び立つ。
「リカード様……?」
「……」
「あ、あの……?」
リカードの只ならぬ雰囲気にアレサは勿論、未だその場に立ち尽くす兵士も不穏を感じ取っていた。
アレサは「まだいたのか」と言葉を口にすると兵士は三度背を正して退室しようとする。
そんな兵士に向かって。
またパチンッと指を鳴らすと兵士の動きが止まる。
「今の話は貴方には関係無い。記憶に留める必要も無い。部屋を出たら報告した事実だけを残して全て忘れなさい。……いいですね?」
「……はい」
虚ろになった目をして兵士はそのまま退室する。
2人だけになった執務室。
少しの間、静寂が支配する空間は動くものも話すものもいない。
暫しの静寂の後、落ち着いた低い声でリカードはアレサに尋ねる。
「バルカードでアルメア王女が執り行った儀式は「降臨」の儀だったな……?」
「はい、そう聞き及んでおります」
「アレサ、フェニア神教総本山の内部を少し調べてくれ」
「……かしこまりました」
普段見せないリカードの顔。
未だにアレサにはリカードの危惧がどのようなものかは計りかねる。
しかもフェニア神教の内部偵察とは生半可な事ではない。
だがやらなければならない。
リカードには自分の及ぶべくもない深慮を張り巡らせているに違いない。
ならば自分のすべき事は。
全力を持って下された任務を全うする事。
そう思い直すとアレサは秘書の顔から十星将序列9位水星のアレサとしての将の貌になっていた。
そうして恭しく一礼するとアレサも執務室から退室する。
執務室に一人残ったリカードは執務机の背後にあるテラスに出て空を仰ぎ見る。
「神とは……本当に何処まで人を馬鹿にすれば気が済むのか。なぁ、アルフォンよ」
誰も聞こえない一人言をボソリと呟くとリカードは再び執務室に入り一人残された書類の山に目を落とした。
ーーーーーーーーーー
ラドル達4人と一匹の珍道中は始まったばかりですでに崩壊し始めていた。
「だから!ハルテージで寝ている人たちを起こさなきゃダメじゃない!」
エティアが吠える。
「だからと言って俺が何故それをしなくちゃいけない?マースが居たなら奴に頼めばよかっただろうに」
ラドルが流す。
「あの、ラドル様。私からもお願い致します。神使様たるマース様のお力は私たち一般の人間には解除出来ないのです」
レナが懇願する。
「あの野郎……神使だったのか。今度会ったら必ず一太刀浴びせてやる……!」
アスが渋面している。
こんな感じで協調性の欠片も見当たらない。
ラドルはそもそもハルテージにはあまり立ち寄りたくないと前から口にしていた。
教会の上層位の人間に自分の存在が明るみになればハルテージがクステルム以上の戦地になりかねないからだ。
しかも100近い教会それぞれから神使クラスが派遣されたらそれこそ現代版神位聖争となり一気に世界のバランスが崩れてしまう。
極論だがあり得ない話ではないだけに慎重を期さねばならない。
そうなっても負ける気はしないが間違いなくハルテージとその周囲三里四方は焦土と化す事は間違いない。
だのに。
このお気楽武僧とおどおど司祭はそこにまた行けという。
確かにマースがハルテージをそのままにしてその場を去ったのならば本当に永遠の眠りの都市になりかねないのは分かるがだからと言って全く気が乗らない。
だからラドルは一先ず断ろうとエティアに向き直ると。
「あのな、俺は……」
「どうしてそんなに意固地なの?ラドル君にしか出来ない事なんだから力を貸してくれたって……!」
「……エティア、何だそれは」
「?何って?」
「君は今俺を何と呼んだ?」
「え。ラドル君、って言った事?」
「だから何だそれは」
この神滅者の目の前の少女は世界の敵と怖れられるラドルに対してあろう事か友人の様に親しい感じで君付けで呼んできた。
先日還らずの森でも年端もいかない少女に聴きなれない呼び方をされて面映ゆい思いをしたがこれはその時以上である。
「……止めてくれないか。そんな風に呼ばれたのは本当にいつ頃からかもう記憶の遠い遥か彼方にしかない」
「えーだってラドル君ってまだ若いうちに神使になったんでしょ?絶対さん付けするほど年上じゃないし、監視対象に様付けじゃおかしいでしょ?だからと言って呼び捨てにするのは距離が近すぎる気がするし……消去法で行くとやっぱラドル君かなぁ、って」
そんなやり取りをはたから見ているアスとレナのコンビは複雑な表情をしている。
「怖いもの知らずって奴だな、アイツ……」
「そうかしら?ラドル様はお優しい方よ。少なくとも教会の教義で言われて来たような非道な方じゃないと思うわ」
「……お前はお前でアイツを様付けするんだな」
「それは仕方ないわ、あの方には大きな、返しきれない程の恩があるもの。それに……」
「それに、なんだ?」
「ううん。なんでもない……」
少し陰のある笑みを浮かべてレナはかぶりを振る。
そんな所は出会った時から変わらない。
あれは何年前だったか。
アスが剣を取って間もなくすぐに傭兵としてかり出された戦は大敗を喫した。
なんの戦いか、どこの国の戦いか、意味も意義も分からないままに戦いを始めてそして敗けた。
敗けて敗走兵となったアスは逃げに逃げる。三日三晩飲まず食わずに走りに走る。
剣は折れ、傷つき、体力も尽き。満身創痍でとある森に辿り着くとついに力尽きてその場に倒れた。
ああ、ここで死ぬのか、と目蓋を閉じて意識を失うと次にはもう目が醒める事のないように、と信じてもいない神に祈る。
だがその祈りは届かずに目は開いてしまった。
ーー気づきましたか?
その声のする方を横になりながら首を捻るとまだその頃は両の目が見えている小さな少女が自分を介抱しているのが見えた。
慣れてない手つきで自分を手当てしてくれたその少女がまるで天使のように見えた気がしたのは錯覚だったかもしれないが何故か涙が出たのは忘れられずにいる。
傷が癒えてもその地を離れても定期的に傭兵として稼いだ報酬を寄付という形で届けにハルテージを訪れていた。
しばらくすると少女の目が見えなくなっていた。
詳しくは聞かなかったがその時から影を落とした笑みを見せはじめ、次に求めたのは目を治せる司祭か医者だったが教会都市の他神教にはあまり協力的ではなく、違う土地からの協力者を探してまた旅に出て現在に至る。
「なぁレナ」
「ん?なぁに?」
相変わらず影はあるも柔らかい笑みで聞き返すレナ。
アスは少し照れた顔して、
「……良かったな、目が見えるようになって」
「……うん、ありがとう」
そんな付かず離れずの微妙な距離を2人はいつもの事として保っていく。
そんな2人の目の前には未だ喧々諤々している神滅者と自称監視者の武僧。
「じゃあ何て呼んで欲しいの?ラドル君としては」
いつもなら好きに呼べ、と突き放すのだが今回ばかりはそれが通用しない。
いつまでも帰ってこない返答に業を煮やしたエティアはじゃあ、と言わんばかりに次の提案を供する。
「私が呼び方の候補を言うからそれで選んでよ」
嫌な予感がする。
というか嫌な予感しかしない。
変な呼び方が出てくる位なら普通に呼び捨てにしてくれた方がいいのだが。
「えっと、じゃあね、『ラドルん』」
「却下だ」
「もぅ、それじゃあ『ラドちゃん』」
「却下だ!」
「えぇと、じゃあ……」
「分かった!普通に好きに呼べ!だから……そう言うのは止めてくれ……」
ついに折れたラドルが肩を落としてとぼとぼと歩を進める。
そんなラドルの背後からエティアが舌を出してグッと親指を立てて後方の2人にサインを送る。
「アイツ、すげぇな……」
「エティアさん……貴方としばらく旅を共にしてくれたんでしょう?貴方が他人と仲良くなれた、それだけでも彼女に感謝しなくては」
「……別に仲良くしたわけじゃない」
ふふっ、と笑うレナを見て少しの歯痒さのような靄が胸に残るも、だが今は。
全てが上手く進んでいると思い、久しぶりに自分が落ち着いているのが分かる。
今はそれでいい。
そう思って前の2人の後をついて行く死神と司祭だった。
魔獣は逡巡していた。
魔獣ビルキャスの幼体を操りリカードからの指令に頭を悩ました黄星のローグはこの和気藹々とした空気に戸惑っていた。
ローグがリカードに報告をしている時、その意識は魔獣から離れ、死んだように眠る事になってしまうのだが。
報告を終えて意識が魔獣に戻ると、寝床であるラドルのザック袋の中から外の声に耳を澄ませると。
なんだ、この緩みきった空気は。
出て行くになんだか出ていけない雰囲気にローグはやきもきしながらザック袋の中で身悶えるとラドルに袋の上から握り拳で殴られる。
そんな4人と一匹の珍道中は早くも崩壊し始めていたのを感じながら遠目から教会都市がまた。
見えて来た。
34話アップします!
ここから第2章がスタートします。
で、次回からは魔法学院編です。
どういう流れになるかはまだ構想中ですがよろしくお願い致します!
感想評価も合わせてよろしくお願い致します!
では、また次回〜。