第28話 邂逅編〜月光〜
今回やたら長くなってしまいました。
テキスト量が今までの倍くらいに。
ほんと、すいません_| ̄|○
夜の無音にしん、と鎮まりかえる教会都市。
厳格名高いこの都市にも数少なくではあるが歓楽施設とも言える場所が存在する。
暗い街中にぽつんと灯りが灯る店。
その中から一日の労働から解放された男たちで賑わう場所。
酒と料理の匂いで充満するそこは大きくはないが酒場というに相応しい佇まいをしている。
多くの男たちが騒ぐ中一人カウンターで酒を傾ける魔法学院の講師套。
ふぅ、と飲み干した杯を卓に置くと席を立つ。
それを見た男の一人が声を掛ける。
「なんだ、マース先生よ。もう終わりか?」
「……今日の酒は不味いわ。じゃあな」
そのまま酒場を出ようとすると店主から声が掛かる。
「……先生よ、ツケが貯まってますよ?いつ支払ってくれるんで?」
「悪いな、マスター?いくらくらいだっけか?」
「3万ガルドですが……払えるんで⁉︎」
「無理!じゃあな!」
と、脱兎の如く逃げるように酒場を出て行くマース。
「あ!マース先生!…たく。また逃げられたか」
「わはは。マスター、諦めろよ。先生がツケを払った事があったかよ」
「冗談じゃねぇ。最初は魔法学院の講師だから大目に見てきたが……いい加減支払ってもらわねぇとこっちが首くくる羽目になりかねねぇ」
ぼやきながら今日の飲み代を新しく帳簿に追記する店主。
「……しかし魔法学院の講師ってそんなに安月給か?結構稼いでるはずだがな」
「さてな。だが魔法学院にいつの間にかいていつの間にか街に馴染んでいたな。不思議な先生だよ、全く……」
酒場の男たちが噂しているその時、件の人物は酔えぬ頭を抱えながら夜風に吹かれて家路についていた。
「ったくよ……このマース・マルフェスともあろう男が金なんかに執着するとはな……。マジでやってられねぇ……ん?」
ぶつぶつと一人ごちていると通りの向こう側から見覚えのある影がこちらに向かって歩いてくる。
しかしその影は自分が知っている男にしてはおおよそ似つかわしくない人物を伴っていた。
その影に向かって酔えない苛立ちをぶつけるように一言皮肉交じりに声を掛ける。
「よぅ、春の過ぎたジジイでも女遊びは止められないと見える。で?何をしてきたんだ?ラドル・ファーク殿…ってか?ははは」
マースの言葉にラドルの視線が鋭くなる。
ともすればその視線だけで人を殺せそうなほどに。
だが挑発した本人はどこ吹く風で受け流す。
「そんな怖い顔するなって。悪かった、謝る」
「その名で呼ぶな。誰がどこで聞いているか分からん」
「そう言ってもう聞かれているじゃねぇか、なぁお嬢さん……ってアンタ、リューディア教の司祭さまじゃねぇか。おい、本当に何があった?」
憔悴しきった様子のレナを見やった後、ラドルに事の経緯を求める。
「……何があった、というより何かが起きている、というべきだな」
ちら、と肩も腰も落ちてしまっているレナを見下ろしながらラドルは先にあった事を語り始める。
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「ーー助けが、欲しいか?」
孤月の光に照らされた鈍色の剣が怪しく光る。
ゆっくりと前に歩みを進めると腕を斬られた男がなおも抵抗しようと飛ばされた腕が握っていた剣を取りラドルに向かっていく。
裂帛の気合いを叫びながら。
激痛に耐えながら。
一足一刀の間合いまで詰めたその時。
鈍色の光が閃く。
「ぐあああああっ‼︎」
男の剣が円を描いて残った腕ごと石畳に突き刺さり、両腕を無くした男はその場に膝から崩れ落ちた。
ラドルの剣に紅い雫がポタリと滴っている。
「その戦意は認めるが相手が悪すぎたな。さて…死ぬか?」
「あ…待って下さい!」
ラドルの殺害予告を制止したのは誰あろう、命を狙われた本人であるレナだった。
わたわたと前のめりになりながら慌ててラドルの前に割って入る。
「……何の真似だ?お前がこいつらに命を狙われていたんじゃないのか?」
「そ、そうですが!いけません!無闇な殺生は私には見逃せません!命に優劣はないのですから!」
そう言うやいなや手探りで賊たる男に近寄り、止血の魔法をかける。
『ルー・レア・ルー・テラーク 流れ行く命の脈動は我が声に従い留まり停滞せよ 血抑粒光』
柔らかい青い光が男の流血を押し留める。
その様子を見て、ラドルはレナの法衣に刺繍された菘に杖の徽章から慈愛神リューディア神教信者と知ると成程これが慈愛神の教えか、とある意味蔑む視線をレナに投げかけた。
いつの間にか姿を消したもう一人の賊の気配が消えたのを確認してから剣を収めると激痛で気を失った男を背負おうとするレナに一言告げる。
「お前は…自分の命はおろか、命そのものを軽く見ているんだな」
「……え?」
ラドルの言葉が理解出来なかった。
誰も死んでほしくない、命をなくさせたくない。
その思いを行動にしているだけなのに。
その真意を問うように顔を上げて見えない目でラドルを見上げる。
「……まぁいい。その男はここに置いていけ。放っておけばこいつの仲間が回収する。で?お前は誰で何故追われているんだ?」
「私は……レナ。リューディア神教の司祭職にある者です」
簡単に名乗り、ラドルに事の顛末を話す。
自分は目が見えない事、今日の豊穣祭の寄進物を魔法学院に届けようとした事、そこでイドラス神教の陰謀を聞いた事を。
「……イドラス神教か。また面倒な連中が動いたな。あの時立ち直れないくらいに打ちのめした筈だがな」
「え?」
ラドルの口から剣呑極まりない言葉に絶句する。
聞き違いか、とつい会話を望んでしまう。
「あ、あの…貴方様は……?」
「俺はラドルだ。……旅をしている」
つい先ほどの言葉が失言だったと口ごもる。
以前イドラス神教の神使と一悶着あった時に総本山ごと燃やし尽くした過去があった。
まぁそれも160年も昔の話だと記憶の片隅においやってしまっていたのだが。
その頃からイドラス神教とは相性が悪いと自覚はしていたがここに来てまたか、と嫌気が指した。
「しかし……目も見えていない我儘な司祭さまはこれからどうしたいんだ?」
「どうと言われますと…勿論阻止しなくてはなりません!人格人権を無視した信仰などあってはなりません!」
「……となるとアイツの出番か」
そう言って頭に浮かんだ人物は昼頃金の無心をしてきた男の顔だった。
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「ーーというわけだ」
場所を教会の礼拝堂に移し、簡単にかいつまんで説明を終える。
「というわけだ、ってオマエ、俺にどうしろって言うんだ?」
「なんとかしろ」
「なんとかしろって……丸投げにも程があるだろ」
「とは言え俺はもうここを立ち去る。この地に残るお前がどうにかするべきだろう?」
この地を守る。
正直そんな柄じゃないとマースは考える。
自分は金策を立てないといけない。
やるべき事をやらなければ……とそこで一つ手を思いつく。
「何をやってもいいんだな?」
と念押しする。
「別に構わん。だが殺しはなしだ、この司祭さまがいい顔をしないからな」
「問題ない。だが条件がある」
「金か」
「ご明察。いくら払える?司祭さまよ」
「……え?お、お金……ですか?私たちは信者たちの善意の寄付寄進でやりくりする教会ですので……そんなに多く払えはしませんが……」
「ち、しけてんな。ラドル、お前からでもいいぞ?」
下卑た薄笑いを見せるマースはラドルに振るとふぅ、と腰のザックから一匹の魔獣を取り出す。
眠っているのか、死んだように動かないその魔獣はぴくりともしない。
「なんだ⁉︎こいつ魔獣じゃねぇか。こいつを売れってか?」
「いやコイツじゃない。……こいつだ」
ゴトっと鉱石らしき拳大の石を取り出すとマースが目を丸くする。
「……魔石か?しかもこいつは……特級ランク、超高濃度純魔力含有石。こいつ一つで豪邸が建つぞ?お前こんなのどこで手に入れたんだ?」
「還らずの森だ。ちょっと野暮用で立ち寄った時に見つけた。そいつでよければくれてやるさ」
「い、いけません!そんな高価な物……私が支払うべき担保をあなたにお出しいただくなど……」
マースの魔石鑑定に驚いたレナはラドルに担保提供の撤回を訴える。
しかしラドルはレナに対して冷ややかな視線で答える。
「じゃあお前は何が出来る?目も見えない、敵も殺せない。自分の希望だけを他人に押し付けるだけなら子供でもできる」
「それは……」
「勘違いしないでくれ。俺はこいつでお前という担保を頂いたんだ。言うなればお前を買ったと言っていい」
「……え?」
またラドルの言葉が理解できない。
買った?
私を?
物のように扱われた事に異議を申し立てようにもこんな急展開に思考が追いつかない。
そんなやり取りを横目にマースは商談成立と言わんばかりに魔石を懐に入れる。
「よし、じゃあいくか!俺様の広域展開魔法の美しさをとくと見やがれ!」
1人は盲目で見えていないがな、とツッコミを心の中でしつつマースの魔法詠唱を見届ける。
『閉ざすは思念 眠るは意識 絶えるは記憶 解離する肉の器に深層の信仰は見えざる水面の如く悉く堕ちよ 高き霊性は高き処に 低き幽性は低き処に 万象は万象へと理の円環に返し思し召せ 黒霧誘眠波動』
美しい魔力の波動が教会だけでなくハルテージ一杯に展開された魔方陣内に響く。
同時に大地に刻まれた魔法陣から広範囲に黒い霧が発生する。
「これは……?」
レナが黒い霧を吸い込むと視界がぐらりと揺れる。
急激に襲われた睡魔にかぶりを振って抵抗するも思考が溶けるように心地よい感覚に委ねてしまいそうになるその時。
『解眠』
急に脳に掛けられていた靄がラドルの言葉で晴れる。
ふわっと前髪が揺れて額に触れる感触を感じたと思ったら先程の睡魔が嘘のように散り消えていく。
「大丈夫か?勝手に眠られても困る」
レナは唐突に理解した。
この身で受けたマースの魔力の強大さを。
街ごと強制的に眠りに落とすこの魔法の広大さを。
そして。
その強大な誘眠魔法を詠唱破棄した単一系解呪魔法で解除したラドルの魔法介入能力を。
どちらも尋常ならざる力の持ち主である事を。
背筋に冷たい汗が走るのを感じる。
そんな2人を前にして出た言葉は。
「あ、貴方たちは……一体何者なのですか……?」
レナの問いかけににやりと笑うマースに対して相変わらず無関心を貫くラドル。
「俺たちはーー」
マースが得意満面にレナに言葉を返そうとした時、ラドルが手を出して制止する。
「そいつは後にしろ。ーー客が来たぞ。招かれざる客だがな」
ハッと気づくと礼拝堂と前室を隔てている扉の手前がまるで蜃気楼のようにゆらりと歪む。
扉は閉まったまま。開いた形跡はない。
空間の揺らぎから次第に形作られて行く影はやがて人のカタチをなしていく。
「この魔力、覚えがあると思えばやはり貴方たちでしたか」
空間転移で現れたのは長身の剣士。
鋭い顔貌は隙もなく、しかし余裕のある笑みを浮かべている。
その余裕ぶりが気にくわないマースは皮肉でかえす。
「何をしに来たんだよ、茶は出せねぇぞ?」
「別にお構いなく。さて、先に用を済ませたいのですが?」
「俺たちはテメェに用はないんだがな」
「まぁそう言わずに。というか僕の用など分かっていらっしゃるでしょう?」
手を広げてニコニコとマースに無防備に近づいて行く。
警戒を上げて剣士を威嚇するように手を前に突き出して魔力を集中させる。
「それ以上近寄るな。イドラス神教神使代行フォルド・エーゼルハイン」
神使代行。
各神教に1人存在する神使は時としてその座が空位になる時がある。
その理由は様々だがそんな時にその席を埋める臨時権職。
それが神使代行である。
「やだなぁ、さすがにこの僕が神使代行と言っても貴方たちに対して剣呑な考えは持てませんよ。ねぇ、理神ドークル神教神使マース・マルフェスさんに邪教の神使ラドル・アレスフィアさん」
「……⁉︎邪教の神使……?では…貴方は……神滅者……?」
レナは絶句した。
不意な言葉を理解すると身体が急に震えだす。
だから。
だからあれ程までに人を冷酷に斬り捨てられたのか、と妙に納得してしまう。
身体が頭が理性が恐怖に支配されていく。
慈愛神リューディアも神滅者に対しては信徒に警告を促している。
だがレナは目の前の男に助けられた。
自分の命を助けた人物に対してそれは女神の教えに反する。
ーー施された恩は忘れてはならない。
恐怖よりも教義。
レナの生来の実直な性分が恐怖に屈する事を良しとしない。
震える足を奮い立たせ何とか立ち上がるとフォルドの前に立ちはだかる。
その姿を見たフォルドは一つの謎が解けたと笑みを湛えた。
「そうか、君だね?バートルさんの人避けの結界に引っかからなかったのは。人避けの結界は視覚から干渉する術式だからね、目が見えない人間には効果が期待できない。……ホント、詰めが甘い」
「……お聞きしたいことがごさいます!神使代行様」
「ん?なにかな?」
「何故……貴教団は……洗脳魔法で強制的改宗などという暴挙を行うのですか⁉︎」
フォルドはレナの問いに目を丸くする。
想定外な質問だったかのか、間をおいてつい吹き出してしまう。
「あはは。そんな事か」
「な、何がおかしいのですか!それにそんな事ではありません!」
「だったらさ、その文句は僕にじゃなくて君の後ろでつっ立っている邪神の神使さまに言ってよ。今回の件はひとえにその人が端を発してるんだからさ」
「え……?」
「今から約160年ほど昔ラドルさんは我が神教と喧嘩してね、結果ラドルさんの手によって総本山もろとも焼き払われたのさ。それでイドラス神教の株は大暴落。信徒は激減。権勢も奮わない。聞いた事あるでしょ?」
「……ミルダシアの悲劇……!でもあれは魔法技術の急速進化による大爆発だって……」
「まさか軍神イドラスの総本山が神滅者に敗けて焼き払われたなんて発表できるワケないでしょー?先代の神使ヴァレス様は殺す。教皇リプリス様は再起不能。
信徒2万6317人を焼き殺す。ほーんと、邪神の神滅者の名は伊達じゃないね?ラドルさん?」
「黙れ‼︎」
ブァッと一陣の風が巻き起こったかと思うとフォルドは大きく後ろに跳びのいて吶喊したラドルの一撃を躱す。
その手には黒い神剣が握られている。
「あっぶねーー。いきなりリーグヴェインなんてちょっと大人気ないんじゃないですか?」
「喧嘩なら買ってやるさ。釣りはいらんぞ?」
「まさか。貴方と闘ってタダで済むわけないじゃないですか。ここは逃げの一手ですよ」
そう言うと現れた時と同じように空間が揺らぎその姿が消え始める。
薄れゆく姿で最後に一言付け加える。
「ああ、そうそう。用事忘れてました。本来ならこの誘眠魔法の発動者を片付けるつもりでしたが貴方たちじゃ遂行不可能ですから。今回はこっちが引きますよ。教皇様にはそうお伝えしますから」
「待て!一つだけ教えろ。今の教皇はリプリスと同じ思想派なのか?」
「……さぁて?僕は言われた事を伝えるだけの使者に過ぎませんから。……ですが」
今まで不敵に浮かべていた笑みを消して神使2人に対して尊大に言い放つ。
「今度闘う時は万全の状態の貴方を滅します。忌々しいその神剣も叩き折ってくれますからお覚悟を……!」
明確な殺意を発してラドルとマースを睨みながらやがて完全にその姿も気配も消える。
嵐が過ぎ去った後のように礼拝堂に静寂が戻る。
「ちっ。なんか面倒くさいことになりそうだな」
マースが一言ぼやくとレナが恐る恐る口を開く。
「あの……ラドル様……。貴方は本当にあの……?」
「……まぁ概ね間違っちゃいない。だがこれでいよいよお前はここに居れなくなったな」
「そうだな。ここに残れば必ずイドラス神教はお前さんを狙う」
「……そうですね。ですが……私は見ての通り目が見えません。きっと足を引っ張ってしまいます……」
しゅん、と萎れた花のように俯いてしまう。
そんなレナを見てラドルは膝をついてレナの顔を覗きこむ。
ラドルの息遣いが聞こえる程までに顔が近い事に気付き慌てて離れようとするも肩を掴まれそれ以上の逃亡を許さない。
「あああああの?ラ、ラドル様?な、なにを?」
閉じた目蓋を指でなぞるように触れる。
「やはり……これは呪術による視覚閉感術だな。目が見えなくなった原因はなんだ?」
「!そ、それは……」
「最初に会った時から不思議に思っていた。その身に攻撃的魔法資質を秘めているにも関わらず、自分の身も守らない。だが敵を助けようとする。まるで自分の命そのものを軽く見ているかのように」
「……これは私の罰なんです。母をこの手で殺めた私の……罰」
ぽつりぽつりと一言一言小さく語り出す。
「……私の母は闇と呪術の女神ローベナの信者でした。その魔法の才能を見込まれてとある魔法研究所で研究者として日々を費やしていたのですが、ある日から母は壊れていきました…。私を殺そうとする程に」
「壊れた?」
「……恐らく呪術の過剰行使による反動症だろう。呪術は対象に与えるダメージもでかいがそれが破られたり返された時のリスクも半端ないからな」
マースが一言解説を付け加える。
呪術は魔法とは違い、人間にのみ発動される魔道現象である。
相手を呪殺したり、身体的不能にしたり、強制的に従わせたりと他人を術者の意のままに操る性質傾向がある。
「……母は私が幼い頃からおまじないと言ってずっと私に呪術を試してきたのですが……ある日ついに母は私を呼ぶと急に私の首を締めて来ました。憎い、悔しい、悲しい。そう叫びながら。人の心を無くした瞳をして私を殺そうとした時の顔は今も目蓋の裏に焼きついています……」
ぱたぱたっとレナの閉じた目蓋から涙が零れる。
ラドルとマースは黙って聞いている。
いつの間にか傍らの魔獣がくぁっと欠伸をしながら目を開けていた。
「……私は必死に抗おうとして近くにあったナイフで……母を、この手で殺めてしまいました……。その時、私の両の目に激痛が走りました。母はその身にも呪術を施していたのです。その身を害そうとした者に何がしかの障害が現れるような、そんな術を。せめてもの救いと思えるのは最後に見た母は血溜まりの中で笑って死んだように見えた事でしょう」
「おかしいですね」
「おかしいな」
先ほど目を覚ました魔獣がいきなり否定の言葉を発するとマースもそれに同意する。
いきなり魔獣が言葉を口にした事には驚きもせず。
「俺も呪術は少しかじってましてね、この魔獣操作もその応用なのですが……まぁそれは置いておいて。呪術はそんなに甘くはない。考えてもみて下さい。自分を殺そうとした相手に呪術を施したとしても自分が死んでは意味がない。真実は多分逆なのではないのですか?」
「……逆?」
意味が理解できないレナは鸚鵡返しで聞き返す。
「ここからは俺の憶測ですが……母上は貴女を殺そうとしたのではなく、貴女に施した呪術で死にたかったのではないのでしょうか?」
母が死にたかった?
今まで考えた事もない切り口だった。
自分の感情が徐々に震えていくのがわかる。
その様を見たラドルは一つの事実を告げた。
「……多分お前には自分の身が危険に追い込まれると相手を呪殺する術式が施されている。お前を襲ったあの男。最初に奴の腕を飛ばしたのは俺じゃない。お前の悲鳴で俺はあの場に行った。タイミング的に奴の腕を飛ばしたのはお前だと思っていたんだ」
その言葉を聞いて先のラドルの言葉の意味を理解した。
ーー自分の命はおろか、命そのものを軽く見ているんだなーー
自分の命を守れない、傷ついた敵を助ける。
しかも自分が傷つけた相手を。
命を簡単に助けられる。そんな傲慢があるからそんな行為ができる。
他人からすれば命を軽く扱っているようにも見えた。
「で、ではこの目は?何故見えなくなったのですか?母の死が原因ではないなら何故?」
自分の身に危機が及ぶと相手を害する。
ならばこの見えなくなった目の術式起源は?
新しく浮かんだ謎を問いただす。
「きっと母上が無くなった死因が呪術ではなく貴女の手で「直接」死んだ為に発動しかけた術の余韻が行き場を失い貴女に返ったのでしょう。術式が十全に発動した後の反動ならば貴女も一緒に死んでいた筈です」
「壊れた心によって止まらない呪術への非道な欲求。だから母親は死にたかった。だが……結果はどうあれ、その呪術はアンタを守る為のものだ」
ローグとマースの言葉がレナの心を揺さぶる。
自分が殺した結果は変わらない。
だが同時に。
母の愛情を知り母の願いは叶えられた。
だからこそ。
閉じた目蓋を押し出すように涙が後から後から溢れてくる。
結んだ口から堤を切るように言葉が流れ出す。
「……ごめんなさい…お母さん……!ありがとう……!」
ラドルはレナが滂沱する姿を見て神剣を握る右手に力が篭る。
「お、おい?」
「偽りの罪に罰は不要だ。きっと母親はそれを望んでいる。そう思わないか?」
「……え?」
反応の鈍いレナの言葉を待たずに神剣でレナの両目を真一文字に斬る。
すると。
キィン!と甲高い亀裂音と共にレナの身から紫暗色の霧が浮かんで消えた。
その霧はあたかも醜い悪魔の様にも見えた。
「これは……?」
痛みは無い。
何が起きたか分からない。
だが。
両目に纏わりつくような感覚が急に消えた。
恐る恐る目蓋を開く。
十数年振りに両目に飛び込んできた外界の景色。
優しい月が微笑んだかのような柔らかい月光をその身に浴びるとまた、大粒の涙がポロポロと流れ出す。
「これは……奇跡ですか?私は……!」
「奇跡じゃない。あるべき姿に戻っただけだ。お前の光はこれからお前を離さない……死がお前を覆うその時まで」
涙は零れる。
しかしそれは朝露に湿る花のように。
レナに静かに咲き綻ぶ花の如き笑みが戻った。
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新しい朝が来た。
朝の木漏れ日でゆっくりと目を開ける。
林道から外れた脇にある樹々に囲まれた空き地で眠っていた私の傍には私を長い夢から目覚めさせてくれた蒼い髪の人とそれに付き従う魔獣が一匹。
あれから私はすぐにこの方と道を同じくすると決めたが不思議と迷いはなかった。
ハルテージを出る時はまだ皆何が起きたかわからないまま眠りについていた。
その中には私を慕うロイもまた机に伏して眠っていた。
そっと撫でるとううん、と生きている証を発する。
目が覚めたら私がいない事に怒るだろうか。それとも泣くだろうか。
どちらにしろ、怒鳴られる事は請け合いだ。
ラドル様と旅に出る時にはマース様はすでに姿をくらましていた。
ラドル様曰く、「ケリをつけに行ったんだろう」との事。然程心配はしていなかったように見える。
まぁ神使たるマース様の心配を私がするなど烏滸がましい。
私は母親殺しだ。
だが私はその罪から逃げない。背負うと決めた。
いつか自分の罪を贖う。
その為にこの人と旅に出る。
ハルテージを出て2日。
まだ眠る新しい主人とも言うべき方に跪いて手を合わせる。
ーー我が母たる女神よ、この方を助け許す一助になる事を許し給えーー
その日から私の新しい日課が、出来た。
というわけで28話目アップしました!
もぉ、なんていうか。長くなりました。
1万字近く書いたので過去最長です。
もう1話に分けようかとも思いましたが…変に区切ると中途半端な字数になりそうだったので強行突破しました。
さてレナが加わりこれでようやく主要メンバーが出揃った感じです。
次回は異伝として短編を挟む予定です。
ほんっとすいません_| ̄|○
感想評価お待ちしております!
ではまた次回〜。