こもれびの囁き
「こんなところにいらっしゃたんですか」
気がつくと、公園の腰掛けに座っていた。大きな銀杏の小さな木陰。遠くの砂場で女の子が数人、砂山を作っているのが見える。その他には人影はなく、公園入り口の隣にあるブランコは無人のままふらふらと揺れている。
「おばあちゃん、お外に出るときは声をかけてくださいって、いつも言ってるでしょう」
右側から聞き慣れた声が聞こえる。いつのまにか由佳子さんが隣に座っていた。そういえば数年前から一緒に暮らしているのだった。群青色の羽織りにエプロンと、夕飯の支度の途中で外に飛び出してきたような恰好。まだ何事か口が動いているが、よく聞き取れない。こういうときは笑顔でうなずいておくにかぎる。由佳子さんの眉と目は迷惑そうに、でも悲しそうに垂れ下がっている。由佳子さんの顔から手に視線を落とすと、すらりとした細い指。その薬指に鈍い銀色をした指輪が馴染んでいる。息子が選んだ人。息子が贈った指輪。
ふと自分の左手に目を向ける。由佳子さんとそっくりのすらりとした、でもしわくちゃに縮んだ指が見える。その薬指には、半世紀ほど前におじいさんが私にくれた木彫りの指輪が巻きついている。あの時のおじいさんは素敵だった。意思の強い太いまゆ、不器用な一重まぶた、無骨なほお骨。外見からして嘘をつけない人。
気がつくと、目の前には由佳子さんではなく、おじいさんがいた。おじいさんといっても若い頃のおじいさん。おじいさんは恥ずかしそうな顔で、でも堂々と、私のすらりとした皺のない左手をつかんで、木の輪っかに薬指を通してくれた。ほとんど泣きそうになった。木彫りの指輪とおじいさんの顔を交互に見た。心臓が早鐘を打っていた。それから自然と顔がほころび、もう笑顔しか表情を作れないのではないかと心配になるくらい笑顔しかできなかった。次の日も。その次の日も。おじいさんと私は映し鏡のように微笑みあった。私が微笑むからおじいさんは笑っていたのだと思う。おじいさんが笑うから、私ももっと笑顔になった。
ーいつまでも、一緒にいてくれるか?
ーいつまでも、一緒にいてもらえるの?
そしておじいさんは死んだ。小笠原諸島の小さな島で、アメリカ兵に火炎放射器で焼かれたのだそうだ。戻ってきたおじいさんは、もうおじいさんの形はしていなかった。
***
気がつくと、目の前には穏やかな顔をした由佳子さんがいた。砂場の子供たちはいつのまにかいなくなっていた。遠くでからすが鳴いている。
「そろそろ夕飯の支度ができますから、一緒におうちに帰りましょうね」
重い腰をあげるとおじいさんが手を取ってくれた。そして、あの言問いが繰り返される。
いつまでも。
いつまでも。