落ちた妖怪
青々と広がる空、雲一つなく風はゆるやかに流れていてまさに晴れというのを表現するにふさわしい天気である。そんな空の下で男はくわえた煙草を地面に落とし靴でふみ火を消す。
どうやらこの男に喫煙マナーというものはあまりないようだ。
その男に向けられている鈍く光るいくつかの銃口。携帯用の拳銃であり目的は生物の殺傷に用いられる道具であり、決して平和のために作られた道具ではない。これを模倣した玩具などはまた別だが男に向けられているものは間違いなく本物の拳銃である。
「神楽イツキ! 貴様は包囲されている! おとなしく投降しろ!」
男───神楽イツキと呼ばれた男は面倒臭そうに銃口を向け自分にそう言い放った人物へと視線を向けた。
その表情に焦りの色は一切なくむしろけだるげな顔つきである。普通このような状況になれば命の危険を感じるはずなのだがイツキからはむしろ憐みの表情すら浮かんでいる。
そしてそれを示すかのように銃口を向けている人物たちからは怯えや焦りが見て取れる。
銃口を向けている人物たちが怯えており、銃口を向けられている人物が何事もなくたたずんでいるというのは明らかに矛盾している。
「あんたがたも仕事なんだろうけどさ……いやはや公務員って思ったより辛い仕事だったりするの?」
イツキが言うように彼らは強盗や武装テロ組織ではなく立派な公務員である。しかも日本の治安を守っているお巡りさんという肩書をもつ人物たちだ。
「いいから投降してくれ……頼むよ。あんたに……いやあんたがたに勝手に出歩かれると俺どころかお偉いさんの首まで飛びかねないんだ」
まるで懇願するような言い方である。これではどちらが追い詰めているのかわかったものではない。イツキは少々あわれに思えてきた。別に投降しても大してデメリットはない。少々お説教を食らってそれで終わりである。
では、なぜその程度で終わるような事柄がこのような拳銃を向けて包囲するという騒ぎにまで発展したのか、それはこの包囲されている男───神楽イツキが妖怪だからである。
種類は鎌鼬。昔から日本に生息し、もっとも一般的な妖怪の一種ともいえる妖怪である。
自分達の縄張りに入った人間を三匹一組で転ばし、傷つけ、薬を塗り、ここは自分達の縄張りだから大人しく去れと人間に警告し、警告された人間もそれに従いその場から立ち去るというのが昔からの人と鎌鼬の暗黙の了解であったが、近年科学の力で急速に発展を遂げたこの国ではもはやそのような了解は通用せず、住むところは奪われ各地を放浪していた。
最近……といっても約20年位前からだが、迷信だと思われた妖怪が存在したという事が発見され最初は危険視していたが、観察などしているうちに彼らには人との敵対意思はなく、むしろ人に溶け込んで生活しているものが多いという事がわかり下手に事を荒立てるよりはこちらから和解を示したほうがいいという意見が国として決定された。
もちろんそこに行くまでにはさまざまな議論が行われた。研究所に監禁し解剖実験など行い徹底的に研究すべきだ。彼らは妖怪であり人間ではないので人権など考慮する必要がない。などという過激な意見から、妖怪ショーなど行って我が国の文化の一端として活躍してもらうのはどうだろう? 海外から様々なお客さんを呼べるし、日本経済も潤う。ペットとして売り出すのも悪くはないな。うまく配合すれば新種の妖怪が出来上がるかもしれない。というようななんともはや嬉しい意見など、むしろこうした意見のほうが多く当初はそのように動いていたのだが、彼らは妖怪の力を甘く見すぎていた
人の精神まで凍りつかせ活動を停止させる雪女。人に取りつき様々ないたずらをする小鬼。そしてかつて人を恐れさせた鬼達の強力。あらゆる生命体の天敵である火を操る鬼火。自動車などに取りつきあちらこちらで交通事故をおこした輪入道。様々な妖怪がそうした人間達に反旗を翻し、死者が出ない程度にやんわりと忠告したのだ。
我らは人とともに生きると決めたのに人がそれを拒むのであれば容赦はしないと。
極めつけは妖怪の中の大妖怪である金毛九尾の眩惑である。国のトップを占めるお偉方が九尾の眩惑にかかり政治が一時めちゃくちゃになったのだ。下手をすれば戦争が起きる可能性すらあるくらいの危険性すら伴っていて正気に戻った彼らは自分達の能力をフルに発揮してなんとか政治を建て直し各国とのラインもうまくつなげたがもう一度やれと言われて絶対にできないだろう。
そうした事柄を経て彼らは、これは無理だと判断したが、そうした危険を野放しに出来ないのもまた人という種である。日本という国があり、そこに人が住んでいるのであれば、彼らの安全を守るのが国の役目である。妖怪たちがいつ力なき人々に襲い掛かるかわからない。
いくつかの妖怪の種族の長たちとなんとか会談の場を設けせめてある程度は監視させてくれと丁重に頼んだところ妖怪の長たちからこのような提案がなされた。
それは妖怪の住む街を新たに作ることである。その提案を受け入れるならばこちらもある程度は妥協するというものだ。
断る理由も断れるはずもなく国は早速動く。関東の一部にあらたな街を作り法を整備する。人と妖怪双方が納得いくような法を作るのは骨だったがそれでもなんとかやり遂げたのだ。
その法の一つに、新しく作られた街から妖怪が出るときはそれなりの手続きをとらねばならないという法がある。ようするに好き勝手にあちらこちら出歩かれてはたまらないというところなのだろう。
見方によってはその街自体が妖怪に対する一種の監獄のようなものだが、不自由などほとんどなく今ではその街では妖怪だけじゃなく普通の人々も暮らしてる。
さらに妖怪の中にはその能力を活かして消防や警察で活躍すると言った者達が出てくるくらいになっているのだ。
神楽イツキは正式な手続きを踏まえず勝手に街の外に出て、あちこち物見遊山していたところでこのようにつかまり包囲されているのである。イツキとしてはここまで大騒ぎになるとは思っていなかったし、本人からしてみればちょっとした散歩程度の気持ちだったのだから少々悪い事をしたかなという気持ちだ。
だが、せっかく街の外に出られたのだからまだまだいろんなところを見物したいという気持ちもある。この程度の包囲を突破するのは訳もない。
ほんの少し黙考したあとイツキの出した答えは物見遊山を続けるという事だ。
イツキの瞳が黒から赤へと移り変わる。それは妖怪の……鎌鼬としての力を解放することを意味している。
包囲している警官はますます青ざめていく。彼らの力にこんな拳銃ではかなわないのは百も承知だ。ましてや音速で動く鎌鼬をどうやって捕えろというのか上の無茶ぶりに少々怒りを覚える。
「いや、さすがに殺しはしねえから」
苦笑しながらイツキは腰が引けている警官に向かって言い放つ。正当防衛やよほどの事情がない限り人を傷つけてはならない。これも取り決められたルールの一つである。もし破れば妖怪の長たちから粛清されてしまうのだ。もちろんその逆もある。よほど凶悪な犯罪を犯さない限り、妖怪を傷つけてもこれまた問題というわけだ。
ではイツキの場合はどうなのか……正式な手続きを踏まずに街の外にでての物見遊山。例えるならパスポートを持たずに海外に遊びに行くようなものだ。人はそれを密入国という。
立派な犯罪ではあるが、粛清されるほどの事柄ではない。ましてや一応同じ日本国内の出来事なのだ。
拳銃を向けるというのはやりすぎな気もするが妖怪相手には気休めにすらならない程度の事である。特に問題にすらならない。
イツキが力を解放したその瞬間、彼の体がその場から消え去る。正確には人の反応速度ではとらえきれないほどの速さで動いたのであって消えたわけではないが、警官にはそのように見えた。
警官のリーダーの一人がため息を漏らし無線を用意する。取り逃がしましたと上司に報告するためだ。無線の向こう側から怒鳴り声が聞こえてくるのが今から容易に想像できる。
瞬間、轟音が響き渡り何事かと音のほうへ目を向けると、まるで隕石が衝突したようにクレーターが出来上がっていた。
そして一人の少女らしき人物が長く黒い髪をたなびかせてそこにたたずんでいる。
「いててて……な、な、なにしやがんでい!」
クレーターのど真ん中で地に伏せていたイツキが立ち上がり少女に怒声を浴びせる。
少女は無言のままにイツキの頭に拳骨を食らわせた。
「だあ! な、なんだよ!」
「何だよ! じゃないでしょうが! あんたねえ善良な警察官の皆様にどんだけ迷惑かけてんのよ! あんた一人のために国民の血税がどれだけかかっているのか、ちったあその足りない頭で考えたらどうなの!?」
「いや……けど姉貴! 聞いてくれ! 今日地域限定のリンフィギュアの発売なんだ! しかも今日だけしか売りに出されない」
まだ喋っている最中にも関わらず少女はイツキの頭に再び拳骨を食らわせる。
「そ、そんなくだらないことのために脱走騒ぎ? 二百年も生きておいて……こ、この鎌鼬の……妖怪の恥さらしが!」
「下らないとはなんだ! リンは天使だぞ! どこぞの凶暴な姉貴と違って!」
「黙れ! 死ね! ほんとに死ね!」
突如始まった姉弟喧嘩? に警官たちは唖然とする。会話の内容からするとイツキの姉なのだろう。鎌鼬は三組一体。そしてイツキは二番目の鎌鼬と聞いている。となると彼女が一番目の鎌鼬────人を転ばす役目の鎌鼬なのだろう。
「ほほほ、警察官の皆様。愚弟がご迷惑をおかけしました。もうね煮るなり焼くなり殺すなり好きにしてください。もうねこんな弟殺していっそ転生させて新しい弟のほうに期待したいくらいですから」
妖怪は不老ではあるが不死ではない。しかし死ねばそれまでというわけではなく、何十年、もしくは何百年という時を経て生まれ変わりが出現する。ただしその際はかつて生きていたころの記憶などは一切ない。
神楽ハツネ、イツキの姉である彼女はそう言ってズタボロになったイツキを警察官に差し出す。
顔が痣だらけに何とも言えない様子に警察官は思わず唖然とするが職務を放棄するわけにはいかない。一応は形式として逮捕しなければならないのだ。手錠をだしイツキの手にはめようとする。
「いくら姉貴だからって……ふざけんな!」
突如イツキの怒りが爆発する。体のあちこちから鎌をだし残像すら残さぬ速さで姉に突進し切り付けるが、姉も負けてはいない。
いきなり始まった妖怪同士の戦いに警官たちは慌てて近所に避難警報を発令する。
戦いが過熱していき、いくつかの電柱は見事にバッサリと切られ、罪のない一般市民の家は真っ二つにされ、道路はバターのごとく削り取られ周囲は見るも無残な状態となっている。
警官たちの努力がなければ死人が出ていたかもしれない。
「いい加減にしろ! この愚弟が!」
「うっせええ! バカ姉が!」
鎌同士がぶつかり合いあちこちから火花が飛び散る。一見勝負は互角に見えるが、徐々にイツキが姉を押し始めた。
イツキの役目は人を斬ることである。人を転ばす役目を背負った一番目とは違い戦闘能力においては一歩秀でているのだ。その差が現れ始めたのだ。
「ケケケ。まともにやりゃあこんなもんよ! 姉だと思って手加減してりゃ調子に乗りやがって!」
自分が犯罪者であるということを全く気にせずハツネを追い詰めていくイツキ。もはや完全に悪役である。
だがハツネは追い詰められているのにもかかわらずその表情はむしろ勝ち筋をとらえた表情だ。その表情にイツキはカチンとくる。
いままでも似たような姉弟喧嘩はしてきたがいつも何らかの形で敗北しているのだ。
「何をたくらんでやがる?」
「さあね……あら? どうしたの手が止まっているわよ」
瞬間、ハツネの鎌が頭上から振り下ろされ、イツキはあわやというところで後方に飛ぶ。その後ろには民家の塀があり、イツキは一瞬だけ壁を背にすることになったが、それが勝敗を分けた。
「シズル! 今よ!」
ハツネが一声叫ぶとイツキの体が一瞬にして壁に吸い込まれていく。イツキは一瞬にして自分に何が起きたかを把握した。
「ちょ! マジか! おま! そりゃ卑怯だろ!」
「何が卑怯よ。あんたとガチでやりあってあたしが勝てるわけないじゃん。あたしが一人で来た時点で助っ人を疑わなかったあんたが悪い」
「えへへ。ごめんねえ。イっちゃん。協力しないと宿題うつさせてくれないっていうからさ」
壁の中から声が聞こえる。この声の主はよく知っている人物だ。妖怪ぬりかべの一種シズルである。
ぬりかべの能力は簡単に説明すると、人を壁にぬりこむという力である。塗りこまれたものがどうなるのかは明らかにされてはいないが、シズルの場合ぬりこんだものを別の壁から排出する能力も持っている。壁同士であれば空間でつなげて移動させることが出来るのだ。
「だああ! リンのフィギュアが! シズル待て待て! 話し合おう!」
「んーダメダメ。宿題に勝る報酬なし」
「宿題は自分の力でやらないと学力向上につながらなああああ……」
イツキの体はそのまま壁の中に入り込み完全に消えて行った。そのイツキをぬりこんだ塀の中から一人の少女が抜けだしてきた。暗緑色にそまった髪をリボンでまとめている見た目は小学生くらいの少女である。
「シズルご苦労様。助かったわー」
その少女に駆け寄りハツネは礼を言う。
「でもちょっとイっちゃんに悪い事したかな?」
「いいのよ。まったくあいつ一人の行動のせいで妖怪が変な目で見られてはたまったもんじゃないわ。さて」
そういうとハツネは警察官に向き直った。
「皆様ご迷惑おかけしました。かの者の処遇は我が妖浜市市長及び市民の手で裁きますのでここはひとまず事をお収めになってください」
一応のケリはついたのだ。この上でしゃばるのは自分達の権力では許されない。あとは上の者達が決めるだろう。
「協力感謝いたします」
そう一言述べると警官たちはその場から立ち去って行った。
「やれやれ……この戦いの跡の修繕費でまた市長の胃に穴が開きそうだね」
「ほんとにねー」
「しかも原因がわが一族……あたしの実弟とは。あ、頭が痛い」
「イっちゃん。ストレスたまってそうだったしね」
「あいつ、ほんとに殺してやりたいわ」
「ハツネちゃん過激だよ」
そんな会話をしながら二人はその場を後にする。
街に戻った二人は早速市長の元へと報告しにその部屋を訪れた。
「全く困ったものだな……最近手続きが面倒だという事でこの手のプチ脱走が増えてきておる」
両手を机の前に組み深々とため息を吐く市長。この市長も妖怪の類である。正体は鴉天狗だ。
「ともかくイツキ君をこのままにしておくというわけにもいかんだろ。シズル君か。彼を解放してあげてくれ」
「わかりました」
そういうとシズルはイツキを解放しようと力を出す。
「あれ?」
が、何も起きない。
「シズル? 遊んでいないで早く出しない」
ハツネが促し、シズルはもう一度力を解放する。
「おっかしいなあ……」
「なにやってんのよ?」
「えい! えい!」
しかし壁の中から何も現れず困惑する。
「……イっちゃんがいない」
「は? ちょっと? バカな事いっていないで」
「ほんとだよ! イっちゃん、あたしが作った空間のどこにも存在していない。どーゆうこと?」
「知らないわよ! ほんとに? 嘘でしょ?」
シズルの顔色が青ざめていく。それを見てハツネは真実だと判断した。
「いないって……あいつ自力で逃げ出した? いや……無理よ。あり得ないわ。シズルの空間を切り裂く真似なんて……」
「ふむ……空間に詳しい妖怪達を直ちに召集しましょう」
市長がそう口を開いた。
───────────
「ふむ……どこだ。ここ?」
イツキはあたりを見回す。そこはどこを見ても木、木、木。どう考えても森である。
シズルの空間に引きずり込まれ何とか脱出できないものかとむやみやたらに切りつけてみたはいいが、よくわからない場所へ放り込まれたようだ。
「妖浜市……じゃねえよな?」
妖浜市はそれなりに発展している都会である。自然を好む妖怪に配慮して自然も数多く残されているがここまで見事な自然ではないし何より匂いが全然違う。
「懐かしい匂いではあるが……タイムスリップ? シズルのやついつのまにそんな能力……いやいやありえねえだろ」
言ううなれば江戸時代や明治初期に感じた匂いに似ている。自分が生まれた直後人の気配が全くしない懐かしい森の匂いだ。居心地はなかなかいい。
「けど……仲間の気配がまったくしねえな」
これほどの森であるならば木霊などの妖怪が住みついていてもおかしくはないが、それすら感じられない。
「参ったな。方向がまったくつかめん」
妖怪である自分が東西南北の方向すらわからなくなるというのは仲間にばれたら腹を抱えて笑われるのが目に見えている。
「グルルルルル」
唸り声が聞こえふと視線を向けると、猿と形容するにふさわしい獣が見事なまでに殺意をむき出しにしてこちらを睨んでいた。
しかも数匹に囲まれている。
「……日本猿? にしては毛が黒いし顔は斑点だらけ。日本にこんな猿いねえだろ? 孫悟空の親戚? いやいやありゃ中国、インド地方だしな……つーかそんな怒んなよ。でてきゃいいんだろ」
無益な殺生は好まない。これは妖怪でも野生動物でも一緒である。イツキも例にもれず出ていく意思を示した。
勝手に縄張りに入ったのはこちらである以上非は当然自分にある。別に彼らの縄張りを荒らす気はないのでさっさと出て行こうとしたが、一瞬にして猿の一匹が襲い掛かってきた。
「な!」
不意を突かれたものの間一髪で回避する。彼が鎌鼬でなければ反応すらできずその爪に引き裂かれていたのは疑いようもない。
どす黒く一メートルはあると思われる爪。敵意をむき出しにし牙をこれでもかというほど見せつけてくる。
「なんだよ。その爪……長すぎるだろ」
が、再び襲い掛かってきた。
瞬時に飛び退き素早く木の上に逃げる。
だが、その木の上で待ち伏せしてるかのように今度は頭上から襲い掛かってきた。
「はあ? ふざけんな! 子育ての最中だったのか? わかったよさっさと出て行くから」
猿が咆哮を発して群れをなしイツキに凶悪な爪を次々と切り付けてきた。
意思が伝わらない? イツキは驚愕する。例え相手が知的生命体。すなわち人間でなくてもある程度の思考能力さえあれば妖怪はどのような生き物でも意思を疎通させることが出来る。元々妖怪は自然の一部から生まれたものがほとんどである。
であれば野生動物と意思を疎通させることなど訳もない事なのだが、なぜかこの生命体には自分の意思が伝わらない。
こちらに伝わってくるのは圧倒的な殺意。それも並大抵の意志ではない。何が何でもこの侵入者を殺すという意思のみである。
「ち」
舌打ちしながらも枝から枝へと逃げ回る。力を解放すればこの程度の相手、一瞬で切り刻むことくらいは出来るが、弱いものいじめにもほどがある。ましてや自分の置かれた立場が把握できていないのであればなおさらだ。
それでも黒い猿たちはイツキを執拗に追い続ける。しかも追っている間にも仲間を次々とふやし、すでに数十匹にもなっているのだ。
さすがに面倒臭くなりすべて切り刻んでやろうかと思い始めた時、とある泉に出くわした。いやそれだけなら足を止める必要もない。足を止めたのは別の理由からである。
似たような黒い猿に囲まれ剣を振るっている人間を発見したのだ。
音速の速さで飛び退き追手を一気に振りほどく。その勢いのまま、その人間の前に着地した。
「いやあ。助かった。ほんと人を発見できてよかったよ。つーかあんたら何? そんな剣なんてもってさ……あー…あれか? 人間の間で流行っているコスプレってやつか?」
いきなり現れ、無遠慮に話しかけてくる黒髪の男に剣を振るっていた一団は状況を認識するのに数秒かかった。
見れば、よくわからない服装ではあるが、この森を散策するには無防備にもほどがある。前髪が目にかかっており表情はよくわからない。だが話しかけてくる言葉の内容は汲み取ることが出来た。ただしその発音は聞いたこともない発音である。
「あ、あなた……何者?」
問い返された言葉の発音はイツキにとってもよくわからないが、その内容は汲み取ることが出来る。ある程度の思考能力をもった存在であるならどのような形であれ意思が疎通できるという妖怪の能力のおかげだ。
「何者って……ああ、そっか。俺は神楽イツキ。妖浜市に住んでいる妖怪、鎌鼬の一種だけどまあちょっと事情があって道に迷ってさ……ん? あれ? あーあんた外人か! はああ通りで聞きなれない発音だと思ったよ」
イツキはなにやら一人で納得しながらうんうんとうなずいている。外人がいるとなればここは外国だ。となると仲間の気配がしないのもうなずけるし、あのよくわからない黒い猿たちになじみがないのも無理はない。
「外人? 妖怪? 鎌鼬? 何を言っているの? それより状況を見なさい! そんな格好でこの森をうろつくなんてあなた死にたいの?」
イツキに話しかけてきた女性はこれはもうまさに見事なまでの金髪を振りかざし、またきめ細やかな白い肌。これぞまさに白人というのを表していた。ハリウッドスターですらここまで白人というのを体現している人はいないと思わせるが、顔つきに関してはどこか子供っぽく、どちらかというと日本的な感じで少々アンバランスさが目立つ。
綺麗な緑の瞳。小さな顔。まあいわゆる美少女の類であろう。日本のアニメは外人にも人気だ。ネットなどでよく外人の日本アニメのコスプレ集などみてそのレベルの高さに驚いたものだが、この人物はそれに負けてはいない。もしネットでこの画像を流せばたちまち大人気になるだろう。
「鎌鼬ってのは……あー説明するのめんどいな。おたくニュースとか見てないの? 日本で妖怪が発見されたとか一時期話題になったと思うし最近海外から観光客まで訪れるほどにはなったんだけどな」
「日本? 妖怪……さっきから訳の分からないことを言っているわね! いいから早く逃げなさい!」
女性がそういうやいなや、彼女らを取り囲んでいた黒い猿の一匹が襲い掛かってきた。女は前に出てその爪を盾で受け止めるが、衝撃までは吸収できず吹き飛ばされ地に伏せる。
「カティア! この……火の精霊よ!」
もう一人がそのように叫ぶと火球がいくつか作り出され黒い猿たちに向かっていき大爆発を引き起こした。
「は?」
イツキから間抜けな声が漏れる。
どう考えても普通の人間がいきなり火を操ったのだ。驚くのも無理はない。
「鬼火の親戚? 火車髑髏? いやいや……とすると海外の妖怪? 火を操る海外の妖怪……いたっけ?」
海外の悪魔や妖怪の類にはいまいち疎いイツキである。だがやはり目の前の人間達からはそのような気配は感じ取れない
そういや人間の中にもたまにそういった超常現象を操る能力者がいたな。火を操ることで有名な能力者と言えば発火者と呼ばれる人たちだけど……どうにもそういった人物とは異なるようだ。
つうか鎧に剣に美少女これがコスプレでなくてなんなのか。だが現実に命のやり取りが行われている。
意味が分からん。頭を悩ませている間にも黒い猿たちは咆哮を上げ少女たちに襲い掛かる。
「いや無理だろ?」
思わず突っ込んでしまう。野生動物は例え犬だとしても人間はかなわない。銃などを持てば話は別だが近接戦闘でやり合うなどそれこそ自殺行為である。
ましてやか弱い女性ではなおさらだ。
だが、そんなイツキの思考を裏切るように女性達は陣形を組み一匹、また一匹と黒い猿たちを狩っていく。
「おーおー……なんというか。なんかのゲームか? これ」
そういえば最近ゲームにのめりすぎていて現実と区別がつかなくなったかと古典的な方法で確かめてみる。
「痛いな。つまり夢ではないと」
イツキが思考している間にも戦闘は続きあらかた終わったようだ。黒い猿の死体がいくつも出来上がり少女たちは息を切らしている。
「終わったあ」
大きく息をつき最初にイツキと話したカティアという女性が大地にへたり込む。
「だねえ……ボクも疲れたよ。魔晶石が案外この森深く浸透しているんだね」
イツキとは別の少女がそう言い放つ。
「全く厄介なものだな。早々に大本を立たねば厄介なことになるぞ」
その言葉を言うのはまた別の女性だ。
「マジュラがここまで多くなるなんてね……」
「本来なら大人しい生き物なのになんかかわいそうだよ」
「致し方あるまい。放っておけば被害はさらに広まる」
言っていることがますますわからんと首をかしげるイツキ。マジュラ? 魔結晶? 再び思考の海に漕ぎ出そうとしたとき、イツキを追っていた黒い猿の一団がイツキを含め彼女らを取り囲んだ。
「ちょっと……なによこれ」
カティアの顔が一瞬にして青ざめる。他の女性達も同様だ。その数は二十から三十にのぼる。彼女らが倒した黒い猿は五体。ゆうに倍以上の数に取り囲まれたことになる。
「リン! 回復を!」
カティアが慌てて叫ぶ。
「無理だよ! エナジーストーンも使い切っちゃったし。ボクの魔力も限界だよ!」
「限界でも何でもやるんだ! このままじゃ全滅だぞ!」
「無茶言わないで!」
「くそ! なんでこんな大群が急に! カティア行けるか?」
「無理と言いたいところだけどやらなきゃ」
カティアはなんとか立とうとするが足に力が入らないのか震えている。
リンもへとへとだ。もう一人の女性も剣を持つのがやっというありさまである。
確かにこのままでは全員餌食となるだろう。イツキがいなければだが。
しきりに唸り声をあげ黒い猿がリンに向かってその凶悪な爪が振るわれた。カティアともう一人の女性は悲鳴を上げる。
数瞬後には真っ二つになったリンの死体が出来上がるだろう。だが様相とは裏腹に真っ二つになったのは黒い猿たちのほうである。
「へえ……あんたリンっていうんだ?」
イツキは問いかける。
いきなり名前を問われ、思わずうなずくリン。見ればショートカットがよく似合う可愛らしい少女である。自分の大好きなリンとは全く別だがこれも何かの縁だろう。うんうんとなにやらしきりにうなずくイツキ。
「ま、いっか」
無益な殺生は好まないが目の前で人が死ぬのも好まない。ましてやリンという名を持つ可愛らしい少女を見殺しになど絶対に出来ない。
イツキは静かにその力を解放する。
目が赤く光、髪の毛がざわつく。腕、足、腹、肩、あらゆるところから全てを切断できそうな鈍く凶悪な光を放つ大鎌が出現した。
それを見て女性達は息をのむ。こんな力の存在など彼女らは知らない。体から突如刃を生やす生き物の存在などあり得ない。獣人の類ですら変化をとげ力をあらわにするのに対して、この人物は人間の姿を保ったまま刃を生やしたのだ。
驚いたのは女性達だけではない。黒い猿たちのほうも野生の勘ともいえる能力でその恐ろしさを感じ取る。
男の姿消えた。そうなんの前触れもなく、一瞬にしてまるで蜃気楼のように掻き消えたのだ。
次の瞬間黒い猿が胴体を真っ二つにされ首が切り離されていく。血飛沫すら上がらない見事なまでの切断。ミクロの単位で繊維をつぶさず切り裂くその凶悪さは名のある剣士ですら至難の技だ。
慈悲のかけらもない容赦のない攻撃。
気が付くとあれだけいた猿たちは全て絶命している。自分達が五体倒すのがやっとだったというのに目の前の男は、顔色一つ変えずに数十匹を一瞬で葬り去ったのだ。
「こんなもんか……聞きたいことは山ほどあるんだけどさ」
カティアのほうに向きなおり寄っていく。
が、カティアは一歩後ずさる。
「あ、あんた何者?」
一番最初にこの男にかけた言葉をもう一度かける。
イツキはどうこたえるか悩んだ。どうにも会話の内容がかみ合わない。最初と同じ説明をしても堂々巡りになるだけである。
「ねえ、カティア……この人もしかして落ち人じゃない?」
リンがなにかを思いついたようだ。
「落ち人? なんだそりゃ?」
イツキの問いかけを無視してカティアはしばし黙考する。
「落ち人……なるほど。そうか……それならば」
「だからなんだよ! 一人で納得してんじゃねえ! つーか礼の一つも言えんのか最近の外人は!」
「すまない。そうだったな。まずは礼を言うのが先決だった。危ういところを助けてもらい感謝する」
そういうと、いきなりイツキの前にひざまづくと右膝に口づけた。
突如の行動にこんどはイツキが後ずさる。
「ちょっとおお? お、お、奥さん!? い、いきなりなにをしやがりますですの?」
いくら命を助けたとはいえこのような礼はさすがに望んではいなかった。確かに自分はそこそこ二枚目だし、心も綺麗だし、いわゆるイケメンだがまさか命を助けて惚れられるという古典的なパターンはないだろと自分に言い聞かせる。
イケメンかどうかあくまで彼が勝手に思っていることである他人から見た事実は果たしてどうなのかはまた別の問題だが……。
「やっぱり……」
リンが何やらうなずいている。
「これは我が国において最上級の感謝の意を示す意味を持つ行動なのだがなにかまずい事でもしたか?」
「あ、いや……そ、そうなの?」
ところ変われば品変わる。外国には自分の知らない文化もあるのだろうと納得することにした。
二百年も生きておいて自分の初心さには思わず嫌気をさしてしまう。といっても妖怪の二百年などまだまだ若僧の域を出ないのが事実ではあるが。
「さて、礼も済んだことだし今度はこちらの番だな。色々と聞きたいことがあるがここにいてはいつまた襲われるかわからん場所を変えるとしよう」
情報はイツキの望むところではある。断る理由もなくそのままついていこうとしたが、そこへイツキの頭の中から言葉が響いた。
「……こえる? ……キ」
「あん?」
「イツキ! 聞こえるの!? 返事しなさい!」
この声は姉であるハツネだ。聞き間違いようもない。
「姉貴!? 念信が使える?」
「他の妖怪に協力してもらっているのよ! あんたなにやってんのよ? こっちは大騒ぎよ!」
「それは俺も知りたい! 多分外国のどっかなんだろうけど」
「外国? バカ言ってんじゃないわよ! あんたがいる世界はまったく別次元! まったく別の時間軸の世界よ! よーするに異世界って事!」
「はああああ? ンなアホな」
存在自体が二十年前まで嘘だと言われていた存在がよく言うとも思えるがそれはこの際言っても仕方がない。
「ったく……いまこっちは総力を挙げて迎えの準備をしているから余計な事をせずちゃんと大人しく待っていなさい! いいわね!」
「大人しくったってなあ……ちょっと暴れちゃったぜ?」
「何やってのよ! あんたは! あんたはその世界にとって異物以外何物でもないんだから余計な干渉するなっつーのがわからんのか! 愚弟!」
「んな小難しい理屈なんぞわかるか! 無抵抗でやられろってか? ふざけんな!」
「だーからそっちの生命体に干渉しないで生きるくらいできんだろーが! ほんっと頭悪いわね! あ、時間が……いい? あんたが下手に干渉すると何が起きるか分からないんだからね。あんたがどうなろうとどうでもいいけどそっちの世界の生命体に迷惑がかかっちゃ申し開きもないから」
とそこで念信が途切れた。そうとう無理をしたのだろう。それにしてもまさかの異世界とはリンの限定フィギュアはどうやら諦めなければならないようだ。
「どうしたの? さっきから独り言を言っているようだったけど」
カティアが小首を傾げて問いかけてくる。なんとも可愛らしいしぐさだ。
「いや、バカ姉貴から連絡が」
「連絡? 手紙?」
「そうじゃなくて……まあいいや街に着いたら説明するよ」
そういってイツキ達一行は街へと向かっていく。
イツキはこの世界でどのような生活をするのか、それはまた別の話である。