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名を奪われた少年

最強の運勢を持つ覇王の名前を巡る物語です。


パーン…。

担任の伊藤先生が放つ乾いた空砲の音が初夏の空に響き渡る。

白いユニフォーム姿の生徒たちが一斉に走り出し、皆真剣な表所でゴールを目指して駆け抜ける。

そんな中、一人の少年が前方で待機している少年に近寄り耳打ちする。

「なぁ、なぁ。壬護じんご。今日も勝負しないか?」

「ん…?何をだよ」

壬護と呼ばれた少年が振り返る。

彼は沖壬護おきじんご。利発そうな整った容姿を持つ少年だ。

そして壬護に話しかけた少年は佐藤一郎。

まるで空気に溶け込んでいるかのように、誰の記憶にも残らないような印象の薄い少年だった。

二人は幼稚園の頃からの友人で、大体何をするにも一緒の幼なじみだ。

その一郎はいつものように壬護に勝負を挑んできた。

二人の間の遊びは当時からずっと変わらない。こうして二人でいつも何かを競って優劣をつける事だ。

だが一郎はいつも何を競っても壬護に勝った事がない。

いつも勝負は壬護が勝利を収め、一郎は二番手となった。

だが、その事をいつまでも引きずらない一郎は、次々に新しい勝負を挑んできた。

給食の早食い。掃除のバケツリレーやテストの点数。

どれも不思議と一郎は後一歩のところで壬護には適わないのだ。


「だから徒競走でどっちが早いか決めようぜって言ってるんだよ。やるよな?壬護」

今日も懲りずに勝負を挑んでくる一郎に、壬護は勝ち誇った顔で頷いた。

「ああ。勿論いいぜ」

壬護は自信たっぷりに頷いた。どうせ自分が勝つに決まっている。


「はーい。沖くんたち、おしゃべりしてないで位置についてー!」

伊藤先生が二人に注意を促す。二人は顔を見合わせて他の生徒たちと同じくスタートラインについた。

先生の軽く息を飲む気配を感じ、壬護の首筋は緊張でチリチリした。

やがて先生がピストルを上方に構える。

「よーいっ、ドンっ!」


パーンっ…!


耳を劈く破裂音と同時に二人は竜巻でも巻き起こしそうな勢いで走り出す。

すると他の生徒たちもまた二人の勝負が始まったと、盛大な応援合戦が始まる。

「壬護ーっ、いつも通りぶっちぎれー!」

「佐藤くんも頑張れーっ!」

二人は必死の形相で走る。勝負の時だけは二人とも真剣だった。絶対に負けたくないそれだけで全力で頑張った。

すると僅かに一郎が頭一つ分くらい抜き出ているように見えた。

一郎の表情にやや余裕の笑みが広がる。

だがそれは壬護の作戦で、すぐにその一瞬の優越感は消え去る。

「お先っ、一郎っ!」

「あっ、壬護っ」

壬護は息一つ乱さず、余裕の表情であっさり一郎を抜き去りゴールを決めた。

「わーっ、おめでとう。やっぱり壬護くんは強いね」

「マジで負け知らず?」

勝負がついた瞬間、クラスメイトたちが壬護を取り囲む。

やや遅れて一郎もゴールしたのだが、そんな彼に誰も声をかける者はいない。


これがいつもの二人だった。

一郎は一度たりとも壬護には勝てなかった。

勉強でもスポーツでも。もっと挙げるなら家柄や人望、身体的能力に致る様々な分野全てに於いて一郎は壬護には勝てなかった。

そしてそれは彼らが中学、高校へ進学しても続いた。

その間も二人の勝負は続き、そのどの勝負にも一郎は負けた。

選挙で負け、中学高校と壬護は生徒会長。一郎は副会長。

部活は壬護が部長。一郎は副部長。

常に上には壬護がいた。

高校へ上がった時、最初にした勝負はどちらが先に彼女が出来るかを競ったが、壬護は入学して間もなく学校で一番美人だと言われている長尾ミコトに告白された。

以降3年間、その交際は順調に続いている。一方一郎の方には彼女は出来なかった。


そして月日は流れて、高校卒業を明日に控えた前日。

それは突然やってきた。

二人の「最後」の勝負が。


卒業式を控えた前日の放課後、壬護は突然一郎に呼び出された。

春の柔らかな風がそよぐ屋上にたどり着くと、そこには眩しそうに壬護を見る一郎が待っていた。

「ごめんな。急に呼び出したりして」

「いや。別にいいさ。それよりどうしたんだよ」

一郎は澄んだ瞳を伏せて、フェンスを掴んでいる。何となくいつもと違う雰囲気の幼なじみに、壬護は違和感を覚えた。

「あのさ。明日で俺たち卒業じゃん……」

「そうだな。お前とは色々あったけど大学も別々になるんだし、もう勝負も出来なくなるんだよなぁ。そんでお前との腐れ縁も切れるってもんだ」

今までの勝負の数々と自らの栄光の勝利戦歴を振り返った壬護は目を細めた。

そして冗談のつもりで縁が切れると言ったのだが、何故か一郎は傷ついた表情をした。

それが気になって、壬護は思わず彼の顔をのぞき込む。その表情は能面のようだった。

「お前、大丈夫か?」

「うん。僕は大丈夫だよ。別にどこか悪いわけじゃないから。あのさ。壬護。最後に後一回だけ僕と勝負しない?」

「はぁっ?勝負だぁ?お前、まだやる気かよ」

すると一郎は罰が悪そうに微笑んだ。

「ははははっ。結局幼稚園から高校の今まで、壬護には一度も勝てなかったよな」

「ふはははっ。当然だ。俺様は最強だからなっ!」

一郎を茶化そうと、壬護は腰に手を当てて尊大に笑った。一郎もつられて笑う。

「本当にそうだね。壬護は最強だよ。だからさ、その俺への餞別に最後の勝負をして欲しいんだ」

「ったく仕方ねぇな。いいぜ。やってやるよ。それにしても餞別だなんて大げさだな」

壬護は青灰色の少し長めの髪を掻き上げ、笑顔で即答した。

すると一郎の顔がたちまち明るくなった。

「本当かい?良かったぁ。有り難う壬護。断られたらどうしようって不安だったんだ」

「何だよ告白みたいな気色悪い事言うなよな。それで何だよ。最後の勝負って」

この時点でまだ壬護は自分の身に何が起ころうとしているのかは分からない。

だが、もしもこの時に戻れるとしたら壬護は絶対にこんな勝負には乗ったりしなかっただろう。

つまりそれくらい、この勝負は壬護にとって悪夢のターニングポイントになる。


やがて一郎が口を開く。

「最後の勝負は明日。長尾ミコトさんに二人同時に告白して「うん」と言ってくれた方が勝ちって事にしよう」

「はぁっ?」

壬護は耳を疑った。

だが目の前の幼なじみは穏やかに言葉を重ねる。

「だから明日長尾さんに二人で告白して、受け入れられた方が勝ち」

「っと待てよ。ミコトは俺の彼女だぜ?まさか忘れていたってわけじゃないよな」

そうなのだ。長尾ミコトは現在壬護が交際している女の子だ。

入学早々に壬護に自ら告白してきた校内一番のアイドル的存在で、壬護と同じ大学へ進み、楽しいキャンパスライフを過ごす事が決まっている。

どうして、今更全く勝ち目のない勝負を提案してきたのだうか。これでは勝負などしなくとも勝敗は見えている。

ミコトは彼氏である自分を選ぶに決まっている。

一郎は正気なのだろうか。

「な…なぁ、一郎。お前、自分が何言ってんのか分かってるのか?」

「勿論分かっているよ。でも勝負するまで勝敗なんて分からないじゃないか。それより今回は勝者のご褒美、僕が決めてもいい?」

「へっ?ご褒美ってお前マジで勝つとか思ってんの?別にいいけど」

もう何だか馬鹿馬鹿しくなってきて、壬護は軽い気持ちであっさり了承した。

今まで壬護は勝負のご褒美として、一郎を散々酷使してきた。掃除当番や日直を代行させたり、奉仕活動をサボって代わりに一郎に行かせたりもした。

その他にも数えあげたらキリがない。

最後なんだから勝負もご褒美くらい彼に決めさせてもいいだろう。どうせ勝つのは自分なのだから。

その程度にしか考えていない壬護とは裏腹に一郎の方は、何故か怖いくらい余裕の表情を見せていた。


「勝者は負けた方の「名前」を貰える。なんてのはどうかな?」

「はぁぁぁっ?何だよそれ」

全くもって今日の一郎は理解できない。

明らかに負ける勝負を挑み、その報償にわけの分からない望みを提示する。

一体どうやって名前なんて貰ったり、渡したり出来るのだろうか。

だが、一番不気味なのはまだ笑みを浮かべている一郎そのものだ。何か彼からは今まで感じた事のない底知れない恐怖を感じる。

「お前、道端で何か妙な物でも食った?」

「ぼくは正気だよ。それよりご褒美はそれでいいね?」

「あ……あぁ。もうわけ分からないけど、もうそれでいいわ」

何となく早く一郎から離れたくて、そう切り返した。

「うん。有り難う。壬護。明日はお互い頑張ろうね」

「……ははは。了解」

くどいようだが、ミコトは壬護の彼女なのだ。

今更負けるべくもない。

「よし。全戦全勝して高校生活にピリオドを打ってやる」


しかし、その絶対の自信と全勝記録は卒業式であっさり覆されてしまう。

その日、卒業式の後、二人で長尾ミコトを呼び出し、壬護と一郎は二人同時に告白した。

現在付き合っている彼女に告白するのも馬鹿げているが、勝負は勝負だ。

結果は分かり切っていると思われた。

だが、信じられない事に彼女が選んだのは壬護ではなく一郎の方だった。

桜の舞い散る中、嬉しそうに笑う親友と元彼女。二人を見ながら壬護はその事実がいつまでも受け入れられないでいた。

そんな壬護に一郎は更に追い打ちをかける言葉を放つ。


「さぁ、約束だよ。壬護。君の名前は今から僕のものだ」

「なっ……」

視界が満開の桜で埋め尽くされる。

遠ざかる意識の中、壬護は女性の声を聞いたような気がした。

それはミコトのものではない。もって優しく柔らかな声だった。


そしてこの日から沖壬護の名前は佐藤一郎が名乗るものとなる。

壬護は一郎に名前を奪われてしまった。

彼はやがて知る。

自分の名に秘められた運命と宿命を。

この物語はここから始まる。


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