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「まぁ、そんなわけだからさ。君、僕と一緒に桜ヶ淵に行こうよ」
「……は?」
またもや素でそんな声が出た。
「あやかしって生き物は執着心が強いんだよ。君のことだってほってるわけじゃなくてさ、ただ単に人間にとって2年ってのが結構な時間だって事を理解してないだけなんだ。数千年を軽く生きる種族だからね」
はぁと頷くと、風視は困ったようにちょっと笑った。
「その気持ちもちょっとはわかるんだけどね……。僕だって陵王に怒られるから、月がひとめぐりする間には一回くらい帰ってこようと思うんだけどさあ。気がついたら、季節が4回5回くらい繰り返されちゃってるんだよね」
ひとつきと4,5年てものすごい差だと思う……
そう思ったものの、それを口に出すことは出来なかった。
ふと、気がついたことがあったからだ。
「4,5年というか、10年単位なんじゃありませんか」
ずっとどこかで聞いた名前だと思っていた。
講師級の影狩師だからかと思っていたのだが、もっと有名だった。
「あれ、知ってるんだ?」
「そもそも知らない人のほうが珍しいと思いますけど」
「そう?」
ただ、同一人物だと思わなかっただけだ。
放浪癖で有名な影狩師。一回任務に出ると10年はいつも帰ってこない。白連塾の影の支配者。那智さえ軽くいなすほどの凄腕の影狩師。
「邪言使いの風視さん、ですよね」
その存在はもはや伝説級だ。
「でも私、風視さんは100歳近いおじいちゃんだと思ってました」
風視に関する噂は山ほどある。
ただ、その伝説とも言える逸話は、どう考えても風視は100歳近いと思っていなければつじつまがあわないものばかりだ。
少なくとも、那智とは同程度の年齢でなくてはおかしいはずだ。
けれど、目の前にいる風視は、いくら多めに見積もってみても。
30歳そこそこという外見に見えた。
「まぁ、100歳ではないけどさ。いろいろあるんだよ」
ごまかすように笑んで、風視はそれよりも、と話を続けた。
「とりあえず、僕と那智が仲が悪いって言う話は有名だろ? なぜかっていうと、僕があやかしと仲良しだからなんだ。まぁ長く生きてるとイロイロあるってことなんだけどね。そんなわけで、君には僕と一緒に行動してほしいんだよ。そのほうが君を守れるし、何かの弾みで事故って鬼哭にうちを壊滅させられる、なんて確率も減らせると思うんだ」
風視はよほど、鬼哭と名乗るあやかしが怖いらしい。
先ほどと同じことを繰り返して、深々と息をついた。
「君だって、桜ヶ淵のこと、気になるだろう? なんで今、桜珠がでまわるのか、とか。桜ヶ淵のその後とか」
だから、いこう?
そう誘う風視のまなざしは深い。
どうせ、2年前の一件が公然の秘密なら。
あやかしを憎んで有名な那智の影響が強い白連塾にいるよりも。
どうもあやかしと交流がありそうな風視と行くほうが、いろいろ好都合かもしれない。
そんなことも思った。
「桜ヶ淵には、友達がいるんです」
行くという代わりにそう言えば、風視はにこりと笑った。
「僕と一緒に行くというのは陵王には言っておくよ。2,3日のうちには出発するからそのつもりで頼むよ」
「わかりました」
うなずく千早の上に祈樹の花びらが散る。
ほんの少し、平穏という日々が遠ざかったような気が、した。
※ ※ ※ ※ ※
「千早ちゃん、かぁ」
祈樹の幹に手のひらを滑らせながら、風視は寮の方へと消えていく千早の背中を見送った。
「いったい何があって、鬼哭はあの子を助けたんだろうねぇ。まぁ頭の柔軟性はありそうだけどさ」
桜ヶ淵が狂った現場に立ち会ったという。
死にかけていたところを、鬼哭が助けたという。
風視がしってることはそれくらいだが、鬼哭は人間嫌いで有名だから驚いた。
単なる気まぐれかと思ったら、わざわざ「殺されるなよ」という警告までしてきたのだからわからない。けれど、そこまで執着するのなら。風視にだって考えなくてはならないことがある。
「ちゃんと守るから心配しないでって伝えてよ、六花」
「……承知しましてございます」
樹の影にたたずむ女のほうには目もくれないで。
意識は遠く過去へと沈む。
「美羽……きっと、君の望む世界を手に入れてみせるから」
だから、もう少し待っていて
願う言葉は声にはならない。
細く輝く月を見あげて、手を硬く握り締める。
その手は今でも紅い気がして、切なさがこみ上げる。
「だいじょうぶ、きっとうまくいくから」
ふわりと花びらが前髪をかすめる。
大丈夫だよ、とそんな声を、きいた気がした。