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娘たちは顔を見合わせて、それからちょっとはにかむように笑った。
「さっきあっちのとおりに出てた、出店で」
答えたのは、腕に腕輪をはめた娘だ。
「でも、もういないかも。私が買ったのが最後の一個だったし」
青年は、そうですか、ととても残念そうに肩を落とした。
見ているこちらが気の毒になるほどの落胆ぶりだ。
「どんな方が売っていたんでしょう? 僕、ちょっと探してみて、次に入荷したら売ってもらえるように交渉してみたいんです」
すがるように乞われて、娘はちょっと困ったような表情になる。
「被り物を深くかぶっていた方だったので顔まではちょっと……」
「おい、千早、どうしたんだよ?」
青年と娘たちとの会話をみつめていると、じれたように多岐が声をかけてきた。
「あ、うん。ちょっと……」
「なんでもいいけどさぁ、もう誰もこないっぽい気がするから、帰らねえ? 俺疲れちゃったよ」
木の根元に座り込んで、がっくりとうなだれる多岐の姿は、少なからず哀れみを誘う。
「んじゃあ、帰ろっか……」
桜珠の腕輪のことは気になったが、青年も娘たちからそれ以上情報を聞き出せないようだったし、千早にしても、それ以上のことはどうしようもない。
大儀そうに立ち上った多岐とともに、白連塾にむかって歩きながら、千早は深いため息をつく。
今日は本当にため息率の高い日だ。
那智にはすっぽかされるし(おそらく)、変な女は現れるし、あげくは市場に出回っていないはずの桜珠の腕輪だ。おまけになにやら変な青年まで登場した。
疲れ果てた多岐との間に特に会話はなく。
白連塾の寮にたどり着いたころには、もはや日はとっぷりと暮れていた。
「私、本部で担当に報告だけしてくるわ」
空に浮かぶ月は、いまやそこだけくっきりと闇を切り取ったかのように、輝いている。
芽津の都の中央部に位置する白連塾は、皇城よりも巨大な敷地を有する治外法権的地域だ。その頂点に君臨するのは『塾長』陵王。当人を見たことはないが、ひどく見目麗しい中性的な外見の青年だという。まぁ、会うこともないだろうから、どうでもいい雑学的知識ではあるけれど。
敷地内には、影狩師を育成するための学舎をはじめ、白連塾関係者が寝泊りする寮、日常品を買いそろえられる総合的な商店がある。
通常影狩師は、二人一組で任務に従事する。
今日の千早のような、上司(今回は那智だ)に直接仕事?を言い付かることは稀で、基本は各地の支部から舞い込んだ依頼を、担当者から回されてこなすことがほとんどだ。かかる日数はまちまちだが、完了時以外にも、中途経過や起こった問題などを報告する義務があった。
「悪いな、頼むわ」
珍しく殊勝な返事をした多岐と別れ、千早は学舎のほうへと向かった。
着いた先ではあいにくと担当者は不在で、連絡表に、那智からの使いを一日待っていたが結局会えなかったことをまとめて提出する。迷った挙句に、あやしげな女のことと桜珠のことは書かずに済ませた。
自分でもよくわかっていないことをいろいろ聞かれるのはめんどくさかったからだ。
「あ~疲れた」
首を回せば、ちょっと笑えるくらいにぱきぽきと音が鳴った。
「おつかれさま」
首が鳴る音が聞こえたのかもしれない。
くすくすと笑う声とともに、ねぎらいの言葉が降ってきた。
おつかれさまです、と反射的に返しながら、首をめぐらし。
思わず、目を疑った。
「あなたは……」
『本部』の入り口にもたれるようにしてこっちを見ていたのは、先ほど桜珠の腕輪の件で娘たちに声をかけていた、人好きのする顔の好青年だったからだ。
「やあ、さっきぶり」
ゆらゆらと蝋燭の灯が揺れる。
薄暗い廊下で、彼はくちびるを笑みの形にひいた。
「君が『千早』ちゃんなんだろ?」
穏やかな声音に口調。
けれど、妙に薄ら寒い気になるのは何故だろう。
「……あなたは?」
見知らぬ相手に名を呼ばれるのは、今日既に二回目だ。
ここは白連塾の内部、おそらく彼は影狩師で。よもや古種族ではなかろうが、それはさておき、あまり気分のいいことではない。
「風視って呼んでくれていいよ」
どこかで聞いた名前だと思ったが、どこで聞いたのだろう。
「といういかさ、那智に目をつけられてるってのは君なんだろう?」
「は?」
何の話だと、思った。
目をつけられている?
そんな話は聞いたこともない。
だから本当に、素っ頓狂な声が出た。
「なんだ、知らないのか。那智はさ、ここ2年ほど白連塾を空けていたんだよね。この話は知ってる?」
知らなかった、と言えば怒られるのだろうか。
那智と呼び捨てにするくらいなのだから、自分が知らないだけで、ちょっとくらいは偉いひとなのかも知れない。少なくとも講師級??と思いながらも、口をつぐむことで回答とした。余計なことは言わないほうがいいに決まっている。
「桜ヶ淵の事件のあとさ。那智はちょっと厄介ごとに巻き込まれた……というか、自分から巻き込まれにいったというかさ。勝てない喧嘩を売るとか、はっきりいって馬鹿以外の何者でもないと思うんだけどさ?」
「あの……どういう……」
あまりの毒の吐きように、千早が頬の辺りをひきつらせると、風視はにんまりと笑った。
「まぁ、とりあえずさ。勝てない相手に喧嘩うって重症、完治までにほぼ2年かかったってわけさ」
ざまあみろ、とでも言いかねない様子で、風視は少し首を傾けた。
「ちょうど、白連塾に戻ってきたのが昨日。さっそく君にちょっかいかけたってわけだ。とりあえず大事にならなくてよかったよ」