1
夜更けなのに、明るい空と。
舞い散る桜と。
輝く大地と昼のように真白い月。
「あやかしごときがわれの邪魔をするか」
言った声音は桜巳だった。
「やめておけ。その命無駄に散らせることになるぞ」
「たかだか人間のか弱き器に降臨なされた程度で、この鬼哭に勝てるとお思いか?我らが父よ」
淡々と言葉を返す氷流の声に、いつもの余裕は見えなかった。
特に言葉が変わるわけではない。
声音に不安が響くわけでもない。
けれどそれでも、氷流が。桜巳に宿ったなにものかに畏怖を感じているのは確かだった。
「千早、離れておとなしくしていろ。巻き込まれるなよ」
神の宿った桜巳にひたと視線を合わせたまま、平板な調子で氷流はいう。
その声色からは感情というものが、ことごとくそぎ落とされているように感じた。
視線はひたと桜巳にすえられ、おそらく意識の9割方はそちらに集中しているようだった。
氷流……
声には出さずにその背中をみつめる。
桜巳に宿ったものを、氷流は「神」だといった。
光を司る闇無の神――創始の神のひとはしら。
自分の望みを容れて、氷流はその神と対峙してくれているが、もしかしたら自分は、とんでもない間違いをしでかしたのではないかと不安になる。
いかに氷流が強い〈力〉を持つあやかしだとはいえ。
仮にも神と名乗るものを相手にして、勝てるものなのか。
いや、勝てなくてもいい。負けさえしなければ。
もし氷流が自分が巻き込んだせいで、しないでもいい戦いを挑んで。万が一にも負けてしまったらどうすればいいのか。
だが。
氷流に頼むより他に、自分では桜巳を救う術を見出せなかったのは事実だ。
そして自分は。
どうしても桜巳に無事でいてほしい。
動いたのは、どちらが先だったのか。
ゆらり、と氷流の姿がぶれた気がした。
次の瞬間には、真白い髪が風になびく残像だけが見える。
千早の目では追いきれなかったが、おそらく同時に桜巳も動いていたはずだ。
大地が鳴り、中空に稲妻が走った。
「ふむ、動かしにくい人間のよりましにも、多少は利点があるようだな」
くつくつと桜巳が低く笑った。
「おまえ、この器を傷つけられぬ理由でもあるのか」
ちろりと出した舌先で、桜巳は赤く濡れた指先を舐め取った。
あかく、ぬれた指先?
認識した事実にはっとして、千早は氷流をみやった。
「……気にするな。大事無い」
氷流に目を向けた途端、そんな言葉が返ってきたが。
その左腕が真っ赤に染まっているのを見れば、震えが走るのを止められない。
「器を傷つけまいとしていれば、先に死ぬのはおまえであろうよ。まあ、われには都合がいいが!」
言いながら、桜巳が駆けた。
今度も千早が目で追えたのは、その艶やかな長い巫女の衣のみ。
氷流は応えずにただ大地を蹴る。
今度は先ほどよりも長く、二人の間に火花が散った。




