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陽が傾き、市場を行き交う人々の姿がまばらになってきても、那智からの使いはまだ来ない。
団子はとうに食べ尽くしたし、多岐もさすがに疲れたのか、だいぶ静かになっていた。
もはやきちんと立っていようという気も失せ果てて、木陰で座り込んでいたが、半日以上も待たされているのだから、これくらいは許されてもいいだろう。
「那智様こねえな」
呟く多岐の声に元気はない。
「これさ、もう誰もこねえクチじゃねえ?」
千早は驚いて、まじまじと多岐を見つめる。
んだよ、という不機嫌な眼差しが返ってきた。
「いやぁ、あんたが後ろ向き思考とか珍しいなと思ってさ」
「千早、お前俺のことなんだと思ってんだよ」
「無駄にうるさい前向き思考少年??もしくは無謀な猪突猛進少年」
ろくでもねえな、と多岐は呟いたが、やはりそれ以上は突っ込んでこない。疲労が限界にきているのだろう。
遠くにかすむ山脈の向こうに、太陽がにじんで消えていく。
紫がくすんだ空。ひとつふたつ、瞬きはじめる星。暗くなる空とは対照的に、今まで白くまどろんでいた細い月が銀の光を帯びはじめる。
さっきよりも、少し体力が戻ってきたような気がした。
我らは輝無様の眷族なれば、と言った女の声が耳の奥によみがえる。
やはり、自分はあの日、人とは『違って』しまったのだろうか。
おれの〈力〉を分けてやる。
そう言ったあのあやかしとは、あのときから会ってはいない。というよりも、会えないのだ。
目覚めた時には既にその姿はなかったし、探していろいろ問いただそうにも、手がかりも何もない。 おまけに状況から、夜斗を氷塊に封じたのは千早だということにされてしまっていたし。誤解だといくら言っても聞き入れてはもらえず。桜巳は千早を見るたびに恨めしげな眼差しをするし、夜斗を封じるほどの呪の使い手ということで里人からは遠巻きにされる。
第二の故郷とまで思っていた桜ヶ淵だったが、だんだんと億劫になって。気がつけば顔を出さなくなって、もう季節が二巡りするだけの時間すぎている。何とかしなくてはとは思っても、どうすればいいのか、皆目見当もつかない。
何度目かわからないため息をついて、千早は空を仰ぐ。
先ほどの女がなにかを知っていたのかもしれないとは思うけれど、すべては後の祭りだ。もう一度出てきてくれれば、問うことも出来るだろうが、人生なかなかそううまくは転ばないのだ。
「わあ、キレイね!」
あとから思えば、なぜその言葉だけを雑踏の中から拾えたのかわからない。
つらつらと自分の思考に沈む千早の耳に、その言葉はいやに明瞭に飛び込んできた。
「いいでしょ、これ桜珠っていうの! 桜ヶ淵の特産品だよ!」
年頃の娘がふたり、楽しげに話しながら、横を通り過ぎていくのが。白黒の世界でそこだけ色づいているかのように、はっきりとわかった。右側を歩く娘の手首に、桜色に色づく珠を連ねた腕輪がはめられている。
遠目だったけれど、それは確かに桜珠だと思った。
桜珠――桜ヶ淵に映った桜の色を呪で絡めとって『夜斗が創りだした』もの。
どくん、といやな風に胸の奥が脈打つ。
あれから二年。
夜斗が氷塊に閉じ込められてから、新しい桜珠は市場に出回ってはいないはずだ。
病を癒す薬としても用いられる桜珠の値はつりあがり。庶民が一年分の給料を吐き出したとて、ひと粒買えるかどうかというほど高価な代物となっていた。
そんな高価な代物を、町娘が、腕輪にしている?
とてつもない異常事態だ。
聞かなくては、と思った。
なにを?そんなことはわからない。
わからないけれど、このまま見過ごしては、いけない。
そんな気が、する。
頭の中をいろいろな情報が思考が一瞬にしてすぎていく。
けれど、実際にはそれほど時間は過ぎていなかったようだ。
首をめぐらして、通り過ぎた娘たちの姿を探せば、まだそう遠くないところにその後姿があった。
「あの……!」
数歩まろぶように踏み出し、声を上げる。
多岐が不思議そうに見ていたが、説明している余裕は今はない。
「すみま……」
「すみません、ちょっとお聞きしたいのですが」
千早よりもほんの一瞬早く。娘たちの行く手をさえぎった人影があった。
年のころなら20代後半。人好きのする顔立ちの青年が人のよさそうな笑みを浮かべて娘たちに話しかける。
「その腕輪、素敵ですね」
偶然、といえるのだろうか?
「どこで買われたのですか? 彼女に贈りたくて……教えていただけませんか」
にこにこと問う青年には何の思惑もないようには、見える。
見えるけれども、偶然というには出来すぎている。
娘たちにいろいろと問うていた青年が、ふと気づいたようにこちらに視線を向けてきた。
ほんの一瞬、ひそめられる眉。
けれど次の瞬間にはにこりと笑い、かすかに。本当にかすかにかぶりを振ったのだ。
何もするなとでも、いうかのように。




