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まどろみの月 めざめの陽  作者: rit.
第六章 桜巳
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 月が昇り、陽が沈み、星が流れ、また陽が昇る。

「……めまぐるしいところだね」

 時間が恐ろしい勢いで流れていくようだが、千早の体感時間としては、まだ丸一日もたってはいない。せいぜい半日といったところだろうか。

 どこからか氷流が連れてきた、2頭の真白く巨大な狼のような獣。そのうちの1頭にまたがり、細い道を疾駆していた千早は、6度目に陽が昇ったあたりでそんな感想を呟いた。

「狭間だからな」

 対する氷流の答えは、少なくとも千早にとっては答えになっていないものだ。

 走る獣の力強い躍動が伝わってくる。豊かな毛並み、分厚い毛皮の下で確かに動く筋肉とごつごつとした骨の感触。乗り始めの最初のころこそ、体の均衡を保つことに苦労したものだが、今はもうだいぶなれた。

 飛ぶように流れていく景色に、ほんのわずかにめまいを覚える。

「狭間ってなに?」

 横は見ないほうが賢明かもしれない。

 視線を前に固定して、千早はゆっくりと聞いた。

 そうしている間にも、太陽は中天をすぎ、あたりは夕暮れに差し掛かっている。先ほどは温められてじんわりと暑かった空気も、いまでは涼しさを感じるくらいの温度となっていた。本当に、なんてめまぐるしいのだろう。

「人間のすまう世界と、神のすまう世界の狭間とでもいえばいいのか。ここはおまえが通常在る世界とは時間の流れが違う」

 乗りなれた様子で獣の背にある氷流は、言葉を選びつつ説明しにくそうにそういった。

 もしかすると、あやかしにしてみれば基本常識なのかもしれない。基本的な感覚でわかっていることを、言葉に直すのはひどく骨が折れることだ。

「神隠し、という言葉があるだろう?」

「ああ、いきなり人間が不可解に消えるあれ」

「ここは神隠しにあった人間が迷い込む世界だ。稀に戻れることもあるが、戻れぬものが大半だ。おまえも道をそれるときは迷わぬように気をつけるといい。あやかしとはいえ、迷わぬものではないからな」

 こんな得体の知れない場所で氷流から離れる気にはなれないが、うなずいて承知の意を示すと、氷流はうっすらと微笑んだ。

「もうつくぞ。ついたら少し休むといい」

 空にはいつの間にか星がまたたいてる。

 細い細い道が、草原のまんなかでなぜかぷっつりときれていた。

 なぜ、と思う暇さえもない。

 走る獣たちがその切れた部分を超えた瞬間、激しく視界がゆがんだ。夜が急に切り替わる。まぶしいほどの陽光が目にしみて、突如として止まった獣の背から放り出されそうになった。

「大事はないか?」

 落ちなかったのは、ひとえに先に獣から降りていた氷流が横からすばやく支えてくれたからにほかならない。

「すまなかったな。ここはもう桜ヶ淵の領域なれば、おれの〈力〉がうまく及ばなかったようだ」

 狭間とやらからこちら側に戻ってくるときに感じた衝撃のことをいっているらしい。

 大丈夫、と口にすれば、氷流はほっとしたように表情をゆるめた。

「ここは桜ヶ淵なの?もう?」

 通常なら、芽津から北へ。馬などの乗り物を用いたところで7日ばかりはかかるところに桜ヶ淵は位置する。だが獣に乗って駆けてきた距離の体感時間は繰り返すがせいぜい半日ほどなのだ。

 千早の問いに、氷流が無言であたりを示す。

 こんもりとした森、今は葉が茂っているその木々は確かに桜ばかりだったし。森の中央に遠くそびえる山肌を流れる渓流は白く激しい。どこも、千早には見覚えのある風景ばかりだ。

「桜ヶ淵、だ」

 ぽつりと呟けば、氷流が無言でうなずく。

 2年ぶりの風景。そう思えば、胸の奥がきしむように痛んだ。

「……桜巳」

 もう会うことはないかもしれないと思って、桜ヶ淵を離れたあの日が鮮やかによみがえってくる。

 桜巳は今も元気なのだろうか。彼女の平安をずっと願ってきたけれど、いざこれから会いに行くと思えば、どうしても怖さに体がすくむ。

 あなたのせいだと無言でせめるあの瞳ともう一度対峙するのは、思っていたよりもずっと勇気を必要とすることだったようだ。

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