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青く澄んだ空、白い雲。
陽射しは暖かく、頬をなでる風は少しばかりひんやりとして気持ちがいい。
人は絶え間なく行き交い、客引きの声もにぎやかだ。
「ヒマだわ……」
そんな人波をみつめ、千早はぽつりとつぶやいた。
「ヒマとか言うな! やる気なくなるだろうが!!」
そのつぶやきに間髪いれずに噛み付いたのは、千早よりもはるかにやる気のなさそうな、短髪の少年だ。先ほどから足元の小石を蹴飛ばしてみたり、地面に足で穴を掘ってみたりと、退屈さを全身で表現している。
「なくなるほどのやる気があるわけ……?」
「なんだと!」
「ううん、なんでもない……」
はあ、と千早も少年に負けず劣らずやる気のないため息をついて、また流れる人波に目をやった。
何の変哲もない、平和な市場だと思う。特になにかしらの異常があるわけでもなく、時折起こるいざこざも日常の範囲で。いったい自分が何のためにここに夜明け前から突っ立っているのか、実のところよくわかっていなかった。
「それにしても、那智様はなんだって、ここに立っていろなんておっしゃったのかしらねぇ」
ことのはじまりは、昨日の夕方までさかのぼる。
昨日は、特に千早に当てられた古種族狩りの仕事もなく。苦手な分野を勉強をすべく、資料室にて分厚い辞書と格闘していた時のことだった。
「ほほお。感心だね」
少し嫌味を含んだ声音で、というのは千早の僻みも多少は混じっているのかもしれない。
声をかけてきたのは、壮年の神官姿の男で、白連塾でも一、二を争う実力の影狩師だった。
「そなた、明朝より市に立っておれ。わしが使いをよこすまで、励めよ」
なぜ、も。なんのため、も。
那智はまるで説明をしなかった。
けれど、それに異を唱えられるほど、千早は無知でも無謀でもない。権力に逆らうのは面倒だし後々厄介だ。とりあえず巻かれておけと、今現在にいたるのだが。
「あやかしがでる、とか。……あるわけねえよなぁ。だって芽津だぜ、ここ」
古杜半島の西側の付け根に位置するここ、芽津の都は、別名を『あやかし狩りの都』という。なんのことはない、ただ単に、唯一の古種族狩りの組織たる白連塾がその本部をおいているから、というだけなのだが。
いかに相手があやかしといえど。影狩師が数人でかかれば倒せない相手ではないし。
そもそも古種族の中でもあやかしという種族は面倒くさがりが多いらしく、強いて影狩師とことを構えようとはしないものが多かった。そんな彼らがわざわざ芽津にやってくる。という可能性は極めて低い。
「なぁ、千早。お前なんで命令された時に聞いとかねえんだよ」
「多岐……」
自分で答えを求めることをあきらめたらしい少年が八つ当たり気味言ってくるのに、千早は思わず口をへの字に曲げた。
「んだよ」
「じゃあ聞くけどさ、あんただったら、那智様に命令されて、なんでですか?とか聞けんの?」
問えば、一瞬の沈黙。流れる微妙な空気。
「……ムリに決まってんだろ」
ぼそりと少年・多岐がつぶやいたのを最後に、二人の間に会話は途切れた。
無言のまま、行き交う人々を眺め、見つめ、あくびをし。ため息をつき。
「……おなか減った」
「言うな!!!」
ふと団子屋ののぼりが目に入ったとたん、千早の口からこぼれた言葉に。多岐はまたすごい勢いで噛み付いてきた。
「俺だって腹が減ってんだ!!」
そりゃそうだろう、と思う。
まだ夜も明けきらぬうちからここに立っているのに、もう太陽は中天に差し掛かっている。ちょうどお昼時で、おなかも減る頃合だ。
「疲れた……」
「だから言うな!!!」
仕事で走り回ってるときはたいして思わないのに。かえってじっとしているときのほうがだるいのは何故だろうといつも思う。
それにしても、多岐は元気だ。
千早にはいちいち噛み付く気力はもはや残っていない。
団子ののぼりが、風にひらひらと揺れているのまでおいしそうに見える。
とりあえず休憩がしたい。なにもしていないけれど。
とりあえずご飯が食べたい。団子はご飯じゃないけれど。
那智の使いは一体いつ来てくれるのだろうか。というか、そもそも本当にきてくれるのだろうか。
「随分と長い人待ちですこと」
くすっと笑う女の声が、間近で聞こえたのはその時だった。
気配を感じなかったのは、ただ単に疲れて気が緩んでいたせいなのか。
反射的に構えた千早が見たのは。長い髪を古風な形に結い上げた美女で、手には何故だか、先ほどから食い入るようにしてみていたのぼりの団子屋の団子がある。
「そう警戒なさらないで下さいませね。わたくし六花と申しますのよ、千早様」
嫣然と笑う女は美しかったし、特に敵意も感じない。
けれど。
なにかしらの違和感がある。
空気は張り詰めているし、流れる時間が歩みを遅くした気さえする。
「闇無様の光は、われらには毒でございましてよ。あまり長くあたっていることはお勧めできませんわ」
「何のこと……?」
闇無は、光の男神の別名で、いうなれば太陽のことだ。光に当たるな、と女がいっていることは理解できる。けれど、理由がわからない。
「われらは輝無様の眷属なれば」
闇の女神の名をあげて、女はさらにうっすらと笑う。
「もう少し日陰にお入り下さいませ? 那智如きの思惑にはまるのは、わたくしといたしましても業腹ですわ」
「どういう……」
女が何を言おうとしているのかがよくわからない。
けれど、問いただす前に。女は手にしていた団子の皿を押し付けてくるりと踵を返す。
「あああ!」
ぐにゃりと景色がゆがんだ気がしたのは、もしかしたら気のせいではないのかもしれない。
「千早、お前いつの間に団子を!!!」
ただ、夢ではなかった証拠に、千早の手にはしっかり団子の皿があって。
「抜け駆けするなんてずるいぞ!いつのまに買いにいったんだ!!ずっと俺の横に立ってたと思ったのに!!! よこせ!!!」
わめく多岐が非常にうるさい。
先ほど感じた違和感はきれいさっぱり消えているし、時間の流れも特に遅いという気はしない。
さっきの女はなんだったのだろう。
多岐は先ほどの女にまるで気づいていないようだし、なんらかの〈呪〉が使われたことは間違いがなさそうだが、何をしにきたのかがいまいちわからない。
「……あやかし?」
「よこせええええ!!!!」
闇の女神の眷属だといっていたから、もしかしたらそうなのかもしれない。
芽津に入り込んでくる物好きがいるとは驚きだが、元来あやかしとは気まぐれな存在だ。
ただ気になるのは、千早の名前を呼んだこと。
よくわからないが、なにやら面倒ごとの予感がする。
ぎゃあぎゃあとわめいている多岐はとりあえず無視をすることにして。
皿の団子をぱくりと食べて、千早は深々とため息をついた。