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多岐は、桜色の輝きがなんなのかはよくわからない。
けれど、千早や風視が、桜ヶ淵を気にしていたことは知っている。桜ヶ淵の特産品が、桜珠と呼ばれる桜色の宝珠であることも。本来なら値も高く、こんなにも普及していないということも。
だが、桜色の輝きは、少なくとも多岐の目には本物であるように見えた。
眉を寄せ、思案をしたまま。
多岐は店員の少女が持ってきた団子をひとつ持ち上げた。
濃い緑色をした、粉末のお茶を練りこんである団子だ。甘さの中にほんのりと茶が香る。
「わしもひとつ、もらってかまわんかね」
隣に誰かが座った気配は、確かにした。
とはいっても、椅子は横に長い椅子だったし、もともとこんな茶店では相席が基本だ。だから、気にも留めていなかったというのに。
横合いから響いた聞き覚えのあるその声音に、多岐は少なからず驚いて、団子を喉に詰めそうになった。
「そう驚かんでもいいだろう」
多岐が返事をしていないにもかかわらず、声の主は当然のように、多岐の皿から団子を取った。
げほげほと盛大に咳き込んでいる多岐に哀れむような一瞥をくれ、のんびり団子を食っている。
「な、那智様!」
「芽津に戻ってきているという話を小耳に挟んでな、様子を見に来たのだ」
はあ、と呆けたまま多岐は相槌を打つ。
那智はそんな多岐の動揺には気づかぬように食べかけの団子をかざして眺め、なかなかうまいなとそんな感想を口にしたりしていた。
「あ、あの……?」
得体の知れない風視やなんだか敵意をひしひしと感じる鬼哭とかいうあやかしも苦手だが、那智は那智で雲の上の人という認識が苦手意識をかきたてる。
もっとも風視も雲の上の偉い人なはずなのだが、風視に関してはなんとなく、得体の知れなさのほうが勝っているような気がしていた。
「都隠へいってきたのだろう。どうであった?」
「ど、どうとは?」
「邪言のこと、都隠のあやかしの元へといっていたのであろう?」
ぐほ!げほ!!と多岐はさらにむせた。
「心配は要らぬ。そなたが邪言のように古種族どもと通じているとは思っておらん」
邪言、というのは多分風視のことなのだろう。
焦ってなかなか喉に詰めた団子を飲み下せない多岐とは違って、那智は平然と、いつのまに頼んだのか熱い茶をすすっている。
「えっと……」
どうしたらいいのだろう。
自分でもたいして回転のいいとは思えない頭を、多岐は必死で動かした。
都隠で得た情報は、実のところたいしてない気がする。もともと千早をあのあやかしのところに連れて行くのが唯一にして最大の目的だったようだし、その帰り際にときめぐりの民のところへ寄ったのは言ってみればおまけみたいなものだ。
そこで得た情報らしきものは、実際多岐にはちんぷんかんぷんだった。
ときめぐりの民のところから盗まれたらしい技術。盗んだのはおそらく初老の男で、風視と鬼哭というあやかしは那智だと思っているらしいということ。
桜ヶ淵が最終目的地だというものの、その目的地と那智を調べることといったいどういう関係があるのかなんてことは予測もつかなかったし、それを那智にいってもいいのかどうかということは迷うところだ。
だが、白連塾を担う影狩師のひとりとして、崇高な理想を掲げた那智が、何も言わないまま多岐を逃してくれるとは自分でも思えない。
ううう、風視さぁん……
心の中で助けを求めてみるものの、風視の姿は影も形もなかったし、なによりここで風視が戻ってくるのは多岐的には少しまずい気がするのだ。風視がここにやってきて、那智と対峙すれば、もしかしたら自分は風視よりになったと思われてしまうかもしれない。
千早を、白連塾で守っていくには、那智は敵に回してはいけない存在だと思う。
「俺、よくわからないんです」
迷った挙句、多岐は正直に自分の無能ぶりを報告することにした。
下手な画策が通用する相手とは思えないし、実際わからないことのほうが多いのだから、この言葉は嘘にはならない。
「とりあえず、桜ヶ淵に行くみたいです」
「ほう?」
行き先くらいは那智ならその気になれば簡単に調べられるだろうと踏んで、ばらしてしまう。
変なふうに心臓はどきどき暴れているし、背筋にはいやな汗が伝いまくっている。失敗したら一巻の終わりだ。平穏な日々は帰ってこない。
自分にとっても、なにより、千早にとっても。
「桜ヶ淵の2年前の結末の様子を見に行くというようなことをいってました」
言葉を選びながら、多岐は慎重に口を開く。
ふむ、とうなずいた那智は、もう一口茶をすすって少し首を傾げた。
「あの娘はどうした?」
きた!と思った。
この質問はきっと来ると思っていた。
だが、一番答えにくい質問であったから、できればされないことを祈り続けていた。
「千早は……」
唇がからからになっている。
だがまさか、あやかしへの変化途中で芽津にはいれないので、都を迂回してあやかしとともに桜ヶ淵へと向かいました、なんてことを馬鹿正直に吐いてしまうわけにもいかない。
古種族嫌いの那智に敵認定されてしまうこと間違いなしだ。
「なんか具合が悪くなって。俺たちだけ先に戻ってきたんです」
「具合?」
頼むから突っ込まないでくれ!という願いもむなしく、那智が質問を重ねてくる。
多岐は泣きそうになりながらも表情は思案するようにつくり、ちらりと那智を見やった。