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風視の視線はやわらかい。
ただじっと、こちらの反応をみまもっているようだ。
「……当たり前のこと、なんですよね」
「そうだね」
聖人君子もいれば、悪人もいる。
優しい人もいれば、冷たい人もいる。
そんなことは当たり前のことなのに、自分とは異なるものと認識するだけで、十把ひとからげにできてしまうのはなぜだろう。
こういう種族だ、と決め付けてしまえるのだ、何を疑うこともなく。
「白連塾では、なぜ教えないのですか」
あやかしをはじめとする古種族は、すべて敵だと、白連塾はみなに教える。
敵だから、倒さねばならないものだと。
今、風視が言ったことと、まるで正反対のことを、ひどく正しいことのように。
風視の言葉を自分の中でかみくだいてからゆっくりと問えば、風視の笑みがほんの少しだけ深くなった。
「あやかしと人間の間の溝は深い。そう簡単には分かり合えないさ」
風視には、風視の。言い分があるのだろう。
納得できるものではなかったが、じゃあ何が正しいのだと問われれば、千早には答えられない。
「それにさ、彼らが敵というのもあながち間違ってはいないんだ。古種族は基本的に人間と関わろうとしない。それをあえて関わってくるのは、人間に害意を持っているものがほとんどだ。その害意を持っているものにたいして、本当はいい存在なのかもしれない、なんてことを考えていたらやられるのはこっちだからね」
残念なことだけど、と風視は言葉をくくった。
やがてどちらからともなく口を閉ざし。二人の間には沈黙が満ちる。
けれどそれは、そう長い間でもなかった。
「さて、そろそろ行こうかな」
そう切り出したのは、茶色い小鳥がピイと鋭く鳴いた直後のことだった。
「え?」
千早が戸惑ったのもむりはない。
休憩にはいってすぐ、出かけた多岐がまだ戻っていないのだ。
古種族を敵と認識するごく普通の影狩師たる多岐を、古種族が多くすまうとされるここに見捨てていくのはさすがにどうかと思う。
もっとも、この都隠の山にはいってから、特に古種族を見かけた覚えもなかったけれど。
「あの……多岐は?」
「ああ、うん。しばらく戻ってこないから大丈夫」
「え……あの。どういうことですか?」
牙獣の背に荷物をくくりつけながら、ちゃくちゃくと出発の準備を進める風視に千早はさらに問うた。
「多岐くんは、里のほうまで買出しに行ったんだ」
「……里?」
里なんて、この付近にあっただろうか?
少なくとも、獣道を分け入ってる時に見た覚えはない。
「うん、里。封呪の民が住まう里がその下のほうにあるんだ。だからそこまで」
「……ここから見ても、特に里らしきものは見えないんですけど……遠いんですか?」
「いや、近いよ」
あっさりと風視はいった。
ほんの少し目をすがめて、木立の合間をじっとみつめる。
「近いんだけど、呪がかかっているからちょっとやそっとのことでは見えないんだよね」
「あの、多岐にはそのことを?」
「うん、言ってないよ」
なんてやつだ!
千早は危うく吐き出しかけたその言葉をすんでのところで飲み込んだ。
風視は千早のそんな様子に気づくふうでもなく、淡々と言葉を継ぐ。
「封呪の民は人間だけど、〈呪〉を良く使いすぎて、時の帝に疎まれてここに逃れてきた。隠れるために呪を用いるのも当然だよね」
当然かもしれないが、多岐がそのことを知っていたとも思えない。
と、いうことは。
多岐はきっと一生懸命命じられた里を探している。見えないことにも気づかないままで。
……多岐は一体どこまで走っていったのだろう……
「あの、多岐を探しには……」
「いく必要はないさ。一応見張りは飛ばしてあるし」
と、いうことは。
確信犯だったというわけだ。
思わず非難がましいまなざしを向けると、風視はちょっと肩をすくめた。
「許してよ。まさかあやかしの主に会うのに、一介の影狩師を連れて行くわけにも行かないだろう?」
「わが主は気になさらないと思いますけれどね」
風視の弁解に答えたのは、まだ声変わりもすんでいない、少年の声だった。
「お初に御目にかかります、千早さま」
一見貴族の子供のようにも見える、まだ稚い少年だ。
「わたしは天花と申します。お見知りおき下さいませ」
ぺこり、と丁寧にお辞儀をすると、今度は風視に向き直る。
「風視の君にもご機嫌麗しく。お久しゅうございます。お迎えに上がりました。おいで下さいませ」
天花はまるで恐れる風もなく、牙獣の手綱をとった。
首の辺りを優しくなでてやった後、ゆっくりと先にたって歩き始める。
ふとみれば、坂を上りきった先に、先ほどは見えなかった豪奢な門が見えた。