お友達って事にしとけ ~ステップ・バイ
レッスンスタジオの休憩スペース。
壁際の長テーブルには、スタッフが差し入れた個包装のお菓子やチョコレートが無造作に並べられていた。甘いものに手を伸ばす子もいれば、カロリー表示を見て戻す子もいる。その横にはミネラルウォーターやお茶のペットボトルが入った箱が置かれ、更にダイエットを気にするメンバー向けなのか、野菜ジュースのパックまで用意されていた。
新曲に向けたダンスレッスンの合間。
激しいレッスンがひと区切りつき、緊張感が薄れていた。鏡の前で自主的に動きの復習をしている子達もいれば、床やソファに座って喋っている子達もいる。その中で、麗奈はスマホを見ながら、どうしても口元が緩むのを止められなかった。
スマホの画面を見つめるたびに、先日の事が頭をよぎる。
あの日の夜。
STELLA-Rootsの佐伯紬と二人でゴハンに行った。
ただそれだけ。それだけなのに、思い出すだけで顔が熱くなる。
テーブルの上には飲みかけのペットボトルや新曲の歌詞カードが散らばり、ソファではメンバーたちが思い思いにくつろいでいる。
そんな中でも、麗奈だけはどこか落ち着かなかった。スマホの画面を見ては消し、また見ては消す。別に連絡が来ているわけではない。あの日のメッセージのやり取りを繰り返し見ているだけ。見て、思い出しているだけ・・・自然に口元が緩む。
「れーな」
向かいから声が飛んできた。ソファに寝転がっていいた舞花がゆっくり起き上がる。
「何?」
「顔」
「顔?」
麗奈が首をかしげると、隣にいた沙耶も麗奈の方を覗き込む。
「ニヤニヤしてる」
「してないもん!」
即答した瞬間、周囲から笑い声が上がる。
「今の反応がなんか、もう怪しい」
「絶対なんかあった」
「分かりやす過ぎるんだけど」
「えー、何もないって!」
麗奈は慌てて否定するが、みんなの視線はますます楽しそうになるばかりだった。
「してるしてる」
「めっちゃしてる」
「恋する乙女じゃん」
「きゃー」
「違うもん!」
麗奈は慌てて否定した。けれど否定すればするほど怪しくなる。わかっているのに止まらない。別に隠すような事じゃない。でもまだ秘密にしたい。
だって嬉しかったのだ。テレビで見ていた人。同じ業界に入ってからも、ずっと遠い存在だった。
あっちは誰もが知る人気グループSTELLA-Rootsのメンバー。
こっちはようやく名前を覚えてもらえるようになった売り出し中のアイドル。sweetの1人。
おいそれと近づけるような相手じゃない。だからこそ、初めて向こうから声をかけてくれた時は、本当に嬉しかった。
そんな人と2人でゴハンに行った。それだけで浮かれない方がおかしい。
「で?」
絹羽が興味津々といった様子で身を乗り出す。
「誰と行ったの?」
「紬くん」
間髪入れずに返した麗奈に、周囲のメンバーが顔を見合わせる。
「うそぉ」
「紬って言った? まさかSTELLA-Roots?」
「いやいや、ないでしょ・・・」
「いつ連絡先聞いたの?」
しまった、と麗奈は思った。
あまりにも反射的だった。少しくらい考える素振りを見せればよかったのに、先日の紬くんの笑顔が頭に浮かんだ瞬間、言葉が勝手に口から飛び出していた。
料理を取り分けてくれた事。話をちゃんと聞いてくれた事。別れ際に「また機会があったら」と自然に言ってくれた事。社交辞令だったのかもしれない。でも思い出せば思い出すほど頬が緩みそうになる。
「夢でも見てる?」
「いや、ほんとに優しかったの!」
慌てて、麗奈は叫ぶ。だが、必死さが伝わったのか、ソファに座っていた舞花が肩を震わせた。
「うわー」
「終わったな」
「ごちそうさまっ」
「どこまで行ったの?」
「行ってないっ」
麗奈が否定しても、簡単には止まらない。
「怪しい」
「あやしいね~」
誰かが茶化すたびに、休憩室の空気がどんどん賑やかになっていく。
テーブルの上に置かれたペットボトルが揺れるほど笑い声が広がり、何人かはスマホを置いて完全にこちらへ意識を向けていた。
麗奈はクッションを抱えて唸った。どうしてみんなそんな反応をするのだろう。ただゴハンに行っただけだ。それだけなのに・・・そう自分に言い聞かせながら、期待しているのも事実。胸の奥がふわふわと落ち着かない。
先日の時間が思っていた以上に特別だった事を、自分自身が一番わかっていた。
「違うってば!」
思わず声が大きくなる。
けれど、私の反論なんて誰も本気で聞いていない。
爆笑が起きる。ソファに座っていた舞花はクッションを抱えながら笑っているし、隣の絹羽はテーブルを叩いて肩を震わせていた。休憩スペースの空気は完全に私をからかう流れになっている。
「何が違うの~?」
「手は繋いだ~?」
「ハグとかは、ねぇ?」
「そういうんじゃないし!」
そう言い返しても、みんなの顔にはニヤニヤした笑みが浮かぶばかりだった。
「はいはい」
「信じてない!」
「信じてる信じてる」
適当な返事に、さらに頬が熱くなる。
絶対に信じてない。だって全員、面白いおもちゃを見つけたみたいな顔をしている。
「絶対信じてない!」
私がそう叫ぶと、また笑い声が広がった。
その時だった。
「やめとけ」
野太い声が飛んできた。
休憩スペースの空気が一気に固まる。一同が振り向く。
ソファの端で缶コーヒーを飲んでいたマネージャーが、面倒そうにこちらを見ていた。当然、会話は聞こえていたのだろう。面白がって聞いていたのだろう。
「外側が綺麗だからと言って、中身まで清廉潔白、高潔で、お綺麗とは限らないぞ」
「違うもん! 綺麗だもんっ」
麗奈は即座に反論した。考えるより先に言葉が出ていた。
先日の紬くんを思い出す。向かい合ってゴハンを食べて、微笑んでくれて・・・。店員への対応も自然だったし、話も・・・何を言えばいいのかわからなくなった時は、さりげなく話を続けてくれた。
むしろ想像以上だった。だから、マネージャーの言葉は違うと言える。
「絶対違うもん」
そんな麗奈を見て、マネージャーは鼻で笑った。
「はいはい」
「信じてない!」
「別に否定してねぇよ」
マネージャーは缶コーヒーを口元に運びながら肩をすくめた。
「ただな、人間なんてそんな簡単に奥底まではわからねぇよ」
麗奈は唇を尖らせた。たった一回ゴハンに行っただけだ。でも、だからと言って先日の紬くんまで否定されたくない。あの時間も否定されたくない。紬くんは優しかった。それだけが事実だ。
マネージャーは四十代半ば。業界歴は長く、sweetがデビューする前からアイドルや俳優を担当してきたベテランだ。
普段は適当なことばかり言うし、口も悪い。けれどトラブルが起きれば誰よりも早く動くし、メンバー全員のスケジュールや体調まで把握している。
だからこそ、こういう時の言葉には妙な説得力があった。そのくせ、わざと人を茶化すような言い方をする。
その態度が余計に腹立たしい。
すると咲良がニヤニヤしながら言った。
「でもさー」
「ん?」
「週刊誌に撮られてたりして」
麗奈の動きが止まった。
「あ」
その可能性。今更、頭に浮かぶ。店を出た時。駅まで歩いた時。変装なんてしてなかった。普通に歩いた。警戒なんてしてなかった。紬くんが横にいるってだけで、嬉しくてそんな事考えもしなかった。
もし誰かに見られていたら。写真に撮られていたら。
「え・・・」
血の気が引く。一気に頭が冷える。
もし本当に撮られていたら大変だ。
仕事に影響が出るかもしれないし、事務所にも迷惑がかかるかもしれない。メンバーにも迷惑をかけるだろう。ファンだって面白く思わないかもしれないし、変な誤解だって生まれるかもしれない。
噂だけが独り歩きして、勝手な話が作られる。
芸能界では、よくある事だ。
・・・でも。
そんな風に噂になるくらいには、紬くんと二人でいたという事なのかもしれない。
そう思った瞬間、自分でも呆れるほど胸の奥がくすぐったくなった。心配しなきゃいけない場面なのに。少しだけ嬉しいと思ってしまった自分がいる。
だがマネージャーはあっさり言い切った。
「絶対に出ない」
「え?」
麗奈は思わず聞き返した。あまりにも迷いのない言い方だったからだ。まるで今日の天気を言うみたいに当然の事として断言された。
麗奈の頭の中では、さっきまで週刊誌の見出しが勝手に踊っていた。
『人気アイドル同士、深夜の密会』
『STELLA-Roots 佐伯紬 sweet 麗奈 熱愛発覚』
『極秘交際』
『ゴールイン秒読みか?!』
そんな文字が浮かんでは消えていたのに、マネージャーは鼻で笑うような顔をしている。
「そんなの言い切れるの?」
麗奈は恐る恐る聞く。
「言い切れる」
即答だった。
「なんで?」
「なんでって」
マネージャーは缶コーヒーをまた一口飲んだ。
「オマエラ、週刊誌って何でも勝手に載せられると思ってるだろ」
「違うの?」
咲良が首を傾げる。
「違う」
マネージャーは呆れたように首を振る。
「載せる前に当然こっちに確認も入るし、事務所同士の力関係もある。そもそも飯行っただけじゃ弱い」
「弱いって・・・」
麗奈は思わす呟く。
「麗奈、オマエ、この前の仕事帰り、打ち合わせ兼ねて俺と2人で飯行っただろ」
「・・・まあ」
あった。これでもsweetの中心メンバーの1人のつもりだ。今後の仕事とか、次の新曲のイメージとか、そんな事を話しながら、2人でご飯は食べた。
「マネージャーと真剣交際って出ると思うか?」
「え・・・」
一瞬、週刊誌の見出しが浮かぶ。
『sweet 麗奈 マネージャーと真剣交際』
それはない。無理。麗奈は心の奥底から否定した。
「ない」
メンバーの誰かが吹き出す。舞花が腹を抱えて、笑いを耐えている。
「面白過ぎる・・・」
「・・・やめて」
「失礼な奴等だな、オマエラ」
「いや、だって~」
「真剣交際って・・・」
再び笑いが上がる。マネージャーは「仕様がない奴等だな・・・」って顔でため息をついた。
「実際、マネージャーと付き合ってる芸能人もいるぞ」
その言葉に、みんなぴたりと止まる。
「え、いるの?」
「普通にいるぞ」
マネージャーは当然の事のように言うが、だが麗奈的にはなしだ。
「でも、週刊誌に出る奴もいれば、出ない奴もいる。それくらいで熱愛って書かれてちゃ、おちおち誰かと飯も行けねぇ」
麗奈は少しだけ安心しながらも、芸能界ってそういうものなのかと妙な感心をしてしまった。そうか。芸能界だからといって、誰と食事をしても即熱愛になるわけではないのか。
考えてみれば当たり前だ。
仕事の付き合いもある。友人関係だってある。スポンサーとだってある。人と会うたびに記事になっていたら、まともな人間関係なんて築けない。
それでも、どこか不思議な気持ちだった。芸能界に入る前の自分なら、週刊誌に載っている事が全部だと思っていた。
表に出るのはほんの一部。
その裏には事務所同士の交渉や駆け引きがあって、表には見えない大人達が動いている。
「もし撮られたとしても、あっちの事務所にご機嫌伺いして終了」
「え?」
麗奈は思わず聞き返した。ご機嫌伺い。言葉だけ聞くと、なんだか近所への挨拶みたいだ。だがマネージャーは当たり前のように続ける。
「代わりに、新曲の情報とか映画出演を先にリークするってとこかな」
「・・・」
休憩室が一瞬静かになる。
麗奈は瞬きをした。
なんだろう。今、とても大人の話を聞いた気がする。
週刊誌に撮られたら終わり。そんなイメージを持っていた。だが実際は違うらしい。記事になる前に話が動く。事務所同士で連絡を取り合う。時には別の情報を渡して、そちらへ興味を向けてもらう。
表からは見えないところで、たくさんの人間が動いている。
芸能界に入って数年。
それでも知らないことはまだまだ多い。
「こっちも同じ事するぞ」
「同じ?」
沙耶が身を乗り出す。
「まあ、麗奈の場合は誰かと二人で飯行った写真が撮られても」
マネージャーは鼻で笑う。
「うちの麗奈モテますから〜。すみません。掲載するならどうぞって話だ」
一同が吹き出した。
「ひどーい!」
「雑!」
「扱い軽い!」
「酷かねぇよ。事実だからな」
マネージャーは平然としている。
麗奈は思わずクッションを投げそうになった。
確かにアイドルなのだから、男性と食事をする機会くらいある。仕事関係もあれば友人もいる。
それは分かる。でも、もう少しこう。何というか、特別感というものはないのだろうか。
せめて少しくらい・・・紬くんとのゴハンを「よくある事」の中に括られると、なぜか悔しい。その理由を考えかけて、麗奈は慌てて思考を止めた。
駄目だ。考えたら負けな気がする。
「これがホテルから出てきたとなると話は別だ。差し止めかける」
「ホテル!?」
麗奈は真っ赤になった。
「何言ってるの!」
「例えばの話だ」
「例えばでも!」
慌てて否定しながらも、頭の中には勝手に映像が浮かんでしまう。
ホテル。
自分。
紬。
・・・いやいやいや! 麗奈は全力で首を振った。
何を考えているのだ。先日はゴハンを食べただけだ。本当にそれだけ。店を出て、駅まで歩いて。別れて。終わり。
健全そのものだった。
なのに、マネージャーの余計な一言のせいで、勝手に意識してしまう。顔が熱い。多分、耳まで赤い。
「顔真っ赤じゃん」
舞花が即座に指摘した。
「違うから!」
「何が?」
「そういう話じゃないから!」
「誰もそういう話してないけど?」
咲良がにやりと笑う。
完全に罠だった。
「うっ・・・」
麗奈は言葉に詰まる。
周囲から笑い声が上がった。
麗奈はクッションをぎゅっと抱き締め、顔をうずめた。今日は完全にみんなの玩具だ。否定しても笑われる。黙っていても笑われる。
どう転んでも逃げ道がない
「でもな」
マネージャーはメンバーの1人を指差した。
「これが舞花なら」
「え?」
突然名前を呼ばれた舞花が目を丸くする。
「飯だろうがホテルだろうが」
「ちょっと待って」
嫌な予感がしたのだろう。舞花が慌てて制止しようとする。だがマネージャーは止まらない。
「不倫でも二股でもないなら、すみません〜。どうぞどうぞ。紙面に載せてやってくださいってもんだ」
「えぇ!?」
舞花がソファから転げ落ちそうになる。
「だってお前、セクシー系で売ってるだろ」
「だからってホテルはダメでしょ!」
「いや、別に犯罪じゃねぇし」
「そういう問題じゃないっ!」
舞花が全力で抗議する。だがマネージャーはやっぱり平然としていた。
「むしろ男と飯行ってました、ホテルから出てきましたで人気落ちるタイプじゃねぇ」
「ひどい!」
「親近感湧くまである」
「それ絶対バカにしてるっ!」
休憩スペースが爆笑に包まれる。沙耶はテーブルに額をつけてぷるぷるしているし、咲良はソファにもたれたまま涙を拭っている。
「ちょっと、それひどくな〜い!?」
舞花が本気で抗議する。だが抗議の声さえ笑いを誘う。
「イメージだよ」
「イメージで人を傷つけないで!」
「そういう層からの人気が増えるぞ」
「どういう層よっ。フォローになってないっ!」
更に笑い声が上がる。
麗奈もつられて笑ってしまった。さっきまでホテルという単語に真っ赤になっていたのが嘘みたいだった。
「笑わないでよ!」
舞花が今度は麗奈を指差した。
「だって・・・」
「だってじゃない!」
完全に巻き込まれ事故である。
けれど不思議だった。さっきまで紬くんの事を考えて、一人で勝手に緊張していたのに。今はただただ楽しい。こうやって馬鹿みたいな話で盛り上がれる時間が好きだった。
仕事仲間というより、部活の友達みたいだと思う事がある。もちろん現実はそんなに甘くない。みんなライバルでもある。人気も仕事も限られている。前列に立てるのはほんの数人だ。センターになれるのはもっと少ない。
それでも、こういう時間だけは、そんな事を忘れられた。
だがマネージャーはまだ話を終えるつもりはないらしい。
「佐伯はな」
少しだけ真面目な声になる。
「お綺麗な可愛い顔で売ってるから出ないだけで」
「・・・」
「挨拶代わりに飯行くのは聞いた事あるぞ。勿論、その先も当然、な」
「えっ」
麗奈の胸がちくりとした。昨日の特別感が少しだけ揺らぐ。
もちろん分かっている。紬は人気アイドルだ。
自分だけが特別なわけがない。そんな事は最初から理解していた。理解していたはずなのに、実際に言葉にされると思った以上に胸に刺さった。
自分が特別だと思ったわけじゃない。特別になりたいとは思ったけど、もしかしたら・・・? ほんの少しくらいは・・・そんな期待をしていたのかもしれない。
そんな麗奈を見て、マネージャーは笑う。
「業界長いからな、あっちは。オマエなんて赤児の手を捻るようなもんだろ」
「ひどいっ!」
麗奈は思わず叫んだ。
「マネージャーの嘘つき!」
「嘘じゃねーよ」
「禿げてるから嫉妬してるんだっ!」
一瞬、部屋が静まる。全員の動きが止まる。
麗奈自身も言った瞬間に気づいた。あ・・・これは言い過ぎたかもしれない。だが、もう遅い。
そして。
「ぶっ!」
誰かがまたこらえきれず吹き出した。
「言った!」
「最悪!」
「れーな!」
「それだけは、ダメでしょ」
休憩スペースが大爆笑に包まれる。咲良は涙を浮かべながらテーブルを叩いていた。
マネージャーは額を押さえた。
「うっせーわ」
苦笑いしている。頭をかきながら肩をすくめるマネージャーを見て、麗奈は少しだけ胸がすっとした。だが、さすがに少しだけ悪い事を言ったかもしれない。
でも、言いたかった。
だって紬くんは優しかったのだ。本当に。向かいの席で自然に笑っていた顔が浮かぶ。何気ない会話なのに楽しくて、気づけば時間があっという間に過ぎていた。
思い出すたびに胸の奥がじんわり温かくなる。
だから、マネージャーに軽く茶化されるたびに、つい反論したくなってしまう。
別に付き合っているわけじゃない。これからどうなるかは、わからないけど。
今は、特別な関係でもない。
そんな事はわかっている。それでも、あの時間だけは自分にとって特別だった。
思い出すだけで胸が温かくなるくらい。だから否定されたくなかった。
ただ、それだけだった。
そんな麗奈を見ていたマネージャーは、小さくため息を吐いた。缶コーヒーをテーブルに置く。さっきまでとはまた少し違う空気だった。
「とりあえず」
低い声に、休憩室の空気が僅かに変わる。笑っていたメンバー達も自然と口を閉じた。
長年この業界にいる人間の「真面目な話が始まる合図」を、みんな知っている。
その声に、みんなが耳を傾ける。
「オマエラ全員、聞いとけよ」
マネージャーはソファに深く腰を沈めたまま言った。
「佐伯に限らず、誰かと付き合うのは別にいい。写真を撮られようが構いはしない」
麗奈の心臓が跳ねた。
「一応言っとくが、不倫、二股は禁止な」
「そこ大事ー」
舞花が笑いながら言う。
「当たり前だろ」
「でも言われないとやる人いるじゃん」
「いるな」
沙耶も頷いた。
「実際いるから言ってんだよ」
マネージャーは呆れたように鼻を鳴らす。
「俺が何回尻拭いしたと思ってんだ」
その言葉に、何人かが苦笑した。冗談みたいに言っているが、多分、本当にあったのだろう。この人はずっと芸能界にいる。売れた人も消えた人も、泣いた人も壊れた人も見てきたはずだ。
だから、時々こういう顔をする。普段の適当なマネージャーではなく、業界人の顔を。
マネージャーは人差し指を立てた。
「そんで、お友達って事にしとけよ」
「お友達」
誰かが復唱する。
「そうだ。写真撮られても説明できるしな」
そこで一度言葉を切る。
視線が麗奈に向いた。
いや麗奈だけではない。部屋にいる全員を見ていた。
「それに、気持ちの上でも最初から変に期待し過ぎるな」
少しだけ静かな声だった。
「相手がどう思ってるかなんて分からねぇんだから」
「・・・」
麗奈は思わず口を閉じる。
また紬くんの笑顔が頭に浮かんだ。
優しかった。
楽しかった。
また会いたいとも思った。
でも。
それは自分の気持ちだ。
紬くんがどう思っているかまでは分からない。
「この業界、顔のいいやつなんて山ほどいるし」
マネージャーは肩をすくめる。
「口の上手いやつなんて腐るほどいる」
「ひどーい」
「夢がない」
「事実だ」
即答だった。
「相手がちょっと優しいからって、自分だけ特別扱いされてると思うなよ」
その言葉に、麗奈の胸が少しだけ痛んだ。図星だったのかもしれない。自分でも気づかないうちに、あの時間を大事に思い過ぎて、少しだけ期待していたのかもしれない。
また誘ってくれるんじゃないか。また2人で会えるんじゃないか。そんな期待をしてしまうなと言われても、難しい。
あの時間が楽しすぎたからだ。
誰も笑わなかった。多分全員、少しだけ心当たりがある。
アイドルも俳優も、人を惹きつける仕事だ。だから勘違いも起きる。期待も生まれる。そして、その期待で傷つく人間もいる。
マネージャーは立ち上がると、空になった缶を軽く振った。
「まぁ、ちゃんと伝えたからなあ」
いつもの調子に戻る。真面目な話は終わりらしい。
「あと男見る目は自分で養え」
「雑っ」
「そこが一番難しいんだけど!」
「知らん」
そして、マネージャーはにやりと笑った。
「俺よりいい男なら、結婚してもいいぞ」
「そこら辺にいっぱいいるわっ」
咲良のツッコミに再び笑い声が広がる。
「失礼だな」
「事実ですー」
「そこら辺にはいませーん」
重くなりかけた空気が一気に和らいだ。やっぱりマネージャーはずるい。真面目な話をしたかと思えば、最後は笑いに変えてしまう。だからみんな付いていくのだろう。
麗奈は唇を尖らせる。反論したい気持ちはある。多分。本当に多分だけれど。マネージャーは心配して言っているし。間違ってもいない、と思う。
それもわかっていた。
だから小さく頷く。
「はーい」
気のない返事をすると、舞花が横から肘でつついてきた。
「全然聞いてない顔してる」
「聞いてるもん」
「嘘つけ」
また笑われる。麗奈は頬を膨らませながら視線を落とした。
膝の上のスマホが目に入る。そこに連絡が来ているわけではない。新しいメッセージもない。
それなのに、つい見てしまう。
頭の中には紬くんの笑顔が浮かんでいる。料理を取り分けてくれた手。楽しそうに笑っていた顔。別れ際の優しい声。
社交辞令かもしれない。芸能界の人間なら、そのくらい自然に言えるのかもしれない。それでも、また話したいな。そんな事を考えてしまう。
マネージャーのいう事は分かる。期待しすぎるなというのも、勘違いするなというのも、全部正しい。
・・・でも、やっぱり優しかったもん。麗奈は心の中で呟いた。
読んでくださってありがとうございます(*_ _)
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