第50話:赤く脈動する夜
帝都ゼノフィアへの道程は、まるで世界の喉元へと続く断頭台への行進のようだった。
魔導帆走車『嵐駆丸』は、荒涼とした荒野をひた走っていた。氷の監獄を後にして数日、景色からは白銀の雪が消え、代わりに赤黒い錆色の土と、枯れ果てた樹木の残骸だけが続いている。
進行方向の空は、禍々しいほどに赤く染まっていた。地平線を埋め尽くす巨大な影――帝都ゼノフィア。無数の工場の煙突と、天を突く摩天楼が融合したその姿は、巨大な墓標のようにそびえ立っている。都市の中央からは、心臓の鼓動のような不気味な光が明滅し、雲を赤く焼き焦がしていた。
車内の空気は張り詰めていた。アラタやナギたちが、来たるべき決戦に向けて武具の手入れや瞑想に沈む中、後部座席の窓辺には、二つの小さな影が寄り添っていた。
座敷わらしのワラシと、琥珀色に輝く「精霊の卵」である。
「……震えるでない、おチビ。あれはただのデカい鉄屑の山じゃ」
ワラシは、膝の上で小刻みに震える卵を、自身の着物の袖で包み込んだ。彼女の強気な言葉とは裏腹に、その表情には隠しきれない緊張が滲んでいる。座敷わらしとして「家」や「場」の気配に敏感な彼女には、帝都から溢れ出す「気」の異常さが、肌を刺すような痛みとして感じられていたのだ。
そこにあるのは、イザベラが求めた静寂ではない。もっと古く、もっと根源的な――世界そのものを食らい尽くそうとする「飢え」のような気配。
『……ヴゥ、ヴゥン……』
卵から、唸るような低い振動が伝わってくる。それは恐怖というよりも、天敵を前にした野生動物の威嚇に近い。森の守り神となるはずだったこの卵は、帝都の地下で眠る「何か」が、自然の摂理を冒涜する存在であることを本能的に悟っているのだ。
「そうじゃな。お主も腹が立つか」
ワラシは卵の滑らかな表面を撫でた。監獄工場『氷鎖の棺』での激闘を経て、卵は大きく成長していた。かつては冷たい石のようだった表面は、いまや内側から溢れる生命力で温かく、透き通った殻の奥には、何かの「形」がうっすらと影を結び始めている。
「大丈夫じゃ。あの都がどれほど禍々しい音を立てようと、わらわたちがアラタの『耳』を守るのじゃ」
ワラシは、運転席でハンドルを握るアラタの背中を見つめた。その背中には、リッカが鍛え上げた『共鳴外骨格・奏』が装着されている。頼もしくなった。けれど、その心根の優しさは変わらない。だからこそ、帝都の悪意に晒されれば、誰よりも傷つく可能性がある。
「お主は森の精霊、わらわは家の精霊。……本来なら出会うはずのなかった田舎者同士じゃが、ここまで来たら一蓮托生じゃ」
ワラシが指先を立てると、小さな紅い火花が灯った。それに呼応して、卵もまた新緑のような優しい光を放つ。赤と緑。二つの異なる光が混ざり合い、車内の薄暗い隅を暖かな橙色に照らし出した。
「……もうすぐ、割れるな」
ワラシは確信を持って呟いた。卵の殻に走る、光の亀裂。そこから漏れ出す力は、単なる精霊の魔力を超えて、世界の理に干渉するほどの波動を帯び始めている。帝都の「神」が目覚めようとしている今、それに対抗するように、この「森の神」もまた、産声を上げようとしているのだ。
「出てくるのがどんな姿でも、わらわは驚かんぞ。……いや、嘘じゃ。ちょっとは手加減してくれよ? わらわの寿命が縮むようなのは勘弁じゃ」
ワラシは悪戯っぽく笑いかけ、卵にコツンと額を寄せた。帝都の赤い空が、窓の外で不気味に瞬く。世界が終わるかもしれない夜。けれど、この小さな「揺り籠」の周りだけは、確かな絆と、未来への希望で満たされていた。
「さあ、行こうか。……最後の悪戯を仕掛けにな」
ワラシは卵を抱き直し、不敵な笑みを帝都の影に向けた。小さな守り神たちの、最大の戦いが幕を開ける。




