第45話:鉄打つ鼓動、共鳴する職人の魂
水の都アクア・ルミナスを後にした魔導帆走車『嵐駆丸』は、陸路の監視を避けるべく、未知なる蒼き大海原へとその船体を躍らせた。カイトが握る舵輪が、波の旋律を正確に捉える。龍人族から譲り受けた最高級の風精霊石が、潮風を吸い込んで清らかな鈴の音を響かせ、船体は海面を滑るように加速した。
数日間の航海。水平線の彼方から、煤煙に煙る空を突き破るようにして現れたのは、最北の大地の門番たる『獄炎山・ヴォルカ』であった。
「……あそこが、氷の監獄への入り口か」
アラタは甲板で、潮風が次第に焦げた熱風へと変わるのを感じていた。『嵐駆丸』が火山灰の堆積する黒い砂浜へと乗り上げると、海原の清涼感は一瞬でかき消された。裾野には帝国の採掘キャンプが寄生虫のように張り付き、巨大な揚熱パイプから蒸気の噴射音(プシューッ!)を上げている。辺りには、鼻を突く重油の鼻を突く匂いが充満し、大地の悲鳴のような規則的な歯車の回転音が響き渡っていた。
「アラタ、本当に大丈夫なの? ドワーフの里があるなんて言っても、こんな場所……」
ミラの不安げな声に、ナギもまた凍り付くような鋼鉄の冷たさを湛えた瞳で周囲を警戒していた。カイトが事前に調べていた伝説の鍛冶師の居所。だが、辿り着いた『紅蓮の鍛冶場』の入り口に立っていたのは、あまりにも幼く見える少女だった。
「――あんたが噂の『調律師』かい? ふん、鉄の歌も聴けない軟弱な帝国の犬かと思ったよ」
少女――リッカは、燃えるような赤髪を太い三つ編みにまとめ、煤に汚れながらも不敵に笑った。彼女が肩に担いでいるのは、自身の背丈ほどもある重厚な鎚。 カイトが眉をひそめ、アラタの耳元で囁く。
「……おい、本当にこいつか? ドワーフの技術は認めるが、まだ子供じゃないか。俺たちの武器や防具の強化……ましてや、帝国の重装甲を抜くための新装備なんて、荷が重すぎるんじゃねえのか」
ナギもまた、疑念を隠さなかった。
「リッカと言ったか。……我らが求めるのは、単なる鉄の板ではない。龍の魔力と、調律師の音を一つに束ねるための『器』だ。……貴殿に、その覚悟があるのか?」
リッカは鼻で笑うと、鎚をドォン!と地面に叩きつけた。火花が散り、火山灰が舞う。 「覚悟だぁ? そんなもんは、叩き上げた鉄の音を聴いてから言いな。……あんたらの持ってるそのナマクラ、あたしの火で本物の『武器』に変えてやるよ。……ただし、調律師。あんたが根を上げなけりゃの話だけどね」
リッカの瞳には、火山のマグマをそのまま写し取ったような、一切の妥協を許さない強固な情熱が宿っていた。アラタは一歩前に出ると、自身の修理槌『桜雷』をリッカの前に差し出した。
「……リッカ。僕の音だけでは、帝国の鋼鉄の秩序は砕けない。……君の火と、僕の音を合わせてほしい。この世界を、正しい律動に戻すために」
アラタの真っ直ぐな言葉に、リッカの表情から揶揄の色が消えた。
「……いいだろう。なら、地獄の釜を開けるよ。……ついてきな!」
鍛冶場の内部は、大地の鼓動を直接肌で感じるような熱気に満ちていた。中央の炉からは、帝国の不純な燃料とは違う、純粋な地熱の光が溢れている。リッカは、帝国から奪い返した希少金属『龍霊鋼』を炉に投じると、すぐさま鎚を振り下ろした。
――カァァァァァァァァァァァァァァァン!!!!!
その一撃が放つ音を聴いた瞬間、アラタたちは言葉を失った。それは、金属が擦れる不快な音とは正反対の、天上の楽器のような澄んだ響き。リッカが鎚を振るうたびに、不純物が火花となって飛び散り、鉄の粒子が彼女の情熱に従って整列していく。
「……すごい。鉄が、歌ってる」
アラタは自身の『桜雷』を構え、リッカの打ち出すリズムの「隙間」を見極めた。
「そこだ、アラタ! 火を逃がすな、音を濁らせるな!」
「分かってる! ……聴こえる、鉄が……新しい形を望んで叫んでるよ!」
共同作業は、まさに魂の削り合いだった。リッカが鋼を叩き、アラタがその衝撃の中に『桜雷』の調律波を叩き込む。ナギの透き通る水の色の魔力を冷却水として使い、ミラの植物の生命力を結合剤として織り込んでいく。それは、職人としての意地と、仲間たちの信頼が一本の線に繋がる瞬間だった。繋いだ手の温もりではなく、鎚と鎚が奏でる共鳴こそが、彼らの対話だった。
リッカの腕は煤で真っ黒になり、アラタの額からは滝のような汗が流れる。「本当にできるのか」という疑念は、いつの間にか「この二人なら、世界を直せる」という確信へと変わっていた。
数日間におよぶ不眠不休の鍛錬の果て、真っ赤に熱せられた鋼が、最後の調律を受けて白銀の輝きを放った。完成したのは、アラタの全身を包む、薄くしなやかな装甲――『共鳴外骨格・奏』。それはアラタの微かな調律を物理的な破壊力へと増幅させ、装着者の神経を槌の鼓動と直結させる、至高の傑作であった。
「……はぁ、はぁ……。どうだい、調律師。あたしの腕、疑ったことを後悔させてやったかい?」
リッカが額の汗を拭い、誇らしげに胸を張る。アラタは、まだ熱を帯びた装甲に手を触れ、深く頷いた。
「……ああ。最高の『音』だよ、リッカ。……これなら、最北の監獄も、イザベラの不協和音も、全部ぶち抜ける」
新しい鎧を纏ったアラタの周囲には、微かな余韻として清らかな鈴の音が漂っていた。 職人の魂が火花を散らした鍛冶場を後にする一行の背中には、以前とは比べものにならないほどの、強固な決意の旋律が宿っていた。




