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神鳴の共鳴(シンクロニシティ) ―機鋼帝国ゼノフィアと八百万の祈り―  作者: amya
8章

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第43話:蒼穹(そうきゅう)の浄化、命の譜面


 機鋼潜水母艦『リヴァイアサン』の全排水口から解き放たれたのは、この世のあらゆる色彩を塗り潰すような、どろりとした漆黒の廃液だった。それは単なる汚水ではない。神々の涙と、帝国の飽くなき強欲が混ざり合った「概念の汚毒」である。廃液がかつての大理石の街並みを飲み込むたびに、都の精霊たちが上げる無音の悲鳴が、アラタの鼓膜を針のように刺した。重油の鼻を突く匂いは、もはや呼吸を阻害するほどの濃度となり、空を覆う煤煙に煙る空と相まって、アクア・ルミナスを巨大な機械の胃袋へと変えようとしていた。


「……ナギ、ミラ。下がっていて。……これ以上の『不協和音』は、僕が許さない」


 アラタが前に出た。その背中は、泥を被り、傷だらけであったが、その手に握られた修理槌『桜雷サクラライ』だけは、内側から燃え上がるような熱を発していた。


「アラタ、無茶よ! 今のあなたの霊力じゃ、あの規模の汚染を押し戻すなんて……!」


 ミラの叫びが響く。彼女の『翠輝神緑鎧エメラルド・ガーディアン・アーマー』は、飛び散る廃液に蝕まれ、その翠色の輝きを弱めていた。ナギもまた、覚醒したばかりの水龍を操り、漆黒の奔流を食い止めようとしていたが、その顔面は蒼白であり、限界は目前だった。


「……音がないなら、僕が作ればいい。……僕の命そのものを、調律の種火にして」


 アラタは静かに、しかし迷いのない手つきで、『桜雷』の鋭利に研ぎ澄まされた打撃面ヘッドの角に、自身の左手の掌を押し当てた。


「――っ……!!」


 苦悶に歯を食いしばる。引き裂かれた皮膚から、鮮血が溢れ出した。だが、それはただの赤い液体ではなかった。アラタという一人の調律師が、これまで積み重ねてきた旅の記憶、仲間たちと交わした繋いだ手の温もり、そして神々の声を聴いてきた「魂の律動」そのものが凝縮された、桃色の輝きを帯びた「命の旋律」だった。


 血が『桜雷』の古い紋様に染み込んでいく。瞬間、槌がかつてないほど激しく、狂おしいほどの情熱を持って咆哮した。アラタの視界から、すべての色が消えた。見えるのは、都を蝕む漆黒の「ノイズ」の波と、自身の血が描く「正解」の波形だけ。


「……聴こえる。都の底で、凍えている……本当の水たちの歌が」


 アラタは、迫りくる巨大な廃液の壁を見据え、一歩を踏み出した。彼の足元から、血を媒介にした桃色の光が同心円状に広がり、触れた廃液を一瞬で蒸発させていく。それは物理的な衝撃ではなく、情報の書き換え。死した水を、再び生命を育む聖水へと戻す「概念の再構築」であった。


「――世界を、直せえええええええええッ!!!!!」


 アラタは残された全身全霊を込め、王城のバルコニーの床、都の地脈へと通じる「音の起点」へと、『桜雷』を叩きつけた。


――カァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!


 その一音は、もはやこの世の楽器が奏でられる域を超えていた。清らかな鈴の音を何万倍にも増幅したような、純粋で、透明で、どこまでも優しい鎮魂の調べ。一音目が都を駆け抜けた瞬間、時間は静止した。降り注ぐ漆黒の廃液が、空中で静止し、アラタの放った桃色の波動に触れた端から、ダイヤモンドのような輝きを持つ透き通る水の色の魔力へと一気に反転していった。


 それは、地獄から天国への一瞥。王城から放射状に広がった浄化の波は、都を埋め尽くしていたドロドロとした廃液を、一滴残らず清らかな水へと書き換えた。金属が擦れる不快な音を立てていた『リヴァイアサン』の駆動系は、清浄な水という名の「祝福」を吸い込み、その汚れた回路を内側から焼き切られ、轟音と共に沈黙した。


 重油の鼻を突く匂いは、どこか遠い場所から届いた花の甘い香りへと上書きされる。  都を流れる水路には、透き通った水が溢れ、そこかしこで水精霊たちが歓喜の舞を踊り始めた。だが、その奇跡の中心で、アラタはゆっくりと膝をついた。


「……あ、あ……」


 視界が急速に狭まっていく。掌から失われた血の量以上に、彼の魂そのものが「削り取られた」ような、極限の空虚感が全身を襲った。


「アラタ!!」


 ミラが駆け寄り、崩れ落ちる彼の体を支える。その腕の中で、アラタの体温は凍り付くような鋼鉄の冷たさを帯びて、急速に失われようとしていた。


「……見て、ナギ……。……都が……笑ってる……よ」


 アラタは、清流に反射する美しい陽光を、震える指で差した。煤煙に煙る空は僅かに割れ、そこから差し込んだ黄金の光が、浄化された都を宝石のように煌めかせている。  ナギは、そんなアラタの横顔を、言葉にならない表情で見つめていた。王としての誇り、龍としての力。それらすべてを遥かに凌駕する、「職人」としての無私なる献身が、都の歴史を、そしてナギ自身の運命を書き換えたのだ。


「……アラタ、もういい。もう喋るな。……後のことは、私たちが引き受ける」


 ナギがアラタの右手を強く握りしめた。その手から伝わるナギの力強い拍動を、アラタは心地よい子守唄のように感じながら、ゆっくりと瞼を閉じた。


 アクア・ルミナスの水面には、散ったばかりの桜の花弁のような光の粒子が、いつまでも美しく舞い続けていた。それは、少年が命を削って奏でた、世界で最も美しい「調律」の余韻であった。





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