第41話:蒼穹(そうきゅう)の浄化、魂の咆哮
凍てついた王城の広間に、機械の駆動音が不気味に反響していた。魔導冷却システムの中枢――無数の導管に繋がれ、意志を奪われた姉イナリの姿を前に、ナギは絶望の淵に立たされていた。周囲を覆う「静止の防壁」が、近づく者すべての体温を奪い、分子の動きさえも凍らせていく。重油の鼻を突く匂いが、ナギの鼻腔を突き、かつての美しい都の記憶を汚していた。
「……角が。角さえあれば、この冷気を断ち切れるというのに……!」
ナギは自身の額にある、無残に折られた角の痕に手を当て、膝をついた。帝国に奪われた龍王の誇り。それがなければ、自分は姉一人救えない無力なトカゲに過ぎないのか。
「――違うよ、ナギ。角は『形』でしかない。君の誇りは、今もその胸で鳴っているはずだよ」
アラタの声が、冷気の中に桃色の熱を帯びて響いた。彼は『精霊の卵』をミラに託し、ナギの背中に手を置いた。その繋いだ手の温もりが、ナギの凍りついた芯を溶かしていく。
ナギは黒く濁った廃液の床に跪き、自身の額にある、醜く断たれた角の痕を強く指先でなぞった。指先に伝わるのは、かつて自身の象徴であり、魔力を操るための「指揮棒」であった角の不在。そこにあるはずの感触がないという「虚無」が、帝国の冷気と混ざり合い、彼の精神を内側から凍てつかせようとしていた。
「……角が。角さえあれば、この静寂を……姉上を縛る絶望を、一刀両断にできるというのに……!」
ナギの喉から、血を吐くような呻きが漏れる。目の前の『魔導冷却システム』は、ナギの焦燥を嘲笑うかのように、規則的な歯車の回転音を刻み続け、姉イナリの生命を吸い上げていく。
「――違うよ、ナギ。角は『形』でしかない。君の誇りは、今もその胸で鳴っているはずだよ」
アラタの声が、冷気の中に桃色の熱を帯びて響いた。アラタはナギの背中に手を置き、修理槌『桜雷』を軽く振るわせる。その共鳴が、ナギの内に眠る「折れた誇り」を優しく刺激した。
(……そうだ。私は、角に頼りすぎていたのだ。……形あるものに魔力を委ね、それが失われたからと、私は自身の『音』を閉ざしていた……!)ナギは静かに、しかし決然と立ち上がった。彼は深く、肺の奥まで冷え切った大気を吸い込み、目を閉じた。
ここからは、時間に抗う戦いだった。ナギは意識を自身の深淵へと沈めていく。神木の森で触れた、古の龍王たちの荒々しい気位。そして、今まさに目の前で、不快な金属が擦れる不快な音に苛まれながら震えている、姉の弱々しい「音」。
ナギは自身の心臓の鼓動を、龍人族の原初の律動へと、一段階ずつ、気が遠くなるような精密さで同調させていった。一秒が、一分にも感じられる。彼の全身を、透き通る水の色の魔力が巡り始めるが、それは出口を失った激流のように彼の血管を焼き、肉体を内側から破壊しようとする。額の角の痕からは、抑えきれない魔力が青い火花となって散り、肌を裂いた。
「……う、ぐ……ああぁ……ッ!!」
ナギの全身の血管が浮き上がり、彼の周囲の空気は、沸騰する水のように激しく震え始めた。角という「排出口」がないままに、全魔力を一点に集中させる行為。それは、自らの魂をハンマーで叩き、新たな形へと鋳造し直す、地獄のような苦行だった。
「……聴こえる。……私の中に、まだ眠っている……王の血が……。……形など、もういらぬ。……私の命、私の存在そのものを、この世界を穿つ『角』と成さん……!」
ナギの足元の廃液が、巨大な渦となって逆巻き始めた。極限の集中と苦痛の果てに、ナギの不揃いだった波長が、ついに一点の淀みもない「真実の旋律」へと収束した。その時、彼の背後に立ち昇った蒼き龍の幻影は、さらなる変華を遂げた。
ナギの額、無残に断たれた傷跡から、目も眩むような純白の光が溢れ出した。それは肉体的な再生ではない。魂の輝きが物質化し、かつての角を遥かに凌駕する神々しい「光の角」として顕現したのである。その光は、凍てついた広間の闇を隅々まで払い、絶望の冷気を春の陽光のごとく溶かしていった。
「――魂振……蒼天咆哮!!」
ナギの喉から放たれたのは、もはや言葉を超えた「真実の震動」だった。顕現した「光の角」を起点に、物理的な音を超えた衝撃波が一直線に放たれる。それは帝国の誇る『静止の防壁』を紙のように切り裂き、魔導冷却システムの中枢を、そして鋼鉄の基部を内側から爆砕した。数千の歯車が一斉に悲鳴を上げ、その傲慢な回路は粉々に粉砕された。
爆鳴。そして、これまで都を支配していた重油の鼻を突く匂いが、ナギの放った清冽な魔力によって一気に霧散していく。崩れ落ちる鋼鉄の瓦礫の中から、ナギは力強く、解放された姉の体をその腕へと抱きとめた。
「……姉上。……もう、誰にも貴女の声を奪わせはしません」
ナギの頬を伝う汗は、いつの間にか、都を浄化する清らかな雫へと変わっていた。
「……ナギ……。……ああ、清らかな……水の音が……」
イナリの瞳に、微かな光が戻った。物理的な欠落を乗り越え、自らの魂を光り輝く角へと昇華させた王の背中に、アラタは新たな伝説の幕開けを、清らかな鈴の音と共に聴いていた。




