第39話:残された鼓動、精霊の卵
神木『イグドラ』の切り株に手を添えたアラタは、ドロドロとした黒い廃液の中に、微かな、しかし毅然とした「音」を聴き取った。それは金属が擦れる不快な音に掻き消されそうなほど弱々しく、けれど決して絶えることのない命の律動だった。
「……待って。まだ、消えてない」
アラタは泥濘の中に膝をつき、重油と廃液に汚れながらも、無残に裂かれた木肌の隙間に手を差し込んだ。指先を焼くような汚染魔力の痛み。だが、その奥で何かが温かく拍動している。
彼が慎重に引き出したのは、淡い琥珀色の光を放つ、掌ほどの大きさの結晶体だった。
「これって……精霊の、卵……?」
ミラが息を呑み、傍らに跪いた。結晶の奥では、小さな光の粒子が呼吸するように明滅している。それは、千年の歴史を刻んだ神木が、自らが倒れる瞬間にすべての生命力を一点に凝縮し、次代へと託した最後の希望だった。
「あいつら、こんなに綺麗なものまで、重油の鼻を突く匂いで塗り潰そうとしたんだな……」
アラタは震える手で、汚れた卵を自身の服で拭った。卵から伝わるのは、親を殺された子供のような震えと、凍えるような孤独。
「大丈夫だよ。僕が……僕たちが、君を独りにはさせない。君の歌う場所を、必ず取り戻すから」
アラタの涙が卵に触れた瞬間、琥珀色の光が微かに強まり、清らかな鈴の音のような共鳴が周囲の空気を震わせた。
「感傷に浸ってる暇はねえぞ。死神のお出ましだ」
カイトが鋭い視線で森の奥を指差した。木々をなぎ倒す轟音と共に、帝国の『森林制圧部隊』がその全貌を現す。部隊の核となるのは、三連式の巨大回転刃を備えた重装伐採機『機鋼鋸・ギルティ』。その後方には、熱線銃を構えた機鋼歩兵たちが扇状に展開していた。
「いいか、よく聴け」
カイトは手際よく『嵐駆丸』のコンソールから戦域マップを投影した。
「あの『ギルティ』の回転刃は、高周波振動で物体の分子結合を断ち切る『共鳴カッター』だ。まともに受ければ、ナギの水の防壁だって一瞬で蒸発させられる」
ナギが忌々しそうに、凍り付くような鋼鉄の冷たさを湛えた瞳で敵機を睨みつける。
「だがな、高周波ってことは『特定の周波数』で動いてるってことだ。アラタ、お前の『桜雷』で奴の振動に逆位相の衝撃をぶつけろ。一瞬でいい、刃の回転が狂えば、そこに隙ができる」
カイトの作戦は、森の地形とアラタの調律能力を最大限に利用した、極限のゲリラ戦だった。
「ミラは機動力を活かして、切り倒された神木の『影』を縫って接近しろ。ナギはアラタを死守。俺が後方から熱線銃のセンサーを潰す」
戦闘は、一方的な蹂躙から始まった。帝国軍の指揮官が冷酷な号令を下すと、『ギルティ』の回転刃が規則的な歯車の回転音を上げながら、アラタたちが隠れる巨岩を粉砕した。
「逃がすな! その『卵』もろとも、資源として回収しろ!」
アラタは卵を胸に抱き、必死に地を這った。背後からは無慈悲な熱線が降り注ぎ、森の枯れ木を次々と炎上させていく。
「アラタ!!」
ミラが叫び、飛び出した。だが、敵の弾幕は厚い。彼女の『翠輝神緑鎧』は、まだ完全な形を成しておらず、降り注ぐ衝撃に悲鳴を上げていた。
その時だった。アラタが抱く『精霊の卵』が、激しく、熱く脈動した。それは周囲に転がる、切り刻まれた兄弟たちの無念と共鳴していた。
「……聴こえる。森の怒りが……僕の槌に流れ込んでくる……!」
アラタは立ち上がり、修理槌『桜雷』を天高く掲げた。
「ミラ! 受け取って! これが、この森の……みんなの本当の音だぁぁぁッ!!」
――カァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
アラタが放った調律の波動が、精霊の卵を、そして森全体の無念を一本の巨大な旋律へと編み上げた。その旋律は、ミラの魂へと直接流れ込み、彼女の奥底に眠っていた「守護神」の記憶を呼び覚ます。
「――おおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!」
ミラの咆哮が、機械の騒音を圧し潰した。彼女の全身には、これまでの比ではない濃密な翠光が集まり、地中から溢れ出した翠色の霊子が包み込む。切り倒された神木たちの残滓が、意思を持つように彼女の四肢へと集い、強固な、そして美しい樹皮の装甲へと姿を変えていく。背後には神木の幻影が翼となって広がっている。完全覚醒――『翠輝神緑鎧』。
その姿は、かつて森を統べた女神そのものだった。ミラは『ギルティ』の巨大な回転刃を、素手で真正面から受け止めた。金属が擦れる不快な音が響くが、鎧は傷一つ付かない。逆に、ミラの掌から放たれた圧倒的な生命エネルギーが、機械の回路を内側から食い破り、沈黙させた。
「……私の森を、アラタの音を、これ以上汚させない!!」
ミラの回し蹴りが『ギルティ』の巨体を一刀両断し、森に巨大な爆発の華が咲いた。 重装伐採機『機鋼鋸・ギルティ』を炎塵へと変え、制圧部隊は森の怒りに飲み込まれて霧散した。炎は瞬時に、彼女が放った翠の光によって鎮められていく。
戦いが終わった後、辺りには重油の鼻を突く匂いに代わって、数十年ぶりの雨上がりの土の匂いが漂っていた。
アラタが胸の卵を覗き込むと、そこには柔らかな光と共に、小さな新芽のような精霊が顔を出していた。
「……ミラ、すごいよ。森が、喜んでる」
アラタの言葉に、ミラは鎧を解き、少し照れ臭そうに笑った。その瞳には、かつての「被検体」としての怯えはなく、大切なものを守り抜いた戦士の誇りが宿っていた。




