第37話:白銀の静寂、凍てつく断末魔
砂漠に降った奇跡の雨は、乾ききった大地だけでなく、アラタたちの心に宿っていた焦燥をも静かに洗い流していった。『風の民の隠れ里』へと戻った一行は、族長ゼファーが提供してくれた静かな私室で、戦いの傷を癒やしていた。窓の外では、地下水路を流れる水の音がかつてないほど力強く、清らかな鈴の音と重なって響いている。
「……ん、……ここは、どこじゃ?」
アラタの膝の上で、赤い着物の少女――ワラシがゆっくりと目を開けた。アポカリプスの内部で「幸運のノイズ」を放ち、自身の霊力を極限まで燃焼させた彼女の瞳は、以前よりも深淵な、知性の光を湛えている。
「ワラシ、気がついたか! 体は大丈夫?」
アラタが安堵の声をかけると、ワラシは少しだけ寂しそうな微笑を浮かべ、砂漠の雨音に耳を澄ませた。
「……アラタよ、わらわは夢を見ておった。……いや、あれは失われた『記憶』じゃ」
ワラシは、アラタの胸元で淡く光る『桜の種』にそっと手を触れた。
「わらわは……かつて、この世界の調和を司る『始まりの五神』の一柱であったのかもしれぬ。……そして、帝都の深部に眠る『最初の神』――すべての神々の母体である存在が、イザベラの野望によって目覚めようとしておる」
ワラシの予言。それは、帝都ゼノフィアが単なる機械の都ではなく、神々の源流を「核」として利用する巨大な墓標であることを示唆していた。
「『最初の神』が完全に機鋼化されれば、世界から『情緒』は消え、完全な静寂が訪れる。……アラタ、わらわをあそこへ連れて行け。……わらわの本当の名前を、あそこで取り戻さねばならぬ」
ワラシの言葉に重苦しい沈黙が流れる中、運び屋のカイトが、煤けたゴーグルを拭いながら部屋に入ってきた。
「……感傷に浸ってる暇はねえぞ。帝都から不穏な噂が届いた」
カイトが展開したホログラム地図には、砂漠とは真逆の、最北に位置する永久凍土の地が映し出された。
「二つ目の工場を潰されたことで、イザベラが本気になった。……最北にある、帝国最大の監獄工場『氷鎖の棺』。そこはイザベラが直接統治し、逆らう種族を魂ごと凍結して閉じ込める、文字通りの『氷の地獄』だ」
ナギが凍り付くような鋼鉄の冷たさを上回る鋭い眼光で、地図を睨みつける。
「イザベラが直接、だと? ……あそこには、私の民も囚われているという噂がある。……行こう、アラタ。最北の冷気がどれほど厳しかろうと、私の水の魔力で道を拓く」
アラタは、まだ血の滲む指先で修理槌『桜雷』を握り直した。
「……イザベラの悲しい音を止めるには、そこへ行くしかないんだね。……カイト、案内をお願い。僕たちの旅の、本当の終着点を見極めるために」
幕間:【機鋼将軍の昇華、絶望の前線】
同時刻、帝都ゼノフィアの中央司令塔。将軍イザベラは、もはやかつての端正な軍服を纏ってはいなかった。彼女の肉体は、自らが開発した『最終調律装置・アポカリプス』の核と直接融合し、四肢からは銀色の細い糸ではなく、神経系と一体化した「機鋼触手」が蠢いている。
「……情緒などという不確定なものに、二度も私の秩序を汚された。……ならば、私自身が『秩序の音』そのものとなり、この世界を調律しましょう」
イザベラが掌を翳すと、周囲の空間が規則的な歯車の回転音と共に歪み、物理的な法則さえもが書き換えられていく。彼女は自身の感情を完全に論理回路へと変換し、人間としての「揺らぎ」を捨て去った。
イザベラは部下に噂を流すように指示を出すことにした。
「最北にある監獄工場『氷鎖の棺』の引き締めに、私が直接向かうことになったと、噂を流しなさい」
「氷鎖の棺へ。……鼠たちが辿り着くその場所を、世界の終わりの舞台にするわ」
冷酷に微笑みながら、そうつぶやくのだった。
イザベラが動くたびに、床には重油の鼻を突く匂いと、極低温の凍気が立ち昇る。 将軍自らが前線へと降り立つ。それは、帝国がひた隠しにしてきた「神の解体」を完遂し、世界を永遠の静止へと導くための、絶望的な進軍の始まりだった。
煤煙に煙る空の下、最北へと向かうアラタたちの背後に、かつてないほど冷たく、鋭い殺意の旋律が迫っていた。




