第35話:風の王の試練と、砂上の戦歌
『風の竪琴』の調律を成し遂げ、里を襲う帝国兵を退けたアラタたちは、族長ゼファーの私室へと招かれた。そこは地下の涼気と、竪琴から取り戻された微かな風の囁きが交差する、静謐な空間であった。アラタは懐から、帝都の地下で命懸けで持ち出した『神の完全解体図』のデータ端末を取り出し、ゼファーの前に置いた。
「ゼファーさん、僕たちはこの里を守るためだけにここへ来たんじゃない。帝都ゼノフィアの喉元を締め上げる『神搾取工場』、そのすべてを停止しに来たんだ」
端末が投影したホログラムには、砂漠の霊脈を無慈悲に貫く工場の立体図が浮かび上がる。サクヤやナギ、そしてこの地の風の精霊たちが、どのように「部品」として解体され、燃料へと変えられているかという非道な事実が、冷徹な図面として描き出されていた。
「……なんと。神々を、ただの部品として扱っておるとは。帝国の傲慢、もはや看過できぬな」
ゼファーの瞳に、静かな憤怒の火が灯る。ナギもまた、壁画から得た龍王の力の断片をその身に宿しながら、深く頷いた。
「角を奪われた私の屈辱は、この地の神々の悲鳴と繋がっている。……族長、工場の心臓部へ至る道を教えてほしい」
カイトが地図の一部を指差した。
「普通に近づけば、工場の探知レーダーに引っかかって終わりだ。だが、この季節に吹く『大過熱旋風』の中なら、奴らの目は眩む。問題は、その砂嵐の中でどうやって正確に排気ダクトを見つけるかだ」
アラタが修理槌『桜雷』を握りしめ、前を見据えた。
「……僕がやるよ。砂嵐の音を、逆位相の波長で上書きする。僕たちの周囲だけ『音の空白』を作れば、砂嵐の中でも互いの声が聞こえるし、機械の探知も誤魔化せるはずだ」
それは、帝都の排気ダクトを逆走した際の経験から導き出した、調律師ならではの奇策だった。
視界のすべてが、荒れ狂う黄金の粒子に飲み込まれていた。『神搾取工場・第二プラント』が無理やり霊脈を吸い上げたことで生じた砂嵐の中、アラタたちは一列になって進む。アラタが奏でる『桜雷』の微かな振動が、周囲の轟音を打ち消し、一行を透明な繭のように包み込んでいた。
砂嵐を隠れ蓑にして辿り着いたプラントの内部は、地上の熱砂とは対照的な、吐き気を催すほどの重油の鼻を突く匂いと、規則的な歯車の回転音に支配された鋼鉄の迷宮だった。巨大なピストンが蒸気の噴射音(プシューッ!)を上げ、地脈から吸い上げられた精霊たちが電力へと変換されていく。
「……ひどい。ここ、全部が泣いてるわ」
ミラが壁に手を触れ、顔を歪めた。彼女の指先には、覚醒し始めた『翠輝神緑鎧』の翠光が微かに宿っている。だが、極限まで乾燥したプラント内では、彼女の植物の力は本来の輝きを失いかけていた。
最深部、『工場の心臓』と呼ばれる動力炉の間。そこで彼らを待ち構えていたのは、将軍イザベラが送り込んだ特務神狩り隊『鉄の爪』の幹部、機鋼蠍のザハクだった。
「――ヒャハハ!砂嵐に乗って潜り込むたぁ、鼠にしちゃあ上出来だ。だが、ここが貴様らの墓標になるぜ」
ザハクが機鋼尾を振るうと、空間に金属が擦れる不快な音が響き、高周波の振動波が一行を襲った。ナギが透き通る水の色の魔力を展開して防ぐが、工場の熱気によって水壁は瞬時に蒸発させられていく。
「くっ……ナギ!ミラ!」
アラタが叫んだその時、ミラの耳に、閉じ込められている『砂漠の精霊』たちの断末魔が届いた。
(……助けて。乾いて、消えてしまう……)
「――勝手に、消えさせたりしないわ……っ!」
ミラの瞳が琥珀色へと変質した。彼女は自身の魔力を、青々とした木々ではなく、無数に存在する「砂の粒」へと同調させた。
「植物がダメなら……この砂で、あんたを埋めてあげる!」
ミラの咆哮と共に、プラントの床に溜まっていた砂塵が意思を持つ生き物のように鎌首をもたげた。目覚めたのは、植物の柔軟さと砂の研磨力を併せ持つ新境地――『翠砂の守護』。舞い上がった砂がザハクの機鋼装甲の隙間に侵入し、規則的な歯車の回転を強引に停止させる。凍り付くような鋼鉄の冷たさを誇っていた刺客の鎧が、砂の摩擦熱で真っ赤に熱せられ、悲鳴を上げた。
「なっ……!?砂を操るだと!?貴様、ただの被検体では……!」
「私は、アラタの音を守る『盾』よ!」
ミラの砂の嵐がザハクを翻弄し、その視界を完全に奪った。
「――今だ、アラタ!!」
ミラの叫びに応え、アラタが動力炉の核へと跳んだ。槌の紋様が桃色の雷鳴を放ち、工場の不自然な拍動を書き換えていく。
――カァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
清らかな鈴の音がプラント全域に波及し、囚われていた精霊たちが光の粒子となって溢れ出した。工場の心臓が機能を停止し、不気味な静寂が訪れる。だが、それは絶望の沈黙ではない。ミラの手の中には、いつの間にか小さな「砂の薔薇」が咲き、新たな力の芽吹きを祝福するように静かに輝いていた。




