第34話:風の王の試練と、砂上の戦歌
砂漠の地下深く、外世界の熱砂を拒絶するように広がる「風の民の隠れ里」。そこは、太古の巨岩に守られた巨大な円形空間であり、そこかしこに自生する発光苔が、木漏れ日の粒子のような淡い緑の光を放っていた。
だが、その幻想的な光景とは裏腹に、里を流れる空気は重く、淀んでいる。地上に建つ『神搾取工場・第二プラント』が、この地に流れるはずの「風」の根源を強引に吸い上げているせいだった。
一行は里の最深部、風の神を祀る祭壇へと導かれた。そこに座すのは、砂漠の民を束ねる族長であり「風の王」と呼ばれる老いた戦士、ゼファーだった。
「……調律師、か。帝国の『秩序』によって神を部品に変える今の世に、本来の音を取り戻す者など、お伽話の中だけだと思っていたがな」
ゼファーは鋭い眼光でアラタを射抜いた。彼の背後には、かつて世界中に豊かな旋律を届けていたとされる家宝――『風の竪琴』が鎮座している。だが、その弦は帝国の搾取によって霊力を失い、今は触れても金属が擦れる不快な音さえ立てないほどに沈黙していた。
「お主の槌が本物なら、この竪琴を再び鳴らしてみせよ。砂漠に風を、我らに誇りを取り戻してみせよ。……それが叶わぬなら、不協和音の種であるお主らを、今すぐこの里から追放する」
アラタは修理槌『桜雷』の柄を強く握りしめた。帝都での激闘の傷が、今も鈍い痛みとして掌に疼いている。
調律の準備が進められる中、ナギは一人、里の片隅にある「蒼の壁画」の前に立ち尽くしていた。そこには、かつて龍人族と風の民が共闘し、砂漠に恵みをもたらしていた時代の伝承が刻まれている。
「……我らの先祖は、この地にさえ手を差し伸べていたのか」
ナギは折れた角の痕にそっと指を触れた。帝都の防壁として利用されている自らの誇り。その喪失感が、壁画の端にある「龍の鱗」の欠片に触れた瞬間、激しい熱となって彼の全身を駆け抜けた。
(……聴こえる。かつての龍王たちの、荒々しくも気高い咆哮が……!)
壁画に宿っていた微かな「龍王の力の断片」が、ナギの透き通る水の色の魔力と共鳴を始めた。それは失われた角そのものではない。だが、龍の血脈が受け継いできた「守るべき者のために、すべてを捧げる」という魂の震動だった。
「……アラタは、己の血を流してまで道を拓いた。ならば、龍の王子たる私が、ここで立ち止まるわけにはいかぬ」
ナギの瞳に、宿命を受け入れた者だけが持つ、青い静謐な闘志が宿る。彼の周囲に、砂漠の乾燥さえも潤すほどの冷たく清らかな水気が渦を巻き始めた。
その時、里全体を揺るがす巨大な地響きが、平和な「音」を切り裂いた。
「――伝令!帝国の追撃隊です!地上の『神搾取工場』から、重装歩兵連隊がこの里への降下を開始しました!」
叫び声と共に、天井の岩盤を貫いて巨大な「穿孔弾」が降り注ぐ。爆鳴と共に蒸気の噴射音(プシューッ!)が響き、煙の中から『鉄の爪』率いる暗殺部隊が姿を現した。
「ヒャハハ!鼠どもの隠れ家も、今日で終わりだぁ!」
重油の鼻を突く匂いを撒き散らし、機鋼槍を手にした兵士たちが里の緑を蹂躙し始める。
「ゼファー、試練は中断だ!僕たちが時間を稼ぐ、里の民を避難させて!」
アラタが叫ぶが、ゼファーは動かない。
「……馬鹿を言うな。竪琴が鳴らねば、里の防衛システムである『風の防壁』は起動せん。戦士たちがいくら抗おうと、数の暴力には勝てんのだ」
「なら……僕が今、ここで直す!」
アラタは沈黙した『風の竪琴』へと駆け寄った。上空からは無数の機鋼弾が降り注ぎ、ミラの『翠輝神緑鎧』がそれを受け止めて火花を散らす。ナギもまた、新たに覚醒させた龍王の威光を纏い、凍り付くような鋼鉄の冷たさを上回る水の刃で、兵士たちの進軍を阻んでいた。
「……ミラ、ナギ!ワラシ!僕に、一瞬だけ『静寂』を頂戴!」
「承知した!お主の音、この龍の誇りに懸けて通して見せよう!」
ナギが巨大な水の防壁を展開し、ミラの樹皮が周囲の衝撃を吸収する。ワラシもまた「因果転換・陽炎の悪戯」を全開にし、敵の弾道を狂わせる『幸運のノイズ』を振り撒いた。
嵐のような戦場の中、アラタの世界は、竪琴の弦一本にまで収束していった。
(聴こえる。砂漠の底で眠っている、自由な風の歌が……帝国の工場に吸い取られて、泣いている本当の音が……!)
アラタは血の滲む指先で『桜雷』を振り下ろし、竪琴の基部にある「魂の核」へと一撃を叩き込んだ。
――カァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
それは、帝国の規則的な歯車の回転音を完全に打ち消す、清冽な一音だった。竪琴から溢れ出した白銀の光が、地下空間を疾走する。失われていた「風」が、アラタの調律を合図に里の中を荒れ狂い、帝国兵たちをゴミのように吹き飛ばした。
花の甘い香りを乗せた突風が里全体を包み込み、地下に眠っていた防衛システムが起動する。
里を襲っていた絶望の火花は、風の民によるゲリラ戦とアラタたちの共鳴によって、瞬く間に鎮圧されていった。勝利の余韻の中、ゼファーは静かに竪琴を見つめ、アラタへと深く頭を垂れた。
「……疑ったことを許せ、若き調律師よ。お主の音には、かつての神々さえもが認めた『真実』が宿っている」
煤煙に煙る空からは決して届かない、地下の夜明け。ナギの手に戻った龍王の力の断片、そして風の民との同盟。一行の「解放の旅」は、砂漠の不協和音を正すための、決定的な一節を奏で始めた。




