第32話:砂漠の洗礼、陽炎(かげろう)に潜む鋼鉄
アラタたちは、帝都に霊力を供給している『神搾取工場』の幾つかのうち、砂漠の民が守る『風の神殿』を目的地として歩み出していた。
幕間:【鉄の爪、静寂を切り裂く狩人】
帝都ゼノフィアの中央司令塔。最深部にある『最終調律装置・アポカリプス』が安置されていた広間は、今は見る影もなく、桃色の桜の花弁が積もる「聖域」へと変貌していた。だが、その中心に立つ将軍イザベラの周囲だけは、陽光さえも凍り付くような凍り付くような鋼鉄の冷たさが支配している。
「……不確定要素によるシステムの崩壊。情緒という名のノイズが、私の完璧な秩序を汚したわけね」
イザベラは床に落ちた、焼き切れた魔導回路の残骸を無慈悲に踏み砕いた。彼女の瞳には、かつて神を信じ、そして裏切られた者が抱く底なしの憎悪が、重油の鼻を突く匂いと共に渦巻いている。背後の闇から、規則的な歯車の回転音すら立てない、極限まで磨き上げられた三つの影が音もなく降り立った。
将軍直属、特務神狩り隊の最精鋭――『鉄の爪』。
「……鼠どもは西の『風の神殿』を目指しているわ。搾取工場を死守し、秩序を乱す反逆の芽を摘みなさい」
イザベラが指先を僅かに動かすと、空中で金属が擦れる不快な音を立てて、最新型の追跡ポインターが起動した。
「今回は『生け捕り』の必要はないわ。調律師の腕一本、あるいは槌の破片だけでも構わない。……完璧な静寂こそが、この世界に相応しい旋律なのだから」
鉄の爪たちは一礼すらなく、蒸気の噴射音(プシューッ!)を微かに残して、夜の闇へと消えていった。イザベラの唇が残酷な弧を描き、窓の外の煤煙に煙る空を見つめる。彼女の真の復讐劇は、ここから本格的な開幕を迎えようとしていた。
帝都を脱出し、砂漠への境界線にある古いオアシス。焚き火の傍らで、アラタは膝の上で丸まっていた小さな体を優しく撫でていた。
「……ん、……ふわぁ」
ようやく目を覚ましたワラシが、重そうに瞼を持ち上げる。アポカリプスの内部で、自らを「幸運のノイズ」へと変えてアラタを救った彼女の霊体は、以前よりも透き通り、清らかな鈴の音のような波長が不安定に揺れていた。
「……ワラシ、大丈夫か? 無理をさせてごめん」
「……お主、わらわがいつまでも寝ておると思うたか? 少し、遠い夢を見ておっただけじゃ」
ワラシは不機嫌そうに頬を膨らませたが、その瞳には戸惑いの色が混じっていた。
「アラタよ……わらわは、ただの『座敷わらし』だと思っておったが……あの機械の中で、不思議な記憶が流れてきたのじゃ」
ワラシが語ったのは、家を失うよりもずっと以前、世界がまだ花の甘い香りに満ちていた時代の断片だった。彼女の記憶の奥底に、自分を「ワラシ」と呼ぶ以前の、もっと巨大で、神聖な「名前」を持っていた自分を。
「……桜の乙女が、わらわを呼んでおった。……わらわは、ただの家神ではないのかもしれぬな」
アラタの胸元で、『桜の種』が呼応するように微かな熱を帯びた。ワラシの正体にまつわる新たな謎。それは、帝国の支配を覆すための「真の調律」に必要な、最後の鍵であることを、今の彼らはまだ知らない。
砂漠への境界線にある古いオアシスを旅立った一行を待ち受けていたのは、天を突く熱波が支配する『黄金の死地』だった。辿り着いた『砂塵の都』。かつては風の精霊たちが舞い、砂漠の民が豊穣を謳歌していたその街は、今や帝国の巨大な『神搾取工場・第二プラント』によって、大地そのものが干からびた墓標へと変えられていた。
「……ひどい暑さ。息をするだけで肺が焦げそうよ」
ミラが尻尾を不安げに揺らし、乾燥した風をしかめる。彼女の自慢の俊足も、灼熱の砂に足を取られ、体力を削られていた。
「……フン。これこそが帝国のやり方だ。風を奪い、熱さえも資源として循環させている。……だが、この不快な『震動』は何だ?」
ナギが凍り付くような鋼鉄の冷たさを湛えた瞳で、足元の砂地を見据えた。
アラタの耳にも、砂の粒が擦れ合う微かな音の裏側に、不気味な「重低音」が響いてきた。それは規則的な歯車の回転音ではなく、流体の中を高速で移動する、滑らかで暴力的な駆動音。
「……伏せろ! 砂の下から来る!」
アラタが叫んだ瞬間、一行の足元の砂漠が巨大な噴水のように爆ぜた。砂煙の中から姿を現したのは、鋼鉄の外殻を持つ巨大な「サメ」のような異形の機械――帝国軍・砂漠神狩り部隊の隠密兵器『機鋼潜水艦・デザート・シャーク』だった。
潜水艦のハッチが開き、そこから噴き出した蒸気の噴射音(プシューッ!)が、周囲の熱気をさらに加熱させる。
「――見つけたぞ、イザベラ将軍のノイズども」
装甲の中から現れたのは、全身を砂色の重装甲で固めた、非情な『鉄の爪』の一人だった。
陽炎の向こう側、帝都の支配を広げる新たな搾取工場が、黒い牙を剥いて一行を待ち構えている。アラタは修理槌『桜雷』を握り直し、灼熱の砂漠での第一歩を、力強く踏み出した。




