第31話:反撃の羅針盤
『最終調律装置・アポカリプス』がサクヤの桜吹雪に飲み込まれ、沈黙した。白金の霊力集積室を埋め尽くした桃色の花弁が、雪のように静かに降り積もる。だが、その幻想的な美しさとは裏腹に、室内に漂うのは重油の鼻を突く匂いと、機械が焼き切れた際の不快な焦げ跡の臭気だった。
「……はぁ、はぁ……。やったのか……?」
アラタは血に濡れた『桜雷』を杖代わりに、ようやく身を起こした。自らの血液を媒介にした無理な調律の代償は、視界の端を赤く染め、今も脳裏に金属が擦れる不快な音のような耳鳴りを残している。傍らでは、ワラシが力を使い果たし、小さな寝息を立てていた。彼女が命を懸けて作り出した「幸運のノイズ」がなければ、今頃自分たちは魂ごと磨り潰されていたに違いない。
「アラタ、ボーッとしてる暇はないわ!すぐに追手が来る!」
ミラの鋭い声が響く。彼女の全身を覆っていた『翠輝神緑鎧』の輝きは失われ、隠しきれない疲労がその四肢を震わせていた。ナギもまた、カプセルの中に残された自らの『蒼き角』を見つめ、唇を血が滲むほどに噛みしめている。
「……ナギ、角を取り戻さなきゃ」
アラタがカプセルへ歩み寄ろうとした、その時だった。突如として、集積室の床が規則的な歯車の回転音と共に激しく震動し、隔離壁が次々と閉鎖され始めた。イザベラが装置の爆発を予測し、即座に予備の防衛システムを起動させたのだ。
「無駄だ、調律師よ。……今は、退かねばならぬ」
ナギがアラタの肩を強く掴み、引き留めた。彼の水の瞳には、かつてないほどの屈辱と、それを上回る冷静な判断が同居していた。
「……角は、帝都の防壁そのものと深く融合されている。無理に引き剥がせば、この大聖堂もろとも、我が誇りも砕け散る。……今の我らの戦力では、これを完全に『調律』し、連れ出すことは叶わぬ」
それは、痛恨の敗走宣告だった。
「――その通りだぜ、旦那。欲張れば全員ここでスクラップだ!」
カイトが崩落し始めた天井を指差しながら叫ぶ。
「潜入ルートはもう塞がれた!非常用の排熱ダクトから脱出するぞ。急げ!」
アラタたちは、カイトの導きに従い、炎と煙が渦巻く排水路の闇へと再び飛び込んだ。背後では、アポカリプスの残骸が蒸気の噴射音(プシューッ!)を上げ、巨大な棺桶のように大聖堂の地下へと沈んでいった。
数時間後。一行は帝都ゼノフィアの外郭、煤煙に汚れた灰色の荒野へと辿り着いた。 振り返れば、天を突く無数の煙突群が、煤煙に煙る空へと汚れた息を吐き出し続けている。あの壮麗な大聖堂の地下に、今もナギの誇りが、そして無数の神々の悲鳴が閉じ込められている。
「……すまない、ナギ。僕に、もっと力があれば」
アラタが俯くと、ナギは静かに首を振った。
「貴殿が謝ることではない。……我らは今日、帝都の喉元に確かな不協和音を刻み込んだ。それが、反撃の第一音だ」
ナギは、アラタが先ほど集積室から持ち出した『神の完全解体図』のデータ端末を指差した。
「カイト、この図面に記された、帝都全域に霊力を供給している『神搾取工場』の所在を確認できるか」
カイトが端末を操作し、荒野の空中にホログラムの地図を投影した。そこには、各地の聖域や神殿の跡地に建設された、巨大なエネルギー抽出施設の場所が点在していた。 「……ああ、間違いねえ。帝国は帝都という巨大な心臓を動かすために、各地の霊脈に『毒』を流し込み、無理やり神の力を絞り出してる。……この工場のどれかを叩けば、帝都の防壁は確実に弱体化するはずだ」
ミラが力強く頷き、アラタの手を握りしめた。その繋いだ手の温もりが、冷え切ったアラタの心を溶かしていく。
「だったら、決まりね。……各地を旅して、あの工場を一つずつ壊していくのよ。そうすれば、帝国の支配に苦しんでいる他の種族も、きっと私たちの味方になってくれる」
人間、獣人、龍、そして小さな神。かつてはバラバラだった彼らの旋律が、今、一つの明確な意思を持って響き始めた。
「……行こう。世界中に散らばっている、幸せそうな『音』を繋ぎ直すために」
アラタは、朝日に照らされた修理槌を握り直した。逃亡は終わった。ここから始まるのは、不協和音に満ちた世界を本来の姿へと導くための、真の「解放の旅」である。
一行の背中を、花の甘い香りを乗せた朝風が優しく押し、彼らは次なる目的地へと歩み出した。




