第29話:静寂の女神、黙示録の揺籃
「……やるよ、みんな。これが、僕たちの反撃の第一音だ!」
中央大聖堂の最深部、白金の冷光に満ちた霊力集積室。アラタは血に滲んだ掌で『桜雷』の柄を強く握り直した。自らの血液を媒介にした無理な調律の代償で、視界は未だ断続的に揺れている。だが、目の前で帝国の忌まわしい魔導回路を縫い付けられ、悲鳴を上げ続けるナギの『蒼き角』を前に、退くという選択肢は存在しなかった。
アラタはカイトとミラが指し示した、増幅器の唯一の「休符」――排熱ベントへと狙いを定めた。
「ミラ、ナギ! あの回路の接合部を叩く! 一瞬でいい、防壁の周波数を乱してくれ!」
「任せなさいッ!!」
ミラの全身から、木漏れ日の粒子を凝縮したような翠色の霊子が吹き出した。覚醒した『翠輝神緑鎧』の樹皮が彼女の四肢を覆い、カプセルの基部へと肉薄する。
「……我が誇り、今こそ汚れた鎖を断ち切る牙となれ!」
ナギが放った透き通る水の色の魔力の槍が、回路の熱を逃がす排気孔へと正確無比に突き刺さった。
金属が擦れる不快な音が、悲鳴のような高周波へと変わる。
「――そこだぁぁぁッ!!」
アラタが地を蹴った。全身の細胞が軋み、裂けた掌から新たな血が滴る。彼はすべての想いを『桜雷』に込め、不自然な旋律の源流へと槌を叩きつけた。
――カァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!
清らかな鈴の音が集積室全体を震わせ、次の瞬間、世界を覆っていた「静止の防壁」が、硝子が砕けるような音を立てて崩壊した。ナギの角は纏っていた青白い霊子が室内に霧のように広がっていく。
「やった……のか?」
ナギが安堵に近い声を漏らした、その刹那。
突如として、すべての音が消失した。それは静寂というよりも、世界から「音」という概念そのものが削り取られたような、異常な真空状態。背後の闇から、規則的な歯車の回転音すら立てず、一人の女が静かに歩み寄ってきた。
「……見事な演奏だったわ。不完全で、無価値で、だからこそ苛立たしいほどに泥臭い……鼠たちの合唱」
漆黒の軍服を纏い、冷酷な美貌を湛えた将軍イザベラ。その姿はホログラムではなく、生命の体温を一切拒絶するような凍り付くような鋼鉄の冷たさを纏った、実体としての「絶望」だった 。
「将軍……イザベラ……ッ!」
アラタが叫ぼうとするが、喉が何かに掴まれたように動かない。イザベラが指先を僅かに動かすと、集積室の床が巨大な咆哮を上げて割れ、地下深くから巨大な十字架型の装置――『最終調律装置・アポカリプス』がせり上がってきた。
「……調律師アラタ。貴方の音は、確かに私の秩序に一時の揺らぎを与えた。……けれど、それは死にゆく者が上げる、最後の痙攣に過ぎないのよ」
イザベラの瞳に、神を「燃料」としてのみ扱う者の冷徹な光が宿る。彼女がアポカリプスの制御盤に掌を翳すと、装置から重油の鼻を突く匂いと、精神を直接凍結させる「負の周波数」が放射された 。
「……っ、体が……動かない……!」
ミラが叫び、膝をつく。ナギもまた、自身の魔力が装置に直接吸い上げられ、立ち上がることさえ叶わない。
「さあ、私の新しい楽器の弦たち。……この完璧な『無』の中で、永遠に奏で続けなさい」
アポカリプスの中央に位置する「揺籃」が口を開けた。そこは、あらゆる生命の振動を奪い、純粋なエネルギーへと変換する、死の調律室。抗う術を持たないアラタたちは、イザベラの操る銀色の糸によって、その絶望の淵へと引きずり込まれていく。
「アラタ……! 逃げ……て……!」
ミラの消え入るような声も、アポカリプスが奏でる「負の旋律」に飲み込まれて消えた。
アラタの視界が、白銀色の光に染まっていく。煤煙に煙る空も、仲間の声も、自身の心臓の鼓動さえもが遠のいていく中、最後に聞こえたのは、イザベラの残酷な嘲笑と、逃げ場のない『最終調律』の始まりを告げる、重厚な歯車の噛み合う音だった。
地の底、神の涙で満たされた揺籃の中で、アラタたちの運命は、かつてないほどの漆黒の静寂へと堕ちていった。




