表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やつと私と雨の庭  作者: 渡来亜輝彦
黄昏の邂逅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/10

躑躅の森

 初夏の陽気がほんのりと漂いだす頃。


 春の花が咲き乱れる頃には、必ず嵐があるもので、しばし、荒天が続いていた。

 その間、私は仕事もあり、本宅の家族の元にいることが多かったので、しばらく庭については付き人のマサに任せていた。

 しかし、昨日からやはり庭園の荒れが気になり、結局ここを訪れて宿泊していた。

 風が強ければ、花も落ちてしまっただろうし、建物に傷みも出るかもしれない。

 相変わらず、荒天が続いているので、見回りに出るのも気が引ける大雨が降っていて、私は各所のことも考えながら、引きこもっていた。

 外では強い雨の音がする。

 今日はマサもいないので、一人だ。誰もいない静かで、孤独で自由な時間。

 私は家族を愛していたが、こういう時間も、好きだった。

 そんな折。

 ふと、私のそんな感傷を破るような声がした。

「ああ、ひでえ目にあった。花に嵐とはいうが、ちと荒れすぎではないか?」

 どこに行っていたのか、外からやつが帰ってきた気配があった。

(こいつ……、また……)

 私はムッとしていた。

 こやつときたら、私がこの孤独な時間を楽しみ始めた頃に来てしまうのだ。

 いっそ、嫌がらせなのだろうかと思う。


 やつが現れるようになってから、もうしばらく経っている。

 私に取り憑いてしまったらしいこやつは、私のいく先々に現れるが、私から遠く離れては移動できない。

 自由に移動できないのは、やつも迷惑だと思っているらしい。とはいえ、寄りつく場所がないと、ずいぶん不安定な身の上になるらしく、やつとしても渋々ここにいるのだという。

 何が渋々だ!

 自分勝手で奔放な乱暴もののやつがいるのは、私には迷惑な話で、正直出ていってくれるものならいつでも出て行ってくれて良い!

 やつときたら、最近は慣れてきて、私のこの別荘を自分の部屋かのように好き勝手使う。昼間からごろごろして酒を盗むのもけしからんし、襖は乱暴に開けるし、まったく厚かましい。

 ただ、そんなやつでも、私の本宅に来ることはないし、家族の前に姿を現さなかった。

 私は仕事の話を家庭に持ち込まないので、一応、仕事の範疇に入りそうな存在のやつは遠慮をしているのかも知れなかった。

 まあ、やつに遠慮などという感情があるかどうかは別にして。

 ともあれ、今のところ、私以外の人間には姿は見えていないらしく、付き人のマサにも気づかれていないようだ。

 それだけは良かったが、こうして私の一人の時間を奪うのはこの雨よりも鬱陶しい。

 そんな私の気持ちも知らず、やつは言う。

「やれやれ、雨続きだな」

 雨の日の庭は、苔むした湿った香りに包まれ、実に幽玄だった。

 ただ、それはしとしとと降る雨の時のことで、こうもざあざあ叩きつけるように降る嵐のような雨の日は、風流どこらの話でない。

 やつは、勝手に取り出した私の手拭いで肩を拭き、そのまま頭にかけて部屋に上がってきた。

「少し雨がこやみになったので様子を見に行ったが、こんな目にあうとはな」

 やつは、私に遠慮なくどっかと窓の方に座った。

「お前には雨は関係ないのではないのか? 人に見えぬのだから濡れないのだろう?」

 と、私がいうとやつは肩をすくめた。

「これが濡れてないように見えるか? それとこれとは別なのだ。なぜかわからんが雨には濡れる。だから、傘は要るぜ」

 やつは手拭いで顔を拭き、被っていた面を外した。

 最近は、やつはこの間手に入れた狐の面を外出時に顔の右側にずらして被っていることが多い。そうすると左側の顔だけが見える。

 どういう仕組みか、屋内にいるとどこかにしまうように外すのだが、目を離したすきに手元からは消えてしまう。

 面をつけるとやつの薄らいできた朧げな体の右の輪郭が、顔の部分を中心にはっきりするようなので、それと面の効果は無関係ではないようだ。

「ああ、お前が、普段、日傘にしている蝙蝠傘を借りたぞ」

「あれは良い物なのだぞ? 粗雑に扱っていないだろうな?」

 ムッとしてそういう時、やつは嘲笑った。

「は? 日傘にする方が粗雑な扱いだろう? 雨傘は雨を防ぐ物だ。あんな傘を日傘にするとは、みっともねえぜ。西国では流行っているのか?」

 やつは、これで洒落者ではある。

 自分に自覚があるのかないのかはわからないが、特異な服装をしているし、日本人離れした長身痩躯のすらりとした体躯に纏う着物の着こなしは、選ばれたものにしかできない小粋さがあった。

 私とてやつの衣装を着て撮影に臨むが、今、目の前にいるやつからみれば、野暮な着こなしと見えるだろう。

 伊達男のつもりはなかろうが、やつはそういう点では私よりも格好が良かった。

「しかし、本当にひでえ雨だ。参ったぜ」

 と言ってやつは、もう一度頭を手拭いでぬぐった。

 確かに雨に降られて、やつの髪や肩のあたりが濡れている。やつは、もう一度乱暴に頭を拭ったあと、ぱらりと頭から手拭いをかけて、乾くのを待つつもりのようだった。

 私は、それを目をすがめて瓶底眼鏡のレンズ越しに凝視した。

 実のところ。

 そういう姿が、私以外からはどう見えているのか、真面目に気になっている。

 手ぬぐいが空中に浮いているように見えるのだろうか。それとも、手ぬぐいが消えて見えるのだろうか。

 とじっと凝視していると、やつが不機嫌そうに言った。

「なんだ、睨むな」

「睨んだつもりはないが」

「そうか。なるほど、貴様は目つきが悪いからな。三白眼とはよく言ったものだ」

 お前にだけは言われたくない。

 ついそう言いかけたが、そこで揉めても面白くない。

「さては、おれの姿、いやさ、この手拭いなどが他のものからどう見えているのか気がかりなのか?」

 と、やつは図星をさしながら笑った。

「おれにもわからねえよ。答えが知りたければ、誰かここに呼んで聞くがいい。手拭いが浮いてたなら随分と面白えな」

「何を馬鹿なことを」

 人の気も知らずにけらけらと笑うやつに、私は今度は本気で睨むが、やつはとっくに興味がなくなって、もう一枚の手拭いを勝手に出してきて、着物拭っていた。

 と、はらりと、やつの着物から紅色の何かがこぼれて、畳の上に転がった。

 みずみずしいそれは雨の雫を含んで、畳をほんのりと濡らす。

「つつじ?」

 ぽつりと呟くと、やつが顔を上げた。

「ん、いつのまにか、ついていたか。躑躅つつじは服につくからな」

 躑躅の花は確かに衣服につくものだ。子供の頃はそれで遊んだこともある。

 しかし、あやかしと大差ないような、やつの着物に、躑躅の花がつくとは。

 どうも、やつがどこまで物理に干渉しているのかは曖昧だ。

「どこに行っていた?」

「花を見ればわかるだろ。近くに躑躅が綺麗な場所があるからな。そこまで様子を見に行った」

「また何故だ」

 尋ねてみると、やつはややも鬱陶しそうな顔をした。

「この嵐なので散ってしまったら勿体無いだろう。桜ほど弱くはないが。どうなったかと見に行ったのだ。意外と保っていたぞ」

「貴様にそういう風流な心根があるとはな」

 私が感心していうと、むっとやつは私を見た。

「どういう意味だ。そりゃあ、おれはこういう稼業のならずもののように見えるがな」

 ふん、とやつは鼻を鳴らしていった。

「躑躅というものは、あまりにも綺麗なので、足を止めて見てしまうという花だぞ。まったく、昔の人間はうまいこというものだ。そんな花なのだからこそ、おれの気も向くといういうもの」

 ふむ、と私はやつが言っている躑躅の場所に思い当たりがあった。

「あそこの躑躅は、こんもりとして小さな森のようだからな」

 私はやつの言葉を若干流してやりながら、道の躑躅に思いを馳せた。確かにこんな嵐の中では弱ってしまっているかもしれない。あの花があるのは、他人の敷地ではあるが、ふと気になったものだ。

 と。

「だからといって、お前はあすこにゆかぬほうが良いぞ」

 唐突にそう言われて、私はきょとんとした。

「何故だ」

「ああいう綺麗なもののあるところには、時に良からぬものがいるものよ。今日のように嵐なら、やつらも現れはせんかもしれんが、逆に晴天の日には、暗がりとなる木陰が寄り付く場所になる。まして、あすこは人通りが少ないからな」

 やつが、手拭いの中から鋭い左目を覗かせていった。

「躑躅とはテキチョクとも読む。テキチョクというのはな、花に見惚れて、足を止めるということだ。また躑躅には毒があって、それを食べた毒が回って羊が足を止めると言う説もあるが……、どちらしろ、テキチョク、つつじとは罠の花なのだ。美しいもの、美味しいもの、と思って足を止めさせる場に、なにがあるかわかるか? 隙をさらすようなものだぜ」

「良からぬ輩とは? この間の桜のあやかしようなものか?」

「まあそのようなもの」

 やつは言った。

「お前は……」

 といいかけて、やつはにんまりした。

「まァ、特に男前でもないし、こうしてみると、普通のやぼったい男に見えるからなんだが……」

 やつは勿体ぶってから、

「貴様は当代のスタア様だろう。それだけでも、普通の男ではないからな。他人の注目を浴びたニンゲンは、やつらには美味そうに見えるのだ」

 やつは珍しく真面目な顔だ。

「だから、いっそう、気をつけねばならねえ」

 それはお前にとってもではないのか?

 と、言いかけたがそれは飲み込んでおいた。

 やつは、この前に桜の怪異を退治した時に、それをずるりと食っていた。だからこいつとて、まともなものではないのだと、私はどこかで考えている。

 しかし、やつはこのように私には忠告を与えるし、少なからず私を害したことはない。

 私も、この何者なのだかわからぬやつを引き受けると言った手前、安易に疑うのも無責任というものだろう。

「躑躅か」

 私はそう呟いて、畳の上の花を拾い上げた。水滴のついた花は風雨にさらされても、まだみずみずしく美しい。

 


 翌日は嘘のように嵐は去り、晴天が訪れた。私は庭の被害を確認するのに出歩いたついでに、近隣を散策しに出かけていた。

 春の嵐のあとだ。道には花や葉が落ちてしまっていることもあり、新緑は水滴に濡れて煌びやかに輝いていた。

 何気なく、私は例の躑躅のある道の方に出ていた。

 そこにある家の角を曲がると、件の躑躅があるのだ。

 そこは林の近くだった。さして日陰というわけではないが、何故か人通りがなくひんやりとした通りだった。

『お前はあすこに行かぬほうが良い』。

 やつにはそう言われたが、そうはいえども、こんな晴天の真昼間。さして妖しいものも、いはすまい。

 私にそんなことを言ったやつは、というと、先ほど、部屋で寝ているのを見かけたので、おそらくついてはきていないだろう。

 やつは相変わらず右側が溶けたような、明らかな人外の姿であるくせに、よく人間のように自堕落に昼寝をしているのを見かける。怪異のくせに、あんなだらしないことでよいのだろうか。

 そんなことを思いながら、私は、自然と躑躅のある通りに足をむけた。やつの警告は思考の外に置いておいた。

 好奇心の方が勝ったのだ。

 雨上がりの、緑の湿った青くさい香りが立ち上る。そこには、ちいさな山のようにこんもりとした茂みとなった躑躅が、いくつも連なっていた。

 なるほど、こうしてみるとやつが気に留めるのも無理はなく、なかなか圧巻だった。

 赤や白の躑躅が、嵐により散らされて道端に落ちてもいたが、それでも耐えたものも多く、美しい花を咲かせている。

 なんと美しいものだろう!

 私が思わず立ち止まり、花を愛でようとした時。

「立ち止まるな」

 やつの声がすぐそばで聞こえた。

 いつのまにか、後ろにやつが立っていた。

「おれがせっかく忠告してやったのに」

 私が歩きながら振り返ると、苦笑するやつがそこにいた。

 外出用に例の面をつけたやつの背後に、何か黒いものが見えている。思わずぞわりとした。

 が、それはやつの持つ気配ではない。やつの持つ金物のような澄んだ血の香りというより、もっと淀んで生臭いものだ。これはいうなれば、魚の腐った香りのような。

 私は、一気に血の気が引くのを覚えていた。

 後ろからやつの声がする。

「安心しろ。おれがいるから、こいつらこれ以上、お前のそばに進めねえよ。だが立ち止まるな。こういうやつばらは、あちらこちらからやってくる。立ち止まってはならねえ」

「あ、ああ」

 私が頷いて進んでいくと、やつがひたひたついてくる気配がした。

 躑躅の美しさに目を留める余裕もなく、私が道を通り過ぎた瞬間、黒い影が忍び寄る気配を感じた。

 その時に、不意に金属めいた白い閃きを感じて振り返ると、やつは刀を抜いていた。

 かすかな悲鳴と共に後ろの黒い気配が消えて、やつは刀を払っていた。

「やれやれ」

 やつは肩をすくめた。

「こんな雑魚では腹の足しにもならん」

 今回、やつはそれらを喰う気もなかったのか、黒い気配の残滓を指先で払うと、音を立てて刀をおさめた。

 そして、飄々と私についてきた。

 そうして、暗い道を行き過ぎると、陽光がさしてきた。

「躑躅がテキチョク、罠だ、というのがよくわかった」

 そこでようやく、私はやつに話しかけた。

「誰かが花を見て立ち止まったところを、あれらは見逃さずにおそってくるのか。花が美しすぎるゆえに張られた罠だな」

「うむ、しかし、躑躅に罪はねえ。なので、様子を見にきている。あんな有象無象に絡まれるのは、こいつらも可哀想というものだろう」

 やつにそんな殊勝な心掛けがあるのかどうかはしらないが、やつにも美しいものを愛でる気質はあるようだ。

「それにしても、躑躅つつじの読み方やテキチョクの意味などよく知っていたな」

 明るい道に出て、私がそう尋ねるとやつはいった。

「ふん、おれはこうみえてなんでも知っておる。引きこもって書物ばかり読んでいる貴様より、余程おれの方が博識だ」

 やつが何故か得意げな顔をする。

「いや、お前の好きそうな字だとは思っていた。髑髏だのなんだのと、画数の多い字が好きだろう」

 そう、それはさながら、気難しくなる年頃の男児のような感覚で。

 私のそういう思いに気づいたのか、やつがムッとした。

「それはどういう意味だ。おれは青臭い餓鬼ではないぞ」

 ふてくされるやつの反応が、やられっぱなしの私には、なんとなく小気味よく。

 私は少しふきだした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ