side由希①「じゃあね、由希。また明日」
「じゃあね、由希。また明日」
「うん、また明日ね、唯」
「帰ったらメッセ送るからー!」と去っていく唯の姿を見送って。
私も帰ろう、と駅の駐輪場まで歩いていく。
家が駅からほど近い唯と違って、私の家は自転車を使わないとちょっと大変なくらい遠い。
方角も唯の家と反対だから最寄り駅からは一緒に帰ることはできなかった。
中学のときは学校から家まで一緒に帰れてたのになぁ、と私は有料の駐輪場から自転車を取り出しつつ、懐かしむ。
もっとも、私の家と唯の家と中学校を結ぶと、ちょうどきれいな三角形のようになるので、唯がわざわざ遠回りして送ってくれてたんだけど。
そういう、唯からのさりげない(と本人は思っていたはず)私に対する気遣いが、当時はくすぐったかったなぁ、と感情を思い出す。
今日、中学のときの話を唯としたからだろうか、ノスタルジックになっているのかもしれない。
栄えている高校の最寄り駅周辺とは違い、こっちの駅は寂しいものだった。
数分もこげば、すぐに住宅街に入る。
その中を自転車のライトで照らしていく。
もう暗くなっているので、気を付けなきゃ――と思いつつも、頭の中は唯とのことでいっぱいだった。
自転車に乗りながら考えごとをするのは危ないのだけど、今日は色々とありすぎて、起きたことが頭の中をぐるぐると回っていた。
――唯が私のただのクラスメイトに嫉妬していたこと。
――逆に、唯の友達に嫉妬してしまって、それを唯にぶつけてしまったこと。
――付き合ってから初めてのけんか。
――唯に「彼女」とはっきり言ってもらえたこと。
――そして公園での……――
公園での唯とのやりとり、その中でも主に身体の触れ合いを思い出してしまって、自転車をこぎながら顔が赤くなるのを自覚する。
――恋人繋ぎ。抱きしめてくれたこと。そして……初めてのキス。
信号で止まって、思わず指で唇に触れてしまう。
全然嫌だなんて思わなかった。むしろ、唯と触れ合った唇から幸福感がわーっと流れ込んでくるような感覚だった。
別に私は唯みたいに女の子が好きというわけじゃないけれど――でも、唯になら何をされてもそう感じるんだろうな、と思えるほどの、幸せなキスだった。
青になった。自転車を再びこぎ出す。
火照った顔に、当たる風が心地いい。
中学のときの自分は、唯からのあんなにも強い感情を、よく穏やかに笑って受け流せてたなぁ、と我ながら思う。
唯から気持ちを告げられ、私からも気持ちを伝えた恋人関係の今、中学時代のアレやコレをされたら受け流せそうにない。
実際、今日の公園にいる間は手を繋いでいるだけでも、ずっと破顔しそうになるのをどうにか堪えていた。
中学のときの私は、唯との関係が変わることを恐れていた。
だから、唯に対して必要以上に自分の感情を出すことを抑えていた――それが結果として、唯に誤解をさせてしまっていたみたいだけど。
でも、今は――顔が「にへぇ」としそうになって、慌てて引き締める。
顔が緩まないように注意しながら、やっぱり唯のこと大好きだなぁ、と改めて自覚する。
中学三年生で同じクラスになって出会ったとき、自分がこんなにも唯の事が好きになるなんて、あのときの自分に想像できただろうか。それも友達としての『好き』じゃなくて、恋愛感情として。相手は女の子なのに。
同じクラスになって、隣の席だったから「唯と由希って、なんか名前似てるね」と私から話しかけたのが、私たち二人の始まりだった。
唯とはなんだか波長が合って、一緒にいて楽しくて、安心できて――だから、学校にいる間はずっと一緒にいるようになるまで、そう時間はかからなかった。ゴールデンウィーク前には、もうお互い一緒にいるのが当たり前になっていた気がする。
その頃は、まだ唯に向けていた感情は友達へのそれだった。唯も私に触れてくることはなかったから、たぶんそうだったと思う。
うん? と、唯の行動に疑問符が浮かぶようになったのは、夏休み前くらいだった。
唯が私の身体に触れ始めて――初め、それは友情表現なのかなと思っていた。
でも、手を繋いでくる唯のその手の汗ばみようや、抱きついてくるときの笑っているけどどこか緊張した面持ち、頭をなでてくるときのなんだか妙にいやらしさを感じる手つき――そういったものが、私に疑念を抱かせた。
――もしかして、唯って、私のこと好きなんじゃ?
そう思って唯をよく見ると、やたら私のことをじっと見つめてくるし、たまに頬とか耳が赤かったりすることに気が付いた。
それまで恋愛経験のない私だったけど、友達と恋バナをすることはよくあって、そういう友達が好きな人の話をするときの乙女な表情を、唯は私に向けていた。
疑念は確信に変わって、私は唯からの気持ちを持て余すことになった。
だって、それまでの私は、女の子にそういった感情を向けられたことがなかったから。
女の子の友達は多いし、男の子から告白されることもそれなりにあった。
そういう枠組みの中で生きてきた私だから、初めての経験に戸惑った。
でも、だからといって、唯と距離を取ろう、とはならなかった。
唯から向けられる感情を「気持ち悪い」と思ったことなんて、一度もなかったから。
どうしてか「しょうがないなぁ」という感情が先に立って、むしろ、気持ちを隠そうとする唯のことを「なんだかかわいいなぁ」とすら思っていた。
もしかしたら、ずっと唯と一緒にいたから、情のようなものが湧いていたのかもしれない。
唯と過ごす時間が好きだったし、唯と一緒にいると安心できた。
だから、唯の気持ちを持て余しつつも、私はそのまま唯と日々を過ごしていた。
そんな私の気持ちに変化が起きたのは、文化祭。
うちの中学校の文化祭は模擬店を出すような、本格的な文化祭だった。
私たちの三年三組は喫茶店をやることになっていて、唯と同じシフトになるように希望を出していた。
でもクラスを仕切っていた子が「由希と一緒にすると、唯はベタベタして仕事しないから……ごめんね」と私にだけこっそり言って、シフトを分けてしまった。
やっぱり周りからはそう見えるんだ、と私は先日聞いた噂を思い出していた。
私にだけ伝えて唯に伝えなかったのは、その子なりの優しさだったんだろう。唯には希望が偏ったからくじで決めた、と伝えたみたいだった。
私も唯に本当のことを話さなかった。
だって、周りからそう見えてる、なんて唯が知ったらショックだと思ったから。
学校で唯と一緒にいないのは久しぶりだった。出会ったばかりの頃以来だった気がする。
私がシフトに入っているとき、喫茶店で出していたカップケーキの在庫が切れかけ、調理室に取りにいくことになった。
教室では調理が禁止されていて、そこで模擬店をする場合は、調理室をキッチンとして使うことになっていたから。
その途中だった。
唯の姿を――男子と肩を並べて歩く唯を見つけたのは。
反射的に隠れて、二人の様子をうかがってしまった。
私と一緒にいるときとは違う、少し間を空けた距離を見て安心――安心? なんで安心するの? 唯のことは友達としか思ってないはずなのに。
唯よりも背が低いその男子は、頑張って唯に話しかけていた。その積極的な様子から、唯に気があるのはすぐにわかった。
でも明らかに空回りしていて、二人の空気は、後ろから見てもわかるくらいぎくしゃくしていた。
時折ちらり、と見える唯の横顔があまり楽しくなさそうで、また安心した――だから、なんで?
自分の仕事も忘れて、二人の後を付けた。
模擬店に寄ったり、展示を見たり、一緒にお化け屋敷に入っていったり……どこからどう見てもデートだった。
中学時代、実は、唯は秘かにモテていた。
背がそれなりに高くて手足は長いし、スタイルもいいし、顔だって凛々《りり》しい。
本人が学校では常に私と一緒にいるから男子が寄ってこないだけで、何人もの男子から唯の連絡先(唯はめんどくさがってクラスのグループに入ってなかったから)を教えてくれ、と言われたこともあるほどだった。さすがに教えなかったけど。
私が一緒にいることに加え、唯は男子にあまり愛想がよくなかったから、本人に直接声をかける男子はいない……はずだった。
だから、唯が男子と一緒にいることがまず不思議だった。
それに加えて、私が疑問に思ったのは――唯は私のことが好きなはずなのに、なんで? ということ。
二人を見ていると、心がざわついた。
自分の中からよくわからない暗い感情が這い出てくるようだった。
――やだな。
不意にそう思った。
もうそれ以上見ていられなくて、私は仕事に戻った。
クラスに戻って接客をしている間も、心の中のもやもやは燻り続けた。
あれは誰だったんだろうとか、なんで唯は男子と一緒にいたんだろう、とか、シフトを別にされなかったら私が一緒にいたはずなのに、とか。
もやもやしたものを抱えたままシフトを終え、交代の時間。私のシフトの次は唯が入っていた。
教室後方にパーティションで仕切られた準備スペースに入ると唯がいて、私を見つけた瞬間、その顔が輝いた。
――あっ。
その笑顔を見た瞬間、もやもやは消えた。
男子には向けなかったその笑顔を私に向けていることがうれしくて、私も釣られるように顔を綻ばせた。