第4話「だから……私の気持ち、信じてよ」
駅前の通りを、由希を引っ張るようにして走った。
これ以上、未果にかき回されたくない。その苛立ちが、足を止めさせなかった。
未果が追いかけてくるような気がして、怖かった。
それに何より、今は由希と二人きりになりたかった。
でも、普段運動していないせいで、すぐ息が上がってしまう。
走れなくなっても、由希の手を繋いで歩いた。
気付けば、繋いだ手はいつの間にか恋人繋ぎに変わっていた。
由希は、何も言わずについてきてくれていた。
由希は今、どんな顔をしているんだろう。
先に立って歩くあたしには、見ることができない。
それでも、繋いでいる手は温かかくて――ちょっと汗ばんでいた。
駅前の通りから少し外れた場所で、建物と建物の間にぽつん、と存在していた小さな公園を見つけ、中に入った。
すべり台と、いくつかのベンチが離れて置かれているだけの公園。人の姿はまばらで、静かで落ち着いた空気に包まれていた。
空いているベンチに腰を下ろす。繋がれたままの手は強く握りあったまま、あたしの膝の上に置かれた。
我ながら大胆なことをしたなぁ……、と息を整えながら思う。
店内で由希をあたしの彼女だと叫んで、まるでドラマみたいに店を飛び出して。
でも、後悔はしていない。
むしろ、不思議とどこかすっきりとした気分だった。
「唯」
今まで黙っていた由希が、口を開いた。
静かに響くその声に導かれるように、由希の顔を見た。
――あたしが好きな、いつもの笑顔だった。
けれど、いつもと違うところが一つだけある。
頬が赤く染まっていた――はたしてそれは、走ったからか、それとも。
「ありがとね……彼女って言ってくれてうれしかった」
繋がれている手に、ぎゅっ、と力がこめられる。
あたしも握り返して、言わなくちゃ、とその手の温もりに勇気をもらう。
――今、言わなくちゃ。あたしがずっと心配していたこと、怖がっていたことを。
「あの、ね……あたしが由希と付き合ってるのを内緒にしたかったのは」
「……うん」
「あたしと付き合ってることが知られたら、由希が周りの人から変な目で見られるんじゃないか、って勝手に心配したからなんだ」
告白する。
独りよがりだった、弱い自分を。
今なら言える。きっと大丈夫。
指を絡めて繋いだ手にそっと視線を落とす。
――だって、由希の本当の気持ちに、こうして触れることができているのだから。
「――由希はあたしと違って、普通の女の子だと思ってたから……それで……人から変な目で見られるのが嫌になって、由希があたしから離れていくのが怖かった……」
「……ねぇ、唯。私のこと、そんなに信じられない?」
あたしの懺悔に、由希の眩しくてきらきらとしていた笑顔が、一瞬で曇る。
そんな顔をあたしがさせてしまったと思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。
あたしと一緒にいて、由希にはいつも笑っていてほしいのに。
「内緒にしよう、って言われたとき、悲しかった。せっかく付き合えたのに、なんで、って……本当は私と付き合うのが嫌だったんじゃないのかな、って……」
声が次第に震えていき、じわり、と由希の目に涙が浮かぶ。
その涙を見た瞬間、胸が張り裂けそうになった――お願い、泣かないで。
「内緒にしたい、って言われて、唯に触れるのも怖くなった……私から触れてもし拒絶されたら、って考えると、怖くて、私からは何もできなくなった……」
由希の頬を涙が伝う。
由希のためと一人思い込んで提案したあたしの言葉が、こんなにも由希を傷つけていた。
「唯がそうやって私のことを心配してくれたのはうれしい、うれしいよ? でも……私のこと……私が唯を『好き』ってこと……もっと信じてほしかった……」
「ごめん……由希、ごめん……!」
涙を見ていられなくて、その泣き顔が辛くて、思わず由希を抱きしめた。
由希があたしの肩に顔を押し付けてくる。じんわり、と温かくなっていく。
――わからなければ、訊けばよかった。
――由希のことを想うなら、もっと話せばよかった。
たったそれだけのことを、最初から間違えていた。
由希が離れていくのが怖い――相手のことを信じていない、そんな独りよがりの理由のせいで。
「私は、ちゃんと唯のこと好きだよ……大好き。他の人からどう見られてるかなんてどうでもいい」
由希が肩から顔を離して、腕の中であたしと向き合う。まっすぐに見つめてくる。
涙の跡は残っていて、その目も赤い。でも、もう涙は浮かんでいなかった。
「今だって公園にいる人たちに見られてるけど……でも、唯と一緒なら、そんなのどうだっていいの。そんなことで、私は唯から離れていかないよ」
「だから……私の気持ち、信じてよ」と由希もあたしの身体に腕を回して、抱きしめてくれる。
その身体の温かさが、やわらかさが、あたしの弱さを救おうとしてくれている。
「……私は確かに、唯みたいに『女の子が好き』ってわけじゃない。でも……唯だから。私が好きになったのは『女の子』だからじゃなくて……『唯』だからなんだよ」
「由希……」
――唯だから、好き。
その言葉は、あたしの心にすっ、と染み込んでいった。
男とか女とか……『普通』とか。
そんなの関係なく、あたしだから、好き。
求めていた答えは、そんなにもシンプルなことだった。
好きな人が、自分のことを好きでいてくれる。
初めから、それだけを喜べばよかった。
たった、それだけでよかった。
由希の「好き」を信じるだけでよかった。
あたしの中で膨らんでいたものが、小さくなって――消えていった。
「ゆ、き……っ」
喉が震える。視界が滲む。
堪えていたものが堪えきれなくなって――あふれた。
「……あはっ、唯も泣いちゃっ、た……っ」
そうやって茶化そうとする由希の声も震えていた。
そのまま、強く抱きしめ合ったまま、肩に顔を押し付けて、あたしたちは泣いた。
――どれくらいそうしていたんだろう。
少しずつ落ち着いてきたところで、由希の肩からそっと顔を離した。
「由希……」
「……唯」
あたしの動きに応じるように、由希も顔を離す。
強く抱きしめ合っていたのを緩めて、互いの顔を見やる。
涙でぐちゃぐちゃになった由希は、ひどい顔だった。
でもきっと、それはあたしも同じだ。
顔を見合わせてあたしたちは笑った。
由希のいつもの眩しい笑顔。世界で一番、大好きな笑顔。
そのまま見つめ合って……どちらからともなく、手が伸びた。
お互いの頬にそっと手が添えられる。
――言葉も、躊躇もなかった。
ゆっくりと、示し合わせたかのように、あたしたちの顔が近付いていって――その唇を、初めて触れ合わせた。