第2話「唯、これすっごいおいしいよ。食べる?」
「唯、これすっごいおいしいよ。食べる?」
ポテトのフレーバーが新発売、ということであたしたちは放課後、学校帰りに待ち合わせてファストフード店に寄っていた。ちなみに、ポテトを食べているのは由希だけで、あたしは飲み物しか買ってない。
同じように学校帰りの学生で騒がしい店内、その片隅で、あたしの対面に座っている由希が細長いポテトを一本摘まんでこちらへと向けてくる。
その表情は朗らかで、今日も可憐な笑顔が眩しい。
由希はかわいくて、とても綺麗だ。
それは恋人としての贔屓目じゃない。
店内をそれとなく見回してみても、高校生や大学生と思しき男子がちらちらとあたしたちのテーブルに視線を送ってきているのがわかるほど。中には、こっちを見てニヤニヤと笑う、由希と同じ高校の制服を着た男子もいたりする。
男の子たちからの下品な視線が向けられているのはあたしじゃなくて、もちろん由希。仕方がないことだとはわかっているけど、見るな、と言いたくなる。あたしの彼女なのに。
でも、由希には自分に向けられているそんな視線を気にする素振りもない。いつもの笑顔であたしにポテトを差し出している。
その笑顔にドキッとしながらも、心の中がもやもやとする。
どうしてこんなにモテる美少女が、恋人としてあたしなんかに笑顔を向けているんだろう。実は盛大なドッキリだったりしない?
「ゆーいー。ほら、あ~ん」
あたしの内心を知ってか知らずか。由希が摘まんだポテトをあたしの口に優しく押し付けてくる。それを前歯で受け取り、サクサクと少しずつかじっていく。
オニオンソルトフレーバーのそれは確かにおいしかった。一本を食べ終えると、由希がさらにもう一本差し出してくる。今度はレモンソルト。二種類のフレーバーが楽しめるのが売りだというそのポテトを、もごもごと咀嚼する。由希に餌付けされている気分。
三本目を差し出してきたところで、あたしは待ったをかけた。
「……ストップ。あたし今ダイエット中」
「コーラ飲んでる人間がそれを言っても説得力ないかなぁ。はい、あ~ん」
結局三本目が口に運ばれる。またレモンソルト。
『あ~ん』されて食べるあたしを、由希がにこにこと笑顔を浮かべて見つめてくる。
「おいしい?」
「……うん、おいしい」
あたしといるときの由希はいつだって笑顔だ。
その笑顔が、あたしはずっと好きだった。
好きな人が自分といて笑っていてくれるというのは、すごくうれしいことなんだけど、ただ、やっぱりどうしても気になってしまう。
由希はあたしと同じ気持ちを持ってくれているんだろうか。例えば、キスしたい、とか。
「じゃあ、もう一本。あ~ん――」
「よっ、五十嵐」
差し出されようとしていた四本目が、突然かけられた声で止まった。
見れば、さっきこちらに視線を送ってきていた、由希と同じ高校の制服を着た三人組の男子高校生がテーブル脇に立っていた。その中の、高身長で軽薄そうな笑みを浮かべたイケメンくんが、由希に声をかけてきたようだった。
――なれなれしく苗字を呼び捨てて、なんなのこいつ。
「――っ、八木くん。どうしたの、何か用?」
笑顔のまま、由希がイケメンくんへと顔を向ける。
由希が指で摘まんでいたポテトが、途中で折れてその指からこぼれた。
由希がモテるのは今に始まったことじゃない。
由希はいつも穏やかで、笑顔で、親しみやすいから。
でも。
他の人にそうしているのを見る度、心はざわつく。
笑顔を他の人に向けないでほしい。あたしの彼女なのに。
見ていたくなくて視線を外す――めんどくさいなぁ、あたし。
「これからカラオケ行くんだけど、良かったら五十嵐も行かない? お友達も一緒にさ。どう?」
あたしの視界の外で、由希が誘われているのが聞こえてくる。
関係をお互い公言してない(内緒にしようって言ったのはあたしだ)から知らないとはいえ、恋人が目の前にいるのにナンパとは。
まぁ、だから彼が言った通り、あたしは由希の友達としか思われてないんだろうけど。
由希はどうするんだろう、と思っていると、
「ごめん、私たちこのあと用事あるから」
「……そっか。ごめん、邪魔して。じゃあまた学校で」
「うん、バイバイ」
視線を戻して、由希に断られて去っていくイケメンくんの背中を見送る。連れに「ふられてやんのー」と笑われているその背中がしょんぼりしているように見える。
あたしはうな垂れながらコーラをずごごごご、と飲む。ストローから口を離すと、由希が新しいポテトを摘まみ、改めて四本目をあたしの口に突っ込んでくる。オニオンソルト。
「なに、どうしたの? 急に落ち込んで」
「……もぐ――んっ……いやぁ、由希は相変わらずモテるなぁと思って……」
「えっ、なになに、妬いてるの?」
からかうような笑みを浮かべて、由希があたしに問いかけてくる。
実際そうなのだけど、それを正直に認めるのもなんだか癪で、あたしは唇を尖らせた。
「へーへー、ちょっと男と話しただけで嫉妬しちゃうような重い女で悪ぅござんした」
「もー、からかってごめんってば。拗ねないでよ。はい、あ~ん」
「……むぐむぐ」
「私からしたら、唯の方が心配なんだけどなぁ」
「……んくっ……、なんで? あたしの学校に男子いないじゃん」
共学の高校に進学した由希と違って、あたしの進学先は女子高だ。さっきの由希みたいに男子から言い寄られる心配もなければ、そもそもあたしは由希ほどの見た目をしていない。
心配、と言った通りに、由希はそれまで浮かべていた笑みを消して、神妙な顔をしていた。
「だから、だよ。女の子が好きなくせに、そんなとこ行っちゃってさぁ……」
「……あの、それが目的で高校選んだわけじゃないからね?」
女漁りをするために女子高を選んだわけじゃない。あたしが行ける中で、通学距離や学校のレベルがちょうど良かったのが、今の高校だったってだけ――由希の高校に近いのはたまたまで……いや、ほんとに。
できるなら、あたしだって由希と同じ高校に行きたかった。でも、由希が志望していた高校はあたしにはレベルが高すぎた。中学三年生で由希と出会うまで真面目に勉強もしていなかったから、一年ぽっち頑張っただけでは到底無理だった。一応、受験はしたけど。結果はご覧の通り。
「それはわかってるけどさー。でも、共学の学校よりそういう人多そうじゃない?」
「うわ、偏見だ――とも言い切れない……」
知っているだけでも数組、校内に同性のカップルが存在している。あと、ちょっと厄介な友達もいる。
確かにまぁ、共学の高校と比べたら、そういう人の割合がちょっぴり多いかもしれない。けれど、女子高を選ぶ女の子みんながみんな、そうじゃないとは言っておきたい。
由希はポテトを一本摘まむと、それをあたしにピッ、と向けて、
「だから、恋人としては心配なわけですよ。唯が他の子に迫られたらどうしよう、ってね」
その言葉に一瞬、鼻白む。友達の顔が浮かんで――すぐ消した。
「……ないない。大丈夫だって――」
「あっ、唯ちゃん!」
「げ」
再びあたしたちの間に割って入る声。今度はあたしのクラスメイト――未果だった。席が隣だから、それなりに仲は良い。ただ、少し困ったところがある子――さっき、頭に思い浮かべて消した子。
にこにこと人好きのする笑顔を浮かべ、ポニーテールを揺らしながら、未果があたしたちの席までやってくる。
あたしと由希の学校の生徒がよく利用するお店だから、知り合いに会うことだってある。それでも、今日に限ってそのエンカウント率が高すぎる。
なんてタイミングが悪い。背中に冷や汗が流れるのを感じた。
お願いだから、このまま何事もなく――
「ゆーい、ちゃんっ!」
――済むわけがなかった。
うん、知ってた。わかってた。未果がそういう子だって。
でも、今あたしの前に座っている、半分かじったポテトを唇に挟んだままの女の子が彼女だと、未果は知らないんだから、文句を言うのはお門違いだ。
けど、一言言わせてほしい。
よりにもよってこのタイミングで、あたしに抱きついてくることなくないかなぁ⁉
首にしっかり腕を回されて、ぎゅーっ、とハグをされる。
由希とは恋人になってからしたことないのに。
友達だったときは冗談めかしてあれほど抱きつけたのに、恋人になった今、逆にできなくなっている。手を繋ぐのだって。
未果の身体の向こうから、ガタッ、と音が聞こえた。
「ハァ……唯ちゃんは今日もいい匂いするねぇ……」
「ちょっと、未果……それやめてっていつも言ってるでしょ……っ!」
首筋に顔を埋められて匂いを嗅がれる。
なぜかあたしの匂いが好きらしく、未果はしょっちゅうこうして匂いを嗅いできていた。
別に香水をつけているわけじゃないんだけど……何がそんなにお気に召しているのか。
彼女の前で他の女に抱きつかれて匂いを嗅がれる。なんだこの状況。
まだ嗅ごうとしてくる未果を慌てて引っぺがす。未果は小柄で体格差があるから、いつも簡単に剥がせるのがせめてもの救いだった。
「もー、唯ちゃんったら照れちゃってー」
「照れてない! っていうか、いま人といるんだから、どっか行ってよ」
普段、未果のその行動がめんどくさくて流されているあたしも、さすがに由希の目の前でやられたことで堪忍袋の緒が切れてしまう。言葉が強くなり、しっしっ、と手で未果を追い払った。
「ちぇー、しょーがない。またねっ、唯ちゃん!」
しかし、未果はあたしの普段とは違う強めの態度を気にする様子もなく、元気にそう言って手を振り、注文待ちの列に並んでいった――去り際、口の端を歪め、鋭い視線を由希に向けて。
未果を見送って――そのまま固まった。首を前に戻せない。
今のやり取りを見た由希が、どんな表情をしているのか怖くて見れない。
固まったままでいると「ふーん……人、ね」と呟く声が聞こえた。