1.公園のベンチで
「私が君のメイカーになる!」
その言葉は、黒い羽根を持つ少年に向けて放った啖呵だった。
なぜ彼女はそんなことを言ったのか。
それは少しだけ、時をさかのぼる。
♢
よくある休日。
クレアは、冷めた目でテレビ中継を眺めていた。
『さあ、終盤戦! お互いエースに勝敗を託す形となったこの試合は、果たしてどうなるか!』
画面の先には二人の亜人が向かい合い、闘志を滾らせている姿がある。
『行け! ユキカゼ!』
『決めろ! カリン!』
『メイカーの指示が出揃った! まず先に動いたのは――!』
ぶつかり合う亜人の姿と共に、中継先のモニターも映される。モニターには何度か見た時と同じで、文字が並んでいた。
▼カリンの「時間圧縮」!
▼ユキカゼに「大きなダメージ」!
▼ユキカゼは「劣化」状態になってしまった!
▼カリンは「時間圧縮」による反動を受け、1/8のダメージを受けた!
一連の流れを映し終えたモニターの表示が、次に切り替わる。
▼ユキカゼの「輝きが集う」!
▼カリンに「そこそこのダメージ」!
▼カリンは『フューチャーアーカイブ』を発動!@0/1
▼相手が同じ技を2回使用したため、カリンは自身の速を1段階上げた!
▼ユキカゼは「劣化」状態により、攻が1段階下がった!
画面の中で亜人たちがぶつかり合う様子を眺めながら、クレアは小さく息を吐いた。
誰かの期待を背負って戦う姿には、羨望とも焦りともつかない感情が心に浮かぶ。こう感じるのは、自分が誰の期待にも応えていないことに気づいているからだ。
(私も、誰かの期待に応えられる人間だったらよかったのに。そうすれば、社会からも必要とされて、ちゃんと居場所があったのかもしれない……)
こんなことを考えるのは、自分らしくない。
嫌なことを考えてしまったと、クレアは頭を軽く振り、リモコンを手に取った。電源ボタンを押すと、テレビが真っ黒な画面に変わる。少しだけ、胸の奥のざわめきが静かになった気がした。
クレアはリモコンをテーブルに置き、玄関へ向かう。
靴を履き終えると静かにドアを開け、家に鍵をかけて出掛けて行った。
♢
上手くいかない就職活動に嫌気がさしていたクレアは、気分転換に近所の公園でぼんやりとベンチに腰かけていた。
さっきまでの映像が嘘のように、現実は寒々としている。
「お前にはガッカリだよ」
そんな彼女の耳に届いたのは、声に怒りを滲ませている男のものだった。
なんだなんだと意識を声の方へ向けると、公園の端っこにクレアと同じぐらいの年であろう男子が二人、言い争っているようだ。
「お前、本当にあの人の弟かよ?」
「は?」
詰め寄っているのはごくごく普通な一般人。それに対してイラついた声を上げた男は、頭部に大きな黒い羽根をつけている。
(人間と亜人の揉め事かあ……)
クレアが全く知らない人たちとはいえ、見かけてしまった以上は気になる。
ちょっとの好奇心と、大事にならないかハラハラした気持ちを持ちながら、二人をベンチからこっそり見守っていた。
「はっきり言うが弱いんだよ、お前。なんで双子なのにこんなに差が出るんだよ? お前を選んだ俺がバカみたいじゃねえか。……おい、なんか言えよ。じゃねえとクビにすんぞ?」
「だったらそうしろ。このままお前の元で続けるぐらいなら、アクターなんてやめた方がマシだ」
「言ったな? だったら今! ここで! お前はクビだ!」
売り言葉に買い言葉。
普通の男子が怒鳴り声を上げながらスマホを操作した後、その画面を黒羽の子に突き付けた。話の流れからして、それは解雇を通告する動作だというのは素人目から見ても分かるものだ。
そして、普通の男子は舌打ちを残し、用は済んだと言わんばかりに振り返ることもなく去っていった。
(ひえぇ……! 絶対よくない場面に出くわしちゃったよー! あの人……頭に黒い羽が生えているから、黒羽くんでいいか。黒羽くん、大丈夫かなあ?)
残った黒羽くんは怒りを抑えるように拳を握り締めているが、力が強すぎて拳が震えている。これを見ていたクレアは彼が怒りを爆発させ、大暴れしだすのではないかとビクビクしていた。
「…………はあー」
怒りを鎮めるように大きく、そして長い溜息を吐いた彼は大股でクレアの方に近づいてきた。そして、やや乱暴にベンチへ腰を下ろし、片手で顔を隠して空を仰いだ。
この状況に、クレアは内心大慌てである。
いくつかあるベンチの中でわざわざ自分の隣に座りに来たということは、誰でもいいから話し相手が欲しくてここに来たのだろう。しかし、相手から話しかけてくる気配はない。
どうしたらいいのか分からないまま、それでも現場を盗み見していたという小さな罪悪感から、クレアはおずおずと声をかけた。
「あのぉ……大丈夫ですか? いや、大丈夫ではないと思うんですけど……」
先ほどのやり取りを見て、どの辺が大丈夫だと思ったんだ。
そんな突っ込みをクレアは自分でしたわけだが、他にかけられそうな言葉は思い浮かばなかったのだから仕方ない。
一方、声をかけられた黒羽くんはというと、顔を覆っていた手をどけて、視線だけよこしてこう言った。
「あんた誰」
「まさかの気づいてなかったパターン!?」
どうやら相手は話し相手が欲しかったわけではなく、本当にクレアに気づかないまま、たまたまこのベンチに座っただけだったらしい。
(声をかけないのが正解だったなんて……)
後悔してももう遅い。
声をかけてしまった手前、クレアには笑って誤魔化しながらこの場を去れるほどの度胸もない。気まずい空気の中、黒羽くんの言動に神経を尖らせながら、息を潜めるようにじっと固まっていることしか出来なかった。
「あー……。心配の声をかけてきたってことは、さっきのやり取りを見てたからだよな」
「その、盗み見みたいなことして、すみません……」
私の方が、先に公園のベンチに座ってたんだからね!
なんて自己主張する空気感は当然なく。そもそも、公共の場である公園で、私の方が先にいたなんて主張は自分が恥ずかしい思いをするだけである。
誓って悪いことはしていないが、クレアは終始謝りっぱなしだった。
「別に、あんたが謝ることじゃない。どっちかと言えば、こんな場所で言い合ってた俺たちの方が悪い」
「いやあ、まあ……そうとも言えるけど。でも、別に喧嘩するつもりだったわけじゃないでしょ? ……だよね、たぶん」
むしろ喧嘩する気満々でここに来てましたと言われたら、今度こそ笑って誤魔化しながらこの場を去ろうとクレアは心に固く誓った。
「んなわけあるかよ。昔から合わない奴だとは思ってたが、俺は割り切ってたからな。まあ、呼び出された時点でなんかあるとは思ってたのも、否定はしないが……。それらを抜きにしても、この程度のことで暴力事件を起こすなんてこと、アクターを目指してる限り俺はしない」
アクター。
それは、エンブリス地方で最も流行っているとされるスポーツ『グランドアクト』の選手を指し示す言葉だ。チームの指揮を担うメイカーの元に集った六人のアクターが戦う様は、連日多くの人々を熱狂させている。
大人気スポーツなため、将来の夢としてメイカーやアクターの名を出す子供は多く、若い時にはグランドアクトごっこなる遊びをした者も多いだろう。
残念ながらクレアはそういった遊びをしなかったものの、クラスの誰かしらがやっていたのを横目で見たことはある。
何より、今日家を出る時にテレビで流れていた映像がまさにそのグランドアクトの試合中継だ。興味がなくても何となく流した番組がそれ、なんてことがよくある程度には、いろんな番組で放送されている。
「スポーツ選手が暴力事件を起こしました、なんてなったら大問題だもんね……」
「普通に出禁食らうからな。復帰すら望めない、完全なクビだ」
クビという言葉を聞き、クレアはしまったと眉をひそめた。
恐らく、言い争いをしていたもう一人の人物が黒羽くんのメイカーだったのだろう。暴力事件という世間的には大きな問題に発展しなかったものの、隣にいる彼にとってメイカーからクビを言い渡されたというのは、大事件であるに違いない。
「私はグランドアクトについて、あんまり詳しくないんだけど……。この時期にメイカーを失うって、やっぱりまずいんだよね?」
「そうだな……。例えるなら、不祥事起こして就職先の内定が取り消しになったってレベルだな」
内定取り消しと聞き、クレアの心臓がぎゅっと縮んだ。
(黒羽くんも、私と同じ……。ううん、決まっていたものがなくなったんだから、私以上に辛いはず)
今は十二月。
クレアは今年十八を迎え、義務教育最後の年にして就活を頑張っている。残念なことに九月から始まった一次面接で不合格をもらってしまい、現在は二次募集待ちの状態だ。
クレアが通っている高校では、二次募集以降は落ちた人の中から成績が高い順に斡旋されるという仕組みを取っている。クレアは残念ながら可もなく不可もない成績なので、いまだに二次募集へありつけていなかった。
一応、担任には二次募集が来ていないか定期的に確認を取っているものの、返ってくる答えは変わらない。そして、クラスメイトの大半は一次面接の時点で内定をもらったものばかりなため、ほとんどが既に遊びモードだ。クレアのように落ちた者は、完全に腫れもの扱いされている。
「ねえ。さっき喧嘩してる時に君はあんなこと言ってたけど、本当はアクターを続けたんだよね?」
「まあな。俺には超えたい……いや、超えなきゃならない奴がいるからな」
「じゃあ、私がなってあげる」
「なるって、何に」
「私が君の、メイカーになる!」
一瞬、風が止まったような気がした。
自分でも何を言っているのか分からない。顔が熱い。心臓が痛い。
「は……?」
黒羽くんが顔をしかめていく。文字通り、何を言われたか理解できていないという顔だった。
「だから君は、私のアクターになってよ!」
クレアは立ち上がり、まだ名前も知らない相手にそう啖呵を切った。
はっきり言って、この時の自分はどうかしていたとクレアは思う。彼のことはおろか、グランドアクトというスポーツについても、そもそもメイカーになれるのかどうかもまるで分っていないのに、こんなことを言ったのだ。どうかしていないと思う方が無理である。
それでも、クレアにはもうこの道しか考えられなかった。――いや、考えたくなかった。
クラスメイトには、そこにいない者として扱われる。担任からは、クレアに勧められる二次募集はまだないと聞かされる。
両親は、焦らなくていいよと言ってくれている。けれど、その言葉の向こうには、何もしていない娘への不安が透けて見えた。少なくとも、クレアには両親がそう考えているように思えてならなかった。
だったら、学生の本分を。なんて、いまさら奮起したところで大学への進学も出来やしない。
大して勉強もしてこなかったクレアが今から勉強したところで結果は目に見えているし、仮に受かったとしても、また四年後に同じ思いをするのだ。
今でさえこんな気持ちになっているのに、また同じことになった時、とても耐えられる気がしなかった。
「あんた、良いのか? 将来をそんな簡単に決めて」
「簡単じゃないけど……でも、もう後がないっていうか! このまま行ったら私、フリーターだから! だからいいの!」
「いや、メイカーなんて成績が上がらなかったらフリーターと変わらないっていうか、それ以下だぞ」
「そうなの!? いやでも、なんかこう、夢を追っかけてるフリーターと、なあなあで過ごしてるフリーターって、違くない?」
「勢いで押し切ろうとすんな。世間から見たら同じだよ」
「そんな……。このままじゃ、私の社会人としての第一歩が……」
「うわ、泣き出した」
膝から崩れ落ちておいおい泣き出すクレアに黒羽くんは引いたものの、背に腹は代えられないのは彼も同じだったらしい。
チームを作れるのはメイカーだけであり、メイカーになれるのは人間だけ。
どれだけ亜人がアクターとしての活動を望んでも、肝心のメイカーとなってくれる人間がいなければ、チーム結成が出来ない。そして、チームがなければ公式の試合も行えない。
これぐらいのことは、知識の浅いクレアでも知っている。
そして彼は、十二月のこの時期にメイカーを失った。この意味の重さは、さっきの説明でクレアも既に分かってる。
分かっていながら、彼が前のメイカーにしがみつかなかったのは、あの言い争いがすべてだったのだろう。あのときの言葉から察する限り、どうしても許せないことがあったんだ。
割り切っていたとしても、きっと限界だったんだと思う。
「あんた、名前は?」
「う、ぐすっ……クレア……ずずーっ」
「俺はポルクスだ。さっき言った言葉に二言はないな?」
「うん……ないよ……」
「俺のメイカーになる以上、目指すは頂点だ。……いいな?」
「ほんと? ほんとにいいの? わああ、ありがとう! 何したらいいか分かんないけど、私頑張るからね!」
控えめに言ってひどい顔をしていたが、クレアはお構いなしにポルクスの両手を取って何度も振り、喜びを伝えた。しかし、クレアの手が汚かったため、ポルクスは心底嫌な顔をしていた。
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