閑話2.ポルクス編「兄と弟の距離」
メイカー、シオンとの練習試合に敗北した日の夜。
グランドアクトスタジオで最後まで一人鍛錬を積んでいたポルクスは、かなり遅い時間に帰宅した。
ポルクスが玄関の扉を開けた瞬間、家の中から聞こえてきたのは両親の笑い声だった。
その中心にいるのが誰かは姿を見ずとも、ポルクスには分かった。
下駄箱には、めったに見ない靴が今日はある。これはポルクスの双子の兄、カストルのものだ。
ただでさえ憂鬱な気分なのに、兄が珍しく帰宅しているという現実は、ポルクスの気分をさらに沈めた。
今なら誰にも気づかれていない。だったらいっそのこと、二階にある自室にこもってしまうか。
ポルクスの脳内にはそんな考えが過ったものの、最終的にはリビングに顔を出すことを決めた。それは、子供じみたことはしないという、自分の中にある子供っぽさへのささやかな抵抗だった。
「ただいま」
リビングの扉を開けて返ったことを伝える。すると、先ほどまで笑っていた両親の声が一瞬で静まり返った。
ポルクスは、この瞬間がいつも嫌いだ。
「おかえり」
一番最初に挨拶を返してきたのはカストルだ。これに続くように、父と母からもおかえりと言われる。
だが、その顔はこちらを見ることなく、義務で返してきているだけだと分かるものだった。
カストルは、カラス族の中でも大変希少とされる、白い羽根を持っている。
家族の中で唯一白い羽根を持つ彼が動くと、自然とその姿が視界に入る。そのため、両親はいつも彼のことを視界に入れるし、それはポルクスも例外ではない。
「カストルは、いつ頃まで家にいるのかしら」
「四日にはエントリーするとデルタが言ってたから、来年の三日まではこっちにいる」
「そうか。今年のチャンピオン戦も見事制したのだろう? 応援に行ってやれなくて、すまなかったな」
「良いんだ。父さんも母さんも、忙しいのはよく知ってるから」
「それでもよ。来年こそは休みを取って、応援に行きたいわ。ね、あなた」
ポルクスが帰ってきたのに、話題はすぐにカストルへ移る。これは、いつものことだ。
そして、カストルがいなくてもポルクスと両親の間に会話はない。それが、いつもの日常だ。
「ポルクス、夕飯は?」
「風呂入ってから、後で適当に済ませる」
相変わらず、声をかけてくるのはカストルだけだ。
ポルクスは先ほどの選択を早々に後悔しながら、そそくさとリビングを出ていった。
逃げ込むように浴室へ入ったポルクスは、シャワーを浴びる。
浴槽にはお湯も溜めてあったが入る気にはならず、さっさと体を洗っていく。
シャワーに打たれながら、ポルクスは今日の試合中のことを何度も思い返していた。
グランドアクトで負ける経験は、何も今日が初めてじゃない。アカデミー時代から、練習試合で負けたことなんて両手で数えきれないほどある。
負けるのはいつだって悔しいが、辞めたいと思うほどのことではない。
だが、クレアのチームに入ってから負けたのは今日が初めてだ。これは、自分がエースでありながら負けるという、初めての経験だった。
『お前はカストルさんの弟だから、同じオーバーライドで活躍してもらうぞ』
かつてのメイカーが言われたことが、ポルクスの頭の中で繰り返される。
カストルの弟だから、という理由だけでオーバーライドに任命されたポルクスは、今までそれに文句を言わず努力してきた。
オーバーライドとして求められるスキルの習得に精を出し、ステータスも必死に伸ばしてきた。残念ながら、結果はあまり振るわなかった。
そうして、少し前にクビを言い渡された。
ポルクスの反発が大きな要因だが、あれらの暴言にポルクスが耐えるだけの価値が、かつてのチームに――もっと言えば、メイカーに――なかっただけとも言える。
シャワーを止め、適当に水滴を落としたポルクスが風呂場から上がる。ラフな格好に着替えた後、リビングで残り物を胃に詰めて、さっさと自室へ戻った。
相も変わらず、両親はポルクスに声をかけることはなかった。
♢
自室の机に向かったポルクスは、意味もなくスマホを触る。
アクトリンクを立ち上げて、メッセージが来ていないかを確認する。少しだけスクロールして履歴を辿り、時間の無駄だと思ったポルクスは画面を消した。
『君はエースだから、その場に留まって大きくダメージを与えるスキルが欲しいんだよね。エアライズシフトで何度も旋回されるのは、正直負担になる場面が多いから』
時間が空いたからか、今日の反省会でバラムに言われた言葉がふと思い出された。
そんなこと、言われなくても分かっている。
今までオーバーライドでやってきていたのに、いきなりエースに任命されたのだから、スキルの調整が間に合わないのは当然だ。
そんな言い訳をする自分に、ポルクスはさらなる自己嫌悪に陥った。
元々、ポルクスは自分がエースに向いていないと思っている。
理由は単純で、自分には才能がないからだ。
グランドアクトを小さい頃から続けているポルクスは、エースとオーバーライドの違いは役割以外にもある、ということをよく知っている。
オーバーライドはその性質上、毎回チームに選出されるポジションではない。一方で、エースはほぼ出ずっぱりだ。
奇をてらう戦略を考えたとしても、エースを抜くということはまずあり得ない。エースの穴は、その程度の奇策で埋まるようなものではないからだ。
気楽な役割なんてものは存在しない。それでも、重要度の違いはある。
エースと、オーバーライド。どちらが重要かで語れば、全員がエースと言うだろう。
それほどに重要度の高い役割を、オーバーライドさえろくに務められなかった自分が勤められるのかと問われた時、ポルクスは頷けない。
だが、クレアはポルクスをエースに任命した。
ポルクスは最初、これは消去法だと考えていた。
ティルは完全な初心者で、バラムは確かに強いがエース向きではない。他にアクターはいないので、必然的にポルクスが担うしかなかった。
『エースの変更とか考えてないよ? 私のエースはこれからずっと、ポルクス君だけだよ?』
エースを交代するというのはこれから先、プロになった後のことを考えるとチームの評判に傷がつく。それを理由にエースを辞退しようとしたポルクスに、クレアはまっすぐ目を見てこういった。
エースをこなす自信がない。
しかし、クレアからエースを託されたことに嬉しさを感じたことを、ポルクスは無視できなかった。
嬉しさを無視しきれなかったポルクスは、消去法という言い訳を盾にして、ポルクスはエースを引き受けた。
非常に後ろ向きな理由なため、いまだに自信は芽生えてこない。それどころか、今日の試合中もティルに任せた方が勝率は上がるという合理性を言い訳に、エース対決からさえも逃げようとすらしてしまった。
『私は……私は、ポルクス君を信じてる! 私のエースは、ポルクス君だから!』
『まだ! まだ終わってない! ポルクス君、最後まで戦うよ!』
試合の最終盤に、クレアから言われた言葉が次々と蘇る。
まだまだルールもうろ覚えで、頼りないとばかり思っていたクレア。そんな彼女は、今日の試合を通して大きな成長を遂げた。
彼女はメイカーとして大事なものをしっかりと持っていて、それをきちんと自覚し始めている。
だと言うのに、エースである自分はいつまでその責任から逃げようとしている。このことが、さらにポルクスを追い詰めていた。
「ポルクス、少しいいか?」
扉越しに、カストルの声が聞こえてきた。
あまりにも珍しい出来事にポルクスは驚きながら、特に何も考えず扉を開いていた。
「どうした?」
「……クラスメイト達と組んでいたチームから抜けたと、そういう話を聞いた」
カストルの言いたいことを把握したポルクスは、とりあえず自室に招いた。
扉をそっと閉めたカストルはそこから動くことなく、じっとポルクスを見つめている。
「クラスの奴らが噂してるのを聞いたのか?」
「それに近い。終業式の日、遅れて出席したら、みんなから質問攻めにされた」
ポルクスがチームを抜けたという話は、かなり話題になった。何なら、今もまだ燻っているぐらいだ。
時期が時期だったこともさることながら、一番の理由はカストルの弟がグランドアクトを辞めたという部分が話題の大多数を占めていた。
カストルは終業式の日、放課後に遅れて出席だけしにいったところ、教室に残っていたクラスメイトたちにポルクスのことを質問され、その時に知ったようだ。
ただ、その日は既にポルクスは帰宅していたこと。また、カストルも時間を作って出席だけしにいっただけなので、詳しい話は出来なかった。
「グランドアクトは、辞めてしまうのか?」
カストルが静かな声で、核心に触れる。その目は寂しさを含んでいた。
「…………。いや、新しいメイカーは既にいる。オープンエントリー予選の条件はまだ満たせていないが、出来るだけ、シーズンワンには間に合わせたいと思ってる」
「そうか」
ポルクスの答えに、カストルはほっとしていた。
そんな兄の姿を見て、ポルクスは居心地の悪さを感じた。適当に兄を座らせ、自分もマットの上に座る。
普段はお互いに、グランドアクトのことを話題に出さない。
ポルクスから話を振ることがないのは、聞いたところで自分が惨めな思いをするのを分かっているからだ。そして、カストルはポルクスが距離を置いているのに気付いているから、カストルも振れたりしない。
だが、カストルは今回のことだけは放っておけなかった。
ポルクスがグランドアクトのことだけでなく、両親の関心についても自分に複雑な心情を抱いていることは重々承知の上で、確認した。
共にグランドアクトが大好きな兄弟として。
同じチームでも、違うチームでも。いつか共にプロの舞台で戦おうと約束した、かつての夢を叶えたいという、ただ一人の亜人としてのわがままを胸に秘めて。
「カストルは……。カストルから見て、才能のない奴がエースをしてたら、どう思う? 不快じゃないか?」
ポルクスの口から、たらればを装った本音が漏れる。
これは二人の間に明確な溝が出来て以来、グランドアクトのことについて兄弟で話し合う瞬間だった。
「メイカーが頭脳だとするなら、エースは心臓だと言える。心臓に必要なのは才能ではなく、安定感だと思っている」
「それは、実際の心臓に対してだろ……」
グランドアクトで無類の才を発揮するカストルも、実際に話してみるとこういった微妙な例えをする、ごく普通のアカデミー生だ。
相変わらず、少しズレた感性を持つ兄に、ポルクスは眉間のしわを伸ばす仕草を取る。
「うまく言えないが、グランドアクトはチームで戦う。個々の実力が問われるのは無論だとしても、チーム内の空気が悪いところは、鍛錬などの質も低いと感じる。チームの質は、特にエースの人徳に左右されることが多いと、俺は思う」
「人徳……。良い人の周りには、自然と良い人が集まりやすい、みたいなものか?」
「イメージはそうだ。努力できる者の元には、同じように努力できる者が集まる。俺個人としては、強い者の周りに強い者が集まったチームより、努力が続く者たちが集まったチームの方が強いと感じた」
カストルは実際にプロの舞台に立ち、最高峰とされる他チームとの激戦を繰り広げている。その彼が感じたことはきっと、一つの回答として間違っていないのだとポルクスは納得した。
「じゃあ、努力さえしてればエースはそれでいいのか? 結果が伴わなくても?」
「努力さえしていれば、という考えを持っている人物はエースにふさわしくない。努力は過程だ。それを結果にしてはいけない。結果につながる努力をするべきだ」
「結果につながる努力ってなんだよ」
「例えば、アクティブスタイルスキルを習得する努力をしていたとしよう。だが、どれだけやってもうまくいかず、習得が出来ない時。ここで、もっと努力すればと言い訳をするのは望ましくない」
カストルの言い分に、ポルクスはイラついた。
努力が足りないから覚えられないのなら、さらに努力する以外にどうやってそれを解決するというのか。諦めるわけにはいかない以上、努力するしかないだろうと心の中で否定する。
分かっている。兄が言っていることは正しいのだということは。
今の悪態も、単なる自己防衛でしかない。
優しさも、才能も。何もかもが正しい。だからこそ、ポルクスの劣等感には行き場がなかった。
それがあまりにも惨めで、苦しいのだ。
「俺は、自分が納得できるまで努力しても覚えられないものは、覚えられないと考えている。だったら、覚えられないスキルに固執するより、それをカバーできる別の方法を模索し、そちらで努力をするべきだと思っている」
「結局、努力はするのか?」
「当然だ。何もせずに、結果だけがついてくるはずがない。ただ、努力の方向を変えるという努力も必要だ」
目指したスキルがどうしても習得できないなら、その効果に近い別のスキルを習得する方向へシフトする。それでも上手くいかなかったなら、ステータスを調整して疑似的に寄せていく。
これが、アクターが持つべき姿勢だとカストルは考えている。
そして、この姿勢を誰よりも持っているべきなのはエースを務める人物だと、彼は言いたいようだ。
「それは、逃げじゃないのか? 最後にはその目指したスキルを覚える以外に道がなくなったら、どうするんだよ」
「努力を重ね、最後にそれしか残っていないなら、後はそれに打ち込み続ければいい。だが、現実として時間は有限だし、理想論を達成しても、常勝出来るわけじゃない」
グランドアクトはシーズンごとにスキルの微調整が行われる。その他にも、新しいスキルが増えたり、あるいはなくなったりといった、大きな変更も数年に一度の頻度で行われる。
常に変わり続ける環境の中で、強いとされる戦法は確かに存在する。だが、それさえしていれば勝てるほど、グランドアクトは甘くない。
「何となく……言いたいことは分かった。ただ、それも理想なんじゃないかって、思ってしまう」
「そうだ。これはかなり高度な理想だ。むしろ、強い者がエースになっているだけの方が簡単だと俺は思う。努力に可変性を持たせるのは、非常に高度で難しいことだ。俺は、ポルクスならそれが出来ると思っている」
カストルの言葉に、ポルクスは目を見開いた。
兄と言葉を交わすこと自体が久しぶりということもあるが、こうして実際に面と向かって何かを認められたのは、初めてのことだった。
「一つだけ。……一つだけ、教えてくれないか。現時点で習得している汎用スキルの中から一つ、スタイルアクティブスキルに置き換えたいが、上手くいかない。時間もあまりない中で、カストルだったらどうする」
天才だとされるカストルに、ポルクスは決して助言を求めたことはなかった。それだけは、ポルクスのプライドが許さなかった。オーバーライドという、同じ役割だったことが拍車をかけていたことも大いにある。
だが、今のポルクスはエースだ。
クレアをプロメイカーに、そして自分がプロアクターになるためなら、プライドを捨ててもいいと、ようやく思い至れた。
「どうしても短期間のうちに変えないといけないなら、まずは一番使い慣れているスキルを置き換える。自分が一番使い慣れているスキルほど、案外簡単に変えられるものだ。あるいは、使っていないアクティブスタイルスキルを変えてもいい。汎用スキル枠よりは、まだそちらの方が感覚として変えやすい」
下位互換のものを上位互換に変えることが出来れば、それは大きな力となる。しかし、その分習得難易度も高い。
それなら、同格のものを別の同格に変える方が、時間はかからない。
「そうか、その手があったか。だが、リスクも高くないか?」
「リスクのないスキル換えなど、ありはしない。違うか?」
カストルの言うとおりだ。ポルクスは頷く。
「カストル、その……助言、感謝する」
兄はそっと頷いて、部屋を出ていった。ポルクスはしばらく扉を見つめていたが、何かを振り切るように机へ向かう。
使い古されたノートを引っ張り出し、これからするべきことを書き足していった。
途中となりますが、こちらの作品はここまでとなります。
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