18.信じていたものが崩れた時
はしごを外されてしまったローガンは、立ち尽くしている。
リーンは、ローガンがこれ以上噛みついてこないことを確認し、踵を返してネズがベンチに寝かせたグレイズの元へ行ってしまった。
「なんだよ……」
誰に向けたものでもない言葉が、ローガンの口から洩れた。リーンたちを追うわけにはいかず、かといってこの場を去るわけにもいかず。完全に意気消沈してしまった彼は、その場に座り込んだ。
ローガンが座り込んだことで、同じくへたり込んでいるクレアと同じ視線の高さになった。
これまでの話を聞いていれば、ローガンがアングラ集団に認められていたとは考えにくい。むしろ、目の上のたんこぶだった可能性すらある。
ひとえに、ローガンが抱くグランドアクトへの理念があまりにも強すぎたのだろう。周りとの温度差に気づくことなく、ここまで突っ走ってきてしまったようだ。
「あの、ローガンさんはどうして、グランドアクトの制度を変えたいと考えているんですか?」
「あ?」
「ひえっ! ごめんなさい!」
単純に疑問を口にしただけなのだが、ものすごい形相で睨みつけられてしまった。めちゃくちゃ怖かった。
「あー、悪い。あんな目にあった後だってのに、睨むのはやりすぎた」
「いえ。無神経なことを聞いたのは、私なので……」
何か、彼には触れられたくないことがあるようだ。後先考えず、思ったことをすぐ口にするのは悪い癖だと、クレアは反省した。
「すみません。我々、こういう者なんですけど。ご連絡をくれた、バラムさんはいらっしゃいます?」
「僕がバラムです」
公園の入り口からやってきた二人組が見せてくれたのは、警察手帳だった。つまり、この人たちがバラムの呼んだ警官のようだ。
一人は男性で、ローガンと同じかもう少し上の年齢だ。おそらく、四十歳ぐらい。
パッと見た感じ、亜人の特徴はないので人間だと思われる。
もう一人は女性で、こちらは三十代手前といった具合か。
尖った耳と長い尻尾はどちらも金茶色で、細い目が特徴的だと言える。こちらはキツネ族の亜人だろう。
「少し、よろしいですか?」
「はい!」
警官に声をかけられるという、生まれて初めての経験にクレアは緊張しっぱなしだ。返事をした声は上擦っていたと思う。
「私の目を見てもらえますか? そう、上手ですよ。……はい、もう大丈夫です。ありがとうございました」
「え、はい……」
男の警官がバラムにことのあらましを聞いている間、クレアは女性の警官と目を合わせていただけだった。しかも、これで終わりらしい。
それではと言い残し、女性の警官がリーンたちの方へと向かっていった。こちらの残りは、男性の警官が担当するようだ。
「バラムさんの話によると、グランドアクトによる即興試合が終了し、アクトフィールドが解除された直後に、こちらの女性、クレアさんが、竜人族の亜人、グレイズさんから、暴力を振るわれそうになった。ここまでは合ってますか?」
「は、はい」
「それを見て危険だと判断した、オオワシ族の亜人、バエルさんが間に割り込み、一度は事なきを得た。しかし、なおも暴れ続ける竜人族の亜人、グレイズさんを鎮めるため、オオカミ族の亜人、ローガンさんが殴り倒した。流れとしては、以上ですかね」
「ああ、そうだ」
話の流れを確認しながら、男の警官はタブレットを取り出し、何かを検索していた。
「ああ、ありますね。今から少し前に行われていた、即興試合をしていたデータも残っています。アクトフィールドが展開されている間、危険行為などの該当はなし。メイカーであるクレアさんの方のデータは、公式資料として登録されている、と……」
少し前までグランドアクトが行われていたという確認が取れた警官は、タブレットをカバンに仕舞い、改めてこちらを見た。
「今回の件は、正当防衛になるでしょう。特に、亜人から人間へ暴力が振るわれそうだったというのは、かなり危険な状態だったと言えます。さらに、一度止められてもまだ暴れていたということですので、放置していれば、再び人間であるクレアさんが襲われていた可能性が極めて高い」
その他にも、一般の亜人がスタイルの力を人に向かって使うことは法律上、禁止されていること。
いくら人数の有利があったとしても、暴れる竜人族を止めようとすれば、けが人が発生したことが予想されることなどから、ローガンが行った行為は正当防衛だった、ということで処理されることになった。
クレアが被害届を出す場合は、グレイズに暴行罪が適用されると説明された。
しかし、クレアが首を横に振ったため、この話はなくなった。
「あの……」
「気になることがありましたか?」
クレアが声を上げると、警官の人は優しく問い返してくれる。被害者であるということを知っているため、出来るだけ柔和な態度を心がけてくれているようだ。
「私が説明しなくても、良いんでしょうか? その、こういうのって、被害者から事情聴取をするんですよね?」
「ああ。必要な時はしますが、今日は必要がないので、大丈夫ですよ」
「必要がない?」
クレアとしては大事件だったわけだが、警察からすれば、こんな事件は毎日山のように解決しているはず。
実際に殴られるまではいかなかったので、そこまで大袈裟にしない、ということなのだろうか。それとも、被害届を出さなかったからだろうか。
「ええ、実はですね。あちらの女性警官は、メメントのスタイルを持っているんです」
「はい。……そうなんですね?」
その話が今とどう関係あるのかが見えてこないので、クレアは生返事だ。
「おや、メメントの能力をご存じない? 彼女は何と、人の記憶が見れるんですよ」
「記憶が見れる……えっ! それって、過去が見れるってことですか?」
「大雑把に言うと、そんな感じです。もちろん、事件に関係すること以外の記憶は見てはいけないとされているし、それを証明したりとか、能力使用の許可も取ったりとか……まあ色々手続きはいるんだけど、便利な力だと僕は思っているよ」
「すごいですねえ……」
なんとものんきな返答をクレアがすると、警官は笑い出しそうになるのを必死にこらえていた。
ポルクスたちも、どこか毒気を抜かれたような様子だ。それからみなが一様にバラムを見ているので、クレアはそれが不思議だった。
しかも、複数の視線を感じたバラムは不機嫌になっていくので、クレアは一人混乱していた。
「ミヤジさん。あちらの聴取も終了しました。被害者の記憶と相違はありませんでした」
「ああ、ご苦労様。彼らも、これで何回目の聴取になるのやら……。そろそろ、懲りてくれると嬉しいよ」
「なに? あいつら、今回が初めてじゃないのか?」
戻ってきた女性警官を話していたミヤジの言葉に、ローガンが耳をピクリと動かし、反応した。
「今日みたいな大ごと一歩手前なのは、初めてですよ。ただ、小さないざこざは何度もありますね。これまでのは本当に小さなことなんで、その場でお小言を言って終わりって感じでしたが」
「そうだったのか……。俺はあいつらのこと、何にも知らなかったんだな」
ローガンが自嘲する。
彼なりにグレイズたちと付き合ってきたつもりだったようだが、向こうはローガンのことを何とも思っていなかったようだ。むしろ、煩わしくすら思っていたと考えられる。
「それでは、聴取は以上となります。ご協力、ありがとうございました」
「彼らには、あなたたちにはもう関わらないようにと言って聞かせてあります。どうぞ、気をつけてお帰りください」
最後に形式的な挨拶を残し、警官の二人は去っていった。
クレアがふとグレイズたちのいた方を見れば、意識を取り戻したらしい彼に肩を貸し、リーンとネズも帰っていく姿があった。
「クレアちゃん。もしよかったら私が家まで送るけど、どう?」
「あ! そこまでは、はい! 大丈夫です! 見てのとおり、もうピンピンしてます!」
流石に当時のことを思い出すと怖いが、そうでない限りは震えも止まっている。
今回の件は、誰も悪くない。いや、正確にはグレイズたち半グレ集団は悪いと思うが、もう二度と関わることのない相手だ。クレアは忘れることにした。
それに、彼らとの出会いも悪いことばかりではない。
役割ありのグランドアクトがどういったものなのかを経験できた。
アクトリンクの方でも、今回の戦闘についての記録が残っていることも確認できている。これで、いつでも見返して勉強することが出来る。
無理やり良いことをひねり出しているというなら、まさにそのとおりだ。それでも、嫌なことで記憶しておくより、良いことで記憶しておいた方がクレアとしては楽だった。
「では、俺たちは帰る」
「これ、私の連絡先! なんでも遠慮せず、相談してね!」
「はい! あの、ありがとうございました!」
「何言ってんの! お礼を言うのはこっちだってば! 本当に、ありがとうね! バラムも、来てくれてありがと」
「次からはもっと事前に頼むよ」
こうして、バエルとアルフィは一足先に帰っていった。これに続くように、ローガンもどこかへ向かっていく。
「ローガンさんは、これからどうするんですか?」
あまり褒められた集団の一員ではないが、ローガンはその中でも、かなり強い理念を持って動いていた人だ。
しかし、その集団の中ですら、ローガンは疎まれていた。クレアは、助けてくれたローガンのことをこのまま放っておきたくなかった。
「別に、どうもしねえよ。……もう二度と、グランドアクトには関わらねえ。それで終わりだ」
「それで、良いんですか? ローガンさんは、何かグランドアクトに強い思い入れがあるから、制度を変えたかったんじゃないんですか?」
「嬢ちゃん。制度はもう変わったんだよ。十五年も前にな。そこのヒツジが言ってたとおりだ」
確かに、バラムがそう言っていた。能力値の制限に対する負荷強度の改定。これはもう、十五年も前に行われたことらしい。
「でも、それに納得がいっていないから、今も制度変更のための活動をしているんですよね?」
「そうだ。納得いってなかったんだよ。……さっきの、バエルを見るまではな」
ローガンはクレアの言うとおり、十五年前の改定内容に納得していなかった。だからこそ、自分が正しいと思う改定がもう一度行われるよう、何度もG.A.Cに提案してきた。
それが受け入れられることはついぞなかったが、ローガンは今日の出来事を見て、それが受け入れられなくてよかったと思った。
思ってしまったのだ。
「グレイズの凶行を止めたのは、バエルだ。公園の入り口付近に立っていた、現役プロが止めたんだ。この意味が分かるか? 俺の方が明らかに嬢ちゃんと距離が近かったのに、その俺は届かず、バエルは届いたんだ」
ローガンは元プロアクターだ。現役時より衰えているとはいえ、他のアクターと比べても今だに上澄みだと言える。その程度のポテンシャルはあると、彼は自負していた。
だが、クレアを助けるのに、それでは到底間に合わなかった。それを現役プロのバエルは、ローガンよりもさらに遠い距離から間に合わせてみせた。
「俺は今まで、何をしてきたんだろうな……」
最後にローガンはそう言い残し、何処かへと去って行ってしまった。
「ローガンさん……」
「自分が今まで信じてきたものが、実際は違った。これを目の当たりにするのは、きついもんがある。そっとしておいてやれ」
「……うん」
ポルクスに諭され、クレアは俯く。
グランドアクトは楽しかったが、とても苦いものが残る一日となった。
「今日はもう、帰らない? 日も落ちてきたし……」
「だな。これ以上、ここにいる理由はない」
ティルの提案に、ポルクスが賛同する。クレアとバラムも異論はない。誰からというわけでもなく、公園を後にし始めた。
「クレア」
「ん? なあに?」
「今日は、ごめん」
クレアはなんで謝られたのかが分からず、バラムを二度見した。
ポルクスやティルに言ったのではないかと思い、そちらの方も見てみるが、あちらには聞こえていない様子。
「今回のことは、僕の責任だ。もっと、やりようはいくらでもあった」
「待って待って。何の話? 今日呼び出されたことは、別にバラム君のせいじゃないよね?」
今日の出来事は誰のせいでもないと、クレアが再三になって伝える。しかし、バラムはそうじゃないと言った。
「僕は、今日のことを手早く済ませたくて、相手を必要以上に挑発した。自分だけなら、どうとでも出来ると思っていたからね。だけど、自分の発言で別の誰かが傷つく可能性は、全く考えていなかった」
「それ、は……。まあ、うん……。言いすぎじゃないかなあとは、思ったけど」
「人間と亜人は根本から違う生き物だ。二足歩行で、見た目もよく似ているけど、全然違う。だから、弱そうに見えるヒツジ族の僕よりも、もっと弱い人間のクレアが危険な目にあった。だから、ごめん」
「いやぁ……あれは多分、メイカーだったから狙われたんじゃないかなあって……。へへへっ」
グレイズは、近くにいるバラムではなく、わざわざクレアを狙ってきていた。挑発をしたのはバラムなのだから、バラムに場外乱闘を持ちかける方が、やっていいとは言わないけど、筋としては通っている。
それでもグレイズがクレアを狙ったのは、人間だったからというより、チームリーダーであるメイカーだから狙ったのではないか。クレアはそう考えている。
「同じでしょ。メイカーは、人間しかなれないんだから。……とにかく、これからは僕も気を付けるよ」
「うーん……うん! 気を付けるのは大事だよね! 一緒に気を付けようね!」
ちょっぴりバラムとの意見にずれを感じるが、クレアは良しとした。気を付けるのは良いことだ、きっと。
「そういえば、なんでメイカーは人間しかなれないっていう、ルールがあるの?」
バラムの言葉を聞いて、試合が始まってすぐリーンに言われたことをクレアは思い出した。
「理由はいろいろあるけど、一番の理由は、グランドアクトが共存の象徴だからかな」
「共存の、象徴?」
なんだか想像していた倍はすごい話になってきたので、クレアは瞠目した。
「大昔には人間と亜人が争ってたって、歴史で学んだでしょ。いろいろあって共存することになったけど、すぐに仲良しこよしになったわけじゃないってのは、想像できる?」
「毎日喧嘩してた相手を今日から友達として見ましょうって言われても、ちょーっと難しいかなあ?」
「そんな感じ。だけど、いつまでもいがみ合ってるわけにはいかない。そこで、一緒に遊べば仲も深まるのでは? といった感じで作られたのが、グランドアクトの大本になったものだよ」
「なるほど!」
もちろん、こんなゆるゆるな感じで作られたわけではない。だが、イメージが伝わればいいと割り切っているバラムはクレアに合わせ、かなり砕いた表現をしている。
「とはいえ、スタイルを持たない人間が、亜人と一緒の舞台に立つのは難しかった。だから、司令塔っていうポジションを作って、一緒に遊べるようにしたわけ」
「ほうほう。……でも、そこを人間に限定はしなくてもいいような?」
司令塔は誰でもできる、というのはダメだったのだろうか? クレアは疑問を口にすると、バラムは答えてくれた。
「リーンは、弱い奴に従うのが嫌だから、自分より弱い人間に従いたくない。そう言ってたよね」
「うん。人間のことをクソ雑魚生物って言ってた」
今思い出すとすごい独特な表現だったなと、クレアはちょっと笑ってしまった。
それから、笑えるぐらいには気にしていない自分がいることに気づいて、クレアはまたちょっと笑った。
「その理屈で行くとさ、リーンは僕にも従わないよね」
「……そうなのかな?」
うーんと、クレアは頭を捻った。
「目に見える強さっていうのは、やっぱり暴力的なものになりやすい。僕みたいな、チームを支えることでの強さというのは、残念ながら評価されにくいわけ。そうなると、圧倒的な暴力性を持つメイカーにしかついていかないと、こう解釈できる」
バラムの言うとおりに解釈するなら、リーンが従うのはものすごく強い力を持つメイカーのみ、ということになるのはそのとおりだ。
「あれ。そんなに強いなら、メイカーよりアクターとして活躍した方がいいのでは?」
「それもある。強いなら司令塔より、選手の方がいい。それで活躍できるんだからね。それに、暴力性の強いメイカーが、もし今回のグレイズみたいに暴れたら? 誰か止めれる?」
「一番強い人がメイカーをしてるんだから、無理そう……」
暴走問題はアクターもつきものだが、その中でもチームリーダーとされるメイカーの暴走は、特に脅威度が増すと考えられる。それを、チームで一番強い亜人がしているなんてなったら……どう対処すればいいのか、クレアには分からなかった。
「じゃあ、暴れても対応できそうだから、人間のみになったんだ?」
「そういう側面があることも否定しない、ぐらいかな。最初にも言ったけど、一番の理由は共存の象徴だよ」
「そっかあ。いろんな理由があって、今のルールになったんだね」
もちろん、今のルールも完璧ではないけれど。
長い歴史を経て決められてきたことには相応の理由があるのだと、このことを知ったクレアはちょっぴり大人になった気分を味わったのだった。
人間と亜人が向き合うための舞台であり、人々を熱狂させるスポーツ。――その意味を、今日の出来事が少しだけ教えてくれた。




