17.アングラな世界
即興試合が終わったことで、アクシィが飛んで帰っていく。
その姿をぼんやりと見ながら、クレアは胸の奥から湧き出てくる勝利の高揚に身を委ねる。
クレアのアクターたちも勝利の余韻に浸っていたり、安堵したり、達観していたりと三者三様の様子だった。
いまだに心臓はドキドキしているが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
グランドアクトに見事勝利したことで、本来の目的である、アルフィが盗まれてしまったミサンガを取り戻すことが出来る。
そう思い、クレアがグレイズたちの方を見た。
「えっ――」
情けない声が出た。むしろ、よく声が出たと、クレアは思う。
ヒュッと風を切る音がしたと同時に、目の前に迫っていたのは全力で振り下ろされていたグレイズの拳だった。
「クレア!」
みんなが名を呼び、駆けて来てくれている姿がスローモーションのようになって見える。しかし、とてもじゃないが間に合わないと分かる、絶望的な距離があった。
たまたま近くで観戦していたローガンも、これはまずいと思ってグレイズを止めようとしてくれているが、僅かに届かない。
ただの人間であるクレアが、身を守る術など何もない。
殴られる。そう理解した脳は反射的に、クレアの体を後ろに引かせた。
この程度の足掻きは、焼け石に水どころの話ではない。それでも、命の危機を感じたクレアにとっては必要な動きだった。
「暴力はいけない」
誰かの声が聞こえたと思った時、クレアは尻もちをついていた。これもかなりの衝撃だったが、恐怖によって支配された体が痛みを訴えることはなかった。
それから、どういうわけかグレイズが振り下ろした拳は、クレアに当たらなかった。
一体何が起きたのか。視線を上げると、グレイズとクレアの間には、バエルの姿があった。どうやら、彼が間に割り込み、クレアのことを守ってくれたようだ。
「クレア! 無事か!」
「クレアさん!」
ポルクスに次いで、ティルも駆けつけてくれる。バラムもそのすぐあとに来て、兄に並んでクレアを庇うように立つ。
「あの距離を、一瞬で……?」
クレアを助けようとしてくれていたローガンは一人、呆然としていた。
自分の方がクレアとの距離が近かったのに、間に合わなかった。だが、公園の入り口近くにいたオオワシ族の青年は、間に合わせてみせた。
ローガンは、一方的にオオワシの青年、バエルのことを知っていた。
彼は、今年のグランドチャンピオンシップ戦で第三位という戦績を収めた、トッププロチームの一員だ。少しでもグランドアクトに興味があれば、彼の存在も知る機会はいくらでもある。それぐらい、バエルは有名人である。
もちろん、その隣にいたシカ族の女性、アルフィについても同上だ。
「今のプロは、こんなにも違うのか……」
ただ、ローガンにとって信じられなかったのは、今のトッププロチームに所属するアクターの実力が、こんなにもハイレベルなものになっていた、ということだ。
「俺が――俺がこんな、クソガキどもに負けるものか! 負けたのはグランドアクトのせいだ! あんなクソみたいな制限下で、勝った気でいるなよ!!」
負けた怒りに身を任せ、グレイズが再び拳を振り上げる。
クレアは大勢に守られている中にも関わらず、先程のことが頭をよぎり、身を縮めた。
「グレイズ! いい加減にしろ!」
「ガッ――!」
グレイズの怒鳴り声で現実に戻ってきたローガンは、暴れるグレイズを止めるため、拳を鳩尾に叩き込んだ。
鈍い音がして、グレイズが倒れる音が続く。かなりの体躯を持つグレイズが倒れたことで、ちょっとした地震が起きたように地面が揺れた。
「ちょっと! なに気絶させてくれちゃってんのよ! 私が一発かましたかったのに!」
公園の入り口から、ようやく追い付いてきたアルフィが怒鳴る。
暴走するグレイズを止めたというのに、まさかそのことで怒られると思っていなかったようで、ローガンは困ったように頭を掻いていた。
「殴るのは、いけないことだ」
「プロがしていい発言じゃないんだけど」
兄弟揃ってアルフィにお小言を告げるが、本人は怒りが収まらないようだ。ぷりぷりと丸い尻尾と小さな耳を動かしながら、伸びているグレイズの懐を漁り始める。
「うーーん……あ! あったあった!」
そして、ようやっとアルフィが大切にしている思い出のミサンガが、彼女の手の中に戻ったのだった。
「クレアちゃん、だったよね。試合に勝ってくれて、ありがとうね! おかげで、ミサンガを取り戻せたわ!」
「あ……大事なものが戻ってきて、良かったですね。なんていうか、試合とかは関係なかったような感じになっちゃいましたけど」
アルフィは、何もなかったかのように明るく話しかけてくる。あまりに通常運転な彼女につられ、クレアも普通に返事をしていた。
「そんなことないよ! グランドアクトで勝ってくれたから、私の大切なものを返してもらえた! これで、話はおしまい!」
パチンと両手を叩き、アルフィは今回のことを終わらせようとしている。
しかし、これに黙っていられない男がいた。それは、ポルクスだ。
「この話はなかった、だと? ふざけるな! クレアが……人間が亜人に襲われかけたんだぞ? それも、アクトフィールド外で! これは立派な暴行罪だ」
「君の言ってることは正しいよ。でも、それをほじくり返されて一番辛い思いをするのはクレアちゃんだってこと、分かって言ってる?」
「犯人を野放しにする方が、クレアにとって危険だろ」
アルフィとポルクスの意見が真っ向からぶつかる。
これを聞いていたクレアは、言い分としてはポルクスの方が正しいと思った。それ自体は、アルフィ自身も認めている。
だけど今は、ポルクスの語る事実より、アルフィの優しさの方がとても暖かく感じた。
「あの……お気遣い、ありがとうございます。私は、だいじょうぶ、なので……け、警察を呼んで……」
「何言ってるの! こんなに震えて……大丈夫なわけないでしょ? 怖かったよね。力を持った亜人が襲い掛かってくるなんて、本当に怖かったよね……」
「あ……わた、し…………うぅ……」
緊張の糸が切れたのか、クレアの瞳からぽろぽろと涙がこぼれていく。
これを見たポルクスは、ひどく狼狽えている。クレアはどうにか止めなくてはと頑張ってみるが、どうしても涙が流れていくのを止められなかった。
「大丈夫……もう、大丈夫だからね。ごめんね、私のせいで、こんなことになって……怖かったね」
「い、え……。アルフィさんだって、被害者ですから……」
ぎゅっとアルフィに抱きしめられ、クレアは彼女の胸の中で声を殺して泣いた。
ポルクスの言っていることは正しくて、クレアとしてもきちんと警察に届け出た方がいいことは、分かっている。
それでも、怖いのだ。
警察に言うということは、当時のことを説明しなくてはならない。あの時の、誰の手も届かない瞬間が――助けがないという絶望を思い出すと、また震えがやってくる。
間違いなく殴られていたと、今でも思う。むしろ、バエルが間に合ったことが奇跡にしか思えない。
もし、奇跡みたいな出来事が起こらなかったら、今頃自分は……。その考えがよぎる度、クレアの身体が強張る。
「クレア、すまない。俺は……」
「だい、だいじょうぶ。ポルクス君が、私のことを案じてくれてるって、分かってるから。助けようとしてくれて、ありがとうね。すごく嬉しかった。ティル君も、ありがとう」
「間に合わなくて、すまなかった」
「俺なんか、足が遅くて、全然追いつけなくて……ごめん」
「二人のせいじゃないよ。へへ、へへへ……」
泣いた顔で必死に笑うので、ひどい顔だったのだろう。
二人から痛いものを見るような視線が向けられ、クレアはこんな時ぐらい愛想笑いを返してくれてもいいのにと、理不尽な要求を心の中でしていた。
「なんかいい感じなところ悪いけど、警察は呼ぶから」
「バラムさんって、人の心がなさすぎでは?」
この流れで呼ぶのかと、ティルが突っ込んだ。
「未遂だけならクレアの意思を尊重するけど、残念ながらローガンさんはがっつりやっちゃったからさ。呼ばないわけにはいかないんだよね」
クレアは間一髪、バエルのおかげで外傷を負うまでには至らなかった。一方で、暴れていた相手を止めるためだったとはいえ、ローガンがグレイズを殴ったのも事実だ。
手を出してしまった以上、このまま放置とはいかない。
「殴ったのは俺だ。お前らは関係ねえ。さっさと帰んな」
「帰れるなら帰りたいって」
本当に帰りたそうにしながらも、警察に電話をしてくれているあたり、バラムはなんだかんだで面倒見がいいなとクレアは思った。
「証人が必要になるだろう。俺とアルフィが残ろう」
「被害者の証言もいるでしょ。流石にこの場面で、クレアだけ残して帰ったりしないよ」
「お人好しどもが。あとで文句言うなよ。……おい! リーンとネズも残れ!」
「言われなくても、グレイズを見捨てたりしないっつーの。てか、グレイズを売ったあんたがリーダー面、しないでくれる?」
「売った? 俺がいつお前らを売ったんだ。今回の件は、明らかにやりすぎだったから止めただけだ。試合には手を出さなかっただろ」
「そういうことじゃねえし。はー……ウザッ」
「これだから、元プロなんか信用ならねえんだよ。昔からいるってだけで、でかい顔しやがって」
「全部聞こえてるぞ、ガキども」
半グレ集団も一枚岩ではないようで、何やら険悪な様子。
特に、このローガンという男性はグレイズたちと違い、最低限の節度を持っているようだ。
「警察が来るまで、全員ここにいろってさ。大体十分ぐらいで着くって」
これを聞いたネズは、グレイズを背負って近くのベンチまで連れていく。倒れた彼を介抱するつもりのようだ。
リーンもネズに手を貸しているあたり、グレイズは二人から慕われているらしい。
ローガンもこれに手を貸そうと手を伸ばすと、リーンがその手を払う。
バチンと、大きな音がなった。
「触んな。裏切り者」
「その裏切り者ってのが、全くわかんねえんだが。お前らは、グレイズを犯罪者にでもしたかったのか?」
「何それ、脅しのつもり? あたしらみたいなアングラが、今さらそんなことにびびるとでも思ってんの?」
「お前らが変えたいのは、グランドアクトの制度だろ? 場外乱闘したって、制度は変わらんぞ。変えるためには――」
「あー!!! ほんっとイラつく! なんにも分かってない、その態度が昔っから大嫌いなんだよ!!」
物事の本質をまるで分かっていないローガンに、リーンがぶちギレた。
「もっと能力の上限が上がれば活躍できる? あたしらみたいな弱者はね、そんな次元にいないんだよ!!」
「努力もせずに勝ちたいってことか? っつっても、んな甘い世界はどこにもないぞ」
「このおっさん……! マジありえねー! 自分が恵まれてるからって、調子にのってんじゃねー!!」
リーンは自分の髪がぐちゃぐちゃになるのも構わず、両手で頭を掻きむしる。腸が煮えくり返るなんて表現でも生ぬるいほど、彼女は激高していた。
このままだと平行線だと察したバラムが、面倒くさそうに口を挟んだ。
「あのさ。彼女は血統主義の話をしてるの。努力がどうとか以前の話だよ」
「あたしが言いたいのはそれだよ! クソヒツジだけど、おっさんより話が分かんじゃん」
助け舟を出してくれた人物への言動ではないなと、バラムは呆れていた。
「グランドアクトにおける、種族とスタイルの不一致についての話か? だから、それの差を埋めるために、能力の上限を……」
「その程度で、血統主義が変わるわけないじゃん。能力値の制限に対する負荷強度が改定されてから、かれこれ十五年経ったけど、それで何か変わった? 変わってないよね。確かに、そのお陰で日の目を浴びた人物もいるけど、あんなものは少数だよ」
「弱い奴がグランドアクトを続けるのは、はっきり言うがきついぞ。努力してようやっと力をつけても、もともと強い連中は遊び感覚で、同じだけの成果を上げていくんだからな」
リーンよりもさらに若いバラムとポルクスに言われ、ローガンは何も言えなくなった。その顔には困惑が浮かんでおり、完全な理解には至っていないようだ。
「血統主義って、なにかな?」
「さあ……。言葉どおりに捉えるなら、子は親と同じ国民って扱われることだけど、そういうことじゃないよね」
話が分からず、クレアがティルとひそひそ話していると、アルフィが解説してくれた。
「血統主義っていうのは、グランドアクトで使われる業界用語だよ。簡単に言うと、強い種族の亜人が、強いスタイルを持っていたら、当然だけど強いでしょ? こういった亜人ばかりが採用されがちな今の環境を、血統主義って揶揄ってるわけ」
「へええ」
業界用語を知ったクレアは、ちょっぴり賢くなった気になった。
「じゃあ……お前たちはどうしたいんだ」
「別に、どうにかしたいなんて思ってねーし。グランドアクトとか、どうでもいいもん」
「どうでもいい、だと? 誰でもグランドアクトで活躍できるようにって、お前たちも言ってただろ」
「嘘も方便、ってね。あたしたちは、自分が持つスタイルの力を使って好きに暴れれば、それでいいの。社会でそれやったら一発で警察に取っ捕まるから、グランドアクトの中で発散してるだけ」
リーンの言葉に、ローガンはショックを受けていた。
彼の中には、グランドアクトに対する確かな理念があったようだ。そしてそれは、アンダーグラウンドな場所で燻っている者たちと共有できていたと、少なくとも彼はそう信じていたらしい。
だが、結果は御覧のありさまだ。
リーンたちアングラ集団は、グランドアクトを合法的に相手を殴れる場としか見ておらず、信念や理想なんてものは持っていない。それどころか、勝つためなら場外乱闘をしてもいいとさえ考えている。
グランドアクトが血統主義だというのなら、アングラ集団は単なる実力主義でしかなかったのである。
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