元公爵家執事の俺は婚約破棄されたお嬢様を守りたい 第4章(1)俺、ミジンコになる
お嬢様の命令によってプーウォルトの下に転移した俺。
おまけがぞろぞろと付いてきたけどまあそれは気にしないということで(でも気にしてしまうのが哀しき性かと)。
で。
そんな俺たちを待ち受けていたのは……。
*
黒猫の首の後ろを掴んでぶらーんとさせた白いアヒル男が目を細めた。
「こいついきなりウチらに飛びかかってきたんだぜ」
「ニャー(男の挨拶は拳で語るのが常識だ)」
「んな訳ねぇだろ。つーか、おめーの猫パンチはやば過ぎだろ。なーんで当ててもないのに地面にクレーターができるんだよっ!」
「ニャニャ(それは肉球が滑っただけだ)」
「んな物騒な肉球があるかっ!」
アヒル男と黒猫がぎゃあぎゃあやり始める。アヒル男の声は酷いダミ声でうっかりすると聞き取れないくらい癖があった。
「シーサイドダック、少し黙れ。本官の話ができん」
怒りがトーンダウンしたのかやや呆れ声で黄色い熊の仮面を付けた男が言った。
大きなため息を吐き、気を取り直したかのように声を張る。
「本官はプーウォルト。このランドの森にて貴様らを鍛え直すよう女神様より命じられた。故にこれから徹底的に貴様らを……」
「ウチはシーサイドダック。見たまんまアヒルの鳥人だ。よろしくな」
片手を挙げてアヒル男が挨拶してくる。
シーサイドダックは首から上がアヒルで首から下が人間の鳥人だった。今は広げられていないが背中には折り畳まれた翼があるはずだ。
やたら大きなプーウォルトと比べると慎重はその三分の一くらいか。大人と子供と言ってもいい身長差である。
プーウォルトとシーサイドダックは二人とも異国の服を着ていた。以前お嬢様が教えてくれたガクランに似ておりプーウォルトはきっちり詰め襟の部分まで閉じていた。シーサイドダックは詰め襟を閉じておらずボタンも上から二番目まで外している。ちなみに服の色は二人とも黒だ。ボタンが金色で黒と金の組み合わせが何となく格好良い。
まあ俺は着ないけどね。詰め襟とかちゃんとしたら息苦しそうだし。
「……」
あれ?
俺もしかしてプーウォルトと会ったことある?
三年前にお嬢様の命令で特訓を受けた時に指導してくれた先生にそっくりじゃね?
はっきり言って二度と会いたくなかったんだけど。
「そうそう、このプーウォルトは変なお面を付けてるけどふざけてる訳じゃねぇからスルーしてやってくれ。いわゆる顔出しNGってだけだから」
「いや、本官は別に顔は出せる……」
「どうしても理解できないって言うなら単に恥ずかしがり屋さんってことにしておいてくれ。ウチもそんくらいの認識でこいつを相手にしてるし」
「……」
どうやらプーウォルトに事情があるようだがシーサイドダックの認識が酷い。
ま、つっこまないけど。めんどいし。
「え、えーと。挨拶が遅れたけどあたしはイアナ。よろしくね」
「僕はシュナだよ。」
「ジューク」
「ニジュウ」
イアナ嬢に続いてシュナ、ジューク、そしてニジュウが名乗る。
俺も三年ぶりの挨拶も込めて名を告げようとして口を開きかけたが「よしわかった!」というプーウォルトの大声に遮られた。
「いいか、貴様らはこれからここで本官が徹底的に鍛え直す。朝から晩まで、いやたとえ夜が更けようとも一人前の戦士となるまで本官がその甘ったれてクソまみれの弱っちい根性を矯正してやるから必死で食らいついてこいっ!」
「……」
ええっと。
あのー、俺まだ挨拶してないよね?
どうして話を進めようとするかなぁ?
てか、こいつ俺のこと憶えてない?
ま、まあ俺もさっき思い出すまですっかり忘れていたけどさあ。
それでもちょい酷くない?
だが、俺の心の声は無視された。
まあ声に出してないし聞こえてもないだろうから無視されても仕方ない。めんどいからこのままスルーしようっと。
「いいか、貴様らは今後人とは見做さん。貴様らはもはや人ではない。人以下のクズ、虫ケラ、いやミジンコだっ! そんなミジンコどもにいくつかの決まり事を教えてやる」
「……」
えっ、何こいつ?
ただでなくても黄色い熊の仮面なんか被っててやばそうなのにこのテンションはやばさの重ねがけでしかないでしょ。
つーか人をミジンコ呼ばわりってどうなの?
あ、イアナ嬢とシュナがぽかんとしてる。
ジュークがめっちゃドン引きしてるし。
おいおい、ニジュウ。お前何でそんなキラキラした目でプーウォルトを見てるんだよ。
あれか、こいつの喋り方が琴線に触れたのか? 後で真似とかしないだろうな。うわぁ、心配。
などと保護者的視点で見た目五歳児への悪影響を心配しているとプーウォルトがさらに話を続けた。
「まず本官がここでは貴様らの上官となる。上官の言葉は絶対だ。いくら雨が降っていても本官が晴れていると言えばその時の天候は晴れだ。カラスの色が黒くても本官が白いと言ったらそのカラスの色は白になる」
「んな訳ないでしょ」
イアナ嬢がつっこんだ。
プーウォルトの眼光が鋭くなる。
「貴様、上官に楯突く気か? それと発言をする時は最初にサーを付けろ」
「楯突くも何もあんた滅茶苦茶でしょうが。なーにが上官の言葉は絶対よ。あんた、あたしたちのことそこらの新人冒険者と一緒にしてるでしょ。甘く見たら大間違いなんだからねっ」
「ふんっ、口の利き方も知らぬミジンコか。それより最初にサーを付けるのを忘れているぞ。その程度のことすらできんのか」
「ぬぁーにがサーよ」
イアナ嬢が両手を腰に当てた。
て、この構えは。
わぁ、止めろ止めろ。
短期を起こすんじゃねぇ!
「グ、グランデ伯爵令状。落ち着いて」
「おっかない聖女、凄い怒ってる」
「わぁ、いいぞいいぞ。やっちゃえやっちゃえ!」
シュナ、ジューク、そしてニジュウ。
てか、ニジュウの「やっちゃえやっちゃえ」が「殺っちゃえ殺っちゃえ」に聞こえてならないのだが。
これはちょいお気楽に煽ってるだけなんだよな?
殺意はないよな?
などと俺が思っているとイアナ嬢が両手を前に突き出した。
「クイックアンドデッド!」
瞬間、四つの煌めきが宙を走る。
だが。
「ふん、児戯だな」
四方向から仕掛けたと思しき円盤は目にも止まらぬ速さでプーウォルトに捕まってしまった。
両手に二枚ずつ、合計四枚の円盤がプーウォルトの手に握られている。もしかしなくてもまだ回転しているのだがプーウォルトは全く気にしていないようだ。
というか、あれ手に怪我とかしないのか?
どんだけ頑丈な手なんだよ。
「おい、プーウォルト。それ危なくないのか? 見てるこっちがひやひやするんだが」
「ニャー(あれくらいなら俺も気合いで防げるぞ)」
「んな訳ねぇだろ。阿呆か」
「ニャ(やれやれ、気合いが足りん奴はこれだからいかん)」
「猫の癖にため息混じりに喋るんじゃねぇ。馬鹿にしてんのか?」
また黒猫とシーサイドダックがぎゃあぎゃあやりだした。
それを一瞥してからプーウォルトが円盤を宙に放り投げる。
イアナ嬢が再び円盤のコントロールを得るより早くプーウォルトが両手の人差し指を立ててラッシュを繰り出した。
「わたたたたたたたた……うわたぁッ!」
素早い突きがミスリル製の円盤を穴だらけにしていく。
円盤に施された専用魔道具としての術式も破壊されてしまったのだろう、プーウォルトの攻撃を受けた円盤はボロボロになって地に落ちた。
「……え」
目を白黒させるイアナ嬢。
何やら言いかけて止めるシュナ。
ジュークが自分の万能銃に手を伸ばし駆け思い直したかのように胸の前に手を戻した。
ぐっとその手を握る。
「あいつジュークより強い。ジューク、あいつより強くなりたい」
何やら決心した様子である。
ほいでニジュウはというと。
「おおっ、熊教官凄い。惚れそう」
「……」
ニジュウ。
お前、ああいうのがいいのか。
保護者(自称)としてはあんまりお薦めしたくないタイプなんだがなぁ。
円盤を失ったイアナ嬢が両膝をついて崩れた。
「そんな、あたしのクイックアンドデッドがこんなあっさりと敗れるだなんて……」
「こんな下手クソなオールレンジ攻撃で何かをやったつもりになっていたのか?甘い、甘すぎる。この程度の低い魔力操作ではスライムですら斬れぬわ。それと発言の前にサーを忘れているぞ。だから貴様はミジンコなのだ!」
プーウォルトがシーサイドダックに向いた。
「このミジンコはステージ2だ」
「へいへい」
シーサイドダックが雑に応じる。
彼は黒猫を俺たちの方にポイと投げると両手を広げて早口に呪文を詠唱した。聞き覚えのあるようなないようなそんな呪文だった。でもどぎついダミ声のせいでそう聞こえるだけなのかもしれない。
イアナ嬢の前に魔方陣が展開した。
有無を言わさず魔方陣がイアナ嬢を吸い込む。
「えっ、あっきゃあ」
「イアナ嬢っ!」
「グランデ伯爵令状!」
「おっかない聖女、消えた」
「このアヒル教官も凄い、おっかない聖女瞬殺!」
「ニャー(おやおや、嬢ちゃんが速くも特訓開始か)」
俺、シュナ、ジューク、ニジュウ、そして黒猫。
ニジュウ、あれきっと瞬殺とかじゃないぞ。
それに勝手に死んだことにすると後が怖いと思う。間違いなく怒られるコースだ。
……て、黒猫。。
お前、ひょっとしてあの魔方陣のこと何か知ってるのか?
しかし、俺が黒猫に問い詰めるより早くシーサイドダックが魔方陣の謎を明かした。
**
「ああ、心配すんな。別に大したことはしてねぇよ」
イアナ嬢が魔方陣に吸い込まれたことでざわついた俺たちにシーサイドダックが説明した。
「ウチは特定の空間魔法に長けているんでな。一種の仮想戦闘領域を作り出すことができるんだ」
「仮想戦闘領域?」
シュナがよくわからないといったふうに尋ねるとシーサイドダックが自慢げに笑んだ。アヒル顔が八割増しで生意気そうに見える。
「亜空間内に指定した条件での仮の戦場を設定できるんだよ。たとえば海の空間を作ってシーサーペンととクラーケンがうじゃうじゃ出て来るようにするとか砂漠を作ってサンドワームやジャイアントスコーピオンに奇襲されまくるようにするとか」
「廃墟となった村で亡者どもに襲われまくるようにする、とかな」
プーウォルトが付け加えた。
だな、とシーサイドダックがうなずく。
「ま、あの聖女なら楽勝かもしれねぇけどな。聖女ならアンデッド対策もバッチリだろ?」
「つまり、イアナ嬢はアンデッドが出現する亜空間に飛ばされたのか」
俺が確認するとシーサイドダックがにやりと笑った。ちょいムカつく。
「女子にはちときつい見た目と臭いの奴もいるけどしょうがねぇよな? あ、一応パワーバランスは考慮してるぜ。いきなりドラゴンゾンビの大群とかヴァンパイアロードなんてのは出て来ねぇようにしてるし」
「……」
当たり前だ、という言葉はどうにか飲み込んだ。
一応これから世話になる訳だしな。無駄に関係を悪くする必要もないだろう。
まあ、イアナ嬢が短期を起こしたことで少しぎくしゃくしてしまったかもしれないが。
「にしても、あの聖女といいその黒猫といい、血の気の多い奴がいると大変だな」
シーサイドダックが若干疲れたようにため息を吐いた。
そういえば黒猫ってどうして俺たちより先にここに来ていたんだ?
ちょうど俺の足下で欠伸していたので本人(本猫?)に訊いてみた。
「おい、お前何で俺たちより先に来ていたんだ?」
「にゃ? ニャー(あ? そりゃあれだ。若いのが世話になるんだ、挨拶くらいするのが年長者として当然だろ)」
「……」
頭を抱えたくなってきた。
てか、こいつ年長者なのか? 猫だから何歳なのかさっぱりわからん。
一体幾つなんだよ。
あれか、化け物じみた強さだし、実は化け猫で齢三桁とかか?
よく見たら尻尾が二股になってたとかは……ないか。
「ニャーニャー(特訓するんなら強さの確認も必要だよな。お嬢の紹介だとしてもしっかり俺の拳で確かめないと……あと、強い奴とはとりあえず戦いたいし)」
俺が考え事をしている間に黒猫が何か呟いた。
だが、その声は小さ過ぎて俺にはほとんど聞こえない。
でもまあ、どうせ大したことは言ってないだろう。猫だし。
「亜空間に対象を転移させてそこで戦わせるってことだよね?」
シュナが真面目な顔をした。
「それじゃ、僕にはとびきりきつい戦場にしてくれないかな? なまじ勇者としての力に目覚めたせいかちゃちな敵と戦っても楽しくないんだよね」
「ほほう、言うではないか」
プーウォルト。
「だが、何度も言うが発言の前にサーを付けるのを忘れているぞ。貴様らはミジンコなのだから上官である本官の言葉を無視するんじゃない。いいか、最初にサーだ。この程度の基本もできぬミジンコにステージを選択する権利などないッ!」
プーウォルトがシーサイドダックに告げた。
「ミジンコ勇者にはステージ7を味あわせてやれ」
「あいよ」
シーサイドダックが両手を掲げて呪文を詠唱するとシュナの前に魔方陣が現れた。
一瞬シュナが驚いたような顔をするが、彼はすぐに挑戦的な笑みを浮かべる。
「きっと強敵が待ってるんだよね。いいよ、望むところだ」
シュナが魔方陣に吸い込まれる。
それを見送ったギロックたちが顔を見合わせた。
「ニジュウ、次はジュークの番」
「違う、次はニジュウ。ジュークはその後」
順番の取り合いが始まってしまった。
ぎゃあぎゃあやっているギロックたちを尻目にプーウォルトが俺を指差す。
「女神様の話によれば貴様は飛翔の能力を持っているらしいな」
「ああ」
「ならばそちらの上達も考慮したステージを選ぶとしよう。空中戦もそつなくこなせるようになるとより高度な戦闘ができるようになるぞ」
「じゃ、浮島を戦場としたステージ9に飛ばしたらどうだ? あそこなら竜人もいるし敵の強さも十分だろ」
シーサイドダックが提案してくる。
プーウォルトが「ふむ」と一考し、やがて小さく首肯した。
「まあよかろう。いきなり本官が相手をしても訓練にならんかもしれんしな。それなら竜人相手に経験を積ませた方が良いかもしれん」
「ニャ(そうだな、段階的に鍛錬した方が無理なくレベルアップできるだろう。ま、そういうちまちましたやり方は俺向きじゃないが)」
「……」
黒猫がまた何か余計なこと言ってる。
だが今は構っていられないのでスルーする。
ギロックたちがまだぎゃあぎゃあやっていたからかプーウォルトが二人を指差しながら命じた。
「シーサイドダック、こいつらはまとめてステージ5だ」
「へいへい」
面倒そうにシーサイドダックが請け負い、魔方陣を展開する。
ぎょっとするジュークとニジュウ。
「え、ジュークまだ心の準備できてない」
「ニジュウ、やっぱり熊教官に直接指導して欲しいっ!」
そんなギロックたちの願いも虚しく魔方陣は二人を吸い込んでしまう。
後には俺と黒猫、そしてポゥが残った。
俺の行き先はどうやら浮島のステージになるらしい。
じゃあ、黒猫とポゥはどうなるんだろうな。
やたら期待に満ちた目で黒猫がプーウォルトを見ている。
それに対してポゥはめっちゃ身を震わせていた。鳥の表情なんてよくわからなくても十分ビビっているのがわかる。気の毒なくらいわかる。
「なぁ」
シーサイドダックがプーウォルトに訊いた。
「あの聖鳥もどっかに送るのか? ありゃ戦えないぞ」
「貴様は本官を何だと思ってる」
プーウォルトが心外だといった様子でシーサイドダックを睨みつけた。
「あれは対象外だ。訓練期間中は貴様が世話してやれ」
「ワォ、超たりぃ」
うげぇ、とシーサイドダックが顔をしかめた。
ポゥは自分が亜空間に飛ばされずに済むとわかったのかポゥポゥと喜んでいる。
黒猫がニャーと鳴いた。
「ニャーニャ?(おい、俺はどこに送ってくれるんだ? まさか聖鳥と一緒にお留守番とかじゃないだろうな?)」
「……」
「むむむっ」
「おいおい冗談きついぜ。おめーみたいな奴がウチの亜空間に入っても何の足しにもならねぇだろうが」
俺、プーウォルト、そしてシーサイドダック。
プーウォルトはめっちゃ嫌そうに唸っているし、シーサイドダックに至ってはかなり本気で拒絶しているようだ。
ま、肉玉が滑ってクレーターを作るような猫なんてたとえ亜空間の中だとしても戦わせたくないよな。
亜空間ごとぶっ壊される未来しか見えないし。
「デンジャラスな猫はそこらで大人しく昼寝でもしてろ。本官もシーサイドダックも貴様の相手をしている暇はない」
吐き棄てるようにプーウォルトが言った。
ガーン、てな感じに黒猫が大袈裟にショックを受ける。
あ、これはわざとらしいな。演技か?
とか俺が思っているとプーウォルトがうんざりした面持ちでシーサイドダックに促した。
「ジェイ……じゃなくてこのミジンコはステージ9だ」
「へいへい」
シーサイドダックが投げやりに返事をし、俺の前に魔方陣を展開させる。
いよいよ俺の番か。
よし、どうせならこいつらの装丁以上の成果を上げてやろうじゃないか。
そんなふうに意気込んでいると黒い影が俺の魔方陣に飛び込んだ。
「ニャ(よっしゃ、ここは俺がささっと竜人どもを殲滅してやろうじゃねぇか)」
「……え?」
あ、今の黒猫だ。
そう気づいたのと俺が魔方陣に吸い込まれたのはほぼ同時だった。
**
「うおっ」
「ニャ(いきなりこれかよっ)」
シーサイドダックの展開した魔方陣に吸い込まれた先は足場のない空中だった。
下は一面の海だがとにかく水面からかなり離れている。つまりここは相当高い位置だということだ。落ちたら死ぬね。間違いない。
視界の先では幾つもの島が宙に浮かんでいた。大小様々だがどれも俺の現在地から遠い。仮に結界で足場を作ってジャンプを繰り返してもすぐには辿り着けないだろう。
つーことで。
持ってて良かった飛翔の能力。
俺は早速「飛翔」を発動した。
ふわりと身体が軽くなる。
いや実際は身体が軽くなっているのではなく魔力を作用させて空を飛んでいるのだが感覚的には「身体が軽い」といった感じだった。
まあどっちにしても落ちてないんだからいいや。
「ニャー(おい、あっちから何か来るぞ)」
さてどこかの浮島に上陸しようかと思っていると黒猫が前足で空の彼方を示した。
「……」
て。
あれ? こいつ何で落ちないの?
つーか宙に浮いてるよね?
「おい、お前どうして空を飛べるんだよ。まさか飛翔の能力を持ってるのか?」
「ニャ?(はぁ? そんなもんある訳ないだろ。それに空中移動なんぞ気合いがあればどうとでもなる)」
「……」
え。
気合いってそんな便利なものなの?
てか、気合いって魔力とか関係ないよね?
あーうん、何だか深く考えたら駄目な気がしてきた。
止め止め。
「ニャニャ(それより油断するな。ありゃ、結構大物だぞ)」
黒猫の指している方向から何かが向かってきていた。
小さな黒い点だった物がだんだん大きくなってくる。それにプレッシャーも感じられるようになっていた。
向かってくる相手が近づくにつれて次第にプレッシャーも強まっている。
「……」
て。
それが何であるか視認できるようになって俺はゴクリと唾を飲んだ。
巨大な体躯だが妙にサイズの小さな翼。
真っ黒な身体にそれを上塗りするかのような黒いオーラ。
もうただひたすらに「邪悪」としか思えない雰囲気がそれから滲み出ていた。つーかいきなりこんなもん出現させるなんてシーサイドダックもどうかしている。
おい、こういうのは最初は雑魚から出すのがお作法なんじゃないのか?
ここってシーサイドダックが魔法で作り出した仮想戦闘領域なんだよな? てことは敵も本物じゃなくて魔法で生み出された偽者なんだよな?
あ、てことはこいつ偽者か。
ビビる必要ないじゃん。
俺は迫ってくる敵(?)に左拳を向けた。
マジンガの腕輪に魔力を流す。
チャージ。
黒猫の鳴き声。
「ニャーン(時空竜か。なるほどなるほど)」
黒猫が飛び出した。
俺がマジックパンチを撃つより早く時空竜に突撃する。どれだけの気合いで飛んでいるのかわからないがとにかく物凄い飛行速度だ。
山のような大きさの時空竜に比べて黒猫はめっちゃ小さい。とてもじゃないがまともに戦えるようには見えなかった。
しかし……。
「ニャー(奥義、烈風牙突!)」
黒猫が白い光に包まれ猛虎のエフェクトがかかる。猛獣の咆哮が轟き大気を震えさせた。
猛虎と化した黒猫が回転しながら時空竜の胸に突っ込む。
ぐおん。
時空竜の姿が歪んだ。
「……!」
あれ、マリコーが使っていた虚像化だ。わぁ、狡い。
あんなもん使われたら攻撃なんてまともに効かないぞ。
虚像となった時空竜の巨体を擦り抜けた黒猫が回転を止めて振り向き、嬉しそうに口の端を上げた。尻尾もピンと立てている。
ちなみに、技が終えたからか猛虎のエフェクトが消えて今はただの黒猫に戻ってしまっていた。
「ニャン♪(こいつは楽しめそうだ♪)」
その黒猫を時空竜の実体化した尻尾が襲う。ぶっとくて凶悪な尻尾はそれだけでやば過ぎる凶器だ。あんなもんに当たったら絶対に死ぬ。
黒猫がギリギリで避けた。
時空竜が苛立たしげに吠える。ビリビリと大気を振動させるその吠え声は耐性のない者なら聞くだけで昏倒してしまいそうだ。
まあ、俺には効かないけど。
致死以外の状態異常無効があるからね。
黒猫と時空竜が空中戦を繰り広げる。その戦いは激しく、俺が入り込む隙すらなかった。
迂闊に遠距離攻撃をしたら黒猫を巻き添えにしてしまうかもしれない。
かといって直接拳で殴るには黒猫の動きも止めなくてはならなかった。つーかあいつ邪魔だな。
俺が攻めあぐねているとどこからか男の怒声がした。
プーウォルトだ。
『デンジャラス猫。貴様、訓練の邪魔をするなっ!』
「ニャー(別に邪魔なんてしてないぞ)」
『しているではないかっ。そいつはステージ9の案内係だぞ』
「ニャ?(はぁ?)」
呆ける黒猫を時空竜の尻尾が打ちすえ……なかった。
一瞬で黒猫が消失し、時空竜の顔の前に現れる。
「ニャンニャーン(やべぇ、危うく殺られるところだった)」
いきなり顔の前に黒猫が現れて時空竜が目を丸くする。
ニヤリ、と笑って黒猫が猫パンチの構えをとった。
「ニャー(奥義、猛虎百裂拳)」
黒猫の猫パンチが無数の残像を伴いながら放たれる。
「ウニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャニャ……ウニャアッ!」
顔を滅多打ちにされる時空竜。
凄まじい黒猫の攻撃に「これは終わったな」と俺が思った時。
時空竜の姿がぐにゃりと歪曲した。
回転するようにその姿が変異していく。
その変化に戸惑ったのか黒猫の攻撃も止んだ。状況を観察するように時空竜から距離をとる。
やがて時空竜だったものがその姿を定めた。
これまでの巨体を完全に無視してすっかり小さくなってしまっている。これ、黒猫よりずっと小さいぞ。
それは一匹の妖精だった。
俺の拳二つ分くらいの身長の背中にトンボの羽根を付けた男の子だ。肌は色白で髪はオレンジ色。吊り目のせいか何となく生意気そうに見える。
プーウォルトの声。これって天の声みたいだな。
『そいつの名はタッキー。このステージの案内係だ。見た通り変化の能力を使える』
「……わぁ」
「ニャア(おいおい)」
俺も黒猫も何とも言えぬ声を漏らしてしまう。
プーウォルトに紹介されたタッキーが両手を腰に当ててふんぞり返った。非常に腹の立つ態度である。正直殴りたい。
「俺様はプーウォルトの兄貴ことプーニキの舎弟にして最強の案内係のタッキー様だ。これからしっかりとてめーらをサポートしてやるから感謝しやがれ」
「……」
「……」
俺と黒猫、絶句。
つーか、こいつ何でこんなに態度でかいの?
プーウォルトの舎弟なんだろ? 自分で言っていたし。
あとシーサイドダックの亜空間の中にいるのにプーウォルトの舎弟なんだね。ちょい事情が複雑かもしれないからあえて追求はしないけど。
いや単純な事情だったとしても訊かないけどさ。めんどいし。
「ふふーん、俺様の凄さに声も出ねぇか。まあ仕方ねぇよな。俺様、そこらの案内係よりよっぽど凄いし」
タッキーの鼻が高くなる。比ゆではなく実際に鼻が伸びているのだ。ググーンって感じに高くなっていた。
わぁ、何こいつ。
「ニャ?(こいつ殴っていいよな?)」
一声鳴いてタッキーに殴りかかろうとした黒猫を俺は止めた。
思わず尻尾を握ってしまったのはご愛敬だ。
黒猫がめっちゃ怒っているが不可抗力だと思ってもらうしかない。
て。おい、俺に猫パンチのラッシュを浴びせようとするのは止めろ。
わぁ、痛いから止めろ!
「ニャニャー(軽々しく俺の尻尾に触るんじゃねぇ。どうせなら野郎じゃなく超絶美女に触って欲しいんだよっ!)」
「……」
黒猫。
地味に自分の願望放り込んでくるんじゃねぇよ。
なぁーにが超絶美女だ。
お前にはラキア(オネェ)で充分だ。
「ニャン(ああ、そういやこっちに来る前にお嬢にしてもらった膝枕がすげー気持ち良かったな。またしてくれねぇかな)」
「……」
おい。
それは聞き捨てならないぞ。
あれだ、お嬢って俺のお嬢様のことだよな?
膝枕って、あの膝枕だよな?
「てめーは俺を怒らせた」
俺はダーティワークの黒い光のグローブを発現させた。
**
「……」
「ニャァーッ!(おい、ふざけんなっ! 早くここから出しやがれっ!)」
俺と黒猫はお互いが少し距離をとった位置で球形の光の牢に閉じ込められていた。
それを生意気そうな男の子の妖精タッキーが腕組みしながら睨んでいる。
聞こえてくるのは天の声ならぬシーサイドダックの声。
『ったく、おめーらがガチで暴れたらウチの亜空間なんてひとたまりもないっつーの。マジで止めてくれ』
『ミジンコはともかくそっちのデンジャラスな猫には自重を要求する。貴様の技はシーサイドダックの亜空間をいくら補強しても追いつかん』
まるで黄色い熊の大男と白いアヒル男の二人がその場にいるかのような威圧感を俺は感じる。まあ熊の方は仮面だがそういう細かいことは脇に置いておこう。
黒猫が吠えた。
「ニャー!(俺は悪くないぞ! 小僧が先に手を出してきたんだからな)」
『だからって周辺の浮島を巻き添えにするような大技を繰り出す阿呆がいるかっての』
シーサイドダック。
『お陰で待機させていた竜人たちが全て消し飛んだ。ここでの訓練予定が狂ったではないか』
プーウォルト。
二人の教官がご立腹である。でもこれ俺のせいじゃないぞ。
声を大にして言ってやる。
「浮島を消したのは俺じゃない!」
『わあってるよ。でもな、おめーが避けなければもうちょっとは被害も小さく済ませられたんだぜ?』
『あれは避けるのではなく正面から受け止めてガードするのが正解だったな』
「……」
無茶苦茶である。
つーか、黒猫のあの「究極奥義、深密林猛虎疾走」はやばかった。無茶苦茶やばかった。
あれを真正面から受け止めたら俺の身体が持たなかったかもしれない。
てことで俺的には回避が正解。黄色い熊が何と言おうと無理はしません。
『ま、やっちまったもんはしょーがねぇか』
深いため息の後にシーサイドダックが呟いた。
視界が強烈な光に包まれる。
その眩しさに目を瞑っていると何やら海から飛び出してくる音が聞こえた。それも複数。
巨大な質量が空を飛んでいるのかその風圧が俺たちの方にも届いてくる。ただ、シーサイドダックが何か結界的な処置をしているのかダメージに繋がるほどではなかった。
『ああ、面倒くせぇんだよなぁ。これ地味に魔力も食うしよぉ』
『ぐだぐだ言うな。貴様の仕事だろうが』
『ウチは亜空間の中での訓練のために協力しているだけだっつーの。女神様に頼まれてなけりゃこんな規格外の奴らの相手なんかしたくねぇんだよ』
再びため息をつくシーサイドダック。
『マジで勘弁して欲しいぜ。つーか、ウチ帰っていい?』
『帰るな、仕事しろ』
『』へいへい』
雑に返事をしてシーサイドダックが呪文を詠唱する。
どぎついダミ声があたりに木霊した。
*
しばらくして俺が目を開けられるようになると周囲に浮島が復活していた。
その幾つかには浮島の上空をワイヴァーンらしき姿が飛び回っている。あれらも俺の敵として遭遇することになるのだろうか。
シーサイドダックがふうっと息をつく。
『あー疲れた……ったく、こんな面倒は二度と御免だぜ』
『デンジャラスな猫には制限が必要だな。シーサイドダック、あれを使え』
『あいよ』
パチン、と指を鳴らす音がしたと思ったら黒猫が淡く光りだした。
「ニャ?(な、何だ?)」
淡い光が黒猫の首のあたりに収束していく。
そして、小さな銀色の鈴に形を成した。黒猫の首の肉に埋もれて普段は見えないフォレストワイヴァーン製の首輪にくっついている。
なお、首輪の留め具はミスリル製である。黒猫には勿体ない高級品の首輪だ。
「ニャーッ!(うげっ、何だこれ。すげぇ気合いが抜ける)」
『弱体化の効果のある鈴だ。これなら貴様もまともに戦えまい』
『ウチはあんまこういうの好きじゃねぇんだけどよぉ。おめーこんくらいしねーとまた無茶しそうだしな』
プーウォルトとシーサイドダックの言葉に黒猫ががっくりと頭を垂れた。
ちょい気の毒……いや自業自得だろ。
あーはっはっはっは、と嘲笑が聞こえた。
タッキーだ。
「あははは、いい気味。猫は所詮猫なんだから大人しくしとけっつーの!」
空中でタッキーが器用に転げ回りながら爆笑する。そんなに黒猫にデバフがかかったのが嬉しいのか。ちょっと見ていて不愉快だな。
『タッキー』
プーウォルトが呼びかけるとタッキーはピタリと動きを止めた。
素早く起き上がって直立姿勢をとる。
「サー。プーニキ、何でありましょうか」
『うむ、少々バタバタしたがこれで訓練を再開できるだろう。予定に従ってそこのミジンコを鍛えてやれ』
「サー、イエスプーニキッ!」
タッキーが右拳を左胸に当てて敬礼する。
そのやりとりに呆れたような口調でシーサイドダックが付け加えた。
『予定時刻になったらおめーもステージから出ていいからな。一応、後でステージ内のメンテナンスもしておきたいからよぉ』
「サー、イエストリニキ」
『あ? 誰がトリだコラッ! 泣かすぞ』
どうやらシーサイドダックはトリ呼びがお気に召さなかったようだ。アヒル男の癖に。
すいませんすいません、とへこへこするタッキーが俺の視線に気づいたのか再度ふんぞり姿勢に戻った。
忙しい奴である。
コホン、と咳払いをしてタッキーが俺を指差した。
「シーサイドダックの兄貴がステージを修復してくれたから訓練を再開するぜ。まあ、阿呆猫のせいでろくに始めてもないのに滅茶苦茶にされたんだけどな」
光の牢の中で黒猫が何やら言い返しているがタッキーはそれを無視した。
俺もここはスルーしておく。早く訓練とやらを受けたいし。
*
中空に半透明の板を浮かべてタッキーが説明し始めた。
「現在地点は画面中央にあるこの二つの青い点だ。おめーと阿呆猫を示している。俺様は案内係でしかないから表示はなしだ」
画面には大小様々な浮島が表示されていた。浮島のある位置で光っている赤い点が敵ということだろうか? ちょい数えたくないくらい沢山いるのだが。
「で、この赤いのがおめーらの敵な。基本こいつらが全滅することはないから残数とか気にしても無駄だぞ」
「……」
「ニャ?(さっき全滅したよな?)」
俺はつっこまなかったのだが黒猫がつっこんでしまった。
どうして空気を読めないかなぁ?
指摘されたタッキーが表情を硬くした。青筋が立っていたのは見なかったことにしよう。
「ふ・つ・う・は全滅なんてしねーんだよ。どっかの非常識な阿呆猫は例外中の例外。正直すげぇー迷惑」
「……」
だよなぁ。
黒猫がニャアニャア騒いでいるがタッキーはそれもシカトする。光の牢はどんなに殴ってもびくともしないので黒猫が外に出ることはないだろう。
当然、黒猫の攻撃がタッキーに通ることもない。
時空竜の時に見せた黒猫の瞬間移動っぽい動きもどうやらできなくなっているようだった。というか瞬間移動ができたらとっくにやっているだろうね。
タッキーが説明を続ける。
「スタートの合図と同時に敵が戦闘行動を開始するからおめーらはとにかく戦え。大部分は竜人だが中にはブルーワイヴァーンやグリーンワイヴァーンも混じっているから気をつけろよ。特にグリーンワイヴァーンのポイズンブレスは霧状だからちょっと避けたくらいじゃ防げないぞ」
「あ、俺は致死以外の状態異常を無効にできるので」
「ニャン(毒なんぞ気合いでどうとでもなる)」
「……」
俺と黒猫が発言するとタッキーが渋い顔で眉間を揉み始めた。あれ?
「マジか。とことん規格外ってどんだけだよ」
どんだけとか言われても。
あと、黒猫は何でも気合いで済ませようとするのは良くないと思います。
つーか、こいつデバフのせいで気合いが弱まってるんだよな?
そんなんで戦えるのか?
「ニャ(小僧、俺は大して役に立たんからアテにするなよ)」
「いや、アテにはしてないし。俺、一人でも強いので」
「ニャー(言うようになったじゃねーか)」
黒猫が妙に感慨深げに言うのを俺は聞き流した。
タッキーが「じゃあ始めるからな」とカウントダウンを開始したからだ。おいおい、説明が足りてなくないか?
俺がつっこむ暇もなくタッキーのカウントダウンが進んでいく。
俺は待ち時間の間にマジンガの腕輪に魔力を流した。
探知も併用して敵の位置を探る。発見次第マルチロック機能でどんどんロックオンしていった。
タッキーのカウントダウンがゼロに近づく。
オートマチックファイヤーは……よし、正常に動くな。
「5、4、3、2、1、スタートッ!」
タッキーの合図とともに光の牢が消える。
「ウダァッ!」
俺はマジックパンチを連射した。
両拳と魔力で作られた拳弾が標的に向かって飛んでいく。
この後、タッキーがあんぐりと口を開けて間抜け顔を晒していたのだが、まあそれはそれってことで。