虎
〈あの繪から虎出してみよ遠蛙 涙次〉
【ⅰ】
一説に依れば、性に関する産業と云ふものは、不況下にも「強い」のださうである。
そのせゐかだうかは知らぬが、杵塚のアルバイトとしてのハスラーぶりは、彼がカンテラ一味に属してゐる事も相まつて、かつてより華々しい。楳ノ谷汀に留まらず(彼女は、彼女の愛は押し通したが、自由人としての杵塚、と云ふキャラクターは尊重してゐた。それには、杵塚、感謝してゐた)、世の中年女性たちの慾求の「吸ひ取り紙」として、彼は存在し、かつ、そこから収入を得てゐた。
要するに、カンテラ事務所が不況の煽りを受けてゐる事など、そ知らぬ顔で世を渡つてゐたのである。
彼は、つひにホンダ・スペイシー100を手放した。その理由は後述する。
そしてその代はりに、ヤマハ・シグナスRAY ZR 125 ストリートラリーなる長い名のスクーターを新車で買つた。ヤマハのインド法人が製作した物で、日本のバイク屋が輸入、初期費用は驚く程安い。然も、ルックスは、彼の審美眼には、充分過ぎるカッコ良さ。
スペイシーは幾らにもならなかつたが、だうせバイク屋は客に、「これはカンテラ一味のバイク番長、杵塚さんが元は所有してたんですよ」とか云つて、髙額で賣りつけるに決まつてゐた。
【ⅱ】
スペイシーは100ccとアンダーパワーだつたので、タンデム相手の體型推移は、立ちどころに云ひ当てる事が出來た。由香梨は、小學5年生となり、これから女性としての魅力を備へる為の下準備、彼女の躰はだんだんと丸みを帯び、目方は増えた。初潮も濟ませた。謂はゞ、變な云ひ回しかもしれぬが、「ロリータとして脂が乘つた」體型に、徐々に近付いてゐた、のである。
事實、彼女のイメージヴィディオを撮つてみないか? と云ふ誘ひが、方々から杵塚の許に來てゐた。由香梨は「いやだよー。だうせマニアしか観ないんだから」。杵塚は各方面に丁重に謝らなくてはならなかつた。
で、(長くなつた)125ccスクーター、と云ふ譯である。これで、以前のやうに「かつ飛ば」せば、由香梨も喜ぶ。そんな流れでの、シグナスRAY ZR購入なのである。
【ⅲ】
ところが、インドからはるばるやつて來た、シグナスRAY、最初にお祓ひをして置くべきだつたのだ。カンテラに頼めば、ロハでやつてくれる。タイミングを逸し、杵塚は、老人の靈、が薄つすらとシグナスから漂ふところを見なくてはならなかつた。
コスパ、には勿論、憑き物の事を計算に入れてはゐない。カンテラに相談すると、「杵、今いくら持つてる?」もはやこの件、仕事として扱はれてゐるらしい。杵塚「二百萬、ぐらいだつたら自由に出來ますけど」カン「よし、それで充分だ」
につちもさつちも、なのである。このスクーターが、用をなす為には、カンテラの云ふ經費は、必然なのであつた。カンテラが、スクーターを「張る」。と、老人の靈が出てきた。カン「む!?」杵「だうかしたんですか」カ「あの老人、見た目よりも遥かに髙い靈力を持つてゐるぞ...」取り敢へず、カンテラ、太刀を拔いたが、(負ける...)この世に生を享けて初めて、カンテラはさう思つた。
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〈老人に憑かれたバイク買ふもまた勝手に生きろ教への通り 平手みき〉
【ⅳ】
「虎だ」-カンテラの靈視に依れば、巨大な虎を老人の靈は脊負つてゐる、と云ふ。「これは、遷姫の領域だなあ」
じろさんに頼んで、カンテラ、牧野の躰から「龍」を出す手續き、つまり、人為的に牧野を失神させる事を、やつて貰つた。
「かんてら、ダウシタ?」「おゝ遷姫。ベンガル虎の靈に立ち塞がれて、バイクが動かせない」「杵カ」「さうだ」「余リニ人間ガ乱開發スルノデ、虎モ住ムトコロガナインヂヤナイカ? マ、かんてらノ願ヒトナレバ、致シ方ナイ」
まさしく「龍虎」の睨み合ひである。が、「龍」が口から水龍を(かなりの激流だ)吐くと、それに洗はれたが如く、虎の靈、老人の姿は、消えた。
【ⅴ】
「恩に着る」-「タマニハワタシヲ呼ンデクレヨ、かんてら」‐「さうするよ」‐杵「一時はだうなる事かと。それにしても、安物買ひが祟つたなあ」カン「ま、これを肝に銘じて、バイク買ひは暫く控へるんだな」
【ⅵ】
實際にはこんな事ないのを禱ります。實を云ふと、作者が慾しいスクーターなのです、シグナスRAY ZR 125 ストリートラリー。と、云ふ事で、安物買ひが飛んでもない必要經費を産んだ、と云ふお話でした。お仕舞ひ。
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〈蛙鳴く川はなくとも田んぼあり 涙次〉