みんなが本当になくなってほしいのはエロ広告じゃないんだよね
エロ広告、腹立つよね。俺達は望んでないのにいちいち出てきやがって!
でもねえ。我々が本当に腹が立っているのは「エロ広告」ではなく、「場所を間違えた広告」なんですよ。
場所を間違えた広告には遭遇したことがあるでしょう。
興味のない漫画、既に入れているアプリ、など無害なものから、それこそいわゆる「エロ広告」も人によってはそうでしょう。
エロ広告はアダルトサイトが主な生息域であるべきでしょう。多くのサイトではそれらの広告は機能しません。
逆に、アダルトサイトに楽天カードの広告が出るのも多くの利用者は嫌がるでしょう。
つまり問題は「エロ広告」ではなく「場所を間違えた広告」です。
じゃあなぜ「場所を間違えた広告」は無くならないのでしょうか。それは広告を出す企業がマーケティング能力に欠けている、あるいは広告を表示しているサイトのアルゴリズムに問題があるのでしょう。
これ、国会議員がいちいち首突っ込まないといけない話かなあ!
ともかく、これで私たちが嫌っているのは「場所を間違えた広告」だということに納得してもらえるでしょうか。
ちょっと「エロ広告」がなぜやり玉にあげられるかという考察がしたい。
「エロ広告」を定義するなら、「性欲を煽るような表現で他サイトへユーザーを誘導する広告」でしょう。「なんとなく不道徳」な気がしますね。
この、「なんとなく不道徳」がまさにやり玉に挙げられる理由でしょう。
ならばこの「なんとなく不道徳」を理路整然と解説できる人間はいるでしょうか。
いませんよね。
性欲とは生殖への欲求であり、それを持つことは生物学的に間違った事ではない。
そして、それを広告に使うのも理にかなっている。
では、なぜ「なんとなく不道徳」なのか。それは教育に悪いからです。子供は馬鹿です。子供の時のあなたは今の大人のあなたより賢くはないでしょう。
そんな子供の性欲、いや欲望をむやみに煽るのは悲惨な事件や事故の原因になりうる。もちろん断言はしかねます、子供に影響を与えられるのは親ですし、子供の成長に影響を及ぼすものの中では僅かな一要素でしかありません。
子供を教育できない親の怠慢と言われればそれまででしょう。
しかし、ほんの一要素も親にとっては大きな問題。そして、社会性のある大人は子供を守ろうとする。つまりみんなうっすらと親のような意識を持つわけです。
このように「エロ広告」への忌避感が生まれ、やり玉に挙げられる現象が起きているのではないでしょうか。
俺が頑張って書いた小説は伸びないのに、ネットでは俺の話の数倍くだらないことで言い争ってるの悲しいなあ。